●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
四月十六日
曇り 薄ら寒し 午前八時半起床 中隊の使役巡察あり 第一五列車。
十五日の午後十時ニ十分駅警察派出所(遼陽警察署)西巡査(日本人)○○巡補(名前はわすれる非常に親しみの深い日本人と変わらない位立派な支那人)第十八列車警戒の為に乗り、彼の巡補は其の役目に終わり一旦派出所に帰り書類の整理をした後 自宅に(派出所のすぐ裏)引き上げた時 自宅の入り口の境の中に待ちかねたらしい怪しい二人組支那人 二発の銃声に 西巡査駆け付けた時 最早人影なく青く倒れているのは巡補ばかり。拳銃はもちろん取られて 二発の弾は(長銃にて撃たれ三八式の弾より非常に大きい弾なり 鞍山満鉄病院にて切開の結果判明)胸部大腿部いずれも猛貫にて人々に惜しまれつつ、遂に死す
軍都広島での物語
原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。
死
もうゆれる炎の道ばた
タイコの腹をふくらせ
唇までめくれた
あかい肉塊たち
足首をつかむ
ずるりと剥けた手
ころがった眼で叫ぶ
白く煮えた首
手で踏んだ毛髪、脳漿
むしこめる煙、ぶっつかる火の風
はじける火の粉の闇で
金いろの子供の瞳
燃える体
灼ける咽喉
" target="_blank">原爆投下
" target="_blank">原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影)
" target="_blank">封印された原爆報告書
日本政府は、原爆が投下された後、その威力調査を行ない、その結果をまとめて、戦後、アメリカへ英訳して渡した。被爆者の治療は殆どされず、人体実験迄行われた。
日本政府は、原爆が投下された後、その威力調査を行ない、その結果をまとめて、戦後、アメリカへ英訳して渡した。被爆者の治療は殆どされず、人体実験迄行われた。
" target="_blank">原爆初動調査1
1945年9月に被爆地に残留放射線があったにもかかわらず、日米両政府は戦後それを隠蔽してきた。
" target="_blank">原爆初動調査ー隠された真実2
原爆初動調査ー隠された真実3" target="_blank">原爆初動調査ー隠された真実3
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