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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

2009-11-30 10:32:01 | Weblog

「ノブの日記」 のタグをクリックお願いします!!

     「怨」

きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!

「日の丸」・「君が代」反対!!

(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」

(昭和天皇の戦争責任を問う。)

(時効なき戦争責任)



『死の工場』(隠蔽された731部隊)
(シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳:柏書房)

日本語版前書き

戦後の倫理的退廃

 後に、元細菌戦部隊の研究者たちは、予研から退職あるいは在職中に死亡したが、しかし、彼らの研究方法は彼らが予研を去った後も長期にわたり継承され続けたと言わざるを得ない事態が起こる。インフルエンザのワクチンは許可されていたけれども、インフルエンザのワクチンの集団接種を学園児童に義務付けたのである。研究者の発表によれば、1971年から1980年までの10年間で、これらの実験により2万人以上の幼い児童が犠牲になったということだ。
 予研がその義務と基本的科学倫理を犯した例で、最も恐ろしい事件が1982年に起きた。予研の幹部は、アメリカのCDCから、非加熱製剤を使えばエイズウイルスに感染する可能性があることを警告されていた。しかし、この警告は無視されたのである。予研が最も重きを置くのは、いかにすれば日本の製薬会社の貪欲さを満足させることができるかということであり、生きるために輸血を必要とする人々の健康や幸福のことなどは念頭にはなかったのだ。予研が基本的な予防措置を怠ったために、何千人という血友病患者たちが死亡するか、あるいは重病をこうむった。(明日に続く)

※社会的に大問題となった薬害エイズ事件にも731部隊の影響があった!!

戦後補償
戦後補償裁判の成果を全面解決の戦いにどう生かすか(Suopei №66より)
                         松岡 創(弁護士)
 ・・・・これまでに20件以上の強制連行裁判が行われてきたわけですが、福岡訴訟第1陣の裁判官は、裁判を重ねるごとに態度が変わっていきました。裁判官は一生ののうち2回心からの判決を書くと言われています。この裁判官はこの判決を書くとき、手が震えたといいます。
 長野の1審の裁判官もそうです。本当は勝たせたい・・・・。悩みを持った裁判官もいます。
 最高裁判決では訴求権はない、となりましたが、このままでは許せないということで、私たちが付言と呼んでいる「当事者同士の解決」に言及したのです。その後、福岡高裁、宮崎の高裁などが「解決への期待」を表明しのたです。
 中国人の強制連行は4万人といわれています。38935人ですが、中国の港から出発した時は39385人です。途中の船で、港で、列車で亡くなり、事業所が受け入れたのが、先の人数です。そして6800人以上が事業所などで亡くなっています。
 今後どういう解決をしたらいいのでしょうか。例えばスペインでは「歴史記憶法」が制定され、独裁者フランコの銅像を壊すなどの動きがあります。ドイツでは「包括的名誉回復法」が制定されたといいます。ヨーロッパにはこういう動きがあります。日本では全くありません。 日本の企業はどうかというと、三菱マテリアルは、和解したいという姿勢です。法的安定性を求めています。三井は、国が変われば・・・、と言っています。西松はかたくなに和解を拒否していましたが、不祥事があり、全役員が交替しました。そして「解決したい」と言ってきました。西松は2つの現場があります。広島の安野に360人と、新潟の信濃川に183人です。それぞれが別の裁判を起こしていました。
 中国の中でも動きがありましす。全国人民代表大会でも意見が出されるようになっています。政治的解決に道が拓かれてきました。
 今、この日本で民主党が政権を取ったことの意味はとても大きいです。鳩山氏はアジア重視、東アジア共同体、中国・韓国との友好を言っています。私たちはこれに働きかける必要があります。それが市民運動の進むべき方向です。 

南京大虐殺
     

「この事実を・・・・」


(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

謝大珍(女、57歳)の証言

 1937年の暮れに、日本軍が南京を占領した時、9歳になったばかりで、牌坊街東頭に住んでいて、父は両方の目が見えませんでした。父と母と弟に妹に私の、一家5人が、一番上の伯父が肉を売っていたお陰で私たち貧しいかつかつの生活を維持していました。
 ある日、私と妹が家で眠っていて、父が幼い弟を抱いてベッドに座っていました。不意に私は、日本兵が何人か、軍刀を腰にさげ、銃を手に持ち、威張り散らして家に向かってくるのを見かけ、恐くて大急ぎで伯父を探しに裏門の外まで走って行きました。日本軍が門から闖入してきて、あばら家の中で戸棚を倒し箱をひっくり返し、箱の中に伯母の孫娘の写真を見つけたのです。そこで、彼らは両眼失明している父にホアクーニャン(=若い娘)を探せと脅迫しましたが、一体どこから来たホアクーニャンを彼らにやれるでしょうか?日本軍はその場で父の懐にいた小さい弟をつつき殺し、そばに立っていた母と妹も等しく殺害の憂き目にあい、父も頭に1太刀刺され、痛くてがたがた震えていました。日本軍が行ってしまった後、父は日本軍が又来るかもしれないと、痛みを負いながら屋外へ這い出しました。後に父は日本軍に刺された傷と家族が罪もなく殺されたのとで、何年もしないうちに死んだのです。伯父と私は家に行ってその悲惨な場面を見せつけられ、頭を抱えて大声で泣き、じだんだを踏み胸打ち叩いても、天地に誰一人応じる者無く、ただ身も世も無く泣き続けるばかりでした。伯父は涙をためて母と妹と弟とを大きな木の下に葬りました。一家5人の内で、私1人だけが幸いにも難を免れました。伯父は年を取っていて、私を扶養する力はなく、私は売られて幼いいいなずけ(許嫁)になるしかありませんでした。今も、私はこうした肉親を失ったことで、しょっちゅう心を痛めて泣いています。
(湯雲龍と劉興林が記録)


南京大虐殺に加わった元陸軍伍長栗原利一さんの息子さんから大変貴重なコメントを頂いた!!
本当にありがとうございます!!「南京大虐殺」の真実が日本人の1人でも多くの方に理解していただけたらと強く思います!!以下:コメント


南京大虐殺は世界的に誤解されています。 中核的な出来事は南京陥落時の城外における大規模
な捕虜の殺害です。 父親(栗原利一)のスケッチブックでも7万余人と書かれています。 非戦闘時の7万余人の捕虜の殺害ですから、当然、日本陸軍が軍の組織として行なったものです。 捕虜の多くは蒋介石軍兵士などです。 ただ、中国側の言う30万人説は戦闘時の犠牲者も含めた数として合理的な数です。 昭和12年7月の南京の人口は135万人です。 11月末の人口は50万人で、これに南京防衛軍15万が加わった65万人が日本軍の攻撃に晒されました。 否定派の言う20万人は逃げ場の無い貧民の数です。 小平市の警察学校と小平団地を合わせた(昔の警察学校の広さ)10万坪の安全区に押し込められた貧民の数です。 (65連隊のシャーカンおける2千人斬首は父だけが日本側の証人です。名古屋市の河村市長は無知なだけです。「ジョン・ラーベ」は城内での出来事しか書かれていないので日本人には誤解を与えます。)

※日中戦争は、戦時国際法(戦争法)として国際慣習法が条文化されたハーグ陸戦条約に拘束されていた。同条約は、国家間の戦争を合法としながらも、国際人道法の理念からその惨禍をできるだけ軽減するために、直接の戦闘外に置かれた者の苦痛や殺傷を防止しようとしたものだった。そのために、戦争の手段と方法が規制され、非戦闘員である文民及び非軍事目標への攻撃を禁止し、さらに戦闘員を人道的に保護するために、直接の戦闘外におかれた捕虜、投降兵、敗残兵などの殺傷も禁じられた。捕虜についてはその保護と待遇改善を一層明確化して存在した。(日本は調印したが、批准はしなかった。しかし、欧米に対しては「同条約の規定を準用する」と表明した)。【『南京事件』:笠原十九司著:岩波新書】より

またまた、核心さん(栗原利一さんの息子さん)より、参考になるメールを頂いたので紹介したい。なぜ、日本は歴史を改ざんするのかがよく分かる!!

核心 2009年11月26日 18:12
「戦史叢書」と南京大記念館の差

結構知られているようなのですが、防衛研究所戦史部が南京を否定するのは、GHQのGSとG2の占領政策の違いから来ています。

この戦史部OBで終戦時少佐の森松俊夫氏が2006年に親父(栗原利一)のスケッチブックの破壊工作を行なって失敗しています。
(この方は、偕行社にいた時に東裁判を計画された方でもあります。)

以下は「加害と赦し、南京大虐殺と東史郎裁判」の中の吉田裕氏の論文の抜粋です。

防衛研修所戦史室の源流

...この資料整理部の前身は史実調査部、さらには史実部であるが、一貫してその中心的地位にあったのは、元陸軍大佐の服部卓四郎だった。
服部は、タカ派で有名なGHQ参謀第二部(G2)部長の、C.A.ウィロビー少将の援助の下に、周辺に旧日本軍の幕僚将校を集めて「服部グループ」を結成する。
占領中から、秘かに再軍備計画の研究にあたっていたのは、このグループである。

...戦史室編纂の「戦史叢書」が、旧軍の立場を代弁する弁明史観的性格を色濃く持たざるを得なかった...
栗原利一資料集

お知らせ
■ 南京・史実を守る映画祭 ■
(転載)
http://jijitu.com/filmfestival2009/  
○日時 2009年12月13日(日) 10:00開場
○場所 東京都世田谷区区民会館ホール
○料金 前売券900円、当日券999円。
1作品ごとに入れ替えを行います。前売券の購入方法は下記のURLをご参照ください。
http://jijitu.com/filmfestival2009/2009-09-28-06-41-10

○プログラム・上映作品
10:30-『南京』(88分)
13:00-『アイリス・チャン』(103分)
15:00- シンポジウム
  ※ゲスト:鈴木邦男さん、武田倫和監督さん(詳細はHPで)
  ※映画祭チケットご購入のすべての方が入場いただけます。
16:30-『南京・引き裂かれた記憶』(85分)
18:30-『チルドレン・オブ・ホァンシー 遥かなる希望の道』(125分)

主催:南京・史実を守る映画祭実行委員会
お問合せ:nankin-eigasai-owner@yahoogroups.jp


「南京大虐殺」と聞いて、どれだけの人々が具体的に事件のイメージを語ることができるでしょうか。日本では、南京大虐殺という事実は、公の場であまり語られることはなく、学校教育でもほとんど取り上げられず、どこか、事件に触れることがタブーであるかのような空気が作られているようでもあります。

 事件をめぐっては、戦後になっても何度かの裁判が提起されてきました。その中には、事件の証言をする人々に対する「偽者」呼ばわりがきっかけになったものも多くありました。
 中国人の被害者である夏淑琴さん、李秀英さん。事件そのものの証言を報じた本多勝一さん。

 事実は必ず勝つ、という言葉のとおり、これらの裁判では真実が勝利し、事件はなかったとする人々の主張はすべて、疑似科学や単なる読み物レベルの俗論に過ぎない、ということが白日の下に晒されてきました。

 しかし、事件はなかったとする勢力が沈黙することはなく、それどころか、事件について公の場で触れることそのものにまで、攻撃の手を伸ばしてきました。

 事件を描いた「南京1937」は、その上映が右翼によって暴力的に妨害され、上映する劇場のスクリーンは、右翼によって切り裂かれました。

日本の大手映画会社によって、日露戦争や太平洋戦争の映画が次々と作られる中にあっても、日本軍による中国大陸での残虐行為を描いた映画はほんのわずかしかなく、南京大虐殺を描く映画は皆無、という状態です。

 この間、諸外国では南京大虐殺をテーマにした映画が数多く制作され、公開されているのに、事件の当事者である日本の国内では、南京を描く映画は作られていないのです。

 映画【靖国】の上映に至るまでの経緯を振り返るとき、このような状況は「暴力と、それを恐れるが故の自粛」によってもたらされる、言論の自由の危機だとはっきりいえます。これは、断じて容認することはできません。

 そこで私たちは、映画配給会社がやらないのなら私たちがやってしまおうと決意し、南京大虐殺をテーマとする映画を集めて映画祭を開催することにしました。
 ぜひお越しください。


■第17回 川崎・横浜「平和のための戦争展」■(転載)
戦争遺跡を地域の文化財に

見て、歌って、考えて。
今年の戦争展は、こころとからだを通して、参加者のみなさんとともに戦争と平和について考えたいと思っています。今年は、アジア・太平洋戦争が終結してから64年。 戦争の記憶をどう受け継いでゆくのか。「継承」があらためて問われているといえます。
心に平和の歌を刻みながら、「戦争遺跡を地域の文化財に」という切り口で、戦争を「継承」するうえでの課題に迫ります。お気軽にご参加ください。

期日 2009年12月5日(土)~6日(日)
場所 川崎市平和館
http://www.city.kawasaki.jp/25/25heiwa/home/htm/kotsu.htm

■第1日目 12月5日(土)
13:00~15:00  文化行事
「くちびるに歌を 心に平和を」
歌うのは貴方、聴くのも貴方!
アコーディオンとピアノ伴奏つき。
展示見学を兼ねてご参加ください。
(友情出演 合唱団「白樺」 ほか)

■第2日目 12月6日(日)
10:00~12:00 若者の発表
「戦争の記憶をどう引き継ぐか」
13:00~15:00 シンポジウム
「戦争遺跡をいかす平和ミュージアム」
パネリスト
姫田光義さん(中央大学名誉教授)
山田朗さん(明治大学教授)
新井揆博さん(戦争遺跡保存全国ネット)
司会
渡辺賢二さん(明治大学講師)

<主 催> 川崎・横浜「平和のための戦争展」実行委員会
(代表)姫田光義 (副代表)大西章・渡辺賢二・新井揆博
(顧問)白井厚・須田輪太郎
<後 援> 川崎市
<連絡先> 亀岡敦子  045(561)2758

●『陸軍登戸研究場見学ツアー』(転載)

●日時:12月20日(日)10時
●集合場所:小田急線「生田駅」前集合
●見学後、明大食堂で姫田先生のお話
●参加費:無料
●主催:埼玉9条連・川崎9条連「共催」
◆『フィールドワーク・陸軍登戸研究所』
http://www.book.janjan.jp/0909/0909069848/1.php

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