昨日の朝、僕が派遣されている NVS (ベトナム青年奉仕団)の農場で働いている農民たちが、解放戦線からの警告があると知らせてきた。彼等は、その前夜、農場から薬と米を取って行き、3枚のビラを置いて行った。1枚には、「独立と自由ほど尊いものはない」、もう1枚には、「君たちは傀儡政府の手先だ。君たち全員を処刑する」と、書いてあったらしい。他の1枚についても聞いたのだが、聞き取れなかった。
皆 . . . 本文を読む
月が明るくて、星の光が薄れ、よく見えない。Qui Nhon からChuck が来る。難民の子供たちの野外お汁粉会。遅くまで歌ったり、踊ったり、楽しそうだった。静かで明るい夜だったが、それでも、時に銃声が響き、遠くでは曳光弾が飛び交う。
8月28日 An Khe
Kim の兄はサイゴン政府軍に召集され、弟は理想を追い解放軍に入った。が、2人とも戦闘で死んだ。彼ら3兄弟はとても仲がよかったと . . . 本文を読む
武器が進歩すればするほど、その殺戮は僕たちの想像をこえて、恐ろしいものになってゆく。B-29が広島に原子爆弾を投下した時、B‐52がベトナムの人々の上に爆弾を降り注ぐ時、搭乗者の想像力はその結果をどのように予想していたのだろう。その中にいれば、目を覆いたくなるような惨状も、遠くから見ているだけでは、ちょっとしたショックに過ぎないに違いない。しかも多くの人々は、見ようとも、あるいは、想像しようとさ . . . 本文を読む
朝6時前、銃声で目が覚める。床に伏せようとしたが、気がつくと、外はかすかに白んでいる。どうやら兵士の気まぐれな射撃らしい。外に出ると、東の空は既に明るみ、絵のような雲が浮かんでいる。見る間に辺りは明るくなり、明け方の秘密めいた美しさは薄れてゆく。午後、赤とんぼが群をなして飛んでいるのを見る。既に朝晩は秋の気配が立ち込めている。紅葉はないが、空気の中には確実に秋が含まれている。昼間は当分夏が続くだ . . . 本文を読む
私は大学卒業後、ベトナムに行き、ベトナム人と社会奉仕事業をする機会を与えられた。ベトナムに着いて最初の印象を述べると、ベトナム人が外国人のおせっかいによって非常に迷惑をしているという事であった。大きく指摘すればアメリカ政府の、「我々はベトナム人の自由を守るためにベトナムにいるのだ。」と言う矛盾、よくよく見まわすと、米政府だけではなく、各国の外交団、商売陣、報道陣、そして社会奉仕団でさえベトナム人の自主権を無視し、思い通りの行動をとり、ベトナム人のためであると主張している点であった。これでは私自身もへたをするとベトナムのためになるどころか、かえってベトナム人に迷惑をかけてしまうのではなかろうかという心配を胸にだきながら、とにかくベトナム人から学ぶ心持を一層強める決心をした。 . . . 本文を読む
「ベトナムに平和を」と、だれでもがいう。が、当のベトナム人が、これを口にしたとたん、周囲に鋭い目が光り出した。本国からの送金はとだえ、日本警察の呼び出しも受けた。夜中に、電話が鳴って、すぐ切れる。国際基督教大に学ぶビン・シン君(25)たちは、いま、故国からのびてくる冷たい手を感じている。
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今度の行動は、私たちにとって、実にいろいろな意義をもっていた。大使館のあの鉄の門をくぐった瞬間、私たちはひとりひとり、自分の使命を強く感じた。なぜなら、今まで頭のなかだけであったものを、この瞬間からは、行動をもって、すでに戦いに入っている人たちに加わったのだから・・・。
私たちが行動を起こすまでには、まず自分の置かれている立場をあらためて意識し、ひとりひとりがその中のディレンマと闘わねばならないながい時間があった。
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私たちは在日ベトナム留学生、数からいえば多くはないが、一応、北は北海道から、南は九州まで、各大学に在籍している。来日の目的はむろん勉学である。しかし、戦火に見舞われている祖国への思いは、いつも私たちにつきまとう。
ウ・タント国連総長が言った「戦火が起るとまず、事実が失われる」という言葉は、ベトナム戦争にも、よく当てはまる。ベトナムにいる私たちの同胞が切望しているのは平和の到来であるが、反戦イコール親共、という偏った考え方がはびこっている今、真実を述べたり、自分たちの願いを表明したりすることは許されない。
そこで、私たちは、同胞たちの声を代弁し、日本を初め世界の平和愛好者にこれを訴えたいと痛切に考えた。 . . . 本文を読む
夜、夢うつつの中で花火の音が聞こえると思っていたら、そのうちに、チューン、チューンという銃弾が空気を切り裂く音で、飛び起きて、床に這いつくばった。2、30分の間だったが、こんなに近くで戦闘があったのは初めてだ。
時計を見ると午後11時、今度は農場の方で撃ち合いが始まった。もう少し遠いところから爆撃の音も響いてくる。基地からの砲撃の音、砲弾が風を切る音、自動小銃のはぜるような発射音。ランプを . . . 本文を読む
昨夜は遅くから米軍のキャノン砲撃が始まり、眠れなかった。空気をつんざく砲弾の音が耳に残る。思わずビクッとする大きな発射音に続いて、約1分程して、着弾する響きが伝わって来る。大砲の弾というのは、秒速どのくらいで飛ぶのだろうか? 着弾時の爆発の光が見えれば、戦闘地域までの距離が出るのだが。石川文洋の『ベトナム最前線』には、このキャノンが驚くほど正確だということが書いてあった。昨夜は、米軍かサイゴ . . . 本文を読む
午後3時を過ぎると、時々ものすごい雷雨が襲う。それはまさに「襲う」のであって、2日ほど前のは、雷鳴に大風、それに豪雨で、2週間ほど前にボーイスカウトの子ども達と建てた難民の家はほとんど半壊してしまった。それでなくとも、あそこはやたらと蚊の多いところだというので、Anhが蚊帳を3張り持って行った。しかし、その雷雨も1時間ほどで晴れ上がり、涼しい夕方が訪れると、An Khe はこの上なく美しくなる。 . . . 本文を読む
僕は最近たばこはウィンストンにしている。1箱35ドンで、一番安いからなのだが、これを吸っていると、あの19歳の射殺魔と騒がれた永山君を思い出す。僕が彼の環境に育っても、あるいは、彼が僕の環境に育っても、あんな犯罪は起こらなかったに違いない。永山君は恐らく死刑の判決を受けるだろうが、永山君個人を殺して、それで事が済む筈がない。本当に死刑を宣告されて然るべきなのは、あの弱っちい永山君などではない訳な . . . 本文を読む
昨夜12時近くから戦闘があった。極近くで、散発的なライフルの発射音。遠くで大砲と迫撃砲、それにサイレン・・・。今朝、基地の方角から黒煙が上っていた。
Qui NhonのNVSのアパートに泊まると、おばあさんが屋根の上に横になって涼をとっている。日本のおばあさん達がシャツ1枚で屋根に寝転がって涼をとっている姿はあまり見たことがないので、何やらおかしかった。Qui Nhon では、今、外出禁止令 . . . 本文を読む
朝方から、Qui Nhonへ向かう軍用ハイウェイで戦闘がある。僕らのセンターから3キロ程のところにある小高い丘をめがけて小型の飛行機が爆弾を落としていた。昼頃には、町の市場の外に5人の解放軍兵士の死体が投げ出されていたと、Chong君が言った。
Tuong と Qui Nhon IVSの Chuckがニュージーランドの赤十字から子ども達のためのテト(旧正月)用の飲みものやプレゼントなどを持っ . . . 本文を読む
Chau が悔しさを顔に表して言った。「アメリカ兵がベトナム人に対して言う言葉は、“God damn it” “Fuck you” “Get out of here”だ。ほとんどのベトナム人は言われたことがある」と。恐らく今しがたアメリカ兵にそのようなことを言われたばかりなのだろう。彼はその意味を知っていて、そのうちアメリカ兵を殺してやる、と言う。彼は19歳、セ・ラムの運転手だ。彼が一ヶ月ほ . . . 本文を読む