私のベトナム、そしてアジア

ベトナムから始まり、多くのアジアの人々に触れた私の記録・・・

もっと多くの友達と交流したい   グエン・ティ・アィン・ダオ   2005年

2011-02-28 07:06:16 | Weblog
 ホーチミン(HCM)市を観光し、ロンアン、ドンタップ(Dong Thap)両省の学生と交流すると聞いたとき、とても幸せでした。今日、ドンズー日本語学校、動物園、Maximarkスーパーに行き、夜はベンタイン市場に行きました。HCM市は私の故郷とは全然違います。車が騒々しく、高層ビルがひしめき合い、明かりもたくさんあります。私の故郷は、草ぶきの家ばかり、家と家も100メートルに1軒あるくらいです。 . . . 本文を読む

原風景(ベトナムとのかかわり)   佐々木 善 春   2005年

2011-02-27 00:00:44 | Weblog
 海外旅行を趣味としている私は、特に世界遺産巡りをひとつのテーマとしておりますが、10余年前、カンボジア・アンコールワットに行った帰途、ベトナムに初めて降り立ちました。その折の観光行程でベトナム戦跡の見学があり、むごたらしいアメリカによる空爆の戦禍や難民生活の様子を見聞しました。たちまち、頭によぎったのは、1945年夏以降のわが身に降りかかり、体験したことでした。  当時、旧満州政府にかかわる父とともに一家7人、吉林省に居住しておりました。8月初旬、ソ連軍の進駐、次いで国府軍と八路軍との内戦と続き、一時的に父がシベリア方面へ送られるなど混乱の極みを体験しました。日本への引き上げがかなったのは、翌年の秋となりました。その間、生死の境をさまよったり、種々難儀はしましたが、多くの中国の人々に助けられ、幸運にも一家全員帰国できたのです . . . 本文を読む

自立と団体行動を学ぶ   グエン・ブイ・ゴック・フエン   2005年

2011-02-26 00:52:38 | Weblog
 私はロンアン(Long An)省の中学8年生を修了しました。7年生のときから奨学金をいただいています。おかげさまで家族の困難は軽減され、私の勉学の状況も良くなってきました。8年生は学校の選抜クラスで勉強するという栄誉を得ました。  今日、とても名誉なことに、ホー・チ・ミン(Ho Chi Minh)の名を持つ都市に行き、青葉奨学会の事務所を訪れることができました。これは、これまでずっと望んでいたことですが、夢でしかなかったのです。そして、多くの有名な場所を訪れることができました。歴史、都市の発展、文化的で現代的な生活を知ることができました。また、ヴィンギエム(Vinh Nghiem)寺の威厳のある建物、動植物園で多様な生物を見て、知ることができました。Maximarkスーパーではたくさんの珍しく、魅力的な品々を見ました。特に、スーパーでは友達の多くはエレベーターに乗ることができませんでした。でも、どうってことありません! 目新しく、不慣れなだけです。 . . . 本文を読む

また読みたい里親さまのお話   ディン・ティ・ドアン   2005年

2011-02-25 10:09:32 | Weblog
 私は里親さまからのお手紙を受け取りましたが、突然で大変びっくりしました。それはずっと前から長いこと願っていたことでした。今まで私は、里親さまはお忙しくて私に手紙を書く時間なんかないんだろうと思っていました。お手紙をいただいて私はとても幸せな気持ちです。お手紙を繰り返し眺め返しては、まるで夢を見ているような気持ちがしています。里親さまが私に大変ご関心をお持ちくださり、お手紙を書いてくださったと知って、私の家族みんなも大変感動しています。もし里親さまにお目にかかれたら、里親さまのところまですぐに走っていって里親さまに抱きついてしまうでしょう。ほんとにすごくすごくうれしいだろうな。 . . . 本文を読む

きらきら輝く幾千の星  レ・ティ・フォン・タイン  2005年 

2011-02-24 00:00:12 | Weblog
 私の家の経済状態は私が通学することを許さなくなり、学校や先生方、友達と別れなくてはならないのは、今日明日かも分からず、学校へ行っても上の空でした。  母が私に告げました。「タインや、うちは貧しくてお前を学校にやることができないから、学校を辞めてお母さんを助けて弟の面倒を見なくてはならないよ。悲しがるんじゃないよ。いつかお母さんの物売りがもう少しうまくいったら、また学校へ行かせてあげるから」。  私の心はその痛ましい逆境に絞られるような痛みを感じ、幼い心臓はうめきを上げました。もう終わりだ、私の運命は永遠にぼんやりと砂や塵にまぎれて埋まってしまうのかしら。私はそのころ、とても苦しくてとても困っていて助けをとても必要としていました。  ところが私の運命は里親さまの大きな博愛のお気持ちによって変わることができたのです。毎月くださるとても大きなお金によって里親さまは私を助けてくださいました。それらの資金は私の生活を大きく助けてくれました。私が学校へ通い続けることができたのみならず、ノートや筆記用具など多くの学用品を購入することもできるようになりました。里親さまのご援助は、私が勉強をやめることなく成長していくことを後押ししてくれる力でもありました。 . . . 本文を読む

里親さまはどんな方?   グエン・ティ・トゥ・アン   2005年

2011-02-23 00:05:07 | Weblog
 機会がありましたら、一度ベトナムを見にいらしてください。私たちの国は貧しいですがたくさんの風光明美な場所があります。またベトナムの人、特に私の地方の人間はとても正直で温かいです。私の家に遊びにいらしてくださいね。  里親さまと私がお手紙を通して知り合ってもう5年になります。私が6年生になったときから現在の10年生に至るまでです。そして5年間にわたって私は里親さまの恩義を受け取らせていただきました。私はこのことを思い返すと本当に感動します。  私はベトナムに住んでいて、まったく普通の無名の一人の子どもにすぎないのに、青葉奨学金を受け取ることができたのです。そしてそのことによって私には遠く離れた日本に一人の里親さまができました。すべてが夢のようです。 . . . 本文を読む

青葉は成功を受け取る場   トラン・ティエン・タイン・チャン  2005年

2011-02-22 00:00:22 | Weblog
 考えれば考えるほど、私自身の、そしてすべての学生たちの青葉奨学会に対する感謝の気持ちをどう表したらいいのか分かりません。私は、青葉奨学会のために計り知れないほどの力を使ったホゥエ先生にたくさんお礼を申し上げたいです。ボランティアの先生方にもお礼を申し上げたいです。私たちは、先生方が私たちの世話をするためにたくさん仕事をしてくださったことを知っているからです。  小中高から大学に至るまで、奨学金だけでなく精神的に助けてくださった2番目の両親のような子ども基金の皆さまに心からお礼を申し上げます。皆さまが私たちを見守ってくださっていたことを、どうして私たちは忘れることができるでしょうか。記憶の中に深く刻まれています。 . . . 本文を読む

ホゥエ氏に先人ファン・ボイ・チャウを重ねつつ   ベトナム子ども基金代表 近藤 昇  2005年 

2011-02-21 00:41:44 | Weblog
 ホゥエさんはかつて留学生として東京大学大学院で理論物理学を学んでいた時代を、アジア文化会館の母体となった新星学寮で、寮の主宰者であり会館の創設者でもあった故穂積五一先生の下で過ごしました。このときの先生や寮の在り方に影響を受け、ホゥエさんは苦しい勉学生活を送っていたベトナム人留学生のための宿舎を自ら立ち上げました。そしてこの寮を「東遊(ドンズー)学舎」と名付けました。「東遊」とは1900年代の初め、フランス植民地からの独立を求め、日本への留学運動を推進した先人ファン・ボイ・チャウの「東遊運動」に由来するものです。そしてこのときすでにホゥエさんは、戦禍のもとにある子どもたちへの救援基金を在日ベトナム人留学生とその友人たちから募り、故国に送る活動を行っていました。74年に帰国し、幾多の困難を経た後で、ベトナムの若者たちに日本の科学技術を学ばせたいと考えたホゥエさんは91年、「東遊日本語学校」を設立します。この「東遊日本語学校」から現在までに数百名のベトナム人学生が留学しています。ホゥエさんは、教育を通じてベトナムの子どもたちに希望を与え、その力で人々が幸福に暮らせるベトナムを築こうとしているのです。 . . . 本文を読む

ベトナム子ども基金10周年にあたり ベトナム青葉奨学会代表 グエン・ドク・ホゥエ

2011-02-20 07:05:59 | Weblog
 時のたつのは早いもので、ベトナム子ども基金も10周年を迎えました。子ども基金は過去10年間、ベトナムの子どもたちや教育に多大なる貢献をしてきました。貧しい子どもたちに4212件の奨学金を与え、また、辺境地に4つの学校を作ってくれました。奨学金を受けた学生たち、学生の父母、基金から援助を受けた地方の住民たち、また、ベトナムのすべてを代表して、ベトナム子ども基金会員の皆様をはじめ、基金にご協力いただいた方々に対して、厚くお礼申し上げます。 . . . 本文を読む

ベンチェー省小学校建設予定地視察   飯田 博康  2005年

2011-02-19 00:36:34 | Weblog
 村の人口は現在、9500人、うち小学生が1000人。小学校は、村に4校ある。村の産業は稲作とヤシの実。最近は、えびの養殖が行われている。郡事務所からは車では行けず、バイクの後ろに乗って幅2mの農道を走る。約20分で目的の小学校がある。学校は2教室で、幼稚園(30人)と小学校1、2年生(60人)が勉強する。学校は、トタン屋根に周りを板で囲んだもので、大きめの物置小屋のようだ。 . . . 本文を読む

【緊急シンポジウム】 エジプト政変でパレスチナはどう変わるのか

2011-02-17 23:50:01 | Weblog
 土井敏邦です。  30年続いたエジプトの独裁政権が崩壊するなど、いま中東情勢は大きく揺れ動いています。  この中東をめぐる時代の大きな節目のなかで、パレスチナ・イスラエル情勢はどう動くのか、多くの方々が強い関心をお持ちのことと思います。それを探るために、以下のような緊急シンポジウムを企画しました。  ぜひ、ご参加ください。 . . . 本文を読む

アハラーム紙の変貌ぶりに驚く市民たち  2011年02月13日付Al-Ahram紙

2011-02-17 00:44:01 | Weblog
ここにその書き込みの一部を紹介する。掲載できなかったコメントについてはお許しいただきたい。 「押さえつけられてきたメディアのみなさん、本当にかつての王は死んだんだ」 「なにこれ、ほんとにアハラーム紙なんだ! すごい」 「みんな、人々を裏切るのは止めよう。腐敗した連中を処罰して、悔い改めた人は許そう。そうして新しい時代をはじめるんだ」 「みんな、もっと前からこうなるべきだったんだ。でも彼らを少しは許してやろう」 「恐怖はこの国に巣食っていた最大の病だった。今ではその病は取り除かれた。歴史あるこの新聞を中東最強の新聞にしようじゃないか」 「昨日までは体制にこびへつらってたけど、今じゃ国民にこびへつらってる」 . . . 本文を読む

学業と仕事の両立  リー・クオック・フー  2005年

2011-02-16 02:24:18 | Weblog
 当時、家庭の状況が本当に苦しかったことを、私は未だに覚えています。父が脳性まひになったため、家族を養うことが不可能となりました。母は、市場や路上で物売りをしていましたが、稼げるお金はごくわずかにもかかわらず、その稼ぎは、すべて父の薬代に消えていくという過酷な毎日でした。生活は非常に苦しく困難を極めました。さらに、その当時の私は、必死に勉強すること以外、家族を助けることはできませんでした。なぜなら、私が困難から抜け出すためには、学歴を身に付けるしかないと考えたからです。 . . . 本文を読む

制服を贈る活動に参加して  グエン・バオ・ニエム  2005年

2011-02-15 02:16:58 | Weblog
 私たちの車は、多くの橋を越え、赤土の道を走っていきました。1時間ほどでドゥックホア郡の育英会にたどり着きました。そこは道路に面しているのではなく、とても小さな路地にありました。私たちが到着するころには、すでに先生方と学生たち、そして学生の家族が集まっていました。  子どもたちは、私たちの到着を待ち望んでいたようでした。そんな無邪気な子どもたちを目の前にして、私は温かい気持ちになりました。飴と新しい制服を手にした子どもたちは、とてもうれしそうでした。喜んでいる子どもたちを見て、私もうれしい気持ちになり、疲れは少しも感じませんでした。1時間ほど子どもたちと楽しい時間を過ごし、名残り惜しい気持ちもありましたが、ドゥックホア郡の子どもたちと別れ、カンズォック郡に向かいました。 . . . 本文を読む

ベトナムの発展のために  グエン・ティ・キム・リエン  2005年 

2011-02-14 01:59:03 | Weblog
 私は、奨学金をいただき、大学に進学することができました。貧しい学生生活の中、私はこの奨学金にどれほど助けられたかわかりません。さらに幸運なことに、この度、私は、日本への留学が決定いたしました。日本では、建築、科学、経済についての理解を深め、留学後はベトナムへ帰国し、ベトナム国発展のために、力の限り努力することをお約束いたします。 . . . 本文を読む