黒い太陽731(1)
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
実験医学雑誌第18巻雑報
18巻12号(1934年)
実験医学雑報18巻 1407頁 (1934年)
総説
満洲国に於ける見聞
宮川米次
第6章 満洲国医育及び医療機関の将来
医学校附属病院設置
医療の施設普及の目的に向かっては現在漢医の補習教育を急とするもその根本の方策としては専門学校程度の医学校を設立するにあり。この種の学校は在来の吉林、ハルビン、に存在したるも極めて不完全にして単に医学の概念を得せしむるに過ぎず。
これを改善すべく計画するも満洲国として未だこれに及ばす。依って新京、ハルビンに専門学校程度の学校設置せらるれば不充分ながら目下計画中なる新京医院竝にハルビン既設病院を附属病院として之を利用するを得。
一歩進めて完全なる専門教育実習の完璧を期する為に本教育課程に合致する附属病院を付設せられんことを希望す。
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
第6部
資料・731部隊細菌戦裁判
第1審判決全文
原告らの主張 (別紙3)
第6部
資料・731部隊細菌戦裁判
第1審判決全文
原告らの主張 (別紙3)
日本軍による中国への細菌戦の実行(事実論)
第4 本件細菌戦の残虐性
2 本件細菌戦による被害の重大性
(2)被害者が一般住民であることについて
原告らの肉親たちは都市あるいは農村の住民であったが、731部隊の細菌兵器により、ペスト、コレラなどに感染し、あるいは汚染地区からの伝播により感染したことにより、もがき苦しんだ後死亡した。あるいは原告ら自身が罹患した。又、彼らの家庭は、防疫の為、焼燬・破壊された。
細菌戦部隊は、作戦後被害地区に「防疫」の名目で入り込み、その疾病に苦しむ住民を生体解剖して、細菌戦の効果を確かめるなどした。細菌戦の被害を被った中国民衆は、筆舌に尽くしがたい苦しみを受けたのである。
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