731~福島まで!!
日本の医学界は、731部隊のことを反省していない。
国立感染症研究所や陸上自衛隊の研究室ではどんなことが研究されているのだろうか?
精魂塔とは何だ?
中国で、細菌兵器を精魂こめてつくったことを称え、そこで殉職した職員を供養している塔なのか、それとも、実験のために虐殺した多くのマルタ(被験者)の霊を供養している塔なのかさっぱりわからない?
建立者、建立年月日、塔の由来などいっさい刻まれていない異様な塔である。
・・・ちなみに、詳しく調査した結果、この建立者である二木秀雄という人物は、731部隊の主要メンバーの一人であり、第一部(細菌研究)の中にある二木班(結核研究)の代表者だ。
(懇心平等万霊供養塔より)
動物慰霊碑(登戸研究所)
碑の巨大さも不可解である。ここで格別に多数の動物を実験材料に使っていたという形跡はない。にもかかわらず、すでに戦局が傾いている最中にこれだけの大きさの碑を建てたのは、何か別の理由があったと考えられる。・・・・
動物慰霊碑1
記念写真(中央 三笠宮)
日中戦争における登戸研究所の役割
2013シンポ731山田朗講演
日本政府はいまだに731部隊が第2次大戦中、捕虜に細菌・生物実験を施したことを正式に認めていない。昨年11月、東京高裁は中国人毒ガス被害者の訴えを棄却した。その理由は「当時の行為を予見することは不可能だった」。原告側の「日本政府が迅速に措置をとっていれば事件の発生は防げた」との訴えは退けられた。だが、これほどの被害を「運が悪かっただけ」だと片づけてしまってよいのだろうか?
まさに人間地獄・・731遺跡博物館の何とも言えぬ重苦しさ―中国紙
日本医学界の原罪!!
731部隊とは?
平房から悲痛な叫び、全世界への訴え!!
劇映画:黒い太陽731
アウシュビッツよりもひどい!!
731部隊
プライム10「731細菌戦部隊」
細菌戦部隊731
大連衛生研究所:目黒正彦さんの証言
23,4年頃、すごいよ。私の聞いている人は200万もらっているよ。すごくもらっている。それは大したものだ。その金はどっから出たのか私も知りたいのだけれども。そんな金どこにもあるはずがないはずだけれども、23.4年頃ね、実際のとこ。
石井さんがどっからその金を引き出してきたのか知らないけれども。
(インタビュアー)23,4年頃は、もうアメリカとの取引が終わって
その辺で、アメリカからポンと出たのかね?その辺はわかりません。
そう、みんなもらってますわ。ほとんど1人残らず。ん。
一番就職口もよかったと思うね。
どこでも入れたんと違いますかね。ほとんど大学の先生みたいな、みな元石井部隊にいた人が多かったですね。
特に上の方の、その当時の厚生省のワクチン、くらうち先生とかね。田宮先生もそうだけれども。みんな石井部隊に関係あったからね。多少でもほとんどの人が、石井部隊に足を突っ込んでいる人が多いんですよ。表向きは黙っていますけどね。みんな石井部隊から金を少しずつ嘱託でもらっているんですよ。そういう人がみんな日本の基礎を作ったでしょ。
731部隊に関与した医師・医学関係者 作成者:小俣和一郎
驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
封印された真実5
朝枝繁春(元大本営作戦参謀)の証言
人間を使って細菌と毒ガスと凍傷の実験をやったことが世界にばれたらえらいことになると。
(戦犯訴追が)直に天皇にこれがくる。
1952年の日本学術会議で若手が731部隊の反省・総括が必要だとの主張に対し。医学界のある重鎮はこう言い放った。
「細菌兵器は今日ほとんど実用になりません。実用にならぬものを苦労までして日本で作るようなバカが出ましたら、そんなバカなことをするなと言う勧告を私からよく致しますから、その点ご安心下さい。」
この発言の主は戸田正三(元京大医学部長)であった。
戸田は、戦争中731部隊に積極的に協力した石井の京大時代の恩師である。
石井隊長の戦後1
知ってるつもり「731部隊と医学者たち」
細菌戦被害の人々
1644部隊員の証言
井戸に細菌をまく作戦中に○○さんが忘れられないことがある。
4,5才の子どものことだ。その子は何も知らずに○○さんたちの所に近寄ってきた。小隊長は「殺せ」と命じた。絶対命令だった。その子をそばの建物の2階へのぼらせて窓から外を見せていた。その時、飛行機が飛んできた。「あれを見ろよ。」と言いながら、突き落とした。
ところが、頭から落ちず運悪く尻から落ちた。尻の所が血だらけになって泣いていた。
指揮官がオレがやると短銃で撃った。1発であたらず、2発目で死んだ。・・・・
初めて知った戦争「大久野島」「731」
731部隊の下級隊員の戦後の人生!!
・・・1945年10月、○○さんは復員しました。
しかし、敗戦によって部隊から離れた後も○○さんの苦しみは消えませんでした。
戦後、連合国は戦犯に対して厳しい追及を行いました。731部隊の隊員たちの間にも自分は呼び出しを受けるのかという不安が広がりました。
安達(アンダー)の実験場で人体実験にかかわった○○さんは「戦犯で捕まったら死刑だ。身元を隠していろ。」と上官から言われていました。引き揚げてすぐに名前を変え、山奥で炭を焼いたり、西日本の工事現場を転々としました。身元が明らかになることを恐れて一度も正式の職員になることはありませんでした。・・・・
語り部フォーラム
闇に消えた虐殺~731部隊・細菌戦の真実(テレビ朝日「ザ・スクープ」、1997年8月放送)近藤昭二
731部隊から福島へ!(1時間20分~1時間33分あたり)
広瀬隆氏講演in福島「IAEAとICRP~原子力マフィアによる被曝強
驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
中国等の日本陸軍病院では、生体手術演習が麻酔もかけずに行われていた!!
消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」
「ドキュメンタリー『天皇と軍隊』をめぐって」(3)
日本の医学界は、原爆被爆、水俣病、・・・・薬害エイズ、福島原発事故などで苦しんでいる人を救ったのであろうか?
原爆
原爆の子
禁止される原爆報道・医学研究
ファーレル准将が広島を視察した後、1945年9月19日、GHQ(連合国軍総司令部)は「プレスコード」を発令し、連合国、占領軍の利益に反するすべての報道を禁止しました。これによって、1952年4月に占領が終わるまで、原爆の被害のほとんど不可能になったのです。
記事だけでなく、写真も映画フィルムも同じでした。
・・・・
救援に駆けつけたジュノーさんの活動も妨害します。世界に向かって救援を呼びかけたジュノーさんの電報は、打電できませんでした。
11月には原爆被害の医学研究も禁止しました。これには日本の医学者たちが猛烈に反対しますが、どうにもなりませんでした。(『チェルノブイリから広島へ』 広河隆一著より)
※米国が組織した原爆傷害調査委員会(ABCC、AtomicBomb Casualty Commission)の日本側初代代表は都築正男だったが、GHQの原爆に関する研究発表禁止に反発し追放処分となり、その後継者となったのが重松である。(まともな人間がハネられるのは原子力ムラの常である)
驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着くより
忘れられた兵士たち
※本当に医学者たちは猛烈に反対したのか?
日本政府は、アメリカに全面協力し、被害者の救済には当たらず、被害の実態を調べた「原爆報告書」をつくった。
自国民の原爆被爆被害を日本軍部が喜んで米国のために調査した本当の理由
封印された原爆報告書
封印された原爆報告書
自国民さえも実験台として、嬉々として自国民の被爆調査を行い、自発的に英訳して調査報告書を渡す。全ては、七三一部隊の秘匿、そして、天皇に対する免責を勝ち取るためだったのではないのでしょうか。この取引は十分に功を奏したようで、太田昌克氏の著作にも人体実験に対する米国の追求はどこか間が抜けたものとして書かれています。単純に細菌兵器の技術、実験結果を知りたかったためとしては、やはり片手オチ。米国は、第二次世界大戦で最も知りたかった情報を自ら差し出してきた日本軍部と取引したのではないでしょうか。そうしない限り、この七三一部隊の隠蔽理由(いまだにこの部隊はでっち上げだという論陣を張る人がいます。それは、悪魔の飽食の書評を見ただけで明らかでしょう)をどうしても納得できません。
原爆被爆者は、軍部免責、天皇制維持のための、数少ない有力なカードだったのではないでしょうか。
天皇や三笠宮も731に行っていた?(生体実験を知っていた?)40分あたりから
unit731
広島や長崎に、アメリカが設置したABCC(原爆障害調査委員会)(被害調査はしたが治療はまったくしなかった)の傘下に元731部隊員もいた国立予防衛生研究所の支部が置かれた。
そしてABCCの後継機関が放射線影響研究所だ。
そこの理事長だったのが重松逸造だった。
驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
山下俊一のお師匠さん、
重松逸造も、戦中の医学界の流れを引き継いだ!!
重松逸造とはどんな人物?
プルトニウム元年 第3作 1993年8月放送 3/5
被曝をめぐる御用学者の系譜より
ところで、この重松逸造とはいったいどんな人物なのでしょうか。
重松が戦時中何をしていたのかは不明ですが、戦後は公衆衛生院の一員であると同時に、広島長崎の原爆被害について米国が作った原爆障害委員会(以下、ABCC)のスタッフでした。このABCCが解散した後、1975年に予防衛生研究所との再編でできたのが放射線影響研究所(放影研)。広島の日赤病院の一角にあり、被曝者を調べるだけで治してくれない処と地元では云われてきたそうです。それもそのはず、ABCCとは原爆を落とした米国が、原爆による被害をチェックするために作った機関であり、被曝に苦しむ人たちを救おうという研究機関ではありませんでした。そして、非被曝群ではなく低被曝群を比較対照とすることで、被曝被害を過小評価してきました。重松は放影研の理事長などを務め、実質的に放影研を牛耳ってきた人物です。
重松は被曝被害を過小評価しただけではありませんでした。日本で公害問題が深刻になり、水俣病をはじめいろいろな公害病が話題になった時にも名前が登場します。イタイイタイ病では公害認定がなされた後の1976年になって三井金属や自民党等が原因のカドミウムを否定する動きを見せ、それを受けてWHOにカドミウムの見直しを提起した学者の1人が重松でした。また、スモン病の時には厚生省の調査班班長となり、後日原因物質として認定されることになるキノホルムを原因としませんでした。つまり、キノホルムによる薬害を認めず、製薬企業や国を利する報告を行ったのです。詳しくは広河隆一さんの『チェルノブイリから広島へ』(岩波 1995)に書かれています(この本は絶版みたいなので最近出た新版らしきものを横に紹介しておきます)。
また、重松は、成人T細胞性白血病(ATL)の原因ウイルスの母子感染について、厚生省研究班の班長として1990年度に「全国一律の検査や対策は必要ない」との報告をまとめ、感染者の全国拡大を招きました。これは、国の対策が遅れたことによる被害という側面をもたらしました。これに関して重松は、今年1月の新聞インタビューで「私は、いわば雇われマダム的な班長だった・・・」と白状しています(雇われマダムに失礼な発言だ!)。
御用学者はその名の通り、国や企業の便宜を図るような話をしたり論文を書いたりするため、研究費等のお金がたっぷり貰えます。お金のある研究室の回りには研究者もたくさん集まるため、御用学者は集団化し大きな勢力となります。お金と人を握れば学会などを支配できますので影響力が増し、発言権も大きくなっていきます。これが(醜悪な)世の習い。
一方、権力側に都合悪い話でも正しいことを堂々と主張する研究者もいます。でもごくごく少数です。そして、このような立派な研究者にはお金が回ってきません。学会からも遠ざけられます。こういう状況を知っている大多数の研究者たちは、発言を慎みささやかに生きていくか、御用学者化するか、どちらかに流れていきます。その結果が今日の東電福島原発を取り巻く状況だと思っていいでしょう。だから、権威筋の話しか信じない・信じられないという一般人は、今回のような事故の時には完全にマヤカサれてしまいます(きっぱり)。
ということで、重松逸造にはたくさんの弟子がいます。最近メディアに出てくる長瀧重信(長崎大、元放影研理事長)は先のチェルノブイリ原発事故調査の時にも重松といっしょにシゴトをしています。広島大原医研の神谷研二。長崎大の山下俊一も、重松や長瀧らとチェルノブイリ原発事故の調査を行っており、その資金源は右翼笹川系の笹川チェルノブイリ医療協力(日本財団)でした。原爆と原発と戦後右翼を繋ぐ禍々しいリンクが垣間見えてきます。最近、山下の代わりに露出気味の高村昇というのは長崎大での山下の弟子になりますね。その他の有象無象の「御用学者」はネットで調べれば簡単にわかります。
重松、長瀧、神谷、山下、高村、・・・・彼らは、放射線の被曝影響を小さく見せるための御用学者です。それ以外にも、地震の影響を過小評価して原発の立地にゴーサインを出す地震学者、原発関連だけでも御用学者はたくさんいます。フランスのペルラン裁判と同様、彼らの犯罪は後できっちりオトシマエをつけなければなりませんね。
(参考)今中哲二編「チェルノブイリ事故による放射能災害」(国際共同研究報告書)(技術と人間 1998)
チェルノブイリから広島へ 学者はどうして反論しなかったか『お金が入れば批判なし』重松氏は水俣病の調査責任者で、水俣病被害
【重松逸造】対広島の学者の対立も起きます。
広島県被団協の近藤幸四郎事務局次長は語りました。下「」引用。
「良心的な学者だとか、研究者だったら、放影研へは来ないですよ。だから、あの人がチェルノブイリの調査責任者に選ばれたのは、最初から、ある結論を出させるためだったのではないか、と私は思います」
【重松逸造】がどのようなことをしてきたかも新聞などでも概要は伝えられています。
・「環境庁の水俣病調査中間報告「頭髪水銀値は正常」、論議必至。(一九九一年六月二三日付読売新聞)重松氏は水俣病の調査責任者で、水俣病被害者とチッソの因果関係はないと発表したのです。
・「黒い雨「人体影響認められず」広島県、広島市共同設置の「黒い雨に関する専門家会議」(座長・重松逸造・放射線影響研究所長、十二人)は、十三日、「人体影響を明確に示唆するデータは得られなかった」との調査結果をまとめた。(一九九一年五月一四日付毎日新聞)ここでも重松氏は調査責任者。
・「イタイイタイ病について環境庁の委託で原因を調査していた「イタイイタイ病およびカドミウム中毒に関する総合研究班(会長・重松逸造放射線影響研究所理事長)とし、イ病の発症過程を解明するに至らなかった。イ病では、認定患者百五十人のうち、既に百三十四人が激痛の中で死亡している」(一九八九年四月九日付読売新聞。)
・岡山スモンの記録「スモン研究の思い出。前厚生省スモン調査研究班々長重松逸造。結局は後で原因と判明したキノホルムに到達することができませんでした」重松氏はスモン調査の責任者でありましたが、キノホルムの因果関係はないと発表していたのです。
・九三年一月一三日、岡山県の動燃人形峠事業所が計画している大規模な回収ウラン転換試験の安全性を審査していた「環境放射線専門家会議」(重松逸造委員長)は、ゴーサンを出しました。じつにあらゆる公害問題においての政府・企業の利益になる決定に、重松氏が責任者となっているのが分かります。・・・・
重松逸造の恩師・野辺地慶三の原子力施設からの放射性廃棄物に対する意外な危機意識
重松逸造、肺炎で死去:報道まとめ
重松逸造の訃報に接して 肝心なことは、何も語らずに逃げるように逝った貴方
第5福竜丸事件
実は免責された731部隊は、放射線医療業界にも歴史的につながっています。例えば731部隊、レントゲン班でも致死量を当てる人体実験が行われ、リーダーのひとりであった宮川正は、戦後放射線治療の専門家になりました。第五福竜丸事件の後、福竜丸以外の船員が放射線障害で苦しんでいても、放射線障害ではないだろうという理論を展開し、800あったと言われる被曝船は、一隻とされたのでした。
(参考)
==== 放射線医学総合研究所 (放医研) ====
中川恵一准教授が所属する放医研では、宮川正名誉教授が重要人物である。
訃 報
この訃報には陸軍軍医として戦時医療に従事されたとあるが、実は731部隊レントゲン班であった。
何をしていたかは容易に想像がつく。
戦後、東京大学医学部放射線科教授、埼玉医科大学教授などを歴任している。
放医研の立ち上げに尽力。放医研は原子力総本山のIAEAとも深い協力関係にある。
驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
水俣病
原因が工場排水中の水銀らしいと見当がついた一九五九年夏以降は、熊本大学医学部の研究班は企業や通産省、御用学者の集中砲火を浴びることになる。このため研究班の姿勢は防衛的、閉鎖的になり、患者の認定についても、批判をおそれて限定的、保守的になる。私が水俣病関係者を調べた結論としては、ほぼこの時期で医学の役割はマイナスに転化したようである。一九六〇年代に入ると、熊本大学の研究班の中でも、明らかに水俣病を厄介物あつかいする空気を見せる者があった。その中でごく少数の医師が、原田正純氏のように患者から学ぼうとする。熊本大学医学部研究班が、東大を中心に水俣病をもみ消すために作られた田宮委員会に屈服し、チッソから金をもらって代表団をローマの国際神経学会に送ったのは一九六一年であり、六四年にそれまでの研究をまとめたいわゆる赤本(熊本大学医学部水俣病研究班「水俣病-有機水銀中毒に関する研究-」・編集部注)が用意された段階では、水俣病を否定する医学界本流と熊大医学部の手打ち式は完了していたと見てよい。この赤本にはチッソから費用が出ていることが明記されている。水俣病は終わったとして新しい患者を出さないことも、意識的にとられた方針であろう。一九六三年当時、胎児性患者の認定は例外的なものであることがしきりに強調されていたのを覚えている。(宇井純「集中砲火を浴びた熊大研究班」より)
田宮猛雄について
◆731部隊関連科学者たちの戦後
東京帝国大学にあって、731部隊のための人材スカウトの役目を果たしていた田宮猛雄博士は、1945(昭和20)年4月東大医学部長になった。そして後にリッケチアによる伝染病、かの有名なつつが虫病の研究で世界的名声を獲得する。彼はさらに日本国立ガンセンターの初代の所長になり、日本医師会の会長にもなった。
【『731部隊の生物兵器とアメリカ』
(バイオテロの系譜) 2003年発行
(ピーター・ウィリアムズ / デビッド・ウォーレス=著 西里扶甬子=訳 かもがわ出版)より】
◆京大閥「731部隊」、東大閥「同仁会」
そのころ、東京帝大伝染病研究所(伝研)は激動に見舞われていた。昭和20年9月2日、岡本啓氏(伝研2部)が自分の研究室でガス自殺をし、ついで、昭和20年9月16日、米軍が伝研を接収しようとしたが、これは田宮猛雄所長らの抵抗で阻止するなど大忙しであった。
北野(北野政次・・・731部隊2代目隊長)が東大伝研に現れたとき、最も北野を庇護したのがこの田宮猛雄伝研所長であった。田宮は日本医学界の大ボスで、多くの伝研所員を「徴兵逃れ」を餌に731部隊や同仁会に送り込んでいた。
731部隊の大ボスが京大閥の石井であるならば、当時の軍隊を頂点とする権力構造に、民間の側から医学的に奉仕したのが同仁会である。
【『731部隊細菌戦の医師を追え』(今も続く恐怖の人体実験)高杉晋吾著より】
水俣病
薬害エイズ
薬害エイズ問題の真相について 今井彰さんが語っています
「命の尊さを心に刻みサリドマイド、スモン、HIV感染のような医薬品による悲惨な被害を再び発生させることのないよう医薬品の安全性・有効性の確保に最善の努力を重ねていくことをここに銘記する
千数百名もの感染者を出した
「薬害エイズ」事件
このような事件の発生を反省し
この碑を建立した
平成11年8月 厚生省」
戦後、731部隊第二部隊長だった北野政次、そして防疫研究室を取り仕切り731部隊を国内で支えた内藤良一、そして二木秀雄の三人が共同事業の形で、日本初の血液銀行を設立。 朝鮮戦争の際に米軍がその血液を大量に購入してくれるのであたりまえのように事業は大成功。のちに「ミドリ十字」と命名されたのである。 高度経済成長のなかこの企業は日本有数の製薬会社に成長し、1978年には米国アルファ・セラピュウテック社を買収。 この子会社はアメリカ貧民層の血液を恐ろしく安く買い集めてミドリ十字に送ったのである。これが結果的に、薬害エイズ問題へと発展していったのです。
(懇心平等万霊供養塔より)
福島原発事故
福島原発3号機は核爆発だったのか??
山下俊一トンデモ発言
奈良林直、中川恵一、大橋弘忠プルトニウムはそんなに危険ではありません
小出さんの反論!!
「格納容器は壊れないしプルトニウムは飲んでも大丈夫」
最後は結局はお金でしょ。(斑目)どっかで聞いたような?
斑目春樹と小出裕章
小野俊一第6回院内勉強会フクシマの真実と内部被曝2012 10 11
【福島報告】美味しんぼ問題が隠蔽した、より深刻な問題
小出裕章さんにきく。-「美味しんぼ」問題について。-
フクシマの嘘 其の弐(隠ぺい・詭弁・脅迫)
小出裕章先生:プルトニウムを大量に貯め込んで、何とかしなければいけないという所に既に追い込まれた
汚染水 外洋流出続く 首相の「完全ブロック」破綻
「731の人体実験の背景には、日本人の民族的優越感があり、劣等民族は犠牲になって当然という差別意識があった。長年そう思っていたが、福島の事故でこれは正しくないことを思い知らされた。
彼らは、自らの利益のためには、たとえ同胞であろうと誰でも容赦なく犠牲にするのだ。
御用医学者たちが鼻血を必死で否定するのも、被ばく被害に気づかれて、"モルモット"が汚染地帯から逃げ出してしまうと困るからである。」
驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着くより
731部隊!!
夏草をふみしめ遺跡の前に跪(ひざまず)く
オバケ煙突の下、不気味に笑う悪魔の目鼻
ここで焼却されたマルタは虚空に消えた
その無念の粒子を今なお人々は呼吸する
この空間には癒されぬ死の怨霊がくすぶり続ける
だが誰もそのことを声高に語ろうとしない
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より
部隊展感想
展示について
日本という国家がやった罪深い行為に強い怒りを感じた。
日本国民の1人として恥ずかしく、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
でも、この国家犯罪を知ろうとしないことが多いのは悲しく情けない。
今の安倍暴走を許しているとまた同じようなことが起こるのではないかと思う。(70才代)
「731部隊展 終わりに」
中国が世界文化遺産登録を目指す45件の中に、731部隊の跡地が加えられた。
同様の遺産として、1996年に広島の原爆ドーム、1997年にポーランドのアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所等が登録されている。決して忘れてはならない、繰り返してはならない人類の経験であり、平和のための遺産である。
日本は、かつて侵略戦争によって、中国やアジアの人々に多大な犠牲を強いた。現在も、731部隊の被害者を含めて、戦争の被害者や遺族は日本に責任を取るように訴えているが、日本政府は無視し続けている。
731部隊が戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きい。
医学者が協力して設定した、原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの被害者を切り捨てるための基準となっている。医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いている。
731部隊跡地は、間もなく世界遺産に登録されるであろう。日中戦争中に、日本が中国に造った部隊施設が、なぜ世界遺産に値するか、731部隊を知らない人には不思議なことかもしれない。外国からも多くの人々が見学し、その眼で日本人を見るだろう。
「日本と日本の市民には歴史に関する記憶喪失があるとの国際的風評がある」という。日本人にとって、731部隊跡地の世界遺産登録は、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会になる。
続きは「ノブのノート」で
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