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国家犯罪!天皇制・原発・731!!

2013-06-21 11:03:38 | Weblog
No more war!
No more 731!
No more Nanking!
No more Fukushima!


原子力に未来は無い!!
脱原発!!
日本を変えよう!!


23日の都議選、7月の参院選で、歴史を歪曲せず、侵略戦争の反省の下に外交を進める政党、脱原発を推進する政党に、あなたの1票を入れてみませんか?

原子力の将来描けぬ…7大・大学院で定員割れ
読売新聞 6月21日(金)3時1分配信
国内の主要大学・大学院にある原子力関係の3学科と9専攻のうち、2学科5専攻で今年度の入学者(4月末現在)が定員割れになっていることがわかった。

背景には、原発事故によるイメージ悪化に加え、国の原子力政策が定まらず、将来が描けない学生の原子力離れがある。人材育成が滞れば今後の原発の廃炉作業にも影響が及びかねないため、関係者は危機感を強めている。

文部科学省が入学状況を調査している、「原子」のつく学科・専攻は、大学で3学科、大学院(修士課程)で9専攻ある。読売新聞がこれらに今年度の入学者を聞いたところ、福井工業大や東海大、東京工業大、京都大など、4月末現在で7大・大学院の2学科5専攻(早稲田大は9月入学を含まず)が定員割れしていた。東京大などは定員を満たしていた。

定員割れした大学は、原発事故直後の2011年度は大学院の2専攻だけだったが、12年度は6学科・専攻に増加。2年連続で定員割れした東京工業大で指導する井頭政之教授(放射線物理学)は、「親の反対で入学直前に辞退した人もいた。逆風の中、あえて原子力を学ぶ学生が減っている」と危機感を語る。


全世界の願い!!核兵器廃絶!!
オバマ大統領 核削減方針打ち出す


「高市氏発言は自民党のおごり」 玄葉・前外相
■玄葉光一郎・前外相(民主党)

自民党の高市早苗政調会長から「原発事故で死んだ人はいない」という話があったが、現実をまったく知っていない。岩手、宮城、福島で津波で亡くなった方々はたくさんいるが、福島は特に深刻で、原発事故で自衛隊や警察、消防がすぐに捜索に入れなかった。原発事故がなければ助かった方もいたかもしれない。

政策責任者である高市氏の発言なので、党全体の発言でもある。巨大になった自民党のおごりだ。それをチェックし、ブレーキをかけるのは民主党しかない。(国会内での民主党代議士会で)

「福島をちゃんと見てない」 父が自殺の農家、高市氏の原発発言撤回に

自民党の高市早苗政調会長は19日、「原発事故によって死亡者が出ている状況ではない」との発言について謝罪、撤回した。▼4面=幕引き急ぐ

「撤回したから済むような話ではない」。福島県須賀川市の農業樽川和也さん(37)は声を震わせながら、「よく政治家をやっていられるなと思う」と語った。2011…


自民・高市早苗「原発事故で死者いない」発言について。-2013.06.19


双葉病院事件 原発事故避難から取り残され患者50人死亡


母ちゃんと二人でロープにぶら下がった親父を下ろしたおれの気持ちを想像しろ



フクシマはまだ収束していないぞ!!
(脱原発!根元大臣の福島での公約)

安倍晋三 原発事故「収束」したとは言えない2/12衆議院




東京都議選と待機児童問題について。- 2013.06.13




と、とつぜんですが、若松孝二監督を偲んで!!


若松監督、次作構想に「731部隊」あった…三女が明かす
「あさま山荘事件」実行犯を捜して(1)

「あさま山荘事件」実行犯を捜して(2)




アメリカ(占領軍)は帝銀事件の捜査に圧力をかけた!
やはり、犯人は特務機関(731部隊員か陸軍中野学校等)の人間か?
"戦後最大のミステリー"「帝銀事件」(1)

"戦後最大のミステリー"「帝銀事件」(2)
"戦後最大のミステリー"「帝銀事件」(3)
 
IMAGINE 9
01
想像してごらん、
軍隊のお金をみんなの
暮らしのために使う世界を。

Imagine,
A world that spends money
not on armies,
but on people's lives.

文 星川淳、河崎哲 合同出版より


●ドイツと日本の違い
ドイツの医学会の謝罪や脱原発はドイツ国民が「生命への畏敬の念」に目覚めたからか?
ドイツ精神医学会の反省



それに引き換え日本の派遣社員の現状は「お前のスペアはいくらでもいる。いやならやめな!」
会社に掲げられた標語には「かけがえのない一人ひとりを大切に!」
かつて軍人勅諭にこんな言葉があったっけ!!
「死は鴻毛よりも輕しと覺悟せよ!!」、
人間を人間として見ずモノとして扱う体質!!

ワタミ・渡辺会長「365日24時間死ぬまで働け」について。- 2013.06.06

日本医師会の歴史認識
Unit 731: Japan's biological force

王選と日本人の友人達 part1



カスタマー・レビューより
第二次世界大戦時の医師の責任を問う, 2002/4/29
レビュー対象商品: 人間の価値―1918年から1945年までのドイツの医学 (単行本)

現在この「人間の価値 -1918年から1945年までのドイツの医学-」は、ドイツですべての医学生に読むことが義務付けられている(?)著書だ。この著書はドイツでの同名の展示会のおりに刊行された書物(カタログ)の中心的部分をまとめたものである。
著書の中で、ドイツ人医師が身体障害者、ユダヤ人、ポーラがンド人、精神薄弱者、遺伝病の子供などを、ナチズムという名のもとにおいて公然と人体実験、殺戮した罪を問う。
この著書が出版されたのは1989年と戦後から44年も経っている。著書によると、1945年から西ドイツでは、中途半端な「非ナチ化」かしか行われてこなかったが、民主主義が成熟し、1980年代になると個人、社会に戦争責任が問われるようになる。 この著書はドイツ人自らが行った過去への反省と、未来への固い誓いとも言えるだろう。
最近、日本でも医療問題や、戦争に回帰するような発言や動きが絶えない。こんな時代にこそ誰もが読んでほしい著書だ。 

『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学

Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳

1938年11月9日*を思う
*「水晶の夜」 
*「水晶の夜」

ベルリン医師会の声明

ベルリン医師会はいま、ナチズムの中で医師層がはたした役割と、忘れることができない犠牲者の苦しみを思い起こす。医師組織を結成する我々は、我々地震の過去とナチズムに関与した医師の責任を問題にしないわけにはいかない。

ナチス政権掌握の何年も前から、医師たちも人間の社会的差別と少数者の迫害を奨励する思考をはっきりもっていた。遺伝優生学や人種的遺伝体質、遺伝的に劣る人間、人生の余計者、生きる価値のない人生、といった思考であり、ナチス保健政策の基礎を築いた思考である。これが社会的に自明のものとされ、差別を正当化したのである。それが人間の絶滅を可能にしたのである。

ユダヤ人の医者は「アーリア人」の治療をすることが許されなくなり、1938年、法律によって、彼らの新規採用と開業が禁止され、また彼らの既得の営業許可が消滅されられた。ユダヤ人および異なる思想を持つ人々が排除されたことに対して、同僚の医師サークルやその団体からはほとんど抗議の声が挙がらなかった。

医師たちは「遺伝病の子どもの出生を予防する」法律を準備するのに関与し、無数の病気の人々、身体障害者に対する不妊。断種手術をおこなった。

医師たちは選別と殺戮の官僚機構に協力した。専門家として彼らは選別の鑑定を行い、国家医療行政機構に協力して、強制収容所へ患者を移送させた。

医師たちは「安楽死病院」で働いた。彼らによる「認定」がヨーロッパのユダヤ人の工場的規模の殺戮の基礎になった。

医師たちは強制収容所、研究所、大学病院で残酷な人体実験を行った。

ごくわずかの医師たちが彼らのキリスト教的、社会主義的、共産主義的世界観にしたがって抵抗したにすぎない。

ベルリン医師会はその過去の重荷を負う。我々は悲しみと恥を感じている。(以上)

■ドイツ国民の健康への奉仕
前世紀の後半以来、それまでは主として私的な事柄とみなされ、せいぜいのところ地方自治体の仕事としかみられてかなかった健康問題が、ますます国家の課題とされるようになり、医師がこの国家的措置の代理人になった。医師は、個々の患者の福祉以上に「国民保健」を重視するようになった。だから、1926年9月5日に公布されたドイツ医師法第1条には「医師の職業はドイツ国民の健康に奉仕することである」と謳われている。
「国民の健康」という概念は、当時の社会民主党の中にも広まっていた。国民をひとつの有機体とみるものの見方から出たものであった。危険にさらされている国民、病気になった国民に対して、診断、予防、治療を行うためには、申告義務の強化と患者の状態把握が必要であった。一方で、乳幼児、学童、母親、結核患者、精神病者、身体障害者、貧困者のような、リスクを負ったグループはよりよい医学的保護を受けることができた。しかし一方で、国民は―国民保健の旗印の下に―監視と強制の強化に委ねられることになった。ワイマル共和国の公衆衛生制度の改革がまだ真価を発揮し、定着することができないでいるうちに、それは世界経済恐慌によって技術万能主義的な方向へ傾斜させられ、国民1人ひとりの健康に対する国家福祉の要求が、負担と効用の計算に、治癒不可能者・「劣等者」の除去へと変わっていった。



第1次世界大戦(1914年~1918年)

ドイツ精神医学会の謝罪
ドイツ精神医学会は公式に謝罪しました。では、日本の精神医学会は

パネル集「戦争と医の倫理」


日本人中国抑留の記録7(アヘン・731・無人地区)

発行「戦争と医の倫理」の検証を進める会
発売三恵社より


●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開?/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!

ヴォートリン
ヴォートリン
日本軍占領下の最初の10日間(12月13日~23日)
この期間に、日本の大使館が日本語の布告を30枚こしらえてくださり、それをわたしたちあらゆる建物や門に貼り出しました。それが大きな助けとなりましたが、兵士たちをそれの貼ってある建物にまったく入らせないようにはできませんでした。実際のところ、数多くの南山教員宿舎に行きつけている兵士たちの群れが中に入るには、アメリカ国旗が掲げられているところを2ヶ所に、アメリカ大使館の布告が貼ってあるところを2ヶ所、日本語の布告のところを3ヶ所、通って行かなければならないのです。わたしたちは夜警の人を1人と、以前の警察官で今は一般市民の衣服に着替えている人を2人、確保していて、毎晩代わりあって当直し、何か事があった場合には報告するようにしています。


ジョン・ラーベを記念するラーベ平和賞授賞式、オーストリアで開催

日本南京大\x{6ce0}血又殘忍殺死無辜的中國人的遭遇


档案:\x{8fd8}原1937南京浩劫---南京大屠\x{6740}(上)





中国各紙、好意的に報道 鳩山氏の南京大虐殺記念館訪問

「河村市長を訴える」再度の南京大虐殺否定発言で生存者が怒り=中国
毎日中国経済 2013年04月04日19時52分

名古屋市の河村たかし市長が再度、南京大虐殺を否定する発言をしたとの報道を受け、中国の墓参りの日である清明節の4日、南京大虐殺の生存者で84歳になる夏淑琴さんは「大虐殺を否定するというのであれば、河村を訴える」と怒りをあらわにした。中国新聞網が伝えた。
夏さんはこの日、南京大虐殺記念館を訪れ、犠牲者追悼の碑に花をたむけた。夏さんは毎年清明節にここを訪れているという。
日本の政治家がまた南京大虐殺を否定していることを知った夏さんは同記念館の朱成山館長に対して、「河村を訴える」と激しく怒りながら語った。
共同通信によれば、河村市長は1日、名古屋市長選の公開討論会の席で昨年の南京大虐殺否定発言について質問を受け、改めて「撤回する考えはない」と発言した。夏さんは「私は認めない。河村を訴える。あれだけ多くの人が死んだ事実がありながら、なぜ否定するのか」と、激しい反感を隠さなかった。
夏さんは南京大虐殺をめぐって何度も日本で証言し、2008年の裁判では日本の歴史研究者の著書をめぐって勝訴した。
日本銘心会南京友好訪中団の松岡環団長は4日、現地で行われた「清明祭」に出席。松岡氏は「河村市長は歴史的研究から南京大虐殺を否定する結果を導き出したわけではない。右派の政治家としてこうした観点が必要で、それを維持している。政治的利益のためで、これも政治の右傾化の危険な点だ」と指摘した。
(編集翻訳 恩田有紀)


脱原発

20130615 ラジオフォーラム 第23回 小出裕章ジャーナル


南海トラフ巨大地震の被災者は1000万人以上? これじゃ生き残るも“地獄”
巨大地震対策は“負け戦”の視点も必要に


大飯原発継続 活断層棚上げは危うい2013年6月17日

130614 報道するラジオ「原発の活用は経済成長につながるか・金子勝」

「左翼のクソ」に「シャラップ」 ・日本で要人の失言が相次ぐわけ

【838】 今さら聞けない科学の話 : 低線量被曝ってなに ? / 武田 邦彦 ( + お知らせ )


【841】 原発再開で最低でも日本国民の合意が必要なこと (1) 大前提 / 武田 邦彦

【844】 日赤、冷静な判断 ... 医師の被曝1ミリシーベルトまで / 武田 邦彦

小出裕章講演会 1/3.松本市 2013/6/09(日) 1/3 [ながそう]

原発は地震付き不良債権!(`・ω・´)ゞ

RCサクセション サマータイムブルース~LOVE ME TENDER


尖閣問題!!

<尖閣>野中氏「棚上げ」発言を古賀元幹事長が擁護
野中広務元官房長官が沖縄県・尖閣諸島を巡り日中間に「領有権の棚上げ」合意があったと発言したことについて、自民党の古賀誠元幹事長は6日、「決してこれが解決方法だとか自分の考え方だとして話されたわけではない」と擁護した。

古賀氏は棚上げ論について「野中氏は田中角栄元首相の講演で聞いたと話しただけだ。非常に誤解がある」と強調。日中関係について「こういう状態だからこそ話し合いのできるチャンネルを生かしながら考えていく必要がある」と語った。


「歴史に対し真摯に向き合うべき」鳩山氏、日本政治家の過激な言動に喝!―韓国メディア
配信日時:2013年6月5日 10時5分
2013年6月4日、韓国・中央日報の報道によると、鳩山由紀夫元首相が韓国・済州島で開催されたフォーラムで取材に応じた際、日本の安倍首相と橋下大阪市長の言動を批判した。中国新聞ネットが伝えた。

鳩山氏は安倍首相と橋下氏の言動に対し「多くの懸念材料がある。安倍氏あるいは橋下氏の言動は賢明な日本人の意見を代表していない」と述べた。

鳩山氏は先般にも安倍首相が中国と韓国との関係を悪化させたと批判しており、今回の取材でも、尖閣諸島問題の複雑化は危惧される点が多いと話している。

安倍政権の歴史認識において、日本国内の世論がどう見ているかを聞かれると、「誠実に歴史に向き合うことはとても必要。勇気ある発言があってこそ、世論は変わる。中韓と良好な関係を維持し、経済を推し進める必要がある。日本が中韓との経済協力で、歴史に対し真摯(しんし)に向き合う必要性を認識できることを期待する」と鳩山氏は語った。

また、「7月の参院選終了後、安倍氏は東南アジアや中国・韓国との関係改善が非常に重要であると認識するだろう。たとえ関係改善の目的がアベノミクスの成功だとしても、中韓との関係改善は非常に重要だ」と指摘した。(翻訳・編集/内山)

<尖閣問題>日中間に「棚上げで暗黙の了解があった」=瀬野・前重慶総領事が明言―野中発言裏付ける

<尖閣問題>米オバマ大統領、「尖閣聖域化」働きかけへ=米中首脳会談の主要テーマに―米外交筋

菅長官、野中氏の「尖閣棚上げ合意」発言に不快感

「尖閣棚上げ合意」はあったのか 野中「生き証人」発言が論議呼ぶ

野中氏、日中間で尖閣棚上げ合意あったと言及 政府と異なる見解(13/06/04)


野中広務氏、中国の尖閣番組で謝罪


尖閣「棚上げは共通認識」発言、政府内に波紋

<中国>軍副総参謀長が尖閣「棚上げ論」を「賢明な選択」


安部首相は、北朝鮮の拉致問題には熱心ですが、お祖父さんがやった拉致問題については全く無視していますね!!

中国人強制連行問題!!

安倍首相の祖父岸信介が法案をつくり、政府は1942年「華人労務者内地移入に関する件」を閣議決定した。

この「強制連行」を策定した岸信介(当時、商工大臣、A級戦犯)は戦後首相になったが、この国の意識レベルを示している。


中国人強制連行1


「Suopei」(賠償)より



●731部隊
昭和天皇・安倍首相の祖父・岸信介、東條英機等は、731部隊の設置認可に大きく関わっていたのではないか?


東条英機略歴抜粋(ウィキペディアより)
関東軍時代
1935年(昭和10年)9月21日には、大陸に渡り、関東憲兵隊司令官・関東局警務部長に就任[10]。このとき関東軍将校の中でコミンテルンの影響を受け活動を行っている者を多数検挙し、日本軍内の赤化を防止したという[11]。1936年(昭和11年)2月26日に二・二六事件が勃発したときは、関東軍内部での混乱を収束させ、皇道派の関係者の検挙に功があった[12]。同年12月1日に陸軍中将に昇進。

1937年(昭和12年)3月1日、板垣の後任の関東軍参謀長に就任する[13]

日中戦争(支那事変)が勃発すると、東條は察哈爾派遣兵団の兵団長として察哈爾作戦に参加した。チャハル及び綏遠方面における察哈爾派遣兵団の成功はめざましいものであったが、自ら参謀次長電で「東條兵団」と命名したその兵団は補給が間に合わず飢えに苦しむ連隊が続出したという[14]。


岸信介の略歴抜粋(ウィキペディアより)
1936年(昭和11年)10月に満州国国務院実業部総務司長に就任して渡満。1937年(昭和12年)7月には産業部次長、1939年(昭和14年)3月には 総務庁次長に就任。この間に計画経済・統制経済を大胆に取り入れた満州「産業開発5ヶ年計画」を実施。大蔵省出身で、満州国財政部次長や国務院総務長官を歴任し経済財政政策を統轄した星野直樹らとともに、満州経営に辣腕を振るう。同時に、関東軍参謀長であった東條英機や、日産コンツェルンの総帥鮎川義介、里見機関の里見甫の他、椎名悦三郎、大平正芳、伊東正義、十河信二らの知己を得て、軍・財・官界に跨る広範な人脈を築き、満州国の5人の大物「弐キ参スケ」の1人に数えられた。また、長州出身の同郷人、鮎川義介・松岡洋右と共に「満州三角同盟」とも呼ばれた。

東條内閣の閣僚時代

内閣総理大臣東條英機(最前列中央)ら東條内閣の閣僚と岸(前から2列目左から2人目)

伍堂卓雄商工大臣が当時の商工次官だった村瀬直養の反対を押し切って岸の次官起用を決定し、1939年(昭和14年)10月に帰国して商工次官に就任する。その後、商工大臣に座った小林一三と対立、直後に発生した企画院事件の責任を取り辞任する。1941年(昭和16年)10月に発足した東條内閣に商工大臣として入閣。太平洋戦争中の物資動員の全てを扱った。1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙で当選し、政治家としての一歩を踏み出した。1943年(昭和18年)、戦局悪化への対応として商工省が廃止され軍需省へと改組。軍需大臣は東條首相の兼務となり、岸は軍需次官(無任所国務相兼務)に就任。半ば降格に近い処遇により、東條との関係に溝が生じた。




731部隊の人体実験・細菌戦の実態がわかる動画3本
闇に消えた虐殺~731部隊・細菌戦の真実(テレビ朝日「ザ・スクープ」、1997年8月



知ってるつもり 731部隊


黒い太陽731部隊






(参考)高杉晋吾が語る「戦争・原発!!」
20130316 UPLAN 高杉晋吾 国策としての731部隊と原発



続きは「ノブのノート」で
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