7月4日(土) からだとこころを鍛える

2009年07月04日 | 練習日記
7月4日(土) からだとこころを鍛える


児童部の練習では、以前の「当てる練習、当てられる練習の不足」の現状をふまえて、段ボールを持っている人間を、両手で押す練習を行った。児童は押す練習はもちろんのこと、高学年は段ボールを持ち、押される練習も後ろに大人が控えて行う。これは技を食らう側の衝撃や、そういった衝撃の対処の仕方を学ぶためである。

 何でも最近の子どもは前に転んだ時に手をつかず、顔面から突っ込んで鼻骨を骨折するといったケースもあるらしい。この子どもはおそらく転んだ経験がなかったのだろう。

 「怪我をしない」というのが絶対的に正しいのではなく、小さな怪我をしながら大きな怪我をしないようになっていくというのが正しい。

 話がそれてしまったが、これも一つの体を鍛える練習である。
 一般部ではリズムに合わせながら、相手まで体を運ぶ練習を行った。これは体力のあるうちは意欲的に相手に飛び込んでいける。しかしバテてくると、だんだん攻める意欲よりも自分の体力を保持する方になってしまう。
 そこを「死中に活を求む」と、突っ込む精神が必要である。お互い自然成長的にやっているので、どうしても大人の方が有利になりがちであるが、受け手と攻め手を分けたり、受け方、攻め方を決めるなどして、段階的に上達できるようにしていきたい。

7月1日(水) 掛かり稽古所感、 焦点を定める練習

2009年07月01日 | 練習日記
7月1日(水)掛かり稽古所感、 焦点を定める練習

 今日の児童部の練習では、中学生相手に掛かり稽古をさせてみた(児童の攻撃技は何でもありで、受け手の中学生は攻撃せずにひたすら受け手である)。
 

 全員を見た所感としては、(毎度の如くしつこいようだが)足腰の強さが足りない。突技が多い。走って突進してパンチ!という感じだ。蹴技は初心者ほど出す頻度は少なく、「蹴も使え」と指導して初めて使用する。移動しながら攻撃しなければならないので、1本足の蹴は不安定さがモロに出て下段蹴になる。
 
 見ていて面白いことが2つあった。ひとつは猿臂(エンピ=肘打ち)を使う児童がいたことである。これは子どもから良いことを学んだ!しかしこれは組手で実用するには、間合いが狭いこともあり当てることは難しかった。使った児童にはアイデアとして良いことは認め、連続技として用いるのが実践的であるということを教えた。

 もうひとつはある小学生の男子Aの攻撃である。彼には姉がおり、その姉は以前ここで私が教えたこともあるのだが、Aの攻撃が姉の組手の仕方そっくりだったことである。

 これはどういうことなのだろうか?

 仮説

 ①姉弟なので、攻撃の仕方も遺伝する。
 ②姉が弟に闘い方を直伝した。
 ③同じ屋根の下で同じような生活をしていると、闘い方も似てくる。

 ①については「人間は教育されて初めて人間になる」という定義からはずれるので、それはない。

 ②可能性としてはありうる。「直伝」というのは冗談だが、姉弟ゲンカにおける闘い方が現れた、とも考えることはできる。

 ③①で「人間は教育されて初めて人間になる」と述べたが、成長過程で本人が記憶していようといまいと、環境によって人間は創り創られていく。

 私の考えとしては②と③、生活が似ていることが主な原因じゃないかと考える。食事、睡眠、運動の生活環境が似てくれば、性格も似て、攻撃技へとつながっていくのではないだろうか?



 一般部では突く位置や蹴る位置が定まるように木の棒を用意し、それに攻撃させるようにした。これはこれでそれなりの効果があった。しかしきちんと当てようとする意識、詳細に言えばきちんとあてないと怪我をするといった意識が先行し、蹴の勢いが弱い突き抜けるというよりも、触る練習に終始してしまった。もっと蹴を外しても怪我をしない、ピンポン球や鞠のような物であれば、勢いの弱まらない蹴が出せたかもしれない、と思った。