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●日航機墜落から33年!!日本政府はきちんと情報開示せよ!! ●2018 所沢 平和のための戦争展 ●2018 所沢 平和のための戦争展 ●今も残る戦争被害~旧日本軍による遺棄毒ガス事件~ 日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!! 『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より 第1章 「陸軍科学研究所」-日本の毒ガス兵器のゆりかご 化学兵器の研究 初期の陸軍科学研究所は固定した所在地がなく、その下にはただ、物理、化学の2つの課があり、物理課は火薬方面の基礎的な研究を行ない、東京の砲兵工廠内に設けられ、化学課は板橋の火薬制作工廠の中にあって、化学毒剤の研究に従事した。元「臨時毒ガス調査委員会」の専門メンバーの大部分はここに入り、朽木は少将に昇進し、課長となった。久村種樹も赴任して研究室の主任を担当した。 日本鬼子のおきみやげ 初めて知った戦争(毒ガス) 瀬戸内海の「毒ガス島」はいま――加害の歴史語り継ぐ人々 藤井ヨシカツ(ふじい・よしかつ) 秘密を守るため、島は地図から消された 大久野島毒ガス資料館。「戦争の加害の歴史も展示した全国でも珍しい資料館です」と山内さん 「語り部は単なる観光ガイドじゃない」 初代館長の遺志を引き継ぐかたちになった山内さんは、いま、何を考えながら活動を続けているのだろうか。 取材中、山内さんは「今後についてはいくつも不安があります」と口にした。資料館の運営は竹原市。「島の遺跡がどんなに重要か。それを行政の担当者に分かってもらうまで、何回も話し合います。やっと分かってくれたと思うたら、担当者が転勤していくんですよね。で、また新しい人が来る」 その時々の担当者によって運営方針が変わり、一時期、加害の展示が大幅に縮小したこともあるという。それでも、双方は折に触れて話し合い、議論を切らさなかった。 ●京大 軍医博士論文の検証 ●731部隊『留守名簿』公開 ●ある元自衛官の回想 「化学学校の黒い霧」 ・第5回 自衛隊の弾薬、毒ガスの管理状況は?自分が現役の時代、事務所の机の中に催涙ガス10本位置かれていました(管理簿に載っていない毒ガス)。普通は弾薬庫の中にあるはずなのですけど?残念ながらこれが自衛隊の現状です。又、弾薬庫も完璧に警備はされていません。おそらく、自衛隊の現状を考えると警備の隊員も減らされていると思われます。実は、那覇空港の滑走路のすぐ隣も弾薬庫だらけです。 ・数日前、那覇空港の中まで機関銃の音が聞こえました。空港の出口正面は訓練場です。 ・第4回 「陸上自衛隊化学学校にはガス専用の訓練施設がありました(ガス訓練室)。隊員達はだれとなく「ガス室」と、呼んでいました。昔、開発中の新型防護マスク4型の実用試験に隊員達10名位がモルモットとして、この試験に参加させられました。もう…時効です。農薬(毒ガスによく似た)の充満した部屋に防護マスクを装置して部屋のなかに…隊員が我々はモルモットか?と、叫んでいました。化学学校の研究員2名が実験の担当者でした。陸将補で退官されたと記憶しています。 ・第3回 数年前読んだ下里正樹さんの(オウムの黒い霧)の本にオウムにサリンの製造技術を教えた化学学校所属の自衛官(防衛大学校32期:二等陸尉)がいたことが書かれていました。しかし、自分の記憶では二等陸尉(平成七年、十数名がいた)にオウム入信していた幹部自衛官は記憶がありません。ただ、二百名の隊員のなかに自分のかすかな記憶では一人だけ、当時社会的問題を起こしていた宗教に入信していた幹部自衛官がいました。毒ガスの専門家でサリン製造の中枢にも配属されていた幹部研究員です。 ・第2回 昔、陸上自衛隊化学学校では、勤務中に医薬品を作っていました。市販の医薬品は必ず成分:分量(重量%)を記入してあります。その為合成は簡単です。実験室なので薬品も無数にあります。ただ、薬品の私的流用は駄目です。この不正行為は氷山の一角です。是非、陸上自衛隊化学学校を取材してみて下さい。 ・第1回 化学学校の誰かがオウムにサリンの製造技術を教えた…?地下鉄サリン事件の一年~三年前、サリン製造の中枢(装備研究科)に一人の幹部自衛官が配属されていました。この幹部自衛官は当時宗教(Tという普通の宗教ではありません)に入信していました。普通はこの様な人物は研究科に配属されることはまず(100%㌣)ありません。自分も当時この人事にビックリしました。何か特別な事情(本人の希望等)があったのかも知れません?平成五年頃、陸上自衛隊化学学校の情報はオウムに筒抜けだったと思います。 ・平成14年頃の体験談(陸上自衛隊:後方部隊)です。トラック二台ぶんの廃棄物の調達要求書がきていました。中身は使用不能になった衣類(戦闘服等)です。トラックを確認すると、一台で十分積載できる量でした。一台ぶん50万は何処に?…特に年度末に見られます。又、入札を随時契約にするよう頼まれたり…自衛官もアルバイトで大変です。 ●ニュース 玉城デニー氏が立候補表明 オール沖縄が支援の見通し 【沖縄県知事選】玉城デニー氏が出馬表明「翁長知事の遺志を継ぐ」- 立憲民主、国民民主も支援へ 患者死亡、病院は警察に報告せず…医師法抵触か 無断で障害者算入・甘すぎる確認 法令無視した官僚たち <地上イージス>秋田県知事「住民には心理的でなく物理的負担だ」懸念改めて伝える トランプ「押し売り」 安倍「爆買い」ウィークエンドニュース 2018.8.24 オスプレイ反対!! (時時刻刻)オスプレイ、いきなり合意 地元反発する中、佐賀知事表明 オスプレイ配備受け入れ “着陸対価”は100億円 (社説)障害者雇用 信頼裏切る水増し疑惑 【金子勝】おごるな自民党!総裁選の争点が異常!自浄能力の欠如露呈!! 2018年08月20日 玉城デニー議員 インタビュー 核廃絶、世界で訴え ピースボートが横浜帰港 オスプレイ佐賀空港配備計画、魚への水中音影響「不明」 漁業者ら「再調査を」 防衛予算5兆2986億円 概算要求 過去最大、7年連続増 <海自>護衛艦3隻、インド洋に長期派遣訓練 <精神疾患>50年以上の入院1773人 全国調査 萩市・配備計画のイージス・アショアについて国から回答 金子先生が斬る!膿だらけの日本 「娘に顔向けできないから」 東京医大の入試不正、弁護団が電話ホットラインを開設へ 松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示 旧優生保護法訴訟「人を人とも思わない法律」 国側は争う姿勢 真相を解明していないからこうなるのだろう!! オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活 イージスにお金をかけるより防災にお金をかけろ!! 陸上イージス、2基で6000億円超 防衛省試算、施設費含め想定の3倍 不可解極まりない「時代遅れのAAV-7」大量購入 【日本共産党】たつみコータロー参議院議員にきく「森友文書、地震・豪雨災害、カジノ問題」 加計問題はまだまだあった!! しかし、翌5日に、野党が文科省のヒアリングを行った時、ある事実が明らかになった。 それは、文科省前局長が東京医科大学に便宜供与した「私立大学研究ブランディング事業」の助成対象に、加計学園系列の千葉科学大学と岡山理科大学が選定され、しかも、募集要項に書いてある2千万~3千万円という金額よりもはるかに多い金額の補助金をもらっていたということだ。選定されたのはこの事業が始まった2016年度で東京医大は落選した年だ。198校中40校、約5倍という難関をパスしたのだ。実は、この事実は、17年12月に東京新聞が報じていたのだが、その時は、事業選定に疑いをかける根拠がなかったので、他紙は追随せず、ほとんど知られずに葬り去られてしまった。 古賀茂明「西日本豪雨でも酒宴 火事場泥棒の安倍政権が民主主義を破壊」〈dot.〉 新たな安倍案件 文科省受託収賄事件に加計学園が2校 逮捕された文科省局長は安倍政権に近い官僚だった! 裏口入学の交換条件の支援事業に加計学園も選定 加計学園に国民の血税投入の新疑惑! 新規補助金交付40校中2校が加計経営の大学、特区諮問会議の決定直後に 文科省局長逮捕とオウム死刑執行に引っかかるのはなぜか オウムの麻原、井上、土谷、新実ら死刑囚の最期の瞬間「その後、仕事できず」と検察幹部〈週刊朝日〉 加計問題はまだまだあった!!加計学園に注がれる血税!! 南北朝鮮の宥和・協調が進んでいる中、防衛費・原発・加計より、西日本豪雨災害にお金を回せ!! 官僚たちに異変「転職者がぐっと増えた」 森友・加計問題が影響 少し古いが、三菱自動車が組織的に行った隠蔽工作は、内部告発による運輸省の査察で発覚した。 今の森・加家の国家犯罪は、内閣人事局の影響もあって、誰もきちんと検証できない!! 国家が根腐れしている!! ドラマ三菱自動車の真実2004 リコール隠し ●麻原らの死刑執行の前日からの流れ ●オウム サリン事件 ●7/7 戦争を始めた日 国会前市民集会 2018.7..7 ●7/7 戦争を始めた日 国会前市民集会 2018年7月7日 ●『明治150年』徹底批判!侵略と植民地支配の歴史を直視し、アジアに平和をつくる集い 2018.7.5 ●「明治150年」に隠された日本の侵略思想を問う!!纐纈厚(こうけつあつし)2018.7.5 ●情報公開裁判「衛生学校記事」 ●情報公開裁判「化学学校記事」 ●ビザ発給拒否・集会妨害裁判 ●日中全面戦争・南京大虐殺81ヵ年!! 政府は、森友・加計問題を必死に隠し、731・南京・慰安婦・重慶などの加害事実も隠す!! 「南京事件Ⅱ~歴史修正主義を検証せよ~」 NNNドキュメント 2018.5.13 南京大虐殺:侵華日軍南京大 南京電影制片庁 21分 南京の傷(アメリカ版)全片 荔枝网视频 2017.12.13 マギーフィルム(字幕付き) ・南京大虐殺の証言 ベイツ 1938年1月25日 親愛なるアリソン様 (4)午前中にお書きしました手紙に続けて、少し補充いたします。林査理[Riggs]さんと私とで、夕べ胡家菜園11号で縛り上げられた婦女を連れて、彼女が引っ張って行かれたルートを恐る恐る探訪し、彼女に公正な機会を与えました。彼女は大変はっきりと、自分が3回強姦された建築物を指さしました。それでいて、彼女が戻ってくる時に、道を間違えてしまったのは、夜間に行ったことで、はっきりした表示が見えなかったためです。・・・間違えるはずはなかったようでした。その建築物とは、この地区の憲兵の事務室で、小粉橋32号でした。 驚くことに、海軍は8月15日から当時の中国の首都南京を爆撃している!! 日中戦争全史年表 米国の牧師が撮影した日中戦争時の南京(マギーフィルム) 南京大虐殺80ヵ年 日本政府の今までの全く誠意のない対応!! ハルキ世界の満漢全席『騎士団長殺し』を全世界が待ちわびた 村上春樹「騎士団長殺し」 2週連続首位=韓国 2015年 南京大虐殺世界記憶遺産に登録される!! 安倍晋三は、南京に行くべきだ!! かつて、石原慎太郎、稲田朋美は南京大虐殺を否定した!!今も否定している!! 戦争の反省の無い頭!! ・南京大虐殺 ・三笠宮 1915年生まれの崇仁親王は、陸軍士官学校に進み、軍人となり、日中戦争時の1943年1月から1年間、「若杉参謀」の名で参謀として中国・南京に派遣された。このとき崇仁親王は「支那派遣軍総司令部」で「支那事変に対する日本人としての内省」という文書を書き、日本の侵略主義を批判したのだが、その文書が発見された1994年には、月刊誌のインタビューで“南京大虐殺はなかった”という論についてどう思うか聞かれ、次のように述べている。 「最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。辞典には、虐殺とはむごたらしく殺すことと書いてあります。つまり、人数は関係ありません。私が戦地で強いショックを受けたのは、ある青年将校から『新兵教育には、生きている捕虜を目標にして銃剣術の練習をするのがいちばんよい。それで根性ができる』という話を聞いた時でした。それ以来、陸軍士官学校で受けた教育とは一体なんだったのかという疑義に駆られました」(読売新聞社「This is 読売」94年8月号) また、1956年の著書『帝王と墓と民衆』(光文社)に付した「わが思い出の記」のなかでも、南京に配属された当時を振り返り、こう記している。 〈わたしの信念が根底から揺りうごかされたのは、じつにこの一年間であった。いわば「聖戦」というものの実態に驚きはてたのである。罪もない中国の人民にたいして犯したいまわしい暴虐の数かずは、いまさらここにあげるまでもない。かかる事変当初の一部の将兵の残虐行為は、中国人の対日敵愾心をいやがうえにもあおりたて、およそ聖戦とはおもいつかない結果を招いてしまった〉 〈わたしがここで言いたいのは、聖戦という大義名分が、事実とはおよそかけはなれたものであったこと、そして内実が正義の戦いでなかったからこそ、いっそう表面的には聖戦を強調せざるを得なかったのではないかということである〉 ※しかし、日本に帰還した松井をマスメディアは南京を陥落させた凱旋将軍として報道し、天皇も大軍功の殊勲者として勅語を与えた。 ●重慶大爆撃裁判 日本は中国の首都 南京→武漢→重慶を重点的に攻め、空爆した。 重慶大爆撃の被害者と連帯する会・東京 活動記録 戦争のはじまり 重慶爆撃は何を招いたか 重慶大爆撃訴訟 the battle of china 1944 重慶大爆撃(苦干より) 重慶爆撃(じゅうけいばくげき)は、日中戦争(支那事変)中の1938年12月18日から1943年8月23日にかけて、日本軍により断続的に218回行われた重慶に対する戦略爆撃。 爆撃の効果 「防空壕に戻ろうとして踏みつけられたり窒息したりして死亡した人々」とされる写真 爆撃への評価 重慶爆撃は、アメリカなどの連合国軍による日本本土空襲や広島・長崎への原子爆弾投下の正当性の根拠としても利用された。一方で、日本の戦争犯罪を裁く極東国際軍事裁判では、重慶爆撃は連合国による日本爆撃と相殺され起訴されておらず、無差別爆撃を唱え百一号作戦と百二号作戦を推し進めた井上成美海軍大将なども戦犯指定はされていない。 この爆撃による被害の規模については推測に頼る部分も大きい。さらに、それを日本軍がどの程度意図していたか、または作戦の付随的影響として許容されると判断していたかについても諸説あり、現在も論争の対象となっている。 不当判決!! 中国・重慶爆撃 2審も遺族敗訴 東京高裁 /東京 2017.12.15(毎日) 日中戦争中、旧日本軍による中国・重慶市や周辺への爆撃で家族が犠牲になったなどとして、中国人遺族ら約240人が日本政府に謝罪と総額18億円余りの損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は14日、請求を棄却した2015年2月の1審・東京地裁判決を支 持し遺族らの請求を退けた。永野厚郎裁判長は、爆撃による被害を認めた上で「原告には当時の国際法に基づく損害賠償請求権がなく、民法の規定でも国は損害賠償責任を負わない」と述べた。 判決によると、旧日本軍は1938年以降、蒋介石政権が首都を置いていた重慶の市街地や四川省の各地を狙い爆撃を繰り返し、多数の市民が犠牲になったとの記録がある。 祖母とおばを亡くしたという原告の男性は判決後に記者会見し「日本政府が歴史問題にもっと誠実に向き合えば両国の関係が改善するとの思いで取り組んできたが、被害者を傷つける判決で納得できない」と話した。弁護団は上告する方針。 |
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