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5時だよ、ゴハンだにゃん

(元)外ねこさんに支えられる日々と、
野良猫さん一家TNRの記録

いっくん またね!

2019年11月05日 | つれづれの日々
11月3日 いっくんが虹の橋を渡りました。
急速に脱水が進んでいることに気づいてから、わずか4日目の朝でした。

食欲にはムラがあったものの「お腹空いたー!」とゴハンを要求して啼くこともあったし、焼きかつおなども食べるようになって
食の幅も拡がってきていた。
保護当時は食べて出してひたすら寝る…だけだった生活が、「だせー!だせー!」とケージのすき間から前足を出したり大きな声で
啼いたり。トイレ掃除の際にケージから逃走したりw時にはダンナと一緒にソファでテレビを見て過ごしていた。

               

        

保護当時、敷物に尿失禁が続いていたが体調の回復とともに消失、ひと安心していたが、「だせーだせー!」と騒ぎ始めた頃から
また時々敷物に粗相をするようになった。
特別体調が悪そうでもないのに…いわゆる拘禁反応的なもの?元々外で過ごしていた子だからそういう苛立ちを敷物への排尿という
形で表しているのか???

大急ぎで保護部屋を再編成。まだしばらくは様子をきちんと見たいから…やはりいっくんはひとり部屋がいいだろう。
ぽぽとゴローの部屋を空けていっくん部屋に。
ぽぽとゴローにはこれまで荷物を置いていたスペースを整理して与え、隣接するふわり部屋と行き来できるようにした。

久しぶりに気持ちよく晴れた日で、部屋にはいい風が通っていた。
移動したいっくんは、新しい部屋に最初少し啼いてしまったけれど、ラティス越しにぽぽのすけと鼻ちょんをして、隣のニッキ部屋を
覗いて、そのあとは窓から外を眺め、風に当たり夕方までの数時間を過ごした。

その夜、それぞれの子にゴハンを与えていったが、いっくんの食欲がない。動きはそれほど悪くないが…少し脱水なのかな?と。
急きょ支度をし、水を背負わせようと背中をつまんで驚愕した。皮膚が硬い…本来あるべき皮下のスペースがまるでなくなり
ピタッとくっついてしまっていると言ったらよいのかな…。かるびやぶらっきぃで経験した、脱水末期の状態がそこにあった。
「なんで?どうして?」「何をいつ見落とした?」と頭の中でぐるぐるぐるぐる。

猫は皮下のスペースを使って水を背負ってもらう。だがこうなってしまうと穿刺をすること自体が本当に困難になる。
少しでも皮膚の柔らかい部分を探してなんとかなんとか祈るような気持ちも一緒に背負わせた。

翌朝になっても事態は好転せず、食べられない。出せ出せと暴れていた姿はない。
保護時の血液データが頭を掠めた。来るべき時が来たのだと、思った。
思い返せば、僅かずつ食べる量が減っていた。それでも元気があったし、口内炎が悪化した様子もなかったから食ムラの範囲内と
考えていた。
だがこうなってみると敷物への粗相が再燃したのも、実際は体からの声なきサインだったのだろう。
元気そうに見えていた。ちょっとした奇跡が起きたみたいに!元気になってきたと思いたかったんだ、私。

極度の貧血と末期的腎不全
かつて兼続がそうだったように、猫は貧血を補完しようとするのかギリギリまで食べ、動く。だが…一定のラインを越えると
急速に食べられなくなり動けなくなる。
これを改善するためには輸血しかないが、貧血の進行ですでに心臓に負担がかかっているから、その負荷に耐えられないかも
しれない。また抗体を産生するから繰り返し行うことはできない。
VETが「余生をしろりん家で…」と言ったのは、この日が近い将来来るであろうこと、そして来た時に打てる手はないということ
なんだよな…とあらためて思った。

何度も猫を看取ってきた友人がずっと心配してくれていた貧血の進行による「呼吸苦」
おなじ貧血でも急速に進んだ兼続は本当に本当に苦しんだが、かるびやぶらっきぃ、ちゃっぷのように緩徐に進んだ場合には
強い呼吸苦が起きないことが多いように思う。年齢や心臓の強さなども関係しているのかもしれない。
幸いにもいっくんは、穏やかな呼吸のまま逝った。

殆ど意識がないのかな…と思うほど眠っていたのに、保護部屋のドアを開けるとニッキやうっしーたちと一緒に啼いて呼んだ。
からだを撫でる手に顔を押し付けて眠った。
少しずつ少しずつ体温が下がっていくなかでも、声をかけると返事をしてくれた。
もっといろんなもの食べさせたかった。もうちょっと時間があると思ってた。

お気に入りだったあご枕を一緒に持たせた。焼きかつおやウェットパウチやドライを体が隠れるくらい持たせた。
ここ数年ですっかり馴染みになってしまった出張火葬の担当さんは毎回「大丈夫だから、たくさん持たせてやって」と言ってくれる。
友人も遠くから一緒に祈ってくれた。

そしていっくんは、山ほどのゴハンとともに煙になって、現れたときと同じ我が家の庭から青空へ昇っていった。

わが家で過ごした6週間が、いっくんにとって幸せな日々であったかどうかわからないが、新しい仲間を迎えたチームしろりんの
下僕として楽しく楽しみな毎日だったことは間違いない。

いっくん、わが家を終の棲家に選んでくれてありがとう。私たちに看取らせてくれてありがとう。いつか、また会おうね。

               

それからのいっくん

2019年10月21日 | つれづれの日々
さて、チームしろりんの一員になった「いっくん」順風満帆とはいかないが、なんとなく右肩上がりな感じかな?
             

多飲多尿はもちろん変わらないが、食欲はそれなりに保てている。
腎サポは仕方なしに食べている感アリアリだけど、20歳以上の超シニア向けのウェットでなくても食べられるように
なった。
そしてなによりも…あの顎関節が軋む音がしなくなったことが嬉しい。
これからのことは皆目検討がつかないが、少なからずあの時の危機は脱したということだからね。それで充分だ。

      

基本的には本当に静かな子で、お腹が空いたとき以外は啼かない。あとは…遊びたいときかな(笑)
このごろは店の一部に作ったダンナのテレビ部屋で、ちょっとだけフリータイムを楽しむようになっている。

             

小部屋の中をグルっと一周すると、ソファに乗ってウトウトし始める。
まだ被毛が生え揃わないので…若干アレな姿ではあるがw 表情はだいぶ良くなったんじゃないかと思う。

      

そうはいっても食欲や動きにはムラがあるので、4~5日に1度程度水を背負ってもらうが保定もほとんど必要がない。
想像以上のかなり良い子なのだ。

ねぇ、ぽぽのすけ…いっくんはいい子だよ?   聞いてる?ぽぽのすけ???   てか、聞けよっ!ぽぽのすけ!

      

先日もニッキさんとお嬢を脅しているところを止めに入って、左の手のひらに10cm以上の切り傷。ニッキさんとお嬢は
無事だったので良しとするが、仕事に支障をきたすことこの上なし。デカいんだよ、ぽぽのすけ。そろそろそれに気づいてくれ。

そんなぽぽのすけ。合計1か月半の投薬 めでたく無事終了。

              
 
             

名付けてちゅーるガン(笑)
 
50本入りのちゅーると極小5号サイズのカプセル
大変…大変お世話になりました。私も大変でした(笑)

これから

2019年08月13日 | つれづれの日々
          
見えてても気づかないフリするのが礼儀よ? の ちょびこ@最近とてもフレンドリー

そろそろ季刊なblogカテでも無理めになってきた、ここ。
書いてはいませんが、みなさまのところへは「ランチの友」としてコッソリお邪魔させていただいてます。


日々変わらずドタバタでクタクタ。ですが、ご褒美といってはなんですがっ、行ってきました埼玉。ええ…東海地方から(笑)

          

          たまアリでかっ!その姿を写真に収めながら…
          今はこうして巨大イベントスペースとして在るここが、被災地外の避難所であった日々のことをふいに思い出す。

                君の好きな 故郷の街に また あの日々が戻って きますように

          

          古くからの友人が「行っておいで」と急遽譲ってくれたチケット。
          本当に長い長い家族ぐるみの付き合いの間柄なのだけれど、お互いに小田さんファンだったとは知らず…。
          この数年、実は自分の周りにたくさんの小田さんファン(しかも筋金入りの!)が居たことが次々判明し、
          縁の不思議を感じている。
          友人たちも私も、みんなそれぞれに人生の折り返しを過ぎた。変わらないように見える日々は奇跡の積み重ね。
          行きたいところに行き、会いたい人に会い、見たいものを見る。いつか…じゃなく、今。


友人が「運がよければわりといい席のような気がする」と言っていたが、巨大スペースの中に探し当てた席は「わりと」どころではなく
私的には間違いなく「神席」※画像お借りしてます
          


          サブステージの斜め前、花道の真横  
          かなりの曲数をサブステージのピアノで歌ってくれて、ベスポジでがっつり見入り聴き入る。
          撮影用のクレーンが反対側のブロックだったのもラッキーだった。
          花道で立ち止まって歌ってくれたのもホントにすぐそこで…え?今、目合ったよね???
          かなり序盤のうちに完全に冷静さを失うwww

アンコールを含めて30曲以上(収録の関係上、やり直しがあったからね・笑)を一緒に歌いまくる。全体に観客の平均年齢は高いけど
3時間みんな頑張った!が、私の斜め前の男の子はなんと5歳。まわりのおばちゃん観客たちから「小田さん好き?」「渋いねぇ」と
かわるがわる声をかけられる。「愛を止めないで」のあたりまではノリノリだったがさすがに5歳児。終演時には父親に抱っこされて
爆睡で退場。小田さんのファン層の広さに感涙&安心したわ。

そして小田さんも71歳とは思えない走りっぷり。
「キラキラ」を歌いながらオンステージの客席に突入していったと思ったら「あれ?消えた!」同時に上がる短い悲鳴
かなり派手にコケたらしいけど、日ごろの鍛錬が違うんだろうね、すぐに立ち上がってその後も走る走る走る。
ライブの最後に「みなさん、元気で暮らしてください」と小田さん。
「これからも元気で歌っていてください」と願いながら、たまアリを後にした。

帰路は深夜ということもあってか…東海地方まで2時間半ちょいで帰り着くwいやあー意外と近いんじゃね?埼玉。

行きたいところも見たいものも体験したいこともまだまだたくさんある。
とりあえず、大好きな元同僚に 会いに行く。2年来の約束果たすために、行くよ埼玉!!待ってろ、埼玉!


下僕が近づくコンサートの日を指折り数えていたころ、離れのネコ部屋で異変。
どんなに朝早くても、私の帰りが遅くても、ラティスから3匹顔を出して待っているニッキさんとうっしーとお嬢。
前夜、疲れてしまって早めにお世話をして休んでしまった私。その時点では特に違和感を感じることはなかったのだけど
翌日のネコ部屋は、ドアを開けた瞬間からおかしかった。なんかやけに静かじゃね?
ざわざわする気持ちで見まわすと、ラティスから覗いている猫あたまが足りないじゃないか。またニッキさん具合悪いのか?と
思ったら…あれ?居るやん。あ…うっしー、うっし-が居ないから、いつもみたいに大声で啼いていないから静かなんだと気づいた。
とにかく落ち着きがなくていつも走り回っているうっし-。なにかあったのかと慌てて部屋に入り、ネコマンションのカゴのひとつに
ちんまり収まっているうっしー発見。顔を上げてはいるが動く気配がない。
   おかしい  これはおかしい  うっしーが部屋から脱走を試みない…てか一つ所で動かないなんてアリエナイ

見回せば あちこちに嘔吐の跡。食残から水様物まで様々。トイレの中をさらうが下痢はなし。トイレトレーのペットシーツの
尿色にも目立った異常はないように見える。

とりあえず声をかけてみる。「にゃ」返事をするが表情に活気がなくこころなしか顔色悪い感じがする(感じが…ね)
大好きなシーバにも一切反応しない…どころか顔をそむけて食欲廃絶
眼をのぞき込む、ついでに耳を光に透かしてみる。どうやら黄染はない。眼脂は増えていない、鼻汁もない。
さわった耳は熱くない。むしろ全体に体温が低い印象をうける。
口を開けて覗く。肉球の色を見る。貧血や低酸素の兆候はない。
カゴに収まって動こうとしないけれど呼吸の回数・深さなどは普段とかわらない。喘鳴も咳もない。
からだのあちこちをさわってみる。腹部が水っぽい感じはしない、膀胱も少なからず緊満はしていない。
いつもならひっくり返って腹モフ要求のうっしーが「う゛ーう゛ー…」と小さく唸った。
左の腰のあたりに吐物がこびりついており、さらに異常な状態が起きていることを察した。
痛みがあるのか、痛みがあったのか、せつないのか、もっとせつない瞬間があったのか? いずれにせよこれは緊急事態だ。

幸いにも遅番だったので「遅れたらごめん」と同僚にLineして、うっしーをキャリーに放り込みVETのところへ向かう。
車中、不安そうに啼いていたものの、途中でだるそうに横になってしまい私も久々に焦る。
しかもなんとかたどり着いたびよいんの待合室にはやたらと吠えまくる先客犬がいて、うっしー、さらにビビりまくる。
うっし-の体温を測りながら「あ…それでもなんとか38℃はあるのか…」とVET 
そうなんだよね、なんだか低く感じるのが気持ち悪いんだよね…と独り頷く私。
触診でも聴診でもこれといった異常は見つからずとりあえず採血とX-P
採血の結果 WBC 35200 TP7.8 と感染を疑う所見 Hb13.1 ととりあえず貧血はなし。
X-Pでは肺野に気になる影 気管支炎を起因とするびまん性の肺炎 もしくはリンパ腫も除外できない。
腹部には取り立てて気になる所見はなく、ガスの貯留も多くない。
エコーでも異常は見つからず。嘔吐は一過性の中毒の可能性が高いのでは?とVET。とはいえ完全室内飼いで同部屋の2匹に
異常がないため確定はできないが、私が異常に気づいて以後の嘔吐はないことからも推定。
こちらは制吐剤対応で経過をみることとし、気になるのはWBCとTP そしてX-P
思い返せば時々咳をすることがあったうっしー。抗生剤の内服で効果があれば気管支炎~肺炎など感染由来のWBC増加 
効果がなければ感染は除外される。
仕事の都合上1泊入院、翌朝1W分の抗生剤を処方されて帰宅。案外上手に内服できたうっしーにココロの中でガッツポーズ。
が…ネコの投薬はそんなに甘くない。分かってる分かってる。
徐々に食欲が戻ると抵抗も激しく逃げ足も速くなり、出勤前から毛だらけ汗まみれの1W後 再検したWBC 17900 やたっ!
下がってきてるけどまだ微妙に高いから…ともう1W分追加の処方をもらいうれしいやら、若干悲しい気もしたり(笑)
それから1か月半 残暑もなんのその。
         
うっしー元気です! やっぱりこうして3匹で並んでいてくれないとね!



今日は8月13日  夕方、庭で迎え火を焚く。

昼間ダンナと話した。「ぶっちゃん、帰ってくるかな」「来るよ、みんなで。てか…ぶちはちょいちょい来てるんじゃない?(笑)」
「列作ってくるのかな?」「いやー押し合いへし合いで来るんじゃない?(笑)おいっ!押すなよーとか言いながら」
「虹の橋から滑ったらどうすんだよ?みたいな?(笑)」「そうそう!きっとそんな感じでみんなで帰ってくるよ」

ここだよー戻っておいでー 名前を呼びながら迎え火を焚く。
ダンナと私を、きみたちの最後の下僕にしてくれて、ありがとう。
 

かいせんくん またね!

2019年04月07日 | つれづれの日々
3月16日 かいせんくんが虹の橋へ旅立ちました。
保護してからちょうど1年4か月 頑張りぬいた日々でした。

うっかり?入ってしまったトラップケージから始まったかいせんくんの家猫修行生活。
もともと触れる子ではなったから、時間はかかるだろうなぁ…と思っていたが、流石!のかいせんくんは
自分の流儀を貫き通した。

今思えば、保護当時が一番体力的にも安定していたのだろう。
ケージの上段でしゃーしゃー言いながらも本当に良く食べ、飲んだ。本格的な寒さが来る前の保護だったが
おそらく初めてのホカペの温かさにとろけた表情が、外にいた時とは全く違って嬉しかったな。
トイレも失敗することなくすぐに使いこなすようになり、水入れもゴハンのお皿も一度だってひっくり返すこともなく
ワタシとの距離は全く縮まることはなかったが、かいせんくんは保護ケージでの暮らしにすぅーっと馴染んでいった。
当初の予定では体調の観察も兼ねて1か月位ケージで、その後は陽当りの良いふわり部屋でケージフリーに。
大好きな日向ぼっこをして、できればふわりと仲良くなってもらえたらいいなと思っていた。

でも…かいせんくんは頑としてケージから出なかった。扉をフルオープンにしておいても出なかった。
外に出るといっても所詮は保護部屋の中だ。かつて闊歩していた庭とは風も匂いも違う、けれど狭いケージより
良いだろう?と思ったのはワタシだけだったのか…。
保護してみて初めて知ったことがたくさんある。殊に驚いたのはかいせんくんがとてもビビリな猫だったということ。
迫力ある面構えなのに、ニンゲンが怖くてビビリしょんまでしてしまうほど怖がりだということ。
百戦錬磨の子だと思い込んでいたけれど、実際はそうではなく、争いを好まず避けて通っていたのかもしれない。
少なからず、我が家の庭にたどり着いた晩年の彼は。

ようやく手にした自分だけの場所。
暖かく涼しく、探さなくても食べるものがあって、大嫌いなニンゲンが時々覗くのは嫌だけど、敷物を替える時以外は
特段こわいこともされないから「まぁいいか」って思える、そんな場所。
二段ケージの、上段の、四つ折りのケットで一杯になっちゃうような、ほんのわずかなスペース。
そこはかいせんくんにとって、外への興味を凌ぐほどの安心できる場所になったのだろう。

体調の波は激しかった。保護後調子よく食べることができていたのはほんの1か月足らずで、そこから先は薬を変えたり
その薬をどう飲んでもらうか、食べられるものはどれか、好きなものはなにか、どうしたら食べられるか…思考の日々。
かつて同じ難治性口内炎で苦しんだぎんちゃんのことが頭をよぎった。
口腔内潰瘍の痛みと出血と排膿。食べられないことで栄養不良となり、緩徐に貧血が進み、じわじわと体力を落とす悪循環。
食べて体の中に栄養を取り込むという、当たり前にしていることにも実は相当なエネルギーと体力が必要だ。だから本当に
体力が落ちてしまうと食べられないし、貧血が進み低酸素で機能低下した消化管組織では消化吸収することができなくなる。
食べることは生きること。食べてくれることは希望。けれど、食べさせることが苦痛を招く状況も存在する。

かいせんくんの最期の日々をどうすごしてもらうか…考え続けた最後の平成の3か月。
目指したのはソフトランディングであり、死への行程に逆らわない ということ。それがしろりん家流のおくりかた。

                  


かいせんくん。
陽だまりのマシュマロクッションで昼寝してる姿、見たかった。
お刺身ワシワシもっと食べて欲しかった。
ミルクまみれの顔で「にゃ」って声聞かせてほしかった。ホントはとってもかわいい声なんだよね。
おひさまの匂いのするふわふわケット大好きだったね。

ホントはね、もっともっと仲良くなりたかったよ。
食べてもらおうと思って買い込んだゴハンがたくさん残っちゃったじゃないか…全部、全部持っていくんだよ。
ミルクも焼きかつおも銀スプも。大好きなもの全部。お腹いっぱいになってゆっくり眠るんだよ。
そして、かいせんくん。いつの日か、またね!

                            





ぶっちゃん またね!

2018年12月25日 | つれづれの日々

       
12月18日 ぶちが眠りにつきました。
最期は本当に静かに眠ったまま、お気に入りのマシュマロクッションの上で、ダンナとくぅと
まさおと一歩に看取られて。
私が職場から戻ったのと、ダンナからのケータイが鳴ったのが同時だった。
旅立ちには間に合わなかった。けれど、きっとぶちの耳には私の車が近づいてきている音が聞こえて
いたと思いたい。

昨年の12月25日 食べられなくなったぶちを連れて定期の受診をした。体重の減少が著しいこともあり
回復は難しいと思うと告げられた。最後に少しでも楽になるかもしれないから…と2種類の抗生剤を
打ってもらい、帰宅。抗生剤の効き目を待った。
でもその夜も次の夜もぶちはぐったりしたまま、一息ごとに痩せていくばかりに見えた。
元々覚悟はしていた。その時が来たのだと思った3日目の夜、ぶちは起き上がり、お皿のドライに
興味を示した。けれど食べられない。食べたい気持ちはあるようなのに舌も顎もうまく動かない。
慌てて、チュールをシリンジで吸い上げ口腔内に流してみた。
あの背筋が凍るような歯ぎしり様の音が響いたけれど、それでも飲み込めた。
もう一度、もう一度…少しずつ繰り返してチュールが1本、空だったぶちの胃袋に4日ぶりに収まった。
時間をおいて1本ずつ、焦るな焦るな…自分に言い聞かせながら一晩かけて強制給餌した。
私は本来強制給餌が好きではない。だから苦痛を与えるだけの意味がなければ、しない。
けれど空腹が満たされてペロンペロンと満足げな表情のぶちを前に、この時ばかりは「もっと
食べさせたい」と思った。

なんとか食べることができるようになったとはいえ回復には程遠く…もとよりそんな回復が
望めるわけもなく体調の波は大きかった。
残された時間が数日なのか、1週間なのか、もう少しあるのか…皆目見当がつかないがそれでも
ぶちの猫生だもの、ぶちのしたいように生きられたらいい 生きられるようにしようと決めた。

食べたがるものも食べられるものも日々変わった。
ダンナは喰いつきの良かったイカ風味のチュールをホムセンから買い占めてきたし、私は夜中で
あろうと欲しがる時にお気に入りのドライをカラカラと皿に出すのが仕事だった。小分けパックの
ドライは、都度フレッシュな香りが食欲をそそるのだろうね、喜んで食べた。
お刺身も焼きかつおもよく食べたなぁ。徐々に顎の力が衰えてかなり細かくしないと食べることが
難しくなっても頑張って食べた。
ダンナからもらったあとは、私の方を向いて座って「おまえからはまだもらってないぞ」と
言わんばかりの態度で(笑)じっと見つめた。
私が2Fへ上がると、だれよりも先に起き上がって待っていた。ヘトヘトになって帰宅した
深夜にはおぼつかない足取りなのに、階段まで迎えに出て来てきてくれた。
夜中にお腹が空くと、きまって前足でそっと私の頬をさわって教えた。
私の枕がお気に入りで、毎晩1人と1匹で取り合った(笑)
ダンナの晩酌の酔いが回るころそっと体に寄りかかって眠るのが好きだった。
                
一番最初に陽が差し込むリビングの出窓がぶちの定位置で、最期まで大好きな場所だった。

2002年の春生まれの4兄妹だったがほどなくしろとぶちとくぅの3兄妹になった。
外暮らしをしていた3年の間にぶちも2回輪禍に遭った。幸いにも命を落とさずに済んだが
まっすぐなシマシマしっぽを失った。カラダはタイヤをすり抜けたもののしっぽが巻き込まれて骨折
そこから壊死が進み長かったしっぽの半分ほどが脱落した。骨がむき出しになったしっぽで
戻ってきたぶちの姿をはっきり覚えている。その後去勢オペ時に改めて断尾
けれどある朝、ぶちが興奮気味に咥えてきたものをみてさらに驚いた。それは脱落したしっぽの先
半分だった。「オレね、持って帰ってきたよ、しっぽ! つけてくれる?オレのしっぽ!」

そのしっぽは新聞紙に包まれ乾燥剤を入れた缶の中で16年の時を経て
ぶちと一緒に青い空へ上っていった。

キャットステップに上がることもなくなって、走り回ることもなくなって、ゆっくりゆっくり
歩いていた。
6キロ近かったカラダがどんどん小さくなり、寝ている時間も多くなった。
それでもね、ぶちの存在は大きかったんだな。
そんな小さな小さな姿がなくなっただけなのに、どうしてこうもこの部屋が広く見えるんだろう。


動物には治療の意味が分からない。ましてや望んで治療を受けているわけでもない。
治ってほしい、失いたくない。時間もお金もいくら費やしても構わない。その気持ちは否定しないし
その価値もわかる。
けれど、ともすればそれは飼い主のエゴだけで苦しみを長引かせることになりはしないのか。
それを考え続けたこの4年間だったと思う。
低空飛行ながらもぶちが存えている間に、ちびが逝き、もじゃが逝き、ウォルが逝った。
たくさんの決断をしていく中で、治療よりも大切なことがあるんじゃないかと思った。
治療よりも大切で、飼い主にしかできないこと
「どこよりもだれといるよりもココチヨイこと」それは飼い主と過ごす時間以外にないだろう。
動物は共に生きてくれるだけで、誰かのために生きているわけではない。その子の命の時間を
慈しむことの意味をこれからも考えたいと思っている。



あの日、しろに連れられて初めて越えた自転車屋さんの屋根の向こうに新しい世界が開けたように
しろと一緒にまた屋根を越えていくんだよ。今度は、あの屋根の向こうの虹の橋へ。
猫の神様に逢えたら真っ先に、あのしっぽをつけてもらうの、忘れちゃだめだよ。
           

ぶっちゃん、一緒に暮らしてくれてありがとう。楽しかったよ、だから、またね!

今年もくろくろちゃんのパパとママからクリスマスプレゼントが届いたよ。
くろくろちゃんに逢ったら「ありがとう」って伝えてね。

さすがにちょっと焦った近況を垂れ流すw

2018年11月17日 | つれづれの日々
昨夜からグッと冷え込みが強くなってきた。もう11月も半ばだもんね。
私はと言えば…相変わらずの毎日。景気が良くなると介護業界は人手不足になるというがまーさーにーそれ。
さすがに猫の手は借りれないので、介護にナースの手を貸す始末。いや…ナースもギリギリなんだけど、
そこはもう致し方ないというか…。
求人は出してるみたいだけどね、ホントに集まらないし、簡単に辞めていく。
そんな先の見えない日々の中、深夜PCを開いたまま椅子に座ってうたた寝してしまったワタシ。
左腕がストンと落ちる感覚で目が覚めた。時計を見ると20分ほど経っていた。あ…寝ちゃったんだ…と
思った次の瞬間、左手の異常に青ざめたわけよ。
手首から先がダラーン、下垂したまま動かない。親指と人差し指はほとんど動かず運動麻痺。
そして部分的な感覚麻痺もある…。どうした…どうしたワタシ…???
突然の出来事に結構狼狽しながら、でも必死に考えた。出血か梗塞を起こしたか?
いやいやいや…少なからず意識は明瞭(自分で思ってるだけかもしれんがw)肩も上がるし
下肢や左顔面の麻痺もない。
感覚麻痺は親指と人差し指周辺だけの限局性でその他の感覚はまず正常のように思えるし。

それでもんどん上がる心拍数。
冷静に分析しようとするワタシと病気だったらどうしようと焦りまくるワタシのせめぎあい。

ひねり出した結論は…これはどうやら脳血管系の問題ではなさそう。…てことはだな…アレか。
やっちまったか。。。
それは…

橈骨神経麻痺(Saturday night palsy:土曜夜のマヒ)は、とても艶っぽい名前がついています。
その名のとおり、恋人を腕枕して眠ると神経麻痺を起こしてしまうものです。この神経の麻痺では手の甲が
シビレます。しかし、多くの場合感覚の障害より、筋肉の麻痺が主体となります。筋肉は、前腕の手の甲側で
指を伸ばしたり、手首を反らしたりする筋肉の麻痺が起こります。手首を反らす筋肉がうまく働かないため、
指を曲げる筋肉は麻痺していないのに、ものをうまく握ることができなくなります。


wikiによれば
橈骨神経麻痺は、ハネムーン症候群(honeymooner's palsy)、サタデーナイト症候群(Saturday
night palsy)とも呼ばれる。
原因としては上腕骨外果骨折、うたたね、注射などがある。
症状は下垂手(英語版)(垂れ手)。回外運動不能、手関節・手指伸展不能、手根・指屈曲位などの
運動麻痺。上腕前腕の背面、手背橈側半の皮膚の知覚異常。


なんだか色っぽいシチュエーションてんこ盛りの症状なんだが、ワタシの場合そんな話でもなく(笑)
どうやらうたた寝したとき、椅子の背もたれかひじ掛けで神経を圧迫しちゃったらしい。
で、こんな有様。
                

一晩経っても症状は殆ど改善されないまま。でも人手不足の日曜日。急外に駆け込むわけにもいかず。
しっかし何が困ったって…坐薬が持てない、入れられない。で、たまたま一緒に勤務だった施設長兼
看護部長を使い倒すワタシw
おまけに間の悪いことに、夜になって利用者のひとりが突然の高熱とその後に血圧が急激低下。
点滴開始の指示が出たけど、手首は相変わらずグラグラで輸液の準備もままならず。
てか、ちょっとーどうやってラインいれるのさ!入れられるのかー???の緊急事態。
それでもナースはワタシしか居ないわけで。
ビビる介護スタッフに力を借りながらほぼ片手でラインを取るという…ね、荒業(笑)
翌日、ようやく整形外科に受診して、予想通りの診断をもらったわけ。
10分15分のうたた寝でも起こりえるので気をつけてと言われ、装具とビタミン剤で経過を見る事2週間。
親指にわずかに感覚麻痺が残るものの、日常生活や仕事に支障をきたすことはないレベルまで改善。
ここまで良くなれば、あとは時間の経過とともに元通りに治るとお墨付きをもらって(´▽`) ホッ
どーせなら、猫に腕枕して発症したかったわ!と笑えるようになった次第。
皆さまもどーかどーかお気を付けください。←おまいといっしょにすな!と言われそ。。。

ワタシの左手がなんとか良くなってきた頃、保護部屋ではニッキさんに異変が。
食欲が落ち、鼻水とくしゃみ。一見猫風邪。でも昨年の膵炎の初発症状もこんな感じだった。
…が、今回2日経っても嘔吐はなく、手持ちの抗生剤にも反応悪し。
なんかやだな…私のこういう勘は意外に当たるのだ。とりあえずニッキさんをキャリーにつっこんで受診。
脱水と貧血。
血算データでHt26.3%だが、脱水であることを考慮すればおそらく20%を切っているだろうということ。
白血球が23800↑とかなりの上昇が認められること。
これまでの経過で消化器症状が出ていないのならば、膵炎の再発とは考えにくいこと。
データ上ではCre1.3 BUN29と異常はないが、エコーでは片腎の萎縮が認められること。
そしてなによりもニッキさんはFIVキャリアであるということ。

猫風邪の感染が引き金になったのか、それとも免疫力の低下が猫風邪を呼び込んだのかどちらとも
分からないが、状況からみて造血機能の低下などFIVの関連症状が出始めているのではないか…との
診断だった。
いずれにせよ現状は、抗生剤と点眼で猫風邪感染の諸症状をコントロールし、食欲回復を期待する
しかない。多めの輸液を入れ抗生剤をもらって帰宅。

そして明日で1週間。ニッキさん、だいぶ食欲も戻ってなんとか復活の兆し(喜)
もちろん、貧血はそのまま(ひそかに進行中かも)だけれど、ね。
逃げ切れるかなーと期待してたけど、FIVの本気の追い上げが始まったらそれは難しいことだろう。
どちらにしてもワタシのできることなど決まっている。日々を楽しくおいしく心地よく。それだけだ。
大好きなもじゃと過ごしたこの部屋で、いつも通りに過ごしていこうね。

2Fの子たちにはホカペとエアコンとファンヒーター三昧でぬくぬくの季節が到来。
保護当時、ファンヒーターの音が怖くて仕方なかった子たちだとは思えない(笑)
            

日々波はあるけれど、穏やかな日々と陽ざしの中で過ごしているぶっちゃん。
朝、背中に水を背負うことが、たったひとつの約束。
            

                「蜻蛉のごと点滴の針を愛し」

↑猫友さんラインに添えられていた一句。まさにその身で命を繋ぐ蜻蛉。

            

                ぶっちゃん、今年もお庭に秋が来たよ

にゃん暑お見舞い申し上げます

2018年08月19日 | つれづれの日々
酷暑もひと休みなのか…それともガラリと秋に変わるのか?昨日の朝の涼しさには本当に驚いた。
空もこころなしか高くなった気がする。
もはや熱帯なんじゃないかと思うような暑い夏。でも季節は確実に移ろっていく。

忙しい生活には慣れている。けれど、この6月からのもうすこしで3ヵ月はカラダにもココロにも正直堪えた。
殊に7月…お看取りさせてもらった利用者さんは3人。皆それぞれの旅立ち…その道筋に関わらせてもらえたことを
感謝している。
中でもKさん…これまでもこれからもこれほどの強い印象を残した旅立ちの在り方はないだろう。

Kさんの最期の日々は、拒否の連続だった。全てのケアを拒否、介護スタッフが居室に立ち入る事すら拒否した。
介護スタッフは困惑し、それでもなんとかケアを受け入れてもらいたい…とみんな必死だったが、Kさんがケアを
受け入れた…いや…受け入れざるを得なかったのは、旅立つ日の朝、一度きりだった。
「せつないね」と声を掛けると小さく小さく頷いたけれど、とうとう最期の瞬間まで「苦しい」とは口にしなかった。
頑固でちょっとだけ被害妄想癖があって、他人と交わることが苦手な…施設生活においてはいわゆる面倒な入居者の括り。
でも時々見え隠れするユーモアや茶目っ気が憎めない人でもあった。
亡くなる2日ほど前、居室にいれてもらうことができた。「触らないで」ともう起き上がることもままならないのに言うKさんに
思わず話しかけていた。
「Kさん、すごいね。自分の決めたことをやり通すんだね。強いね。私はもうKさんの気持ちを邪魔しようとは思ってないよ。
でもね、Kさんに苦しい思いをして欲しいとは思ってない。だから本当に苦しくて助けて欲しいときは呼んでね」
すると思いがけず「そうだよ、強いんだよ。もう決めたんだから…。うん…でも、その時は呼ぶよ」と返事が返ってきた。
結局Kさんが「呼んで」くれることはなかったけれど。

七夕の夜 旅立っていったKさんの顔を見ながら思った。
嫌だから拒否してたのではなくて、自分の決めたことをやり通すための拒絶だったんだなと。

人は生きてきたようにしか死ねない けれどそれはひとりで生きてきた人は独りで死んでいくという意味じゃない。

自宅生活での様々なことを片付けて、この施設を終の棲家と決めて、そして自分が決めたように死んでいく。
本当の親子のように慈しんだ甥夫婦さえも近づくことを許さなかった。
世話をされるのが嫌だったのではなく、世話を掛けないで死にたかったのだと今は思う。

死は人生の延長線上にある、だから生きてきたようにしか死ねない。旅立ちの在り方は、究極のその人らしさ。


さて、この酷暑の中我が家の庭には新人さんが逗留中。

ごつつんごつつん手荒な頭突きで好き好き攻撃を受けても手を出したりしない包容力が、この庭に留まるためには
どうやら必要らしい(笑)思えばトラちゃんもかいせんくんもそうだった。
最初に「おあがんなちゃい」をしてきたのがミミだったのかちょびだったのか、はたまたココだったのか?その辺りは
皆目わからないがwww

            
現れた当初は顔ばかりデカい薄汚れた白キジ猫だったが、朝晩のてんこ盛りゴハンですっかりまーるく変身。
術前養殖もそろそろ完了かな。もう少しカラダに優しい気候になったらお約束のオペ予定。

件のかいせんくんは…1歩進んで1.5歩下がる始末で無念の後退。
流延やえづく感じも無いのだけど食思なし。この夏を乗り切れるのか…と一時は思ったほどだったが、お昼休みに
職場近くの商店街の魚屋さん迄走った甲斐があり、お刺身には好反応を見せた。そして少しずつ少しずつ下がった道を
また上り始めている。
ビビリっぷりは相変わらずで、さっきも新しいクッションに替えようとしただけで、大量のビビリしょんゲト。古いのを
取ったところだったので状況的にはまぁセーフ?しゃーしゃー言うだけで固まり切って動けないかいせんくんのお腹の下に
ペットシーツを差し込み被害を最小限に抑えつつ拭き掃除。しっこを吸ったペットシーツを引き抜きながら…拭いてみるか?
これだけ出たらもうしっこ出ないやろ?とかいせんくんのお腹の下に今度はウェットティッシュをつかんで自分の手を
差し込んでみた。しゃーしゃー言うけど拭けるわーこれ(笑)ついでにグルーミングしないので汚っこい背中も拭いてみた。
ま、ブロークンハートしちゃう前にやめたけど。
かいせんくん、私に威嚇は通用しないってそろそろ気づいた方がいいと思うよ。

            

拭いたけど…まだまだ汚っこいので控えめにフレームイン  ビビり倒したわりに、仲直りのお刺身はしっかり平らげたw
せっかく手にした家猫暮らし。でもまだまだ未体験ゾーンばかり。がんばれ、かいせんくん!目標:顔拭きだ!

            
二匹で顔出しショットを狙ったけどムズい  奥に小さく見えるのが、ホントはBigFatCatな…お嬢

            
ゴローちゃんも元気です。お尻だけインしてるぽぽのすけ。もはやデンジャラスなデカさ。

            

そしてスマホに突撃してきて一向に撮れないぽぽの代わりに…ネコ友さんちからLINEで送られてきた「ミイちゃん」
ぽぽのすけの兄妹 同じくデカくて同じ顔w


    

暑い暑い夏が、秋の風に吹かれて少しずつむこうへ追われていく。ぶっちゃん、9月がまた来るよ。

もうすぐ5月

2018年04月26日 | つれづれの日々
ひと雨ごとに緑が濃くなってくる季節。
今年はヒノキの花粉飛散量が多かったせいか、鼻も頭もすっきりしない日々が本当に長かったwもう何十年来の
花粉症なのだけれど歳をとるごとに症状が少しずつ変わって、ここ数年は喘息様の咳嗽発作に襲われることが
増えている。鼻水・鼻づまりで呼吸が苦しいのはもちろんせつないが、咳ってもうホントに体力を消耗するわ…。
そんなこんなで咳き込みながらこのところやっていたのは、いーまーさーらー感がハンパない「看護論文」
院内でのケーススタディ的なものはこれまでもやってはきたが、学会への投稿なんて…「はぁ?」な世界。異次元。
現在の施設の看護スタッフは、かつての上司でもある施設長がその人脈を駆使して集めたナース。つまり…私に
とってはみんな先輩で上司なわけだ。もちろんみんな歳を重ね、おばちゃんになり、昔のような緊張感のある関係性は
崩壊しているが、それでも基本的なところで上司は上司。染みついたナース世界のヒエラルキーには逆らえない。
「論文書いて投稿しなさい」と言われれば、やるんだよ。期待には頑張って応えなきゃいけない的な絶対的思考回路。
               教育ってホントに怖いwwwwwwwwwwwwww
…で、私と先輩2人の計3人はクソ忙しいのに、泣きながら2本の論文作成に追われているというわけだ。
そんな中、参考にしてみたら?と上司たちからアドバイスされたのはナイチンゲールの看護論。
あー遠い遠い昔、看護学校時代に読んだよね「看護覚え書」たしか白い表紙でさ…と3人揃って( ゚д゚)ポカーン
                      
                            「看護覚え書

あまりにポカーンとしている私に上司の一人が貸してくれたのが ↓ コレ(笑)

                      
                   「ナイチンゲール伝 看護覚え書とともに

でも、読み返してよかったなと思う。いやいやいや…ちゃんと覚えてなきゃダメだろー!ではあるのだけど。

ナイチンゲールの看護理論をザックリまとめると
すべての人間は、生命力・自然治癒力を持っている。
人間は、環境から影響を受ける存在である
自然治癒力を最大限に引き出すため、生命力の消耗を最小限にとどめるように整える必要がある。
人間の持つ力を最大限に発揮させることによって、良い状態を維持していくこと。
病気は、回復の過程である
全ての環境が、患者に影響を与えている。
    ということ。

そして看護覚え書の中でこう述べる。

看護は何をなすべきか-
看護とは、新鮮な空気、陽光、暖かさ、清潔さ、静かさなどを適切に整え、これらを活かして用いること
また食事内容を適切に選択し適切に与えること-こういったことのすべてを患者の生命力の消耗を最小に
するよう整えること、を意味するべきである。


適切とは、言い換えれば「ここちよさを感じること」であり「苦痛がないこと」だと思う。
つまり…ここちよい暮らし(環境)が、その人の生きる力を最大限に引き出す ということなんだよね。

TNRや保護を始めて十年以上が過ぎ、猫たちもみなそれぞれ歳をとり、その数が増加から減少に転じて久しい。
いろいろな形のお別れがあり、それぞれが愛おしい最期の日々。たくさんの葛藤や迷いや後悔を重ねながら
最期の日々にどう寄り添えばいいのかを考え続けてきたように思う。
ここちよい暮らしが生きる力を最大限に引き出すとしても、生きる力にとて限界がある。
飼い主はその子に「生きていて欲しい」から「生きる力の限界」から目をそらしてしまいがちだ。
けれどどんなに良いケアや治療を施しても、いつか生命力は衰弱し、生きる力には限界がやってくる。
生きる力の限界とは老衰と言い換えることができると思う。
目指すのはソフトランディング。ここちよい暮らしの中で生きる力を使い果たすまで生きて逝けること。


さて、件のかいせんくん。3歩進んで2歩下がったり、はたまた4歩下がったりw
ジスロマックでは口内炎のコントロールが難しく、結局現在はステロイドの内服に切り替えている。
  
              

一時はペースト状のものしか口にできなくなっていたが、ステロイドの食欲増進作用も手伝って今はドライも
コンスタントに減るようになってきており、状態は徐々に浮上中。…と思いたい。すごく思いたい。
ただ、まだ全然グルーミングが行き届くほどでもないし、殆どの時間を寝て過ごしているし…体力的には
ギリギリというところだろうと思う。が、鼻先に銀スプウェットを載せた皿を出せば食べ始めるし、途中で
食べやすいよう盛りなおすことも受け入れ、敷物を替える時にビビリションをすることも無くなった。
かいせんくんなりに、少しずつ(私を含め)環境に慣れて来ているように感じている。そうして痛いことも、
怖いこともひとつずつ少なくなって、ここが安心できるここちよい場所になるといいな。

4月も終盤。キジの声が響くようになったら孟宗タケノコはそろそろ終わり、いよいよ破竹の季節。

                  

                      

                ぶっちゃん、山の茶畑でお茶摘みが始まったよ。 もうすぐ5月。

今更ですが…今年もよろしく

2018年02月28日 | つれづれの日々
近頃、日々が過ぎるのが早くてねぇ…気づいたらネコの日に下僕はひとつ年齢まで加算されていた。
静岡では近年稀な雪が降ったり
         
なにかと落ち着かないことが多い毎日。

節分に今年一年の平穏を祈念。

         

         


仕事柄 年末も年始も関係なく働いているのはいつものことなのだが、今回の年末年始はなんというか
ハードだった。カラダはもちろんだが、若いて言うなら気持ちが…ということになるだろうか。
転職して丸一年。とても濃い経験ができた1年だったと思う。

介護付き有料老人ホームということで、その利用者さんのほとんどがホームでの看取りを希望されている
けれどその看取りの形はさまざま。
老衰という形での看取りもあれば、ガン末期などでend of life careを求めて入居される方も多い。
もちろん施設であって病院ではないのだからできることはごくわずかしかない。
「治療」「救命」という現場に身を置いたことしかなかった私には、回復期病院で感じた以上の気持ちの
行き詰まりがあった。
でも今は…ちょっと変わってきてるかな。

解離性大動脈瘤を発症し、緊急OPで生命の危険は脱したものの術後経過が振るわず廃用症候群となり
嚥下機能が著しく低下。リハビリ介入しても本人の意欲も体力もついていけずリハビリ否適用…
状態改善の見込みがない…という判断で施設入居になった。
入居時、3口食べれば2口誤嚥する状況で、摂取が許されているのはミキサー食や栄養補助飲料のみ。
それでもかなりの頻度でむせる有り様で、誤嚥性肺炎を回避するうえでは限られた形態の食事しか
食べられないのは明らかだった。
食べたいのに食べることを許されないことに本人は苛立ちを隠せず、家族に買って来てもらったという
クロワッサンの入った袋を抱えて硬い表情での入居だった。ご家族も対応に苦慮、疲労困憊していた。

さてどう対応していくか…誤嚥性肺炎を招かず、尚且つ少しでも心穏やかに過ごしてもらえる策は
ないものか…看護も介護も一緒になって考えること数日。硬い表情は解けず、声を荒げることもあった。
けれど関わりの中で次第に利用者さんの「人となり」が見えてきた。
病気を発症するまで地域の代表として働き、震災の折には被災地へも赴いたというその方はきっと
つよい意志と自分の在り方を持っているのではないか?

          「死んでもいいから、食べたいと思うものを食べたい」

それが答えだった。自分のend of lifeの在り方は自分で決めることができなきゃいけない。
ならば…徹底的にその意志に寄り添うことが私たちのすべきこと。救命を目的とする病院では決して
許されないが、ここでなら…できる。
ご家族も「お父さんらしいね」「それが満足する生き方ならいいと思う」と。

ご家族にも協力していただき、様々なものを差し入れていただいた。
食べたい!と抱えていたクロワッサン、大好きだと言っていたクリームパン。
体調を心配したご近所さんからいただいた大きな蜜入りリンゴ…。
もちろん姿勢や小さく切るなどの配慮は加えさせてもらった。でもなにひとつ食品食材の排除はしなかった。
飲み込めなければ出せばいい。むせてしまったら吸引しよう。
          「食べたいものを選び、口に運び、咀嚼し、味わって」もらおう

ナースのいない夜間は飲水用のゼリーだけ。これが唯一のルール。「わかった」と了承して、遅番の
ナースが仕事を終えるころ毎晩きまってコールを鳴らした。
          「アイス食べたい」
ひとさじずつゆっくりゆっくり味わって
          「うまいなぁー」「うまいなぁー」と言って笑った。
          「ありがとな…」亡くなる前夜、そう付け加えてまた笑った。

看取りの主役は「死に逝くその人」だ。けれど看取らせてもらう側もまた、その姿を自分に置き換え自分自身に問いかける。
自分はどんな風に逝きたいか、どんなふうに看取られたいか。
それを考えたとき、死に逝くその人に寄り添うこと…が少しわかった気がする。

今はもう廃版になってしまった(タイトルを変え追加編集後発売されているらしいが)
下田治美さんのエッセイの中でハルさんは息子の龍之介君にこんなふうに問いかける。(あくまでも怪しい記憶による雰囲気でw)
「ハルさんが死んでしまうとしたら君はどう思う?」
龍之介君は答える「ゴハンが食べられない、洗濯してもらえない…」
そんな龍之介君にハルさんは畳み掛ける「君は自分のことばっかりだな。死んでいくハルさんがかわいそうだとは
思わないのかい?」

誰かの死を目の当たりにするとき、それが近しい人であればあるほど大きな喪失感や失うことへの不安を覚えるものだ。
そして大切な人を失う自分の悲しさや寂しさに囚われてしまう。
看取りはその人に寄り添い、ともにその人の人生を慈しむことだと思う。
看護学校の卒業時…彼此30年ほど前になるが、自分の看護観を書く機会を与えられた。
その時書いた私の看護観は「その人の可能性を信じること」
当時の私はたぶん「生活を取り戻す」ことへの可能性を信じるという意味で書いたのだろう。
齢を重ねて今は少しだけ違う。
その人が「今をよりよく生きて逝ける」その可能性を信じて寄り添うこと そんな風に思っている。


さて、そろそろ家猫生活も板についてきたんじゃないかと思われているだろう(←そうかーあ?笑)「かいせんくん」
期待の斜め上を行く塩対応…板をひっくり返しておりますわ。オペ&保護時は鷹揚な子なのだろうと思ったものだが、
いやいやいや…相変わらずのしゃーしゃーっぷりwww加えてもんのすごい「ビビリ」だということが判明。
ケージの上段の敷物を交換しようとするだけでじょーじょーじょー…とビビリしょんorz
今や私が保護部屋にいる気配がする間は、決してゴハンも食べない。うっかりトイレ中に訪室しちゃうと、トイレの中で
ゆうに30分は固まる始末
早くケージから出してあげたい…と、陽当りのいいふわり部屋に移動させたものの、これではおそらくケージフリーにしたら
ひたすら逃げ惑うか、寒ーい隅っこに固まるか…のどっちかだわ。
それでもケージよりいいだろう…と追加のアドバンテージプラス滴下の予定を立てた頃、かいせんくんが食べなくなった。
水も飲まない。
強烈な臭いの涎が増え、前足も敷物も汚れてきた。おそらく口内炎が悪化したものと思われた。
ope時に口腔内を確認してもらった際は、それほど大きな問題はなかったはずだ。が、思い起こせばあの頃は、疥癬の悪化で
掻把した皮膚が感染を起こさないよう抗生剤を継続的に投与していたんだった…。
しかしながら、このビビリっぷりでは継続的な通院は難しいし、それ以前に診療そのものが無理だろうし…。前回のオペ時に
麻酔導入で呼吸停止したという状況では、抜歯はおろかレーザー蒸散もハイリスクだ。ベースにFIVがある以上、今後も悪化と
軽快を繰り返すのは必至。結局、投薬でコントロールするしかない。
とりあえず痛みを抑えるために数日だけステロイドを使った。
食べないけど食べたくないわけじゃない。こんな時の「銀スプ」ウエット。大好物だけに、頑張って食べてくれた。よしよし。
ステロイドが効いて痛みが軽減、食欲も上がってきたところでジスロマックへ切り替えた。
          
1Wほど前の1ショット。今はもうちょっときれいになってるかいせんくんだ(笑)ウェットはコンスタントに入るようになり、
足りない分はドライを口にするようになってきた。まだまだ臭いはきついが、涎の量も減ってきた。
もう一息。気を抜かずにもう一息。

保護部屋の窓から見える畑で、豆の蔓が空へ向かって伸び始めるころには、かいせんくんもケージフリーになれるかな?と
ひそかに期待してみる私だ。

ぽぽとゴローも元気に減築中w


2Fのネコ部屋では4匹のまったり生活が継続中。

          

ぶっちゃん。畑の河津桜が咲いたよ。明日から3月。

今年もお世話になりました

2017年12月31日 | つれづれの日々
今年も残すところ数十分となってしまった…ああ最後までこんな感じww

サボってばかりのダラダラブログに足を運んでくださったみなさま
今年もお世話になりました。来る2018年も変わらず見捨てることなくよろしくしていただきたい…と
切にお願い申し上げる次第…。



小さな奇跡の積み重ねが
昨日を今日に、今日を明日につないでくれているということ
あたりまえの明日などないのだということ

だから今ここにある「生」抱えて、をひたむきに生きていけばいいのだということ


今年も猫たちが教えてくれました。



みなさまの2018年が輝かしい一年でありますように。
一年間ありがとうございました。そして次の一年もどうぞよろしく。