核・戦争のない世界!!

2024-07-01 11:33:23 | Weblog
「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)
                             1995年8月15日

 先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。

 敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。

 

 

南京大虐殺 
 
南京大虐殺(マギーフィルム) パネー号撃沈
        
        


 重慶爆撃               

 

原爆投下や東京大空襲ばかり取り上げて、 日本のテレビや教科書が重慶爆撃を取り上げないのは問題だと思います。 (視聴者のコメント)

    
  

 

 原爆    

 
 
原爆とは

 
原爆とは原子爆弾の略称で、核兵器の一種です。核兵器とは人為的に核分裂反応を引き起こし、そのエネルギーを利用した爆弾を指します。後に、原爆よりもはるかに強力な水素爆弾が開発されました。
核兵器は、これまでの兵器と比べ物にならない桁違いの威力の爆弾です。第二次世界大戦で主に使われたTNT火薬と比較すると、原爆でTNT火薬の100万倍、水素爆弾は原爆の1,000倍にも及びます。*1)

 
 
 
 
 
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原爆が使用されたのはなぜ?

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日航123便の怪(1985年8月12日)
 
     
 
●東京帝国大学伝染病研究所
  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
 ●東京帝国大学伝染病研究所『実験医学雑報』
・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?
・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?
・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器・研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。
・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか??
・河本禎助も毒ガスの研究をしていた。
・1938年6月1日の伝染病研究所で石井の厚意によって上映された映画には、731部隊の生体解剖でも映っていたのでであろうか? 精神的緊張裡とは、何のことだろうか?
 ・実験医学雑報20巻 第7号(1936年) 本所職制改正 この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。 *特別研究室とは何だ??
・中込亘は、731部隊で細菌に感染して死んだのだろうか?
 
雑報6号(23巻、1939年)
伝染病研究所創立41周年記念日に当り医学界を展望して所感を述ぶ
                     宮川米次
 
(ロ)第四性病の病原体
宮川小体に関する新知見は、昨年度4か所に於いて補遺せられた。その1はドイHamburgのNauk(Areh.Sehiff.Trop. Hyg Xli.1937 ) & Malamos(C.f.Bact.143,1938) の報告であった。角膜細胞の組織培養によって、精細なる追試を為し、極めて美麗なる標本を得られて、宮川小体を病原体なりと断言しておるのである。その2は、フランスパリの Levaditi en ColIaboration /の所見であって(Travaux Decembre 1937-1938)広汎なる記載を発表しておる。氏は同国に於けるこの方面の最高権威であって、組織培養並びに塗抹標本に於いて宮川小体を検出し、やはり病原体と断じているのである。その3は英国のこの方面の権威 Findlay, Mackenzie & Mac Callum(Nature cxli, 1938) の所見で宮川等のそれを裏書きしている。即ち病原体の多さ、染色上の特性、マウス脳に於ける所見等全く一致している。
 
 
 
 
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より) 吉田裕監修  
2001年ピュリッツァー賞受賞 
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。
 
好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
 戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!   
 
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年  
 
第7章 満州事変
 
 
犬養暗殺の10目後、天皇は老齢の海軍大将斎藤実を首班に任命した。斎藤は、内田康哉外相、高橋是清蔵相、新官僚の指導者である後藤文夫農相、荒木貞夫陸相、海軍大将岡田啓介海相らからなる挙国一致内閣を組閣した。この内閣は、1934年7月、帝国人絹株式会社をめぐる贈収賄スキャンダルで崩壊するまでの2年余りに、国会を4会期切り抜け、たび重なる閣僚交代を行った。この間、斎藤は満州国建設、日本の国際連盟脱退、そして政府機構の部分的再編を指揮したのである。
 
 
 

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