●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
おわりに
本書の執筆は、基礎となった私の修士論文の加筆・修正から始まり、新資料やその後の研究成果も盛り込んで、原稿(第1案)は2004年6月末に完成した。しかし、その翌月に吉見義明『ごくガス戦と日本軍』が刊行され、その優れたご研究を受けて、本書の内容はほぼ固まっていたが、原稿にリバイズを加えることとなった。本書を書き終えて、この問題についてようやく自分なりにまとまった見解を提示することが出来たような気がするが、残念ながら、私の能力不足で充分に議論を展開できなかった問題も少なくないし、まだよくわからないことも多い。また、紹介しきれない資料や見解が多いのも事実である。このように拙い本書であっても、日本軍の毒ガス問題の理解の為に何らかの役に立ったり、現代史・科学史・軍事史などの研究や大量破壊兵器の廃絶と平和の為に多少なりとも貢献することが出来るならば、これに勝る幸せはない。・・・・・(以上)。
海軍の相模海軍工廠跡を訪ねて(2022年4月9日)
日本は海軍も毒ガスを製造し、本土決戦に備えていた!!
碑文
ここ旧西寒川駅跡に佇んで東を望み、更に南に目を転ずるとその視界に工場群が迫る。 そこは、かつて多くの仲間が営々と働いた相模海軍工廠(昭和20年敷地704,000m2)の跡地である。往時を偲べば、先人や友の姿が彷彿と甦り、懐旧の想いひとしおである。
第二次大戦後工業立地に恵まれた跡地は町発展の礎となり、今日の繁栄をもたらした。 いま大地に大地に深く根差した緑に世界の平和を願い、国土の安隠を祈る。
建立 相廠会 及び 協力企業 昭和63年春
略史
昭和 5年 海軍火薬廠用地の一部割愛を受け、海軍科学研究部化学兵器研究室が平塚出張所を開設
昭和 8年 平塚出張所に一号・二号・三号特薬兵器の製造実験工場を建設
昭和 9年 海軍技術研究所化学研究部として独立
昭和12年 特薬庫、火薬庫、爆発円筒及び特殊化兵研究室などを建設。総敷地面積は124,000平方メートルに
昭和17年 相模海軍工廠(寒川町)の新設と同時に、化学研究部が相模海軍工廠化学実験部になる
昭和20年 終戦、廃廠
第一次世界大戦後、日本は化学兵器の調査研究と技術開発に着手、大正11年に艦政本部内に担当部署が設置され、翌12年には海軍技術研究所となり化学兵器の研究と技術開発を開始。
相模海軍工廠では士官・常用工・徴用工員・女子挺身隊員・勤労動員学徒等3,500人余りが従事し、主として化学兵器・火工兵器の研究開発・製造が行われた。
海軍では毒ガスを攻撃用よりは防御用とすると認識が強く、相模海軍工廠では防毒マスクの生産が主力だった。(相模海軍工廠より)
*A事案区域とは、環境省が平成 15 年に実施した<昭和 48 年の「旧軍毒ガス弾等の 全国調査」フォローアップ調査※1>において終戦時における旧軍の化学兵器に関連する情報を集約した結果を踏まえ設定したA事案(毒ガス弾等の存在に関する情報の確実性が高く、かつ、地域も特定されている事案)に該当する区域のことです。具体的には、以下の3区域となります(図1参照)。
①旧相模海軍工廠跡地(神奈川県寒川町内)
②旧相模海軍工廠化学実験部跡地(神奈川県平塚市内)
③ 旧陸軍習志野学校跡地(千葉県習志野市・船橋市内)
第1次世界大戦では、毒ガスが大量に使われた。
百年の悲劇は、ここから始まった1
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第10章 残酷な人体実験毒ガス実験
付記・ジャムス毒ガス弾発見地点の現地調査記
さらに前方の水面を指さし、「あそこには新たに貿易専用の埠頭をつくるのですが、これまで浚渫されたことのない場所なので、来年の浚渫作業できっとたくさんの砲弾が出てくるでしょう」と言う。そちらに目を向けて、私たちは、ハルピンでの調査で、紅旗09号の当時の船長、今の船長代表である王希善さんが言っていたことを思い出した。1972年、ジャムス一帯の作業ではグローブ式の浚渫船を使っていた。紅旗09号のように砲弾が詰まる構造で無かったため、掘り出した砲弾はことのほか多かったという話だ。それらの砲弾はある船にまとめて積んだが、300個以上あったという。その後、長さ1m以上、弾尾に羽のある巨大な砲弾が掘り出された。この話をすると、黄さんは「それは確かです。その年に揚げられた砲弾は本当に多かった」と断言した。
加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
核時代39年(1984年)5月初版発行
焼け火箸ー拷問の挙句に斬首
佐藤五郎
分隊員 上等兵
(旧部隊名)第59師団第109大隊
「この野郎、なめやがったな」うめき声ともつかないかすれ声を張り上げ、脇にぼざっと立っていた佐藤1等兵を見ると、怒鳴りつけた。
「こら佐藤、こいつのズボンを取れ、言わなけりゃ言わせてやる」「ハイ」震える口調で返事をすると、吊るした中年の男のズボンを夢中になって引っ張ったが、簡単に外すことはできなかった。
2回、3回、必死になって引っ張った。引っ張るたびに木の枝はがさがさと音を立てる。
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
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