・731部隊と原爆・原子力の関係
国から派遣された日本の医学者は原爆症患者を救わず、アメリカに協力して原子爆弾の威力・効果を調べた!! ABCC委員会と731部隊 ・・・・ABCC[には、731部隊の顔ぶれやいくつかの関連事実が登場してきます。731部隊の凍傷研究班の班長であり、同時に特移扱いにされたマルタの管理を行っていた班の班長でもあった吉村寿人、後に京都府立医大の学長になる病理学者もその1人です。この吉村寿人が度々ABCCに出入りし調査をしていた記録が残っていますし、これを裏付ける関係者の証言もあります。 ABCCと旧731部隊の関係についてですが、ABCCが最初に広島の北の方、高台の所に出来たときの施設には、石井四朗の叔父の家が提供されて、その建物を使っています。今調べていますが、ABCCの当時の職員名簿を見ると、日本側の職員の中に731部隊の旧隊員が何人もいます。その1人貞政昭二郎が私の取材に「吉村さんはABCCによく来ていた」と話しています。 1948年の終わりから49年という時期に、職員にそういう人たちが出てきます。ちょうど日米の取引の成立直後くらいです。48年の終わりというのはヒル・レポートもできる頃で、その頃には協力体制が出来上がっており、旧731部隊とABCCの共同で動き始めていたのかも知れません。しかし戦後に共同という形で調査をしていたという動きは今のところ記録上ははっきりとはしてません。(『戦後の犯罪につながる細菌戦の隠蔽』近藤昭二著より) ABCCと国立予防衛生研究所(予研)の関係・・・ウキペディアより 米国科学アカデミー(NAS)が1946年に原爆被爆者の調査研究機関として設立。当初、運営資金はアメリカ原子力委員会(AEC)が提供したが、その後、アメリカ公衆衛生局、アメリカ国立癌研究所、アメリカ国立心肺血液研究所(en:National Heart, Lung, and Blood Institute)からも資金提供があった。1948年には、日本の厚生省国立予防衛生研究所が正式に調査プログラムに参加した。 施設は、広島市の比治山の山頂(元々比治山陸軍墓地があった地)に作られた。カマボコ型の特徴的な建物であった。 ABCCは調査が目的の機関であるため、被爆者の治療には一切あたることはなかった。ここでの調査研究結果が、放射線影響の尺度基本データとして利用されることとなった。 1975年、ABCCと厚生省国立予防衛生研究所(予研)原子爆弾影響研究所を再編し、日米共同出資運営方式の財団法人放射線影響研究所(RERF)に改組された[4]。 ・731部隊の罪業をアメリカは不問に付した結果、日本は731部隊の反省を全くしなかった。戦後、731部隊員の何人かは国立予防衛生研究所(予研→国立感染症研究所)に入り、研究を続けた。!! 又、アメリカは731部隊のデータを元に新たな生物兵器・化学兵器を作り、ベトナム・イラク戦争で使用した!! エボラやAIDSは生物兵器として開発されました。 人工的に作られた生物兵器【エイズウィルス】|怖いBLOG - アメブロ 一体、国立感染症研究所は、どんな仕事をやっているのだろうか?? 国立感染症研究所 国立感染症研究所(元国立予防衛生研究所) どんな生物兵器を作るのか??「周辺住民の理解を得ながら進めていきたい」と話しています。周辺住民が納得するのだろうか?? 国立感染症研究所 「レベル4」施設で5月から実験 国立感染症研究所の危険性!! 加計学園 獣医学部校舎に安全基準に満たないBSL3の研究施設の建設計画があった 長崎大学のBSL4施設設置計画は白紙撤回を! 感染研村山庁舎BSL4施設関連事象の時系列 帝銀事件の犯人は平沢貞通ではなくて、731部隊員ではないのか?? 731細菌部隊と帝銀事件との真相1 防御と称して、生物兵器開発を進めてはいないか??? ヒロシマからフクシマへ 戦後放射線影響調査の光と影 堀田伸永 ※当時の日本・アメリカ政府は、原爆の悲惨な惨状を国民に隠した!! 第3章 残党の系譜 731部隊宮川班 1944年3月3日、宮川は、関東軍防疫給水部本部に配属され、731部隊のレントゲン担当となった。第1部細菌研究部第3課の吉村寿人の下には、レントゲン担当のふたつの班―宮川が班長を務める宮川班と在田勉(任期・1939年4月5日~1944年8月25日)が班長を務める在田班があった。 ETV特集 ネットワークでつくる放射能汚染地図(1/2) 宮川正・・・大正2年2月8日生、昭和12年東大医卒、昭和19年3月4日入隊、歩兵30連隊から731部隊レントゲン班(宮川班)に配属される。終戦時 軍医中尉。731部隊には、レントゲン班が「宮川班」「在田班」の2つあった。元隊員の話では、(どちらの班か不明だけれども)「レントゲン班で、マルタの肝臓にレントゲンを照射して、どこまでやると死に至るかという実験を自分たちでやったことがある」という証言がある。、 東大医学部放射線科・宮川正教授は退官記念講義で731部隊員だったことを曝露・追及された 世界は恐怖する死の灰の正体(亀井文夫監督) 水俣病原因究明を妨害し被害を拡大させた日本医師会会長・田宮猛雄は、731部隊や戦後の人体実験にも関与した 彼の死後、追悼文集が出版されたが、その中で北岡正見、安東洪次、目黒康雄、田嶋嘉雄など 731関係者が勢ぞろいして思い出を語っている。 731部隊マラリア菌研究班に所属していた目黒康雄は、軍医として戦地に送られるところを 田宮の計らいで防疫給水部(731部隊の別名)の職を斡旋してもらったと語っている。 田宮は「徴兵逃れ」をエサに教え子を731部隊へ送り込んでいたのである。 御活躍中の御用医学者と731部隊の関係を調べてみた。意外と簡単に結びつくので驚いた。 (以下敬称略) ==== 東大医科学研究所(旧伝染病研究所) ==== 上昌広教授、坪倉正治医師の所属する医科学研究所(医科研)は、初代所長があの北里柴三郎で、由緒ある、エリート医学者のための研究所である。 しかし第7代所長・田宮猛雄は731部隊への人材供給役であった。 宮川米次(第5代伝研所長)、細谷省吾、小島三郎、柳沢謙、金子順一、安東洪次、緒方富雄、浅沼靖などの研究者が731部隊に関与したと言われる。戦後、何食わぬ顔で東大教授になった人もいる。 戦後、731部隊長・北野政次が伝研に現れたとき、もっとも北野を庇護したのがこの田宮であったと言われる。 戦後、田宮は731部隊で得た成果を利用し、リケッチアによる伝染病、つつが虫病の研究で有名になり、国立がんセンター初代所長、そして日本医師会会長まで登りつめ、医学界のボスとして君臨した。 水俣病では田宮委員会を組織し、熊本大医学部の有機水銀中毒説をつぶし、被害を拡大させた。田宮が初代所長になった国立がんセンターだが、ここも問題が多い。 上昌広は、2001年から国立がんセンターで造血器悪性腫瘍の臨床研究をしていた。 国策遂行が最優先され、臨床試験を効率よく行なうために、重篤患者を切り捨て他の病院に回すのが当たり前だったと語っている。患者の命よりも研究成果が重視されるのだ。 「国立病院に生き続ける陸海軍の亡霊」 (MRIC Vol.198 2008/12/22) http://mric.tanaka.md/2008/12/22/_vol_198.html ちなみに、2011年9月に山下俊一は、日本対がん協会(垣添忠生会長)から「朝日がん大賞」を受賞したが、垣添は元国立がんセンター総長であった。まさにズブズブの関係だ。フィルムバッジを福島住民に配布することを提言したのもここ。 ここも汚職など不祥事が相次ぎ、2010年に独立行政法人へ移行、国立がん"研究"センターと改称している。 インタビューで、上教授は福島で収集したデータが高く売れると話している。 http://www.asyura2.com/13/genpatu32/msg/595.html 住民の命、健康を守ろうという姿勢は全くうかがえない。彼にとって福島は金ヅルでしかないようだ。 "モルモット"が逃げ出さないよう、後輩の坪倉正治を福島に派遣して安全デマを流布している。 「将来奴ら(福島県民)は、集団訴訟とかするんやろなあ」と酔って話したという話も伝わっている。 しかしまるで他人事、責任感は全く感じられない。 http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/aacebb2e3d5f936dce460130bdfd2f30 被曝をめぐる御用学者の系譜 ・原爆問題 原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影) 「1894年から1945年までの51年間日本は常に戦争をしてきた。大きいのだけでも日清、日露、満州事変、日中、アジア太平洋の5つその全てに廣島から軍隊が出ているわけです。言い換えれば廣島はアジア侵略の起点だったのに、加害の都市だったことを認める人は多くない。」(1929年山口県生まれ、国鉄職員 入市被曝した李実根の証言) 昭和天皇の終戦工作?(詳しくは『日本のいちばん醜い日』) 畑俊六第2総軍司令官、高野源進広島県知事は原爆投下時に無事。 第2総軍は、全滅。 天皇は、事前に原爆投下を知っていた。 終戦時の国内情勢を憂慮して、第2総軍を壊滅させた?? 731部隊員や昭和天皇の戦争犯罪に対する免責を得るために、日本の科学者や医学者は原爆の威力の調査に尽力し、被爆者の治療は一切しなかった。この報告書は、英語で書かれ、アメリカに提出された。これによって、日本はアメリカに追従するようになり、属国になってしまった。日本政府は、これ以後、731の非人道的行為を隠し、またアメリカの原爆などの非人道的行為を訴えることは無かった!!あの侵略戦争のことを全く反省しないでいる!! 封印された原爆報告書 日本政府は、侵略戦争の歴史を改ざんするな!! 戦争遂行の最高責任者・大元帥昭和天皇の戦争責任を回避する発言!! 裕仁は、戦争責任を、東条や陸軍に押し付けた!! 「天皇陛下はホワイトハウスで、『私が深く悲しみとするあの不幸な戦争』というご発言がありましたが、このことは戦争に対して責任を感じておられるという意味と解してよろしゅうございますか。また、陛下はいわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますかおうかがいいたします」と。 天皇は顔をこわらせて「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりませんから、そういう問題についてはお答えが出来かねます」と答え、また広島への原爆投下について聞かれ、「この原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思っていますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむをえないことと私は思っています」と述べた。その統治下の出来事に対してまったく責任のない傍観者のような天皇の言い逃れは、多くの日本人にとってあまりにも非情であった。彼の「やむをえない」発言は、広島の悲劇を導いた過程における天皇の役割をまったく否認するものであり、とりわけ歴史学者を憤慨させた。(ハーバード・ビックス著『昭和天皇』より) 1975年昭和天皇記者会見 山下俊一、高村昇らが活躍(暗躍)する長崎大医学部は元731部隊関係者の巣窟であった。 重松逸造は御用医学者を語る上で極めて重要な人物、キー・パーソンである。 驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く 日本政府は、核戦争を想定して、福島原発事故の被ばく者を、研究対象にしているのだろうか??(広島・長崎と同じように) 放射能汚染地図「川で何が起きているか?」 被爆国の日本政府は、海洋汚染に対して、俊こつ丸で以前行ったような調査を、太平洋全域で、定期的にやるべきではないのか?? 海の放射能に立ち向かった日本人 ~ビキニ事件と俊鶻丸(しゅんこつまる)~/NHK・ETV特集 山下正寿さん(高知県太平洋核実験被災支援センター)インタビュー アメリカ・日本・・・国家は平気で嘘をつく!!それも公然と!!世界が放射能やダイオキシンで汚染されている!! アメリカはまたもやロンゲラップ島で人体実験をやり、アメリカ政府、日本政府は漁船の被爆状況を隠蔽する!! ザ・スクープスペシャル ビキニ事件63年目の真実 2017 08 06 被曝は第五福竜丸だけではない!!また厚生労働省の隠蔽!! 水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!! 為政者は、大事件から国民の目をそらさせるために、国威発揚を狙って、オリンピックを画策する!! 1931年 満州事変から9年後の1940年(皇紀2600年??)の幻の東京オリンピック!! 1954年のアメリカのビキニ環礁における水爆実験の10年後1964年の東京オリンピック!! 2011年の東日本大震災による福島第一原発事故から9年後の2020年開催予定の東京オリンピック!! ※なぜか、ビキニ環礁で日本の多くの漁船の乗組員、水揚げされた大量の魚が放射能に汚染されて、大きな損害を被り、原水爆反対の声が高まったのに、政府は、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニと3度も国民は被曝をしているにもかかわらず、アメリカに抗議することもなく、原発推進を、アメリカの後押しで進めてしまう??そして、フクシマの事故が起き、アンダーコントロールなど出来ないのに、オリンピックを開催予定とは??国民はこれを素直には受け入れられない!! 原子力に悩む大国 アメリカ ・日本の科学者の核兵器への執念の系譜 日本の物理学者は、日本の原爆開発を反省していない!!明かに原爆・水爆を作りたがっている!! 戦中、日本は原爆開発を研究していた。陸軍は理研の仁科芳雄のもとで、海軍は京大の荒勝文策のもとで。戦後は、アメリカと自衛隊の軍事交流によってその流れは加速している!! 仁科芳雄は軍国主義者で、物理学者の間では天皇だった!! ◉ 特集 : 「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ ◉ 特集 : 「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ— ヒロシマからフクシマへ 小路田泰直 ヒロシマ・ナガサキの経験は、一般の予想に反し、この国の支配層、とりわけ核物理学者たちの脳裏に、反核・平和の志向を植え付けなかった。むしろ彼らの原子力開発への意欲をかき立てた。そしてそのかき立てられた原子力開発への意欲が、やがて1954年3月2日の、中曽根康弘による原子力予算23,500万円の緊急提案をきっかけに噴出した。それが今日にいたる、この国の旺盛な、平和利用に名を借りた原子力開発=原子力発電所設置へとつながったのである。 だからこの国の原子力開発の裏には、戦前以来の核兵器開発の伝統が息づいている。「ヒロシマ・ナガサキへのリベンジ」 の思いが横たわっている。 そしてそれが今回のフクシマの事故につながったのではないかと、私は予想する。 その予想を裏付けるために本稿は書かれる。 ※いくら強大な武器を作ろうと、平和は来ない!!アメリカの戦後の動きが如実にそれを物語る!! 何故、日本は、ヒロシマ、ナガサキ、ビキニ、フクシマと、多くの人々が被曝し、大変な状況になったのに、日本政府、日本医学界は声を大にして、「脱原発」、「核廃絶」と叫ばないのか??? ※放射能汚染の危険性について、WHOなどが主導すべきであるが、IAEAや世界医師会がアメリカとそれに追随する国で主導されているので、731の問題や放射能汚染についての資料は、改ざんされたり、隠蔽されているではないか!! ※アメリカによるビキニ環礁における核実験では、海洋汚染が深刻化し、魚・人間が被曝した。その影響は今現在でもあるのではないか? アメリカ・ソ連・中国・イギリス・フランス・インド・パキスタン・イスラエル・北朝鮮などの多くの核実験、原発稼働、原発事故、戦争、大規模な軍事演習などが、地球の生態系に大きな影響を与え続け、地上の放射能汚染、海洋汚染、温暖化等様々な異変を生じさせているのではないか?? 現在進行形である!!日本はなぜ原発をインドに輸出する?? 核抑止論の下で、ますます地球は破滅に向かっている!! ※湯川秀樹・・・(ウキペディアより)(中略)またその一方で、反核運動にも積極的に携わり、ラッセル=アインシュタイン宣言にマックス・ボルンらと共に共同宣言者として名前を連ねている。ただし、戦前・戦中には荒勝文策率いる京大グループにおいて、日本の原子爆弾開発に関与したことが確認されている。 ※1956年(昭和31年)原子力委員長の正力松太郎の要請で原子力委員になる。しかし湯川は、正力の原子炉を外国から購入してでも5年目までには実用的な原子力発電所を建設するという持論に対して、湯川は基礎研究を省略して原発建設に急ぐことは将来に禍根を残すことになると反発、1日で委員を辞めようとしたが森一久らになだめられ踏み止まった。しかしその後も対立は深まり、結局体調不良を理由に翌年には在任1年3か月で辞任した。 ※下の1993年のビデオを見ると、日本が冷静に議論して、理論の裏付けをもとに常温核融合を進めるのではなく、核エネルギー礼賛のもと、その方針に従う科学者に予算を与え、狂信的に研究を進めていることが見て取れる!!ここに出てくる科学者の頭の中には、被爆者の苦しみやこれから地球全体に及ぼす汚染の事などは全くないようだ!! 常温核融合 ※この番組が作成されてから、長い年月が経ったが、国の予算の無駄遣いではなかったのか? 国民のきちんとしたした説明は、なされていないではないのか?? ※危険【武田邦彦】土岐市の核融合実験で猛毒トリチウムが 核融合科学研究所 重水素実験について 「もんじゅは危なすぎる、廃炉するしかない」 ”核”を求めた日本ー被爆国の知られざる真実ー(内容全て書き出しました) 原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~ 原発作業員が去っていく 福島第一原発“廃炉”の現実 原発事故を教訓にして、この協定の見直しを考えたらどうだ!! 日米原子力協定を延長へ…米、再交渉求めず 「政治的圧力、常にあった」退任前に規制委・田中委員長 「ビキニ被曝」11人、船員保険適用困難に 有識者会議 核兵器禁止交渉会議、広島・長崎両市長が外相に参加要請 核兵器のない世界へ 政府に交渉参加を要求 日本被団協 「被爆国として、核兵器廃絶に向けて世界をリードする」と言っても説得力はなくなった。 (社説)核禁止条約―被爆国の責任放棄だ 沖縄には多くの核兵器が配備されていた!!(今の状況下では、配備されている??) 沖縄と核 沖縄では基地返還後の跡地に大量のダイオキシンや放射性物質が残されている!! 枯葉剤などの研究も731部隊で行っていた!!またベトナム戦争で使われた枯葉剤の原料は、日本の会社が提供したのではないか? 枯れ葉剤を浴びた島~「悪魔の島」と呼ばれた沖縄 細菌兵器、化学兵器かの違いはあるが、731部隊その他で研究所でも、穀物や植物を枯らす研究は進められていた!! 731部隊元隊員の証言(郡司陽子編『真相 石井細菌戦部隊』よりp121) 第2部には、我々の他に、八木沢班というのがあった。ここは植物や穀物を枯らす細菌の研究をしていた。ベトナム戦争時に、アメリカ軍がベトナムで枯葉作戦というのを行ったという事を知った。そして、この枯葉作戦は、731部隊八木沢班の研究が発展させられたものであるという事を聞いた。何ともやり切れない想いにとらわれてしまった。 ※それとも、戦争中に、アメリカは既に、今の枯葉剤に近いものを開発していたのか? 沖縄の米軍基地は、ダイオキシン・放射能で汚染されている!! 枯葉剤を浴びた沖縄とベトナム ベトナム戦争、枯れ葉剤の傷跡 ベトナム戦争は終わらない ~枯れ葉剤後遺症に苦しむ人びと ・・・・ 米軍は、ベトナム戦争の間に785万トンの爆弾を使用した。物量の規模でいえば、第2次世界大戦をしのぐ史上最大の戦争だった。米軍が北ベトナムに落とした爆砲弾は、病院や学校などの各施設を壊滅した。(今でも対人地雷、クラスター爆弾の影響を受けている!!) なかでも長期にわたり人びとを苦しめているもののひとつに枯れ葉剤がある。 米軍が枯れ葉剤を使用したそもそもの目的は、解放戦線の隠れ家であるジャングルを絶滅させ、解放区で作られる農作物を汚染し、食糧を奪うためだった。戦争当時、赤十字総裁だったレ・カオ・ダイ医師の著書「ベトナム戦争におけるエージェントオレンジ 歴史と影響」によると、61年から10年の間に約7,200万リットルの枯れ葉剤を米軍は散布した。その中に少なくとも170キロの催奇性や発がん性を持つ猛毒のダイオキシンが含まれていた。 現在も2世、3世への枯れ葉剤の影響が指摘され、ベトナム全土で8,000万人超の人口の中の100万人以上の人びとが枯れ葉剤による外形的障害、遺伝疾患やがんなどの後遺障害に苦しんでいるといわれている。(他の報道では、ベトナムで300万人に、枯葉剤の影響が出ているという) また、ベトナム戦争終結後に生まれた子どもたち15万人以上に重篤な疾患をもたらしている。 アメリカも日本も、自ら犯した戦争犯罪をきちんと認めるべきだ!! 【ベトナム戦争枯葉剤】日本に2年間も撒き散らされた! 枯葉剤・劣化ウラン弾などが人体・地球環境に及ぼす影響は甚大である!! 閲覧注意】枯葉剤被害の影響を受けた子どもたち 覚悟が必要。劣化ウラン弾放射能影響 主な枯葉剤製造企業(日本企業も協力している!!) ダウ・ケミカル (Dow Chemical) モンサント (Monsanto) Valero Energy Corporation - Diamond Shamrockのブランド名で枯葉剤を製造 ※枯葉剤・劣化ウラン弾の加害の責任追及は無いのだろうか?すべてが泣き寝入り?? 潜在的核保有国化を目指す日本は、核兵器禁止条約制定目指す決議案に反対!! 非核3原則は嘘だった!! ※2009年(平成21年)になって沖縄に核兵器が持ち込まれていた事実が明らかになった。 ※非核三原則を表明した佐藤栄作は1969年(昭和44年)1月14日付で米国政府に送った公電で「非核三原則はナンセンスだ」と発言したことが、アメリカの公文書から明らかになっている。 日本は、世界に「核廃絶!!」とは叫んでいないのだ!! なぜ日本人は、アメリカに原爆投下の責任を問わないのか?? アメリカと日本の取引!! 我々日本人は、アメリカの残虐な原爆投下や絨毯爆撃を問わない代わりに、アメリカも、日本軍が行ったアジア太平洋各地で行った残虐な戦争犯罪(毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃、慰安婦問題等)を問わないで来ている!! 戦争の反省は根本的にされているのであろうか?? ●世界の流れ アメリカの核の傘から抜け出し、「核廃絶!」と叫べないのか?? 日本 核禁条約に触れず 「無意味な決議案だ」 県内被爆者ら非難 核廃絶、もっと前へ ICANにノーベル平和賞、被爆者らの勇気に 核禁止条約「日本も参加を」 各地で集会 米国の「核の傘」に安全保障を依存する欧州諸国や日韓豪も交渉参加を見送った。 核兵器禁止条約、45カ国署名 来年にも発効見通し <高校生平和大使>長崎爆心地公園で「人間の鎖」 長崎・平和祈念式典 田上市長の平和宣言全文 ・脱原発5 原発事故、国と東電の責任認める 福島地裁が賠償命令 「福島の今」(生業を返せ!地域を返せ!!」服部浩幸(福島原発訴訟原告団事務局長) 全国最大 原発訴訟 日本は韓国を見習おう!! 「脱原発」掲げる韓国・文政権、2基の建設工事を中断 自然エネルギーを活用しよう!! 体内へ総量36万ベクレルか原子力機構の作業員被ばく事故 核ごみマップ 適地は国土の65% 政府が公表 再生可能エネルギー拡大続く 世界全体の電力、4分の1賄う ETV特集 シリーズ 原発事故への道程(前編)「置き去りにされた慎重論」 戦争の事を全く反省しない御用学者(特に日本医学界はなぜ放射能の危険性を強く指摘しない??) 茅誠司・・・1950年代、東大教授、東大総長。戦前から原子力の研究に携わり、核物理学の第1人者。日本学術会議会長、南極観測特別委員長。 日本学術会議南極特別委員会医学部門委員には、第2代731部隊長であった北野政次、凍傷実験班班長だった吉村寿人、731部隊嘱託の戸田正三らがいた。 高杉晋吾の電話取材に茅は答えた。 「北野政次?その人がどんな人か知らない。私は記憶していない。・・・・・戦争中の事はあんまり取り上げない方がよい。それに例え、それが関東軍の経験であっても、・・・・いまの学問に役立つものなら取り上げてよいのではないでしょうか?」(『日本医療の原罪』より高杉晋吾著) ETV特集 シリーズ 原発事故への道程(後編)「そして“安全”は神話になった」 知らないままではダメ!マスコミが報道しない「リニア反対派」の具体的な反対理由 物事を進めるときには賛成派・反対派の両方の意見に耳を傾けて、双方が納得のいく落としどころを探すのが理想的なのだけれど、どうやらリニア新幹線というのは「開通させる」という目標ありきで、異論は揉み消されているようです。マスコミでもほとんど報道されません。今更「リニア反対特集」なんて組めないでしょうから。そんなわけで東京オリンピックとリニア新幹線着工で浮足立っている現状で、リニア反対派がどのような理由で反対をしているのか、多くの人は知るすべもありません。リニア新幹線の巨大プロジェクトがどのような課題を抱えているか、今一度確認しておきませんか? →リニア計画、建設認可取り消し求め提訴へ 沿線住民ら 慎重論派の指摘内容 慎重論を唱える人々が共通して持っている疑問や不安は次のような事項です。 回収の見込みなしのプロジェクト、商品価値は? しかし問題は売れるかどうかです。安全だと認められるまでに何年を要するか。また他国が、営業速度500キロというスピードに魅力を感じてくれるのかどうか。もし売れなければペイできず、行く末は血税が注ぎ込まれる赤字路線になる可能性も。 真っ暗闇の中を時速500キロで走る、移動手段としての役割以外に何の楽しみもないようなリニア新幹線。「いかにも合理主義的な日本人らしい」と言われるだけで終わるような気もします。 リニア3兆円借り入れ完了、JR東海の損得勘定 リニア中央新幹線がやって来る ヤァ!ヤァ!ヤ 広瀬隆講演会「リニア新幹線と原発」前編 広瀬隆講演会「リニア新幹線と原発」後編2/質疑応答 相原高校を残そう!!(リニアはいらない!!) 神奈川県立相原高校を残そう。 |
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