細菌戦から核戦略へ!!

2024-04-07 11:58:22 | Weblog


「はだしのゲン」巡り揺れる広島 教材から削除、販売は急増―原爆忌 

「はだしのゲン」はなぜ削除されたのか
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「香川の子どもと教科書ネット」通信
 
第68回会議報告(2024年3月10日・日) 
【二】 「はだしのゲン」
【7巻】
(28P)
ゲンの友達の年男の伯父の家の前
伯父「年男、おじさんがわるかった。許してくれ~~・かんべんしてくれ~~たのむ~~た
   のむ~~」
  「おじさんがおまえの財産をとったのも、おまえにつらくあたったのも、国に裏切られ
   たからじゃ」
  「わしらは、日本国の繁栄と日本人のすべてのためになると信じてどんなに苦しくても
   必死で歯をくいし
ばって日本の長い15年間の戦争に協力して、自分の青春もすべてを
   犠牲にして戦ってきたんじゃ」
  「神州不滅(しんしゅうふめつ)の大日本帝国は神様の天皇陛下が守ってくださるから
   日本は絶対に戦争
に負けないと信じて戦ってきたんじゃ」
  「ところがあれよあれよと言うまに」
  「日本は焼け野原にされて」
  「広島、長崎は ピカドンであっというまに消えてしまい何百万人の日本人が死んで日
   本は戦争に負けて
しもうた」
  「いままで日本を守る神様だった天皇陛下は、あっという間に人間様に変身して、わし
   らにたえがたきを
たえ,忍びがたきをしのべと知らん顔じゃ 」
  「わしゃ ナンのためにすべてを犠牲にして 必死で国のためにたたかってきたんじ
   ゃ」
  「わしゃ だまされたと気がついた時は、くやしゅうて くやしゅうて」
  「それ以来権力者のやつの言うことは絶対に信じるもんか  人間は信じるもんかとき
   めたんじゃ」
  「信じられるものは,自分と金や財産だけと決めたんじゃ」
  「だからおまえがどうなろうと 自分の財産をふやすことだけに熱中したんじゃ」
  「年男うらむなら、わしをだまして戦争を起こした奴らをうらんでくれ~~」
  「わしの心を変えたやつらを」「どうかわしを殺さないでくれ~わしゃ 戦争でなくし
   た青春をこれからと
りもどしたいんじゃ」
  「まだまだ死にとうないわい たのむ たのむ」
 

 

萩生田NO!!集会(2024年2月18日)
萩生田光一議員にNO!!ー裏金疑惑、市民に説明を


安倍晋三 演説 | 統一教会
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戦争の加害も忘れるな!!
 


B29の投入
 二瓶さんがあの晩に味わった恐怖は、「ミーティングハウス作戦」と呼ばれる軍事作戦に起因する。米空軍による東京への一連の空爆の中でも最大の犠牲者を出したこの作戦は、45年2月から5月にかけて実施された。 
作戦の大半は、太平洋地域の爆撃部隊の司令官を務めていたカーチス・ルメイが立案した。ルメイは後年、北朝鮮とベトナムへの空爆を行い、62年10月のキューバ危機ではソ連への核による先制攻撃を支持した人物だ。
 第2次世界大戦が欧州で勃発した39年、当時のルーズベルト米大統領は参戦した各国政府に対し、民間人への爆撃は非人道的かつ野蛮であるとしてこれを行わないよう呼び掛けた。しかし45年までに、こうした方針は変化していた。
 41年12月7日の日本軍による真珠湾攻撃を受け、米国は報復を決断。42年8月の南太平洋ガダルカナル島への侵攻に続き、44年には日本軍占領地だったサイパン島、テニアン島、グアム島を立て続けに奪取した。 
これらの島々を拠点に日本本土を攻撃する役割を担ったのが、最新鋭の重爆撃機B29だ。
 もともとは米合衆国本土からドイツへの爆撃に使用することを想定していたB29。英国がドイツに敗れた場合はその任務に就くはずだったが、米国立航空宇宙博物館の学芸員、ジェレミー・キニー氏によれば、高速かつ高高度
での飛行が可能で大量の爆弾を搭載できるその性能は、日本本土への攻撃にも適していたという。
※カーチス・ルメイ・・・焦土作戦は東京・大阪・名古屋などの大都市を焼き払った後は、富山市・郡山市などの地方の中小都市も対象となった。これらの空襲は日本国民を震え上がらせ、日本側から「鬼畜ルメイ」「皆殺しのルメイ」と渾名された。
勲一等旭日大綬章の授与
1964年12月7日に日本に返還されたばかりの入間基地で、勲一等旭日大綬章を浦茂航空幕僚長から授与された。理由は日本の航空自衛隊育成に協力があったためである。12月4日の第1次佐藤内閣の閣議で決定された[29]。叙勲は浦がルメイを航空自衛隊創立10周年式典に招待したことを発端とした防衛庁の調査・審査に基づく国際慣例による佐藤内閣の決定であることが明かされている。推薦は小泉純也防衛庁長官と椎名悦三郎外務大臣の連名で行われ、防衛庁から佐藤栄作首相・賞勲局へ叙勲が適当であるという説明があった。勲一等旭日章という種類の選定は大将という階級から慣例に基づいたものである。
授与への批判
ルメイが東京大空襲や原爆投下を行った部隊の指揮官だったことから授与に対して批判も大きく、現在でも「勲章は返還するべきである」と唱える者もいる。当時は日本社会党・原水爆禁止団体・被爆者などから国民感情として納得できないという声が上がった。
 
 

 
 

東京大空襲

 
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死者数が10万人以上の1945年(昭和20年)3月10日の夜間空襲。この3月10日の空襲だけで、
罹災者は100万人を超え、死者は9万5千人を超えたといわれる。
なお、当時の新聞報道では「東京大焼殺」と呼称されていた。

重慶爆撃

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日中戦争の最中、中国の国民党政権の臨時首都となっていた重慶市にたいして、日本軍は、無差別爆撃をくり返し、多くの人々を殺傷しました。(中国人民政治協商会議四川省重慶市委員会文史資料研究会編『重慶抗戦紀事』によると、爆撃は1938年2月~43年8月にかけて218回、被害は死傷者2万6千人、焼失家屋1万7千戸。ほかに41年6月5日、
防空壕で数千人から1万人以上が窒息死したといわれる惨劇がある)
 
 

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