核・戦争のない世界!!

2024-07-11 11:01:06 | Weblog
「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)
                             1995年8月15日

いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。

 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。

 

南京大虐殺 
 
南京大虐殺(マギーフィルム) パネー号撃沈



        
 重慶爆撃               




原爆投下や東京大空襲ばかり取り上げて、 日本のテレビや教科書が重慶爆撃を取り上げないのは問題だと思います。 (視聴者のコメント)

  




 原爆    

 
広島に原爆投下された理由は?
1945年8月6日、広島市は快晴で気温がぐんぐんと上昇していきました。そして午前8時15分、爆撃機エノラ・ゲイによってウラン型原子爆弾「リトルボーイ」が投下されました。投下された原爆は市の上空600メートルで爆発し、まるで小さな太陽のような火球を作り出しました。
中心温度は100万度を超え、見る見るうちに膨張して1秒後には200メートルもの巨大な火球となります。爆発は強烈な熱線と放射能、超高圧の爆風という3つの被害をもたらしました。*12)
 

 
 
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原爆が使用されたのはなぜ?

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日航123便の怪(1985年8月12日)
 
     
 
●東京帝国大学伝染病研究所
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
 ●東京帝国大学伝染病研究所『実験医学雑報』
・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?
・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?
・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器・研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。
・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか??
・河本禎助も毒ガスの研究をしていた。
・1938年6月1日の伝染病研究所で石井の厚意によって上映された映画には、731部隊の生体解剖でも映っていたのでであろうか? 精神的緊張裡とは、何のことだろうか?
 ・実験医学雑報20巻 第7号(1936年) 本所職制改正 この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。 *特別研究室とは何だ??
・中込亘は、731部隊で細菌に感染して死んだのだろうか?
 
雑報6号(23巻、1939年)
伝染病研究所創立41周年記念日に当り医学界を展望して所感を述ぶ
                     宮川米次
 
(チ) ウィルス病としての白血病
 人類に見る白血病と鳥類、哺乳類等に見るそれと同一性状のもののであるか否やは、未解決の問題であるが、鳥獣類に於けるそれはその性状が次第に明瞭になりつつあることは注目すべき事であると思う。
家鶏に見る白血病はCapariniの発見以来内外の学者によって可なり精細に検索せられ、ウィルスによって起こるものであり、組織培養性によって培養可能であること迄知られ、脾臓、骨髄の培養によって、骨髄母細胞が増殖し、この接種によって白血病を起こす。この細胞には骨髄性と淋巴球性とがあると言われている。その種の白血病をLeukaemieと言わずにLeukose と呼び、赤血球母細胞の増殖すらあると言われている。勝沼精蔵氏等の発見せるものは正にこれに属する。本病のウィルスと骨軟骨肉腫を形成するウィルスとは極めて近似の性状のものと言われている。
 哺乳獸に於いてはWilqus、Sprorul が大黒鼠、Mac Dowel1,Richerがマウスに発見し、移植可能であり、骨髄性と淋巴球性のものとがあるといい、Snijders,Gieは、海猽に淋巴球性のものを発見した。Furthがマウスに発見した骨髄性白血病は腹腔皮下に接種すると骨髄腫(Mye1om)が出来、静脈内に注入すると多発する事より、その本態は腫瘍であると言うている。Storti も略ぼこれと同様の所見を得、白血病と共にMyeloseを喚起させるウィルスは同一であると言うのである。
 
 
 
 
 
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より) 吉田裕監修  
2001年ピュリッツァー賞受賞 
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。
 
好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
 戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!   
 
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年  
 
第7章 満州事変
 
4日後の8日、斎藤首相は「熱河攻略は聯盟の関係上実行し難きことなれば」、内閣としては反対であると天皇に伝えた。天皇は、公的に認めたわけではないが事を急ぎすぎた点を理解し、侵攻を中止させようとした。奈良は、天皇が先の決定を撤回することを決めた旨、閑院宮に伝えなければならなかったが、奈良はこれに反対し、参謀総長は明後日拝謁の予定なので、そのときに直接、閑院宮に中止を命じるよう天皇に具申した。天皇はこれに同意した。2月10日、閑院宮が参内すると、天皇は斎藤内閣が熱河作戦を承認しないことを伝え、作戦中止ができるかどうかを尋ねた。
 
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




























 































































































































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