7月4日(土) からだとこころを鍛える
児童部の練習では、以前の「当てる練習、当てられる練習の不足」の現状をふまえて、段ボールを持っている人間を、両手で押す練習を行った。児童は押す練習はもちろんのこと、高学年は段ボールを持ち、押される練習も後ろに大人が控えて行う。これは技を食らう側の衝撃や、そういった衝撃の対処の仕方を学ぶためである。
何でも最近の子どもは前に転んだ時に手をつかず、顔面から突っ込んで鼻骨を骨折するといったケースもあるらしい。この子どもはおそらく転んだ経験がなかったのだろう。
「怪我をしない」というのが絶対的に正しいのではなく、小さな怪我をしながら大きな怪我をしないようになっていくというのが正しい。
話がそれてしまったが、これも一つの体を鍛える練習である。
一般部ではリズムに合わせながら、相手まで体を運ぶ練習を行った。これは体力のあるうちは意欲的に相手に飛び込んでいける。しかしバテてくると、だんだん攻める意欲よりも自分の体力を保持する方になってしまう。
そこを「死中に活を求む」と、突っ込む精神が必要である。お互い自然成長的にやっているので、どうしても大人の方が有利になりがちであるが、受け手と攻め手を分けたり、受け方、攻め方を決めるなどして、段階的に上達できるようにしていきたい。
児童部の練習では、以前の「当てる練習、当てられる練習の不足」の現状をふまえて、段ボールを持っている人間を、両手で押す練習を行った。児童は押す練習はもちろんのこと、高学年は段ボールを持ち、押される練習も後ろに大人が控えて行う。これは技を食らう側の衝撃や、そういった衝撃の対処の仕方を学ぶためである。
何でも最近の子どもは前に転んだ時に手をつかず、顔面から突っ込んで鼻骨を骨折するといったケースもあるらしい。この子どもはおそらく転んだ経験がなかったのだろう。
「怪我をしない」というのが絶対的に正しいのではなく、小さな怪我をしながら大きな怪我をしないようになっていくというのが正しい。
話がそれてしまったが、これも一つの体を鍛える練習である。
一般部ではリズムに合わせながら、相手まで体を運ぶ練習を行った。これは体力のあるうちは意欲的に相手に飛び込んでいける。しかしバテてくると、だんだん攻める意欲よりも自分の体力を保持する方になってしまう。
そこを「死中に活を求む」と、突っ込む精神が必要である。お互い自然成長的にやっているので、どうしても大人の方が有利になりがちであるが、受け手と攻め手を分けたり、受け方、攻め方を決めるなどして、段階的に上達できるようにしていきたい。