●皇室の秘密
君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか?より
南京攻撃への一致した決定を得るべく、当本部の面々は着実な議論に取り組んでいるが、最終決定にはいまだ至らず。ともあれ、決定は間近であるので、安心されたし。
松井のもとの参謀将校たちにあてた、第二の、極秘、至急電報(49)はこうなっていた。
余は、余の最高幹部の決定いまだ得ずとも、当本部の核心は南京攻撃に傾注しつつあり。しかるに、これを理解し、予断を打ち捨て、前進計られたし。
ここに言う「当本部の核心」とは、電報を打った下村少将を別にして、天皇裕仁のみであった。また、「最高幹部」とは、もちろん、苦闘する多田中将のことである
南京強奪
残忍な部隊が南京に接近している時、松井大将は、揚子江デルタの蘇州〔サンチョウ〕の前線本部で、結核の熱のため、寝たきりでいた。
またその5日前の12月2日、天皇裕仁は、松井の責務から、前線部隊の人的監督を除いて安心させ、華中方面の総司令官へと格上げした。そして南京地区軍の司令官としての松井の地位に代わって、裕仁は、自分のおじ、朝香宮〔あさかのみや 鳩彦〕を任命した。
天皇家はこうして儲かる~赤十字社を通じて世界の貴族と連帯~
相対的な価値感に囚われると本質が見えなくなる
天皇家はこうして儲かる~赤十字社を通じて世界の貴族と連帯~
血液利権、輸血は堂々と行われた生物化学テロである。
天皇家が悪魔崇拝に関わっているとしか思えない幾つかの理由。
天皇家という闇。日本赤十字社という闇。田布施システムという闇。悪魔崇拝者という闇。
エボラワクチンは殺人兵器。投与した人のみがエボラに感染する仕組みです。
天皇がどこからどう見ても悪魔崇拝者であるという証拠。
天皇家の守り人組織は暴力団!
天皇家の秘密―再掲
堀江貴文 「天皇は戦争の責任を負うべき」神をも恐れぬビッグマウス!そして池上彰ディスり!!
日本人を大量虐殺した天皇家の皇太子妃・雅子の一族
水俣病Q&A
水俣病
2.26事件は天皇兄弟の謀略
旧陸軍士官が語った歴史の真実(2.26事件はヤラセ?)
「侵略戦争遂行財閥の頂点に位置した神聖財閥」より
日本経済の頂点に立っていた神聖財閥
「これまでの皇室財産は多分に財閥的なものがあり、、、、皇室財産の凍結により、将来日本経済或いは産業に対する皇室の関係は希薄となり、生産手段の民主化が促進されるだろう、、、」クレーマー経済科学局長(連合軍司令部)
今も日本経済の不可視の頂点には天皇制のタガが嵌められている。黒い右翼の街宣車が平成財閥の用心棒として機能していることは日本経済の周知の事実である。
●昭和天皇は極秘ルートで、広島・長崎の原爆投下、ソ連の参戦の情報を知っていた?
畑元帥と高野広島県知事はなぜ無事で、第2総軍は畑元帥の指示で8月3日から広島市内に出動していたのだ!?
・広島原爆投下時の真相(『日本のいちばん醜い日』/鬼塚英昭著より)
畑俊六は8月6日の原爆投下のことを知っていた!!
この原爆で、第2総軍の司令部の数々の建物は壊滅し、多数の死傷者が出たのである。
8月6日朝8時頃に、多数の第2総軍の参謀や将校が集まっていた。そこに原爆が落ちたというわけである。有末精三は畑俊六元帥のことを書いている。
山の中腹、松本俊一(外務次官)氏父君の別荘におられる畑元帥(俊六、第12期、元侍従武官長、支那派遣軍総司令官)に敬意を表し、今夕、仁科博士等の到着を待って調査に着手する旨申告した。将軍は被爆当時日課として朝のお祈りで、神棚に向かっておられたため、幸いに被害はなかったとのことであった。
有末精三は「それぞれ頭や頸元や胸に包帯をしていた岡崎清三郎参謀長(中将、第26期)、真田穣一郎少将(参謀副長、第31期、前大本営陸軍部作戦部長)、井本熊男作戦主任参謀(大佐、第37期、後の陸将)、同参謀橋本正勝中佐(第45期、後の陸将)などが草の上に胡坐(あぐら)をかいたり横になったりして論議しているところへ挨拶否見舞に行った・・・・」と書いている。生き残った第2総軍のトップクラスも全員負傷して、草の上で胡坐をかいていたのである。
この日、間違いなく、第2総軍の全員は、8時頃に集まって会議か、あるいは演習の準備に入っていた。ほとんどの第2総軍の人々は死に、あるいは傷ついていたのである。
ひとり、畑元帥のみが理由はともあれ、この総司令部に行っていないのである。
「山の中腹、松本俊一(外務次官)氏父君の別荘におられる畑元帥」と有末精三は書いている。
私は東郷茂徳外相の依頼か、他のヨハンセン(吉田反戦)・グループの依頼を受けた松本俊一次官が原爆投下前のある日、秘かに畑元帥と会談し、8月6日午前8時すぎころの広島に原爆を落とす計画を打ち明けたと思う。そのときに松本俊一外務次官は、この日の8時過ぎに、第2総軍の全員が集合するようにして欲しいと依頼したとみる。この第2総軍を全滅状態におけば、陸軍の反乱の半分は防げるからである。・・・・
・・・・・・・・・・・
学徒を殺し、一般市民を殺し、第2総軍の軍人を殺し、木戸幸一は大井篤の尋問に答えている。
陛下や私があの原子爆弾によって得た感じは、待ちに待った終戦断行の好機をここに与えられたと云うのであった。特に皇室や上流階級にも身命の危険が及んで来たからではない。
※ウキペディアには 畑俊六は「昭和20年8月6日の広島市への原子爆弾投下により、国鉄広島駅付近で被爆するも奇跡的に難を逃れた。被爆直後から畑は広島市内で罹災者援護の陣頭指揮を執り、広島警備命令を発令した。その職にて終戦を迎える。」と書いてある。真実を書いていないのではないか?
高野源進広島県知事は県下福山に出張中だった。
高野 源進(たかの げんしん、明治28年(1895年)3月15日 - 昭和44年(1969年)1月4日)は、日本の内務官僚、弁護士。官僚としては主として警察畑を歩き山梨県知事・警視総監などを歴任したが、特に原爆被災時の(官選)広島県知事を務めたことで知られる。
福島県北会津郡北会津村で農業を営む高野源八の長男として生まれる。
ヒロシマ壊滅 その時 知事は 高野源進氏の書簡見つかる
畑 俊六(はた しゅんろく、明治12年(1879年)7月26日 - 昭和37年(1962年)5月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は元帥陸軍大将。偕行社会長。位階勲等は従二位勲一等功一級。陸相在任中に戦陣訓も考案した。
終戦間際の昭和20年(1945年)8月14日10時、昭和天皇は御前会議の開催に先立って元帥会議を召集し、俊六(第二総軍司令官)、杉山元(第一総軍司令官)、永野修身(元軍令部総長)の3元帥より意見を聴取した際、杉山と永野が主戦論を張るなか、畑のみは「担任正面の防御については敵を撃攘し得るという確信は遺憾ながらなしと申上ぐる外ありません」と率直に現状を説明、これが本土決戦の不可能を昭和天皇に確信させることになった。
父は旧会津藩士・畑能賢
これも天運であると共に明治大正を通じて温醸された弊害が積り積って潰滅した結果に外ならない。
※どんな因縁があるのか知らないが、ご両人とも福島県出身。会津藩は幕末には薩長にやられ、敗戦間際には天皇の命令により第2総軍の壊滅計画の役を買わされ、その後の原爆被害の対応、そして2011年には最悪のレベル7の福島原発事故!!
(畑は、南京大虐殺後の昭和13年(1938年)には松井の代わりに中支那派遣軍司令官となり、徐州戦、武漢作戦を指揮している。)
(参考)
大木操の『大木日記』の8月7日を見ることにしよう。大木操は当時、衆議院書記官長であった。
8月7日(火)晴
10時半登院、間もなく警報、小型機空襲。
議長、副議長と雑談。
正午過ぎ、岡田厚相来訪。広島に原子爆弾を6日午前8時半頃投下。十数万の死傷の報、大塚地方総監爆傷死、畑元帥健在、高野知事は出張中にて助かる。成層圏より落下傘にて投下、地上2,3百メートルにて爆裂、直径4キロ全滅全焼、エライことなり。
直ちに依光代議士は日政の幹部会にこれを伝える。一座愕然。
では、『広島県史(近代Ⅱ〕』の「原爆と敗戦」を見ることにする。
広島地区司令部の強い要望により、中国地区司令部の強い要請により、中国地方総監および広島県知事は8月3日から連日義勇隊約3万人、学徒隊1万5千人の出動を命令した。
この2つの本を読んで、私は次のように推論する。
8月初旬に広島県庁に入った畑元帥は、高野源進広島県知事と中国地方総監を説得した。第2総軍を動員し、8月3日から連日、義勇隊3万人、学徒隊1万5千人を出動させよと命じた。畑はひそかに、高野知事に真相を打ち明けた。高野知事は広島を去った。こうした中で8月6日の朝8時15分を迎えた。第2総軍の軍人たち、義勇隊、学徒隊の多くが死んだのである。
・・・・・
もう1度、米内海相の直話を記す。天皇も木戸も、この米内の話に賛意を示したのである。
私は言葉は不適当と思うが、原子爆弾やソ連の参戦は或る意味では天佑だ。国内情勢で戦を止めるということを出さなくても済む。私がかねてから時局収拾を主張する理由は敵の攻撃が恐ろしいのでもないし原子爆弾やソ連参戦でもない。一に国内情勢の憂慮すべき事態が主である。従って今日その国内情勢を表面に出さなくて収拾出来るというのがむしろ幸いである。(「米内海相直話」昭和20年8月12日)
まさに、米内海相が語るがごとく、数十万の死者を出した原爆より、ソ連参戦で満洲で数十万の軍人や民間人が死んだことより、国内情勢の憂慮すべき事態が重要であると、天皇や米内たちは考えたのである。その1つが広島にある第2総軍であったというわけである。
その第2総軍は壊滅した。西日本の軍の反乱はこれによって鎮圧された。残るは関東一円となった。その中心の皇居を舞台に、偽装クーデターを起こしたというわけである。
●天皇はなぜ広島・長崎の原爆忌に参列しない?天皇と原爆は関係ない?
天皇批判した小川、謝罪も炎上
小川未菜は100%正しい! 「日本人は昔,天皇のせいで苦しみ、命がたくさん奪われた」
日本は戦争中、世界で初めての2発の原爆投下を、経験した。
これは、アメリカが莫大な費用をかけて開発したものだった。
アメリカは実戦の効果を知りたかった。
原爆の子
最初の原爆はドイツが作ったと言う説もある!!
スパイ ”ベラスコ” が見た広島原爆の正体 (高橋五郎)
日本が、本当に「自衛のための戦争」をしていたならば、敗戦後この非人道的な核兵器の被害を、国際社会に訴えることができたはずだ。
ところが、日本は戦争中、中国大陸において、驚くべき残虐な人体実験、細菌戦、毒ガス戦等を展開していた。アメリカは再三日本に「この非人道的な細菌戦、化学戦(毒ガス戦)はやめろ」とと警告を発していた。
日本は自国の戦争犯罪を隠すことに汲々として、アメリカとの取引をし、そして、原爆被害を世界に訴えることなく、全面的に核兵器の効果を調べるためのアメリカの調査に協力した。その結果、その調査によって被爆者は全く治療されなかった。
封印された原爆報告書
1997年の平和宣言で広島市長平岡敬氏は「アメリカの核の傘から日本は抜け出すべきだと政府に要求する」と唱えた。
すると橋本首相は平岡氏に歩み寄ってきた。
「あなたの気持ちはわかるけれども、そんなことはできない。あなたはアメリカの怖さを知らない」と言ったという。
やんばるの白ひげ ~核の傘の下で~(3)
私の想像:もしも日本政府が、アメリカの核戦略から抜け出し、この非人道的な核兵器の廃絶を世界に訴えたら、アメリカは「日本が中国で行った非人道的な人体実験、細菌戦、毒ガス戦、三光作戦等をばらすぞ!!」と脅しているのではないかと思う。そしたら今の天皇制はすっ飛んでしまうだろう。
追記:アメリカの怖さとはこれかな?
橋本龍太郎は、1986年7月22日、第3次中曽根内閣の運輸大臣に就任した。
このドラマの最初の方で事故調査報告書を受け取っている。
ボイスレコーダー ジャンボ機墜落20年目の真実
米軍が墜落させた?それとも、自衛隊?
「御巣鷹山JAL123便墜落事件の真相について!」佐宗邦皇代表
ザ・エデン
【JAL123便撃墜事件の真相】
狙いは日本のOSトロンの技術者だった?
中曽根康弘元首相のつぶやき
日本航空123便の墜落事故 29年目の真実(2014年)より
マスコミ・政府は真相を必死に隠す!!
『日航機墜落30回目の夏生存者が今明かす32分間の闘い』
【ワールドフォーラム代表・佐宗邦皇変死事件】
(参考)【天皇は偽物】現皇室の秘密を暴くと、早死します
橋本首相は続けて言う。
「日米安全保障条約によって支えられている安全保障の仕組みがこの国にとって必要だ。」
私の解釈:だからお互いに過去の非人道的な過ちは隠しておいて、未来志向で、放射能の怖さや遺伝子組み換え操作の怖さにも触れず、日本はアメリカの核戦略・生物化学兵器開発(もちろん日本も密かにやっているのでは?)を危険と知りつつ、進んでいきましょう。そしたら、天皇制も安泰です!!(何時まで続くこの身分差別!!)
原爆を浴び、放射能の恐怖を体験したはずの日本が、原発を50余機持っている。そして文殊はじめ原発関連の施設の維持費は膨らむばかり。国家財政は破綻寸前!!(破綻しているのかな?)、若者の貧困化も深刻!!
・内部被曝を日本の司法は認めているが、日本政府は認めていない?
・日本の医療・教育で、本当に「人間を人間として見る医療・教育がされてきているのだろうか?」
※日本は、戦後東京裁判で731部隊の罪業が裁かれることなくきたために、教育界・医療界でも戦争の反省をすることなく進んでしまった。
その結果、歴史認識の問題や放射能の怖さについても、まともな研究が疎まれ、今の政治状況が生まれている。
広島・長崎で2発の原爆投下を受け、悲惨な状況を経験し、また福島であれだけの原発事故が起き、これまた悲惨な状況にあえいでいるにもかかわらず、原発再稼動に日本は突っ走ろうとしている!!なぜなのか?
日本では、「人間を人間として見る」教育などされていないのでは?
いつも権力者の言うことに慣れ親しんいる。
●731部隊!!
部隊展開催の予定
世田谷展
パネル展 11月、25(火)、26(水)、27(木)
時間 12時~18時
場所 ローズサイクル(尾山台商店街自転車屋)大井町線尾山台下車3分 駅前ドトール前の通り、花屋の前
講演会
講師 奈須重雄 (NPO法人731部隊・細菌戦資料センター理事)
「731部隊と現代普通の~医者が生体実験 なぜ?」
11月26日(水) 午後3時30分~5時30分
尾山台地区会館会議室(尾山台図書館) ローズサイクル先
夏草をふみしめ遺跡の前に跪(ひざまず)く
オバケ煙突の下、不気味に笑う悪魔の目鼻
ここで焼却されたマルタは虚空に消えた
その無念の粒子を今なお人々は呼吸する
この空間には癒されぬ死の怨霊がくすぶり続ける
だが誰もそのことを声高に語ろうとしない
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より
混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)
・『731部隊 細菌戦の医師を追え(今も続く恐怖の人体実験)』(高杉晋吾著 徳間書店)
細菌戦争の実態
淅贛(せっかん)作戦―ドゥリットル隊の本土初空襲の衝撃
衢州(くしゅう)飛行場の破壊は6月7日衢州攻略以来凄まじい限りの徹底ぶりである。全基地の樹木は伐り倒された。道路は徹底して道幅いっぱいを横断する幅3メートル、深さ1,5メートルの壕が掘られ、飛行場に至る輸送路は完全に穴だらけになった。弾薬庫、格納庫、倉庫は爆破された。いわゆる利敵民衆と見られた家の家屋は片っ端から焼却された。
その衢州飛行場はアメリカ軍の指導の下に建設されたものだけあって実に優秀な施設であり日本軍の司令官も驚嘆したほどのものである。しかし、その滑走路にもほぼその敷地幅800メートルを横断する壕が無数に掘られ櫛の目のような姿になったのである。そしてその周辺には地雷が設置され、河川の築提が切断され、大氾濫を起こし、飛行場は洪水で湖水のようになった。
●731部隊
●南京大虐殺
●昭和天皇
●教科書問題
●陸軍登戸研究所
●日航123便の怪
●日本とドイツの違い
●脱原発
あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか?
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