細菌戦の系譜!!

2019-02-02 08:18:26 | Weblog

第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
NO MORE 化学兵器
帝銀事件と登戸研究所
石垣島の自衛隊!!
カネミ油症問題
元731部隊軍医と強制不妊手術
731部隊・100部隊と戦後の流れ
細菌戦部隊員の戦後
731部隊の問題


日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】

・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に


●ニュース
アメリカ政府、“INF条約から撤退”を発表

徴用工問題 日本、仲裁委設置を韓国へ申し入れへ ICJへの付託も検討

統計調査予算を過剰計上か 厚労省「賃金構造で」 

日本大使館前で告別式=日韓合意反対の元慰安婦-ソウル

「どちらでもない」はどっち 沖縄の声、都合よく解釈も


【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 2004年からだった厚生労働省・賃金データ改ざん! 日本のGDP疑惑


【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 やばい日本の製造業! 家電&国産スマホの財政危機


【大竹まこと×近藤誠×倉田真由美】 〈目から鱗の医療〉 がん手術・抗がん剤治療・早期発見は効果がない!


各地の県立高校などで相次ぐ「人骨」問題 6県16校、記録少なく

玉城デニー県知事・金秀グループの呉屋守将会長・屋良朝博さんが鳩山友紀夫と議論




【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 日立のイギリス原発輸出撤退の裏側! 日本に生まれる新ビジネスチャンス



竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見

【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任


森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活


731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他


国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題


中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30

●お知らせ




京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に



「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

隊員は狙われている
私達は、撮らせるつもりだったが、関根雇員が大声で叫んだ。
「よせ、よせ、そんなもの写りゃせんぞ」
写真屋は、にんまり笑顔を見せて引き揚げて行った。
「もう、部隊には帰りとうないわい」
しばらく青い空を仰いでいた林田が、急にそんなことを口走った。
「聞こえるぞ」
と私はたしなめたが、彼の班の者は一斉に林田に合槌をうったのである。
「あの班長じゃなあ、まったくだよ」
「内務班じゃ班長に狙われ、たまに外出すりゃ、スパイに狙われ、か。ひょっとしたら、今の写真屋、少し怪しかあなかったかい?」
「よせやい、気にしちゃうじゃないか」
そんな話がしばらく続く。しかし、林田は、まだ小宮のことを気にし通しだった。
「小宮の奴、手が早いけんのう。何も、打たでもよかろうもん」そこで彼は私だけにわかる言葉で、「あれ以来、ますますえろう目にあわさらす」
と、苦笑して見せた。一時逃れに佐川技手を利用させたのは私なのだ。そのため彼を一層苦境に追い込んだのだったら・・・・。私はそう考えて、責められるような気がしてならなかった。


・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り




京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・


「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」






日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第4章 科学はいかにして罪業となったか

様々な化学毒剤
最も代表的な資料は松村高夫教授らが戦後発見した実験報告書である。この報告書は1940年9月に中国東北地方(詳しい地名は不明)で16人に対してイペリットの人体実験が行なわれた情況を叙述し、大量のデータを提供している。実験の成熟度や厳密さからいって、これの前にも類似の実験が繰り返し行われたに違いない。
また、日本の関東軍化学部の近藤の実験報告の中にも、人を対象として毒ガス(青酸ガス)実験が行なわれたことを物語るものがある。というのは、この報告の中に次のような記述があるからだ。人に対して青酸ガス吸入実験を行なった結果、「濃度5万だと5分以内に意識不明になる。濃度1万では16分以内に意識不明になる。皮膚吸入を行なえば影響がより大きい」。かなり正確な測定の結果、0.04グラムの青酸ガスが人体に吸入され血液に入ると、人を死に至らせることが分かった。
様々な実験を行なった末、日本の陸軍省は1931年から次々に各種毒剤を制式化した。1941年、制式化され生産されるようになった毒剤は合わせて9種類あった(表12)。



東京第二陸軍造兵廠曽根製造所
平成十二年八月六日、「平和のための戦争展 in 北九州2000」の企画で、旧軍施設の見学会が催されました。見学先は、「東京第二陸軍造兵廠曽根製造所」跡地です。それに参加したときの写真です。 
ここは、表向きは普通の爆弾製造工場とされていましたが、実際は、「東京第二陸軍造兵廠忠海製造所(広島県竹原市大久野島)」製の毒ガスを、「小倉陸軍造兵廠(福岡県北九州市小倉北区)」製の砲弾・爆弾に充填する化学兵器製造所でした。日本の製造した毒ガス弾の2割がここで充填されたと言われています。
●冷却室(ホスゲン・青酸の冷却、液化を行う施設)

左側が冷却室背面です。 
この写真は冷却室背後を通り過ぎた場所から撮影しています。右側手前に見えているのがB1棟、奥がA1棟です。撮影位置の背後に、次のE1棟が有ります。 


●登戸研究所資料館
はじめに
昭和の戦争と登戸研究所の変遷
登戸研究所は、1937(昭和12)年11月、「陸軍科学研究所登戸実験場」として開設されました。最初は、主に電波兵器(く号兵器・ち号兵器)・無線機器・宣伝機器(せ号兵器)などを開発するための施設でしたが、1939年に大幅に機能が拡充され、名称も「陸軍科学研究所登戸出張所」となりました。従来の電波・無線関係が第一科になり、新たに毒物・薬物・生物兵器(主に家畜を殺傷したり、植物を枯らす様々な細菌兵器)・スパイ用品などを扱う第二科、偽札・偽造パスポート製造を行なう第三科が設置されました。この頃に研究所が拡充されたのは、日中戦争が泥沼化し、欧米諸国が中国への支援を強めたために、日本軍も中国に対してだけではなく、水面下で欧米諸国への秘密戦を強化する必要があったからです。

●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表

4、ドイツではどのように向き合ったのか

■ドイツのとりくみと困難

―それにしてもドイツの方が日本より進んでいると思われるのですが、日本との関係で見ておかなければならないことはあるのでしょうか―

2012年5月にはニュルンべルク医師裁判が行われた地において開催されたドイツ医師会年次大会が、全会一致でナチ時代の医学犯罪について重大な共同責任を認め、ドイツ医師会の中に歴史研究を行う委員会を設けるという声明が出されました。
自らの過ちに関するDGPPNのドイツ内外での移動展示は、紆余曲折がありましたが、2015年に日本でも開催され、その間に2010年当時のDGPPN会長の講演も行われました。 



昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)



復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月

昭和20年の頃

3、特殊爆弾から原子爆弾へ
これらの人々は8月14日から広島で業務を開始したが、終戦になってからは調査の方針も変えなければならず、一応8月19日で打ち切って帰京した。この報告には次の事などが書いてあった。即ち、白血球については、8月16日までに調査した軍関係の負傷者と健康者合わせて143名中、白血球減少は健康者には比較的少なく、何らかの負傷をしている者には多かった。また原爆を受けた後、2,3日の間に嘔吐、吐き気のあった者に白血球減少が多かった。これはX線縮酔に一致している。受傷者も健康者も原爆を受けた時の位置が明らかでないし、白血球減少症が放射線のみによって生じるわけでもないので結論を下し得ないが、もしこの患者が死亡すれば、骨の放射能やその他の病理学的検査をすれば明らかになるだろう。






イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ



●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年

第7章 満州事変



帝国日本を、アジアにおける西洋植民地諸国に対して有利に立てる自給自足の経済「帝国」へ転換させる考えは、ある面では第1次世界大戦時の寺内内閣が進めた「アジア・モンロー主義」の再現であった。しかし、自給自足体制は、西洋列強が不当に日本を圧迫していると見なされたときには広範な大衆の支持を獲得した。自給自足は日本の資本家層にも強く訴えるものがあった。当時、彼らは外国の資源や技術への依存の低下を模索し、国内投資を軽工業から重化学工業へ移行させようとしていたからである。
満州事変の間、日本のオピニオンリーダーにより、誇張された利己的な国際情勢の解釈が数多く提起されたが、なかでも満蒙を日本の経済的、戦略的、道徳的な「生命線」であり、「生存の唯一の手段」であるとする主張ほど、陸軍の支持を得たものはなかった。生命線という表現は当初、松岡により案出されたが、幅広く愛国心を刺激した。満州の陸軍の行動に関し誤謬にとらわれた多くの日本人は、祖国とその栄誉を守るためならば、列強の最大の強国とさえ進んで対決するように思われた。国際法とは西洋の概念であり、英米に有利な時点で国際秩序を固定化することを意図したものであるから、満州国承認や連盟脱退が国際法自体の否認になるとしても、それで構わなかった。日本は天皇に由来する規範に基づく、独自な序列による国際的枠組みを創造しようとしているのであり、天皇は道義の化身であり、英米人が好む抽象的な法よりも具体的な存在なのである。



小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争




憲法9条を生かそう!!


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