核・戦争のない世界!!

2024-06-20 09:43:30 | Weblog
「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)
                             1995年8月15日

 平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。

 

 
南京大虐殺 
 
南京大虐殺(マギーフィルム) パネー号撃沈
        



 重慶爆撃               
原爆投下や東京大空襲ばかり取り上げて、 日本のテレビや教科書が重慶爆撃を取り上げないのは問題だと思います。 (視聴者のコメント)

    
      

    

      





 
 原爆    

 

 
 

原爆投下にまつわる「俗説」を検証する【広島原爆から76年】

 
古谷経衡作家/評論家/一般社団法人 令和政治社会問題研究所所長
2021/8/6(金) 10:29
 
 76年前の今日、米軍は広島市に人類史上初の核攻撃を行った。にも拘らず、日本における原爆報道量は年を追うごとに減少しているのは極めて遺憾である。事に今年は東京五輪の影響もあってか、原爆にまつわる報道量はずば抜けて少ない。本稿では、76年目の原爆忌を前に、左右のイデオロギーの別を超えて原爆投下にまつわる「俗説」を検証していきたいと思う。少しでも原爆記憶の風化に歯止めをかけたいという想いからだ。
 
 
 
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原爆が使用されたのはなぜ?

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日航123便の怪(1985年8月12日)
 
     
 
●東京帝国大学伝染病研究所
  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
 ●東京帝国大学伝染病研究所『実験医学雑報』
・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?
・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?
・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器・研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。
・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか??
・河本禎助も毒ガスの研究をしていた。
・1938年6月1日の伝染病研究所で石井の厚意によって上映された映画には、731部隊の生体解剖でも映っていたのでであろうか? 精神的緊張裡とは、何のことだろうか?
 ・実験医学雑報20巻 第7号(1936年) 本所職制改正 この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。 *特別研究室とは何だ??
・中込亘は、731部隊で細菌に感染して死んだのだろうか?
 
雑報6号(23巻、1939年)
伝染病研究所創立41周年記念日に当り医学界を展望して所感を述ぶ
                     宮川米次
 
3、興味ある細菌学的所見
「パチルス・ヴオラセウス」の人体感染例
Bacillus violaceusはWooley(1905)によるに動物には致死的感染を超すが人体には非病理性であるという。本菌の最も特有なる点は紫色の色素を作ることである。為にその名が生じた。Black Shahon&Fla(J.Am.M.Ass.110、1938)は6歳の小児の皮膚に本菌の感染せるを立証した。それは雨後の溜水に浸った為であろうと言う。2,3日後に高熱を発し、鼠蹊リンパ腺の腫脹を来たし、皮膚の諸所に化膿巣が出来、その所より分離、培養したのに本菌を証明し、凝集反応によって、640倍陽性であった。あらゆる検査は総て陰性であったが、病巣には常に本菌を見出し、且つ皮膚には特有なる紫色の色素が沈著していたという。氏等は本菌を家兎に接種したのにしたのに、局所に激しい病巣を作り、24時間で動物を斃し、その局所並びに内臓、心血等より純培養状に本菌を得たということである。支那住民等にはこの種の皮膚炎がありはせぬかと思われる節がある。
 
 
 
 
 
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より) 吉田裕監修  
2001年ピュリッツァー賞受賞 
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。
 
好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
 戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!   
 
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年  
 
第7章 満州事変
 
 
ふたりの有名な財界指導者、若槻内閣の元大蔵大臣井上準之助が2月9日に、そして財閥、三井合名理事長の団琢磨男爵が3月5日に暗殺された.犯人は新聞が「血盟団」と名づけた民間の秘密結社のメンバーだった。この殺人事件の捜査が行われている間、大養は上海地区で作戦を拡大しないよう陸軍と海軍に圧力をかけていた。また彼は軍紀を回復するため約30名の士官の解任について閑院宮の支持を求めていた。こうした状況下、さらなる銃声が犬養自身の命を奪い、日本の政治が根本的に変化するのを早めることになったのだった。
 
 
 
 
 
 
 

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