・憲法9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
『イマジン9』より
想像してごらん、
世界から戦争のなくなった
平和な世界を。
Imagine,
A peaceful world without war.
Представьте себе,,
Мир во всем мире без войны.
试想一下,
一个和平的世界没有战争。
●ニュース
「韓国への植民統治、中国への侵略などが歴史的事実として入らねばならず、当然、反省と謝罪の気持ちも入らねばならない」と語った。
鳩山氏、ひざまずき合掌=植民地時代の刑務所跡で―韓国
政府は、証拠を隠さず、きちんと真相の究明をせよ!!
520の灯火に黙とう…日航機事故から30年
沖縄海上で米軍ヘリ墜落、普天間移設への影響は
京都の百歳女性「戦争絶対いけない」 戦没者追悼式参列へ
<70年談話>「侵略、反省」記述へ 「おわび」で心情
野党 “自衛隊の対応の文書”巡り中谷大臣追及へ
村山富市氏「村山談話をしっかりと継承すべき」
日本人ボランティアの相馬一成さん、731部隊の罪をより多くの日本人に知ってほしい
●ハーバード・ピックス著『昭和天皇』(下)より
第11章
真珠湾への道
たとえば近衛が辞任をほのめかした1938年末から1939年はじめのころに、昭和天皇は新任の畑俊六侍従武官長に次のように語ったという。「そんなに近衛総理の辞めるのが困るのなら、近衛総理を引留める代りに、例の防共強化の問題を最初の五相会議で決定した通りに決めて、・・・・ソヴィエトのみに対する純然たる防共協定といふことにしてはどうか。参謀本部に行ってさう言へ」。当時、天皇は三国同盟そのものに明確に反対していたわけではなく、英仏をも対象とした同盟に反対したに過ぎなかった。
瀋陽軍事裁判 「731榊原、満州国次長古海、皇帝溥儀等の証言、アヘン政策、三光作戦鈴木啓久 」
●『天皇の陰謀』
天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた
ディビット・バーガミニ 著
松崎 元 訳より
凱旋入城
さらに鋭く、「万歳」、と彼は繰り返し、多くの声がそれに続いた。
三度目の「万歳」を彼は声を震わせて言った。だが、ラジオ放送の技術者は、過負荷と音の歪みを避けるため、音量を下げねばならなかった。日本放送協会に残された録音テープによると、その言葉は従来通りのものであったが、兵隊たちの声は、ジンギスカンあるいはアッティラ〔ヨーロッパに侵入したフン族の王〕の軍団が発したかと思われるような低劣なものだった。松井は馬を大通りに進め、丹念に清掃された通りを進み、数千の兵士が歓呼する中を通って、市街の北にあるメトロポリタンホテルに着いた。
パレードに参加していた兵士の奇声や外見、そしてホテルでの宴会で耳にした言葉などから、松井は、南京で何が起こっているかについて、深い疑念を抱いていた。選ばれた数大隊のみが市内に駐留せよとの彼のことさらの指示は、まぎれもなく無視されていた。彼は晩餐を早めに切り上げて、参謀会議を招集した。参加していた将校によると、彼は中島と武藤をしかりつけ、すべての不必要な部隊を市から出すように命令した。宿営担当の武藤は、農村地区に新たな宿泊地を設けることを言明した(116)。
1937年12月から1938年2月に書かれたもの。軍の検閲印が押され、「掃討」「銃殺」などの言葉が確認できる。うち2通には「揚子江の水はひどく汚染されている。非常に恐ろしいことをした!」
非常に恐ろしいことをした・・旧日本兵の手紙が4通見つかる、書かれていた内容は―中国メディア
南京大虐殺:侵華日軍南京大 南京電影制片庁 21分
●日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか?
医の倫理は、向上すると思う!!
中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!!
聞け、この沈黙の慟哭を
平房の涙、地底の叫びを
見よ、この虐げられた大地を
名も知れぬ鳥たちが番人のように私を見下ろしている
記憶は人間の地底を永劫に流れ続ける
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より
日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア
混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)
・『731部隊 細菌戦の医師を追え(今も続く恐怖の人体実験)』(高杉晋吾著 徳間書店)
Ⅸ ナゾの流行性出血熱を追え
阪大病院、京都府立医大“アレ病”事件
しかし、私は今にして思えば、この流行性出血熱を検査した阪大微研そのものが、実は、そこに発祥の根を持つ阪大微研観音寺研究所の母体であることに気付くのである。
私は昭和57年の春、大阪―京都を中心に、流行性出血熱を取材して歩いて、病院や大学の薄気味のよくない秘密主義に出会い続けていた。
なかでも私が驚嘆したのは、昭和43年当時、阪大微研(吹田市)に隣接した建物にある大阪大学蛋白質研究所で17人の医師や研究者がこの熱病に罹って次々と倒れたとき、調査班はこの正体を原因不明のナゾの奇病「蛋白研奇病」などと珍奇な名前をつけて秘密にしてしまったことだ。
(参考)
子宮頸がんワクチンの危険性 - Thinker
子宮頸がんワクチン接種、通学できぬ少女 推奨中断2年
ワクチンについて シェリー・テンペニー博士
厚生省・国民健康保険について(消えた細菌戦部隊より:常石敬一著より)
医務局長としての小泉の実績は、確かに先の、「意欲・鋭さ・執拗さ」という言葉に見合ったものとなっている。すなわち今日の厚生省及び国民健康保険法を作ったのが小泉であった。
※小泉親彦(ちかひこ)・・・陸軍軍医学校校長、陸軍軍医総監、陸軍医務局長、厚生大臣を歴任、毒ガス戦、細菌戦を積極的に推し進めた人物
1945年9月、自決。
・・・・・・
健兵対策の一環として厚生省は設立されたのだった。こうした設立の経緯が、今日の厚生省の弱者に冷たく、福祉行政に消極的な理由となっているのかもしれない。
血液問題に関する行政交渉と記者会見 パッチTV
血液の闇 輸血のペテン「カントンの犬」で検索 平均寿命捏造 内海聡先生 船瀬俊介先生対談
児童相談所について
内海聡医師インタビュー
児童相談所改善のための要望書の連名記者会見
向精神薬と麻薬
内海聡の内海塾 テーマ「歴史と医学利権」ダイジェスト
全文は「ノブのノート」で!!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます