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5時だよ、ゴハンだにゃん

(元)外ねこさんに支えられる日々と、
野良猫さん一家TNRの記録

画像もかいせんくんも ぼんやりw

2017年11月27日 | つれづれの日々
恐ろしいほどぼんやりした画像しかなかった…orz そして似たような画像しかなかった…orz

ope後 離れの保護部屋でケージ暮らしをしているかいせんくん。
カーテンをめくると一応「シャー」と言うが、それだけ。ペットヒーターに長くなったまま「シャー」言われてもなぁww
    

出しておいたてんこ盛りウェットはいつの間にかきれいに食べてあるし、せめて動いてほしいと下段におろしたドライも
朝いっぱいにして夕方仕事から戻るとほぼ空になっている。
    

トイレにはいいブツも転がっている。ああ…埋めないんだ、全然な。
が、食べてるとこもブツを産み落としているところも見たことない。
右を向いてるか左を向いてるか、はたまた背を向けてるか…の違いはあるが、いつもヒーターの上で長くなって寝ているから。

そんなかいせんくんが唯一動くとき。それは大好きな猫ミルクを鼻先に置かれたとき(笑)
    

    

しっぽを触っても無視。飲み終わってから振り向いて「シャー」されたが、ミルクまみれの口で「シャー」言われてもなぁ…

今夜は珍しく中段に降りてきて、ウェットを食べ始めたので記念に一枚。
    

あまりにこぼすので(笑)途中でお皿の中のウェットをひとまとめにしようと、鼻先に手を出したら「シャー」言った。
でも、温かな呼気が手の甲にかかっただけ。爪も出なければ牙も出ない。

元々結構鷹揚な子なのか…それとも長いネコ生のひとときを 誰か家のネコとして生きたことがあったのかもしれない。
少なからず…出せだせオラオラ猫でなかったことは嬉しい誤算に違いない。私にとって…な。


とにかく動かない子ではあるが、食べている量・排泄の状況からは体調不良とは考えられない。
FIV(+)ではあるけれど、それ以外の隔離が必要な急性感染症の罹患はなさそうだ。
多飲多尿については、腎機能低下が潜在的レベルではなかったというべきだろう。まぁ、想定内。
あとは…内外寄生虫。
疥癬は小康状態だが、この機会にダメ押ししようということで オペ時フロントラインプラスからレボリューションに変更して
滴下済。元々ノミ糞はなかったとのことだがその代わり大量のシラミの寄生が見られていたため、体調を見ながら近日アドバンテージを
滴下する予定。内部寄生虫もおいおいスポット薬あたりで落としていくつもり。

それらがすべて終了したら…その先どうするかはまだ思案中。すべては、かいせんくんの社交性如何にかかっている。

ウォルちゃん またね

2017年11月06日 | つれづれの日々
               
10月30日 ウォルが虹の橋を渡りました。
あまりにも突然、そしてあっけなく。 本当は今でもその事実を信じてないかのもしれない…と思うほど。

2005年の秋に生まれた最後の藪っ子。オペを済ませたみけちゃんが、大切に大切に守って育てた。
当時の藪は、かしゃんとその娘のみけちゃんが産んだ子たちで溢れかえっていた。
生まれては消えていく子の多いこと…それでも増え続ける仔猫たち。
みけちゃんがウォルたち兄妹を産み落としたその日、私はTNRをすることを決めたのだ。
だからウォルは、あの混沌とした…けれどたくさんの仲間に囲まれた藪の暮らしを知る、私のTNRの日々とともに
在った子だ。

10月29日の夜、お気に入りの毛布で寛いでいるウォルの腹部に違和感を覚えた。
少し前から、ちょっと痩せたかな?と感じてはいたが本人はいたって元気そうに見えていたから、まぁ年齢的にも
しかたないかなーなんて気楽に構えていた。
でもその夜、特別張り出しているわけでもないが、いつもとなにか違う…と思った。ウォルは私が帰宅して保護部屋を
覗きにいくと必ず「モフっていきなよ」とお腹を見せる子だった。違和感を覚えて触れた腹部は、やはりなにか違った。
腹水?それほど多くはないが水っぽいものが貯留しているように感じた。
くろくろちゃんやちびちゃん、そしてかるびのことが頭に浮かんだ…。嫌な予感がした。
今のところ様子に変わりはないが…とにかく明日受診しよう、そう決めた。

翌朝、私を迎えに出てきたウォルはいつもと変わりないように見えた。けれど食欲がない…お皿の前まで来ているのに
口をつけない。そのうちに毛布に戻ってしまった。
そんな様子をチラチラ見ながらトイレの掃除を終え、振り向いてウォルを見て、その呼吸の異常さに息をのんだ。
体を横にできず起坐での速迫性の呼吸。
腹水が溜まっているとするのなら、呼吸を抑制しているのは胸水?肺水腫?いずれにせよ危険な呼吸。、
移動のストレスを与えることで呼吸をさらに悪化させるかもしれない…でも苦しいままにはできない。

なんとか1枚だけ撮れたX-P 真っ白な肺野に言葉がなかった。ウォルは直ちにICUに収容され、酸素吸入が開始された。
VETから現時点では胸水か肺水腫か判断できない。とりあえず貯留しているものが水だと仮定して、利尿剤を使うこと。
水であるなら貯留部位の確認ためにエコーもしくは別方向からのX-Pが必要なこと。仮に胸水ならドレナージが
必要になること。そしていずれにせよ厳しい状態であること…必要な検査処置自体も非常にリスキーだと繰り返し告げられた。

少し呼吸が安定するのを待って行ってくれたエコーで、貯留しているのは大量の胸水だと判明した。ドレナージをするか
利尿剤で退くのを待つか…それを待てるのか そんな判断を下す時間もなくウォルの呼吸は急激に悪化。酸素投与でも効果なく
気管内挿管。チューブからは泡沫状の水様痰が吹き出した…と後に聞いた。利尿剤を追加しながら、胸腔ドレナージ。淡々血性の
貯留液が多量に引けたそう。けれどウォルの心臓はもう限界だった。

挿管後呼吸管理下で撮ってくれたX-Pでは、胸水に押しやられてほんのわずかの肺野しか残っていなかった。
元々とても怖がりの子だったから、緊張で増加した心拍数が心不全を悪化させたのだろうね、急激に起きた肺水腫が残った肺野も
つぶしてしまったのだろう。
心不全の原因は明らかだった。大きな心臓…肥大型心筋症による心不全。それによる漏出性の胸水貯留と急性肺水腫。

もし助かったとしても、それは本当に本当に奇跡だったのだとわかってる。
この病態がどんなに急激に進行していくか知っているからこそ、わかる。

でもね、奇跡 起きて欲しかった。


2007年に保護してから、スプレーしまくりでほとほと困らせたけれど、仔猫が大好きで誰よりも面倒見がよい優しい子。
        

兼続も幼いころのぽぽも、ウォルのことが大好きだった。

ストルバイト膀胱炎が悪化して、膀胱切開洗浄のオペをしたのを機に離れの保護部屋へ移動したが、そこでも聴力障害のある
ふわりをたいせつに優しく接してくれたウォル。

怖がりだけど本当は甘えたさんで、離れに移ってからはスプレーもしなくなり、そのかわり盛大に甘えるようになったっけ。
ブラッシングが大好きで、私にだけモフらせてくれるウォルのお腹に仕事の疲れも吹き飛んだ。



どこかに兆候があったんじゃないか、どこで見落としたのだろう。
考えても考えても今尚わからないままだ。


火葬の日。猫友たちが遠くの空から一緒に祈ってくれた。台風一過の青空だった。

棺から移す時、抱き上げた体は本当に冷たかったけど、被毛は生きてるみたいにつやつやピカピカだった。
前足の爪が私の服にかかって外れない様子を見て 葬儀屋さんが「行きたくない…って言ってるみたいだね」とポツリ。


ウォルちゃん。兼続に逢えましたか。しっぽちゃんが迎えに来てくれましたか?みけちゃんお母さんにもさびちゃんにも
そしてちびちゃん、くろくろちゃんにも逢えましたか? たくさんの藪の仲間たちと再会だね。

私たちとも いつか また 逢おうね。 ウォルちゃん その日まで またね。

         

かいせんくんの近況とたまにはマジメな話

2017年09月08日 | つれづれの日々
あんなに寝苦しかった夜が嘘みたいに涼しい風が吹くようになった。おかげで必要以上によく眠れて困るわー(笑)
日中庭で過ごすちょびこも楽になったのだろう、食欲も上がってきた。
2クールのイベルメクチン投与後のかいせんくんは…だいぶふっくら、以前の体形を戻してきた。
           

最後までじわじわ痂皮形成が遅れていた左額も、
           
ようやくきれいな皮膚になり、被毛が生えそろった。ハゲナクテヨカタネ。
           

3クール目も覚悟してたけど、なんとか乗り切れたようではある。いやーなかなかしぶとかった…。
顔には、以前からのかいせくんらしいふてぶてしい(笑)表情が戻ってきたし、あとはかなり落ちてしまった
体幹まわりが太ましくなれば…ね。
そんなかいせんくんはちょびことミミの間を行ったり来たり、上手に渡り歩いている(笑)
    取ったり
           
    取り返したり
           
決して3匹で一緒には過ごせない(笑)
かいせんくんを取り合いするのに、たまにやってくる「ゆきち」のことは大嫌いなおんにゃのこたち。
先日はちょびこがカラダを張って撃退した模様www鼻の頭に爪痕ガッツリ…おんにゃのこなのに…
           

ゆきちはかいせんくんに負けないくらいデカい猫だし、面構えもそこそこ…なのに、魅力がないらしいw
かいせんくんのなにがどこがどう良くて、ゆきちのなにがどこがどういけないんだ?教えてくれ、気になって仕方がない。

3年前に後縦靭帯骨化症から脊損となった母方の叔父は今、サービス付き高齢者住宅で暮らしている。
全身の不全麻痺と知覚障害があり、頚髄損傷故の上肢…特に指先の動きに障害がある。それでも今は介護保険を利用して
リハビリを続け、自分で調理をこなすまでになっている。
後縦靭帯骨化症が不顕であった時分に起きた事故により、骨化した靭帯が折れ頚髄を傷つけた。幸いにも呼吸は保たれていたが
当初は右の上肢がわずかに動くだけのほぼ四肢麻痺。
車いすで動けるようになるかどうかすら危うかった叔父が、ここまで回復したのは、本人のたゆまぬ努力はもちろんだが
回復期でみっちり150日間関わってくれたセラピストの力によるものが大きいと思っている。
前職場は、多くの若いセラピストたちを抱えており、それゆえ未熟な手技や考え方にイライラすることがなかったとは言わない(笑)
とあるセラピストさんのブログでは、競合する職種として看護師を挙げてくれていたけれど、逆立ちしたって敵わない。
「動作」のプロとしてのセラピストたちを、私は本当にリスペクトしている。

介護保険においてもセラピストの力は本当に大きい。ただ残念なことに活躍できる場が限られているんだよね。
…というか、プロとして活躍できる場が狭められているというべきかも。
私が勤務しているような介護付き有料老人ホームには、機能訓練指導員の配置基準がある。通所介護施設いわゆるデイサービスなんかも
おなじ。で、この機能訓練指導員…という職種はPT・OTはもちろんだがある種の国家資格を有すれば就くことができる。看護師でも
なれるんだわね。そして兼任がOKなのだ。
だから私が現ホームに転職した当初、PT/OT/STといった所謂セラピストはいなかったわけ。
が…7月の初め、念願かなってひとりのPTがやってきた。ホーム専属ではないし1~2回/Wわずかな時間を割いてもらえるだけだが
私たち看護師にとって本当に大きな助けになってくれている。
在宅介護においては、ドクターの指示書があれば介護保険を利用してセラピストによる訪問リハビリサービスを導入することができる。
訪問看護の一環としてセラピストの派遣も可能だ。
けれど介護付き老人ホームでは、ホームが自前でセラピストを持つ以外、介護保険を利用して外部から訪問リハビリを導入することは
できない。可能なのは医療保険を利用したマッサージの導入だけなんだよね。
ホームにはいろんな利用者さんがいる。わずかな手助けがあれば生活動作がほぼ自立可能な人、全介助を要する人まで立場は違えど、
どの利用者さんも「健康に安全に暮らす」ために入居をされているわけだ。
私…安全に暮らす…って、誰かに危険を排除してもらうということではなく、危険を回避できる力を保つことだと思うんだよね。
急性期から回復期を経て慢性期or維持期にあるホームの入居者さんたち。
施設ケアマネは「施設生活を楽しみたい」とか「転倒なく歩きたい」とかニーズを挙げて、「できることはやってもらう」とか
転倒しないように「下肢筋力をつける」「環境を整える」ってプランを立てがち。でも「できることをする」ためにも「転倒せず歩く」
ためにも、動作が正しくできているかどうか、これから先もその動作を維持していけるかどうか が大事だと思う。
その見極めはやっぱり「動き」のプロにしてもらいたい。正しい評価と指導がその人の能力を引き出し、最大限の維持ができると
思うから。
施設ケアマネのプランが間違っているとは思わない。だけどそのプラン作成の思考過程にセラピストによる評価というエッセンスが
加わったら、もっと生き生きとしたそれぞれの利用者さんたちの顔が見えるプランになるんじゃないのかなぁ…。なんてね。
実際、リハビリ代わりに訪問マッサージが導入され依頼を受けた柔道整体師の方などが歩行訓練を行うことがあるが、その先生たちと
PTを結び付け評価と協力を得ることで、利用者さんの歩行姿勢はすばらしく改善されたうえ、マッサージの先生方も自信をもって
利用者さんに接することができるようになった…というおまけもついた(笑)

介護保険はいろいろ考えられていると思うし、介護ビジネスの厳しさを思えば難しいことかもしれないけど、それでもね…
PTやOT・STなどセラピストの高い専門性をもっと評価し、生かして欲しいなって思う。看護師が代わりでもいいですよーなんて
立ち位置じゃなくて…ね。

ちなみに、叔父の担当だったOTは、今回ともにツライつらいケアマネ研修を乗り切った仲間でもある(笑)
そしてホームで活躍中のPTは、さらなる勉強のため大学院へ進学するのだそう(号泣)…だーれーかーセラピスト かもーん!!

お盆だね

2017年08月13日 | つれづれの日々
今年もお盆がやってきた。
我が家は8日に早々と盆飾りを済ませ、昨日の朝8時には棚経も済み…なんだか早出しで進んでしまっているが
今日は初盆まわりの一日になる予定。

お精霊さんは、きゅうりの速馬に乗って故郷を目指し、ナスの牛の背に揺られ懐かしい風景を目に焼き付けながら
ゆっくりゆっくりあの世へ戻っていく。
これには諸説あるようだけどいずれにせよ、その姿が浮かんできてなんともココロの奥がじんわりする。

庭の真ん中で迎え火を焚く。
今年も、みんな戻ってきてるかな。たくさんの子たちが過ごした庭に、戻ってきてくれてるかな。
県道沿いの草の匂いをかぎながら、畑の木陰でうつらうつらして、秘密のネコロードをくぐって…ね。

           
           風になった「バニラ」と「ちゃっぷ」

           
           「ちび」と「なっつ」

           
           「もじゃ」と今朝も元気な「ミミ」

           
           「ちび」と現「ロコちゃん」@埼玉

           
           「ちび」「くろくろちゃん」と風になった「おせろ」

           
           「さび」と現「ロコちゃん」
           
           「くろくろちゃん」浜松に帰る前にちょっとだけ寄り道していってくれないかなー

           
           風になった「シナモン」と「ちゃっぷ」


しろ、はっちゃん、ちびぶち、ミント、ぴー、なっつ、小春、くっきー、菊千代、みけちゃん、ぶらっきぃ、
みみなしたまちゃん、黒沢くん、かるび、兼続、さび、ちゃっぷ、しっぽ、ちび、ぎん、もじゃ…
そして風になった多くの子たち。

みんな、おかえりなさい。今夜はみんなが大好きなシーバ祭りをしよう。

ニッキさん 危機一髪

2017年06月30日 | つれづれの日々

保護部屋の朝は賑やか。ウォル&ふわり部屋 → ぽぽ&ゴロー部屋 → ニッキ&うっしー&お嬢部屋 の順にトイレ掃除をし、
朝ごはんを分けていく。
ドライフード昼夜は出したままなので、基本飢えてることはないはずなのだけどなんだか大騒ぎなんだよね(笑)
なかでも一番目立つのがニッキさん。こんな風にラティスドアから顔を出して催促する。
              
保護部屋の子たちは、意外に目が届きにくかったりする。
だから敢えて朝晩のトイレ掃除時には、どの子にも少しずつ個別にごちそうドライを与え、食欲や動きなどをチェックするように
している。

それは5月半ばのある朝だった。いつものように保護部屋へ向かったがなんだか足りない…変だぞ、ネコが足りない。
ラティスから顔を出してる猫がいない。「ニッキさん?」と呼ぶとどうやらベッドからのっそり出てきたようだった。
なんだ、寝坊か?と思ったが、ごちそうドライを前にしても考え込むばかりで口をつけない。部屋を見渡すと何カ所か嘔吐跡があった。
シェアルームの不便なところは、具合の悪い子を確定するのが難しいこと…だが、今回は100%体調不良なのはニッキさんだと判断した。
熱はない。下痢の痕跡もなし。腹水の貯留もなさそう。ニッキは結局何も口にせずベッドに戻って丸くなってしまった。
原因がわからないがしばらく様子をみることにして出勤。しかし夜になっても状況は変わらず…というかむしろ悪くなっていた。
完全に食欲廃絶し、水様物の嘔吐がそこかしこに。
とりあえず翌朝一番で受診。
血液検査では軽度の貧血が見られたけれど、それ以外には大きな問題なし。FIV(+)Felv(-)外生活中、ダブルキャリアだった
かるびさんに襲われまくっていたからFelvは高確率で(+)と思っていたけど意外にも(-)で驚いた。
ただ貧血もあるしFIVの経時的進行がベースにあるのかもね…と制吐剤を打ち、輸液をして帰宅。
…が、キャリーから出した直後から連続嘔吐。なにいったい?なんで嘔吐が止まらない?
接触したものはないはずだけれど何かの感染症?それとも中毒?
とにかく安静と安全確保のためケージレストし夜を越すことに。さすがに制吐剤が効いたのか、回数は少し減ったものの嘔吐自体は持続。
そして変わらず下からは何も出ず…これって症状的に疑われるのはまずイレウスか…。
ネコが体調不良で…と、仕事を切り上げ猛ダッシュで帰宅。吐きまくっているニッキを抱えて再診。

腹部X-Pでは腸内ガスの貯留がみられたが、明らかな通過障害等が起きている所見はなかった。じゃあなんなんだ?
実はもう一つ気になっている疾患があった。素人判断極まりないが。…が、偶然にもVETが口にした病名はまさにそれ。「膵炎かも」

大急ぎで採血し膵リパーゼ値を診る。初めて見たけどコンボテストみたいなキットなのねーそんでもってちょっと笑っちゃったのが
その判定の基準
     
【高値】ってwwwちょいとばかしざっくり杉ないか?爆
そしてニッキさんは…【高値】で膵炎ケテイ。

勉強不足であったが、ネコの膵炎は隠れた難病でネコの解剖学的特徴から三臓器炎という病態を引き起こしやすいこと、そのため
治療が難しく長期にわたること、また特異的な症状がないため(症状が多岐にわたる)発見が遅れ重症化しやすいことを恥ずかしながら
今更知り、とにかく驚き発見できたことにほっとした。

嘔吐が治まらないニッキさんの状態は正直けっこう悪く、脱水も皮下点滴ではもう追いつけないし、吐きまくっている状態では
投薬だってままならない。体重はもちろん激減。
通院のストレスと自宅での観察不足のリスクを考え、かわいそうだが入院・短期集中治療を選択した。

セレニアを注射後、嘔吐はなんとか治まり、持続点滴で脱水をガンガン補正、抗生剤も投与。3日目の夜VETから連絡が来た。
「吐かなくなったし、数値も正常範囲に戻った。でも全然食べない→それまずい。これはある意味賭けだけど…しろりんさん、
家で食べさせてくれないかな?」
そんなわけで診断から4日目ニッキさんを迎えにびよいんへ。
膵炎といえば、とにかく食止め その後は低脂肪食が基本だが、そもそもヒトと違いアルコール性や食事など原因のはっきりしない
ネコの膵炎の世界ではちょっと違うらしい。
ネコは飢餓時の脂肪代謝で肝臓に負担がかかり、(特に肥満のネコでは)肝リピドーシスを起こしやすい。これが起きるとかなり厄介。
なので、嘔吐が治まったらとにかく食べさせるという治療にシフトしているのだそうで、食欲が戻らないニッキさんは、膵炎脱しても
次の危険域に入っちゃったわけ。
そんなこんなで保護部屋に戻ったものの、安静にさせたいがケージレストでは啼いてしまって逆に興奮。状態観察しづらいこと
この上ないがストレスも与えたくなく…苦渋のケージフリー。空いたケージにうっしーが入り込む始末でwww
だが、仲間と一緒になり刺激をもらい、翌朝からシーバを少しずつ口にするようになった。そして帰宅して3日目の朝にはいつも通りに
ラティスから顔を出して待つようになった。
便が緩いので整腸剤と抗生剤と制吐剤を1日2回。散剤と錠剤。量も多いが確実に飲ませたい…思案の末、錠剤もつぶしてカプセル詰。
3Wの投薬で便性もようやく落ち着き、嘔吐もなく経過。そして先日無事完治に至った。

しかし…今回の療養でニッキさんには、オレのごちそうドライ=シーバと刷り込まれたようで…ダンナは某ホムセンでシーバトランク
なるものを購入したyo とんだおまけがついたもんだわ。

いやはや【膵炎】初めての体験。でも案外身近な病気。吐きやすい子って実は慢性的に炎症があるのかも。まさおもうっしーも
吐きがちな子なので、機会があったらチェックしてみようか…なんて最近ちょっと思っている。



ちなみに、「ねぇ…白いチンチラミックスの子いたよね?生きてる?」って猫友さんに最近聞かれたことがある…
      
左側のこの子↑ コードネーム「ふわり♀」隣は「ウォル♂」ふわりをめっちゃ可愛がってる

安心して。持ち上げるのが大変なくらい全然「ふわり」ぢゃないから。ただね…下僕が不精なもので…ビジュアル的に難ありww
…なので遠目な感じで、よろしく。「ぼろり」に改名したら…というアドバイス、結構真剣に考えている(笑)


研修終わって夏が来た!

2017年06月30日 | つれづれの日々
 
        
ようやっとなんかやる気が出てきたというか…(笑)エンジンかからなすぎだろ!ってとこですが。お久しぶりです-生きてたよ。
昨年12月から始まったケアマネ実務研修。6月初めで終了し、先日登録証が届いた。長かった…マジでツラかった…。
とにかく公休を研修に充ててるから休みが休みじゃない。講義とGワークで8時間弱/日座る@パイプイス。法定研修だから
遅刻早退原則不可。研修時間の短縮もなし。もちろん欠席は一発OUT。
これまでの人生の中で1・2を争うツラさだった。
でもいろんな職種の人たちと出会えて、話して、友達になって、そこから小さなネットワークが出来上がって。
研修の内容は…正直あんまり覚えちゃいないけど←アカンやろww この長時間の研修の本当の目的は、これから先しっかり
お互いを支え、助けあい、利用者さんがより良い生活を送れるようにみんなで考えていくのですよ という関係作り=ネットワークの
構築だったんじゃないか…と。そういう意味では…研修指導者の皆さん!この研修、成功だったと思います(笑)

…で、とりあえずケアマネとして働く資格は手にしたのだけど、うーん当面この資格を使うことはないかな~。
日ごろ当たり前に立てている看護計画とケアマネが立てるケアプラン。行きつく先の想いはきっとおなじ。でも、なんかちがう。
方法論的にはほぼ同じ。情報をアセスメントし、現在の問題点~解決すべき生活上の課題を引き出すのだけど、その解決すべき
生活上の課題=利用者さんの「ニーズ」って置き換えることがなんだかね…しっくりこなくて。どうしても気持ち悪くてw
そしてなによりも、私はその「解決すべき生活上の課題」っつうやつを解決するために現場で直接試行錯誤するほうが好きだなって思った。
ケアマネは関わる多職種をまとめ、調整するのが役目。私…やっちゃいそうなんだよね…ナース目線で直接踏み込みそうなんだよね。
でもそれってダメぢゃん。私やっぱり向いてないな……が半年間の研修で出た結論。

職場的にも事情が変わり、ようやくケアマネを新規雇用できる運びとなったため、私は兼務を逃れることにもなった。
もちろん変化の激しい「看取りの時期」においては現場で私がプランを修正・カンファ・更新していくことで、後手後手のケアプランに
ならずに済むわけだから、そちらで協力をするってことで話は落ち着いた。やれやれ。

さて…この半年研修と並行しつつやっていたこと…お騒がせおやぢを相手にリアルケアプランの立案と実践ww
実家を飛び出し、10年ほどアパート暮らしをしていたおやぢを、3月末にサ高住に入居させた。
アパートへ帰る!と駄々をこね、帰ったけど再入院とか…ね、そんなことを1月~3月繰り返し。
独居はもう無理、でも高額投薬が必要なおやぢを受け入れてくれる老健なんてない。要介護は3に満たないから特養だって無理。
有料ホームに入る金はなし。だけどあちこちでトラブルを起こしてるから個室は絶対確保したい…。あーでも現状のADLでは生活に
見守りが絶対必要…。
ここはもう、リハビリでの今後のADL拡大を期待して、ディ併設のサ高住にするしかないだろうと思った。担当ケアマネも同意見だった。
ではどこにする?どこなら受け入れてくれる?こんなおやぢ…。

そんな時快諾してくれたサ高住があった…と連絡が。なんと、頚損の叔父が入居しているサ高住グループの別施設で受けてくれると!
施設長は以前叔父の入居の際にお世話になった方で、私がキーパーソンなら問題ない…喜んで引き受けると言ってくれたそう。
本当に嬉しかった。おまけにとりあえず利用していたショートステイ先の相談員は偶然にも以前の職場の同僚で、叔父の相談員だった方
…担当者会議はなぜか知り合いばかりの和気あいあいな雰囲気(笑)
みんな私の事情もよくご存じなので、可能な限り負担のない方法を!と手を尽くしてくれ、あっという間におやぢ本人の居場所が確保・
移動が完了した。

おやぢのケアマネからは「どんだけ知り合いがいるんですか!」と驚かれたが、いや…マジ偶然の産物…でも人と人とのつながりの
有難さと温かさを実感した。
この3年ちょっとの間、私がしてきたことは無駄ではなかったんだな…と。
それをおやぢのために使うのは若干ムカッとするけどさ(笑)

私、ネコのことでもヒトのことでも いつもそういう「つながり」に助けてもらってばかりだなぁ…。
みなさん ほんとにありがとにゃ と感謝する6月の末。今年も半年終わりましたね…。


       
        ↑今回もネコのつながりですっかり助けてもらった「ぶち」 ホントにありがとう。

さ、ほかにもいろいろあったこの半年、ボチボチ書いていきますわー(笑) ねこたちもそれぞれ問題はあれ、そこそこ元気です。



夏から年末…早すぎるよ2016年…

2016年12月31日 | つれづれの日々

ここ最近いただいた中で一番シュールだったおみやげ。
食べてみるとごくフツーのラスクなんだけど、「中からブシュってクリームがでるよ」って騙されて
みんな口に入れられなったのが笑えた一品wwww ちょっと攻めすぎだと思う 富岡製糸場

しかし…我ながらよくサボった…。ソフトが変わって画像処理が面倒になった…というのもあったけど、まぁ言い訳だわねー。
忙しくもあったけど…あー何を言っても同じですな…はい…めちゃくちゃサボってました。
…とは言うものの遊んでたわけでもないつもり(笑)

もじゃが逝き、独りになってしまったニッキさん。
いつも一緒だったからね、さみしかったんだろうな。次第に食が細くなり元気がなくなっていった。
元々環境適応力に優れた子ではあったけれど、さすがに今回は堪えている様子だった。

そのころ2Fのネコ部屋でも問題が起きていた。
ぽぽのすけの暴れっぷりが以前にも増してヒートアップ。ターゲットにされていたくぅ姐さんとまさおは、四六時中逃げ回り、
隠れて過ごさなくてはならなくなっていた。部屋に戻るとあちこちに失禁や抜け毛の山…さすがにもう限界だった。
じゃ…どうする?

やっぱりぽぽのすけを離れの保護部屋に移すしかないね。

興奮して手がつけられないぽぽのすけをなんとかネットとキャリーに押し込んで保護部屋へ。一晩、ケージレストさせたらさすがに
少し落ち着いたようだった。でもずっとケージinというわけにはいかない。でも保護部屋は3つとも使用中。そのどこにも暴れている
ぽぽのすけを入れることなんてできやしない。
一か八か…隣同士で1年以上過ごしてきたうっしーとお嬢をニッキさんのルームメイトにしてみるか…。

とにかく人懐こいうっしー。ただあんまり空気は読まないwwその分どんな猫にもフレンドリー


うっしー大好きなお嬢。ニンゲンはゴハンだけ持ってきてくれたらオケ


さみしくてしかたなかったニッキさん。新しいネコマンションに迷わず入居。


この3匹 意外にすんなりルームシェア。ひとつの唸り声もあげることなくルームシェア導入完了。 ホッとした。

ニッキさんの食欲もほどなくして戻り、今は以前のふっくらしたカラダになっている。


うっし-とお嬢がニッキルームシェアリング。で、空いたうっし-部屋にぽぽのすけをin でもこっちはそうすんなりいかなかった。
暴れん坊だけど、なんといってもヒトやネコと離れて暮らしたことのない子だ。興奮が収まるとやっぱり飲まず食わず出さず…へ移行。
ああ…そういえば厳密には出したな、上から…吐きまくり。が、しかし2Fへ戻すわけにもいかない。2日様子を見た。でも改善しない。
こりゃダメだわ、アレしかないか…。

で、こうなった。

禁断のゴローちゃん投入。
基本臆病だけど、おいしいものには目がないゴロー。引っ越しのお祝い?に差し出されたごちそうウェットに食いつく食いつく。
それを見ていたぽぽのすけも負けじと食べ始める。食べればこっちのもの。翌朝にはちゃんと出た。今度は下から(笑)

こんなオレでも一人暮らしはさみしいんだよぅ。

よくわかんないけどぽぽちゃんと二人暮らし始めました。

10月の半ばに、窓ガラスを留めてあったロックがなぜか脱落し、さらにゴローちゃんのいい仕事が重なって二匹そろって窓から逃走。
外暮らしの経験のないぽぽのすけはどこへも行けず出た窓から戻ってきて事なきを得たけど、ゴローは戻らず不自由な外暮らし。
5日後、ダンナの「ゆでシラス」トラップで回収され、再び帰ってきたヲトコになった。今だから笑える話。

ぽぽとゴローが生活の場を移し、2Fのネコ部屋はぶち・くぅ・まさおそして一歩の4匹になった。

ぼんやりしていても襲われることのなくなったまさおが、ホカペで行き倒れる姿が見られるようになった。

イライラしていることの多かったくぅ姐さんも穏やかに…

兄妹なのに割と距離を置いていることの多かったこの二匹。このところこんな風に子猫のころのようにくっついている姿が
見られるようになってきた。

ぶちは輸液を始めてそろそろ2年。体力が落ちてFVRの後遺症が悪化し食べられなくなる→さらに体力低下という悪循環を
断つため、腎臓には悪影響もあるけれど定期的にコンベニアを打ってもらうようにお願いした。ある意味賭けだったけど、これが功を奏して
一時はかなり落ちてしまったBWがじわじわ戻り、一歩を押しのけるほどの食欲も維持。もちろん一度にたくさんは食べられないし、時々
嘔吐もあるけどね。水を背負って好きなものを好きなように食べ、眠りたい場所で眠る。それでいいよね…って思っている。

さて、私はといえば…この12月末で2年10か月を過ごした職場を退職。来年からは小さな法人の有料ホームに職場を移すことになった。
          
20数年ぶりに臨床に舞い戻り、のんびりやるつもりが、ま・さ・か…の公私ともに激動の2年10か月。
ことに年下だけどすごく尊敬していた病棟師長が寿退職してからはなんと私が病棟責任者ww 無事やり通せるか…と思うほどの日々だった。
でも、振り返ってみれば楽しかったな回復期。いい仲間たちにも出会えたし。新しいことを学びたい、知りたいって思えるようになったし。

ただねぇ、経営母体が黒杉…わたしゃ老い先短いんじゃ…こんなところで過労死しとうない…((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

       
そんな時、かつての上司から声をかけてもらった。叔父の事故の体験から回復期のその先、いわゆる維持期/慢性期と呼ばれる生活への
関わりに興味を持ちはじめていた私にとって、その誘いは魅力的だった。

そんなこんなで↑の画像は、研修に行ってたグランシップに設置されてたガーベラツリー。実は6月まで絶賛ケアマネ実務者研修中。
慣れた環境からほかの環境へ飛び込む時って、それなりに覚悟がいる。でもやっぱりチャンスとタイミングだと思うんだよね。
資格取ろうって決めたタイミングで、それを生かせる場所に移るチャンスをもらった。なら、ここはやってみるしかないでしょ(笑)
2017年もまあまあ忙しい一年になりそうです。

すっかりご無沙汰しっぱなしの2016年
ちびが逝き、もじゃが逝き、確実に縮小しつつあるチームしろりん
でも、どの子もみんな頑張って生き抜いて逝き、寂しくたってこれでいいんだよって思う年の暮れ。

たくさんお世話になりました。たくさん励ましてくださってありがとう。
来る2017年も変わらずよろしくお願いいたします。

もじゃくん おつかれさま

2016年06月04日 | つれづれの日々




5月25日未明 もじゃが虹の橋を渡りました。

いろんなことがあった4ヶ月。がんばって、がんばって…そして逝ってしまいました。

opeをすべきではなかったのか…それが最初の過ちだったのか?と考え続けた4ヶ月。
答えは今も見つからないけれど。

腫瘍切除を乗り切り、なんとか食欲が戻った3月初め。次第に調子を落としていくちびの様子を
横目に、もじゃは大丈夫そうだな…と思い始めた矢先だった。
3/5の夜。帰宅が遅くなり、ちびの様子を確認した後、慌てて保護部屋を見に行った。
ケージの上段ににっきさんとちんまり収まっていたもじゃの食欲が無いことが妙に気になった。
腎機能があまりよくないとのことだったから、少し輸液が必要かな?と思いつつシステムトイレの
ペットシーツを引き出して目を疑った。
黄色の尿。それも蛍光イエロー。かつて見たことのある色合いに嫌な記憶が甦った。
食欲がないのは腎機能が落ちているせいじゃない。おそらく肝臓に異常をきたしている…。
少し食いつきが悪いかな?と感じていた数日。
光に透かしてみれば耳の皮膚はうっすら黄色く、眼球黄染もはっきり見てとれた。
忙しさにかまけて、発見が遅れた…。

翌6日朝、あわてて受診。キャリーに移すとき昨夜よりさらにどぎつい黄色の尿を失禁した。
状態を告げると順番を飛ばして診察室へ。採血のデータはとてもとても恐ろしい数値だった。
肝機能データは4ケタ。貧血も急速に進んでいた。病態としては胆管炎。
opeの麻酔によるもの?溶血性?腫瘍に使ったステロイドがWキャリアであることに影響したか… 
人間ならば緊急で血漿交換もできるだろうが、いずれにせよもじゃには輸液とステロイドと抗生剤、
ウルソしか打つ手はない。入院になったが、難しいかもしれないとVET。

でも、ちびが最期にあの驚異的な気力を送ってくれたのか?
1W後データはまだまだ正常値には程遠いもののなんとか帰宅。そこから輸液と内服と強制給餌の日々。
シリンジよりもひとさし指で給餌する方がうまく食べてくれた。もちろん嫌がりはしたけれど
実際たいした保定もいらなかった。
がんばれ、がんばれ! 
でも食べたくないものを口に強制的に入れられることはとてもツラかっただろう。
けれど少しずつ指先からなめとってくれるようになり、お皿から食べ始めてくれた時には本当に
嬉しかった。

安静のために、ケージ暮らしをさせていたが、ニッキさんと一緒のほうが元気が出るかな…と
ケージをオープン。ニッキさんがケージに乗り込んできて(笑)二匹で同じ皿からゴハンを食べ
くっついて眠った。
しだいにケージの外へ出てくる時間が長くなり、朝様子を見に行くと「おはよー」と聞こえるもじゃの
啼き声が迎えてくれる日々が戻ってきた。
ステロイドも減量し、休薬も目前だった。

安心はできない、でも乗り切った。
あの時のかるびのようにもう少し一緒にいられるかもしれない。

けど、甘かった。ウイルスは復活の日を虎視眈々と窺ってた。

4/9朝 前夜までとは打って変わり、食欲が急激に落ちケージから出てこなくなった。
呼吸が速迫で、口腔内色が不良だった。…来た…と思った。
慌てて仕事から戻ったその夜、少しだけお気に入りのウェットを口にしてくれた。
翌日受診。呼吸が速いこと、貧血が急激に進んでいるらしいことを受付で伝えた。
直後に診察室から飛び出してきたVETの顔を、なぜかなぁ…今もはっきり覚えてる。

ひと月前のX-Pには無かったはずの白い影が、いくつも肺野に見てとれた。胸水はそれほど貯留して
いなかったけれど、縦隔裏でリンパ節の腫大が起こり、それが気管を押し上げて呼吸を妨げている事。
貧血も予想以上に進んでいた。

私のスタンスをよく理解してくれているVETたちは、強力な治療をもう提示することはなかった。
出来る限り苦しませないこと。残りの日々を楽しく逝かせること。
そのためにどうしたらいいか、あの瞬間から私もVETたちもそれしか考えていなかったように思う。

呼吸が苦しくなることだけは最大限避けてやりたい。
ウイルスの攻勢を後押ししてしまうことはわかっていたが、ステロイドを最後まで使うことを決めた。
呼吸や食欲の様子で増量可の指示ももらった。
肺の腫瘍増殖とリンパ節の腫大、そして胸水の貯留をぎりぎりまで抑えてくれればそれ以上望まない。





それから1ヵ月半。一時的にステロイドを2Tまで増量、嘘のように呼吸が穏やかになり、食欲も少し
戻った。
天気のいい日にはニッキさんと並んで窓から外を眺めた。
お皿のドライを取り合って食べた。
ケージのベッドで、100均のカゴで一緒に眠った。



ケージの上段に上がれなくなってからは、テーブルの下にベッドを設置、そこで変わらず2匹は過ごした。
ランディングの準備を進めていく仲間にニッキはどんな気持ちで寄り添っていたんだろう。
そんな二匹を見ながら オペをすべきではなかったのか…していなかったらどうだったのか…術後体力を
戻したもじゃのカラダには、またいくつもの腫瘍がすぐに触れるようになった、あの腫瘍も同じように
もじゃとニッキを引き離すのだろうか?と毎日考えていた。

5/23夜 トイレの前でへたり込んでいたもじゃをベッドに戻し、また同じことを考えながらトイレを
掃除していた。ふいに背中がぽぅーっと温かくなった気がして振り向いたら、もじゃが私の背中に
もたれてこちらを見ていた。
そしてコロンとお腹をみせて腹モフを要求。私の手にごつつんごつつん顔をすりつけて。
もじゃが「そんなこと、もう、どうでもいいんだよ」って言ってる気がした。

夏がきたら丸6年になるはずだった家猫生活。
ニッキさんと2匹でマッタリ暮らした6年は楽しかったですか?
かつての盟友かるびと今度はなかよくね。
そして、ニッキさんが淋しくないように時々そっと一緒に眠ってあげてください。
もじゃくん おつかれさま ありがとう 

 ごめんね。

ちびちゃん またね

2016年03月08日 | つれづれの日々
3月7日 0:50 ちびが虹の橋を渡りました。



鼻咽頭リンパ腫の疑いでステロイド治療を続けた昨秋。
強度の抵抗をしながらも強制給餌をしっかりカラダに取り込み、ステロイドの後押しを受けて
奇跡とも思える復活。
体重も十分以上に戻し、ふくよかなちびの姿で迎えた2016年
わかってたけど、どこか頭の隅に「このまま抑え込めるんじゃないか」ってそんな想いがいつしか生まれてた。

でも、現実は現実。

2月の半ばに押入れに籠もる時間が少しずつ増え、食欲も低下し受診。
今回ははっきりと肺野に影がいくつも見てとれた。秋にはあんなに酷かったいびき様の呼吸は影を潜めていたけれど
もっとカラダの奥深くでその力を溜めていたってわけ。

当時手元に残っていたちび用のプレドニン(5)は14錠、2週間分。それを5㎎/日から10mg/日に増量して1週間分。
追加の処方はされなかった。それがどういうことかは…わかった。覚悟した。

でもちびはそこからまた次の奇跡を見せてくれた。
ステロイドを増量した翌日から、廃絶してた食欲が復活。押入れに籠もることもなくなり、大好きなリビングで
いつもどおりにぶちをどついて湯たんぽを奪ったり(笑)お皿に顔を突っ込む一歩に容赦ない猫パンチを浴びせたり。
VETたちに驚かれながら、追加の処方を2回出してもらった。

そんなふうに気力十分にみえるちびだったけど、確実に不調の波が寄せてきて2月の末。再び押入れに籠もることが
多くなった。

最後の1週間。
ちびは気力と体力の全てを、できる限りいつもどおりに過ごすこと に費やしていたように思う。
そしてできなくなることが増える中、それなら今までやらなかったことをやってみようって思ったのかな
初めてダンナのベッドに上がり、足に寄りかかって一晩眠った。

ステロイドの頑張りだったのか…大量に胸水や腹水が貯留してくることがなかったことと、やはりちびの気力。
旅立った日の朝。もう時折床に倒れこんで意識が朦朧としている時間がたびたび見られたのに、同居猫たちの
お皿の音にしっかり反応。立ち上がってウェットを食べた。籠もっていた押入れからリビングに戻ってきて、
倒れても倒れてもまた立ち上がって水を飲んだりトイレに入ったり。
夜になり、もう起き上がれなくなっても、仲間たちのお皿の音に顔を上げて反応したそう。

ステロイドを増量した時点でもう強制給餌はしない、と決めていた。
呼吸や循環の負担にならない程度の水を背負わせ、ちびが行きたいところへ行き、眠り、食べたいものを食べたいだけ
食べること
なにひとつの制限もしない。それがしろりん家の流儀。

昨秋「食べて元気になろう!がんばれ、がんばれ」って毎日毎日ちびを押さえつけて強制給餌をした1ヶ月。
それは辛い体験だっただろうけど、ちびにとって最期まで「食べてたらきっと元気になれる」って気力になっていたの
かもしれない。

必要以上に媚びない子だった。でも本当は誰よりも甘えたさんだった。
私の布団が大好きで、ぶちと先を争ってやってきた。そして私の右肩にぴったりくっついて眠るのが日課。
朝、ぼんやりしている私の膝にそっと乗ってきて、左の脇に顔をうずめるのがお気に入りのポジション。
普段はそれほど馴れた様子も見せないのに、テレビを見ながら晩酌しているダンナにそっと寄りかかったり。

夜勤に出かける私をしっかり顔を上げて見送り、ダンナが部屋に戻ってくるのをちゃんと待って。
そして日付が変わるまで頑張りぬいて、1日長く生きた。

みけちゃん、さびちゃん、くろくろちゃん、バニラ、シナモン、なっつ、ぴー、はちくん。
しっぽ、兼続 風になってしまったおせろにももしかして逢えたかな。
そして、あの頃の藪を知っている子がまたいなくなった。



ちびちゃん、みんなに「よろしく」と伝えてください。そして、いつか、またね。

あっちもこっちもパンデミック?

2016年02月21日 | つれづれの日々
すっかり明け過ぎました…。今年もよろしぅ←すでに大きな声じゃ言えない…orz
新年早々、病棟再編成+院内患者の大シャッフルが敢行され(←バカとしか言いようがない)
その直後とどめの監査(←しかもなんと師長が出張中)でまたしてもブチキレすぎて疲れた1月。
とりあえず切り抜けられてよかったんだか、それとも思いっきりアウト!!くらった方が強制改善
されてよかったんだか、ちょっと迷うとこだが。

そして2月に突入し、来たよ~インフル プチパンデミック!
どうやら急性期病院から移ってきた患者さんが持ち込んだらしく…。患者と同時にスタッフもバタバタ。
ギリギリで回しているうえに、夜勤できるスタッフが倒れて行き…私、もしかして夜勤専従だったかな?
…な感じになっておりましたわwww
その間、我家の猫さまたちも調子を崩す子が目立ち、現在5匹が通院・加療中という…笑えない状況っす。
中でも一大イベントだったのが保護部屋MNコンビのM=もじゃ。

数か月前から右前額部の皮膚が薄くなり、うっすら出血したり治ったりを繰り返すようになった。
けっこうテーブルの足とかにゴリゴリおでこをこすり付ける子だから、そういう刺激でなるのかな?
なんて思っていたのだが、そのうちに妙な痂皮を形成するようになった。これ…マズイんぢゃね?受診だなぁ
と思っていたある日、何気に触った背部に直径1センチ弱の腫瘤を2つ確認した。翌日受診に出かける際、左の
口唇にもまだ小さいが腫瘤をひとつ発見。
細胞診ではひまん細胞腫らしき形態にもみえるがはっきりしないとの所見。
ただし、額のものと背部および口唇のものは同じ性質でない可能性が高いとのこと。いずれにせよ多発性なので
外科的切除が望ましく、切除腫瘤を病理にかけることで特定診断をつけることに。
仮に多発性のひまん細胞腫であるならば、予防的脾臓摘出も視野に入るが、あまり腎機能が良くないもじゃに
長時間の麻酔は望ましくないし、ひまん細胞腫でなければ余分な侵襲を与えることになる。そこで今回は
表在腫瘤切除および病理検査のみをオーダー。
術前の毛刈りをしてみたら背中の腫瘤が+2個され計4個になったが、ope自体は問題なく経過、終了。
病理には3か所 ①額 ②口唇 ③背部 提出。

術後のもじゃは、けっこう痛々しい姿だった。
  

額の創部は、眼瞼上部ということもあり大きめの栄養血管を巻き込んでいたらしくじわじわと出血が
続いていたとのことだったが、帰宅後は目立った出血なく経過。
本人は戻れたことにホッとしたのか、ケージinでもスリスリゴロゴロのゴキゲンさん。
しかしとにかくエリカラが苦手でゴハンがまったく食べられない。額の創保護の観点から外すわけにもいかないが
食べられないのでは創治癒にひびく。仕方ないのでエリカラ一時オフ。ゴハンを食べさせて、トイレを済ますまで
見守り(笑) それからカラーを装着し直して、点眼+眼軟膏+抗生剤内服→ケージにin の流れで数日。

眼軟膏を塗布すると一時的に前脚が右眼付近に行くけれど、それ以外はほぼノータッチ。背部創は舐めないように
即席の術後服(といえるか?笑)を着用させて現在、基本的にカラーはオフ。
創が大きいのと、位置的な問題で抜糸までもう少し時間がかかりそうだがなんとか乗り切れそうでホッ。

病理検査の結果は…まぁあまりよくはないが、想定内ってとこ。
ただ割と珍しいものだったらしく、院長自ら「いや~勉強しちゃったよ」と。
額のものと背部+口唇のものは、別の病理組織診断がでた。
①額 ウイルス感染性腫瘍 →ボーエン病(表皮内ガン)に関連する前ガン状態 
②背部+③口唇 肉芽腫性皮膚炎
                           ☆興味ある方、詳細はこちらから  どぞ☆

今回一応切除は済んだので、今後額の腫瘍が再発するか、他で発生するか要観察。
なんでも老齢の猫に多く、顔や頭部が好発部位なのだそう。まーさーにー。

外の子たちを保護し始めて10年。若かった子たちも飼い主同様老いの領域。
トランスフェルラ酸にガーデンアンゼリカ、今度はPQQと飼い主も脳の老化を遅らせることに必死…つか
こればかりはなんとかサプリメントの範疇でで押しとどめたいw
とにかくとにかく、保護猫たちとお庭番たちを全員見送るまではボケられんし、死ねんわー笑

老猫と老飼い主。支え合いボチボチ春を待つ。