私のベトナム、そしてアジア

ベトナムから始まり、多くのアジアの人々に触れた私の記録・・・

青葉での勤務を終えて  ー私がベトナムに残せるものー  土肥 明代  2004年 

2011-01-31 03:29:01 | Weblog
 ベトナム青葉奨学会は、全国約1200人もの奨学生を抱え、奨学会としては最大規模です。しかし実際に事務局で働いているのは、ホゥエ代表のほか、日本人スタッフを含め3人だけです。その他、ボランティアの方々、元奨学生や現奨学生たちが時間の空いているときに手伝ってくれます。青葉の仕事は、ほとんどが事務作業です。日本人スタッフは主に、日本との連絡、その内容をベトナム側に伝えること。日本人来訪客の接待、ベトナム語から日本語への翻訳作業などです。日本からのお客様が地方に行く仕事があれば同行させていただきますし、学校建設の依頼があれば、建設地を選ぶためホゥエ代表と視察にも行きます。

 日本人スタッフの仕事は、あくまでもベトナム人スタッフ2人のサポートです。2人の努力のおかげにより、青葉は成り立っています。私は、ベトナムの子どもたちと一緒に過ごせるような仕事を希望していたため、どこか想像していたのとは違うなというのが実際にはありました。また、自分の仕事がすぐ結果として現れるわけではないため、自分が子どもたちに役立っているのか、里親さんに役立っているのか、どんな意味があるのか、見えなくて辛いこともありました。

 そんなとき、里子や里親さんから温かい言葉をもらえると、自分の仕事の意味に改めて気づかせてもらうことができました。通訳を任されると大変ですが、里親さんと里子の仲介役になる実感がありました。

 ベトナムで働き始める前、奨学金つまりお金をあげるのは、日本人のおごり、持つものが持たないものへあげるというおごりなのではないか、という思いもありました。しかし実際には、ベトナムでは、持つものが持たないものにあげることは普通のことで、それが助け合いであり、美しいものとして考えられています。

 奨学生は、全員が絶対にそうだとはいえませんが、とても素直にありがたく受け入れていて、奨学金をもらっていることを誇りに思っています。青葉の奨学生の中から優秀な学生が出ればすごく嬉しいし、それで私たちの仕事は十分成功なんだと、その成功に自分が微力ながら携われたことを誇らしく感じられるようになりました。

 青葉での2年間で何か残したい、土肥明代がやったという仕事を何か残したいと思っていました。しかし2年を終えた今、それができなかったと感じています。とても残念です。私はこの後またベトナムに戻り働く機会を得ました。今後は青葉の対象ではなかった、学校に通うことも難しい子どもたち、特に初等教育も受けられない状況にある子どもたちとかかわれたらと思っています。そしてその中で、私の仕事と言えるものを残したいと願っています。(前駐ホーチミン市スタッフ)


「ベトナム子供基金」会報
「ベトナム子供基金通信」29号(2004年7月10日発行)に掲載。

「ベトナム子供基金」は2009年10月NPO法人となるに伴い、
「ベトナム子ども基金」と改称しました。会報名も同様です。
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