細菌戦の系譜!!

2020-08-16 11:19:45 | Weblog

●パネル展「戦争の加害」感想(2020年7月27日~31日)

 7月29日(水)

6、平頂山事件と重慶無差別爆撃については全く知らなかったので、恥ずかしく思いました。また、毒ガス兵器以外の具体的な症状や遺棄された毒ガスによる被害についても知りませんでした。「日本は中国でひどいことをした」と知っていても、どのような加害かというと、南京大虐殺ぐらいしか知らず、(それも大まかにしか)今回映像を含め日本軍のした残虐な事実を具体的に知り、受け入れるのがとても辛かったです。また、日本軍が南京にいたときに、食料の支給がなく、上官からの虐待もひどかったというパネルを見、父から母へのDV、母から子への虐待の様な上から下に流れる加害の構図が説得力を感じました。(女性、40代、練馬区、ウェブ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)

( )は性別・年代・住まい・情報

96、あまりに残酷すぎて、でもこれが現実だったのだ!

(女性・70代・市内・チラシ)

 

 

 

 

 

 日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!


●細菌戦
【真相】(unit731)

・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)


V 私は中国軍の捕虜だった

ー総務部調査課翻訳(情報)班 H・M

 

われ、ハルピンを脱出せず

 

 

 

中国は訊問ではなく、思想改造で迫る

 

 

 時々、中国側の政治指導員がやって来て、我々に討論というか、ディスカッションをさせた。たとえば「日本軍の中国侵略についてどう考えているか、自由に話し合って下さい」という具合である。

 我々は、自由に自分の思っていることを話し合った。政治指導員は、決して、個々の意見を規制したり命令したりはしない。ただ時たま助言めいた口を挟むだけであった。この4人の組み合わせは、時々変わったが、討論は同じように続けられた。
 思うに、厳しい訊問や拷問に訴えるよりも、こうした心底からの反省を呼び起こさせる方法の方が、効き目がある。私も、ずいぶんいろいろなことを考えてみざるを得なかった。

 

 

 

 

・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

三 警察・憲兵の第731部隊への「特移扱」 

 

渡辺卯一郎供述書(1954年8月27日)

問:ハルピン警護総隊に転属になったのはいつか。どんな職務を担当し、どの階級であったか。

答:私は1941年7月にハルピン警護隊に転属となり、警備科長の任に就いた。階級は奏任1等警護官であった。

問:警備科長の職種はどんなものであったか。

答:主に情報収集、警護隊員に対する教育及び武器の保管と検査、並びに警備などであった。

問:軍用労務者列車をどのように護送して石井細菌部隊に送ったか述べよ。

答:1941年7月、ハルピン鉄道司令部の命令を受けて、30名の警護隊員を軍用列車に赴かせ、石井部隊行きの軍用列車のために警備を行った。私は当時警備状況を調べるために現場に行ったが、家畜運搬用の貨車の中にし7,80名が詰め込まれているのを見た。彼らはその夜大型車で石井部隊に運ばれたいった。

 

 (1)119-2、691、1、第4号 

 

 

 

 

●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
第1章 毒ガス兵器の研究と開発

 

 

5、アジア太平洋戦争と科学動員による毒ガス兵器開発の展開

 

科学動員の本格化

 

 アジア太平洋戦争初期の戦いは、局地的に優勢な兵力と制空権の確保によって日本軍の作戦計画は概ね順調に進展し、半年のうちに東南アジアの主要部を占領、そして中部太平洋・ソロモン諸島・ニューギニアへと戦線を拡大した。陸運統帥部の中には、独ソ戦の推移を見て好機があれば対ソ侵攻作戦を行うという意見が存在しており、また、中国戦線では、中国国民政府の首都・重慶を攻略するという作戦(5号作戦)の実施が検討された。

 

 

 

 

 

 

 

  

  ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第13章

毒ガスは消えず

埋めるー中国の毒ガス弾に対する処理

 

隠れた災難はなお消えず

 

 

毒ガス砲弾が見つかった場所は広州市黄浦区の珠江口で、店草尾というところであった。ここは川の水に侵食されてできた砂地で、百トンの土砂浚渫船が毎日忙しく働き、急速な発展を遂げる都市に建築用土砂を提供している。この砂地の傍は、経済開発区の住宅地である。毒ガス砲弾はまさにここで発見されたのだった。

 

 

 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


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