細菌戦の系譜!!

2022-12-08 11:06:12 | Weblog

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

四月十四日

分遣下番 晴 暖かし 第二十四列車にて中隊被服庫の使役に行く。

社内の仕様について佐々木のかけ方に非難したが、今日も朝っぱらから非常に閉口した。

何分僕の名を使って中島さんを呼び出して 色々下らない事ばかり云ふもの故に非常に怒ってしまった。

関係も何もないのに迷惑したのは初めてである。仕様がない故に嫌々ながら中島さんに言ってやった。次のような事をさ。

「貴女も非常に困るでしょうが、私も非常に困るのです。最も初めの事は私が悪い故に 貴女迄未だに困らせることは、私としては非常に申し訳ないのですが、何も私があなたを困らせるのではなく 暇で弱った友達が私の名によって悪戯をするのですから、ほんとーに困るのです。ですから今後絶対に出ないでください。本当にお願いします」と云ふようなことを。中島さんは満足であったらしい。

 

中隊に二四で帰って早速被服庫の使役に行った。どこも同じ忙しいところばかりだ。

 

軍都広島での物語

原爆詩集

峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。
 

〈あ にげられる〉

はね起きる腰から

崩れ散る煉瓦屑の

からだが

燃えている

背中から突き倒した

熱風が

袖で肩で

火になって

煙のなかにつかむ

水槽のコンクリー角

水の中に

もう頭

水をかける衣服が

()げ散って

 

ない

 


 

 

 

 
 

 

 
" target="_blank">原爆投下
 
" target="_blank">原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影)
 
" target="_blank">封印された原爆報告書
日本政府は、原爆が投下された後、その威力調査を行ない、その結果をまとめて、戦後、アメリカへ英訳して渡した。被爆者の治療は殆どされず、人体実験迄行われた。

原爆の威力調査を行い、原爆による「死亡率曲線」などを
作成した。全部で181冊の原爆報告書はすべて英訳され、アメリカに渡された。
その報告書は、もっぱら731部隊などの残虐行為の免責を得るためのカードに使われた。
苦しんでいる被爆者の治療はほとんどされなかったし、入市被爆などの事実も国民には知らされなかった。
また、被爆者本人の治療にも生かされなかった。" itemprop="description"><iframe style="height: 100%; left: 0px; overflow: hidden; position: absolute; top: 0px; width: 100%;" src="https://www.dailymotion.com/embed/video/x8669gl" width="100%" height="100%" frameborder="0" allowfullscreen=""></iframe>

 
 
 
" target="_blank">原爆初動調査1
1945年9月に被爆地に残留放射線があったにもかかわらず、日米両政府は戦後それを隠蔽してきた。
<iframe style="height: 100%; left: 0px; overflow: hidden; position: absolute; top: 0px; width: 100%;" src="https://www.dailymotion.com/embed/video/x87n39j" width="100%" height="100%" frameborder="0" allowfullscreen=""></iframe>
 
 
" target="_blank">原爆初動調査ー隠された真実2
 
原爆初動調査ー隠された真実3" target="_blank">原爆初動調査ー隠された真実3
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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