「日の丸」・「君が代」反対!!
●民主党の相原久美子議員が平頂山事件の現場に行き、国会議員24人の署名のある謝罪状を手渡しました。中国通信社
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊の足跡
中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より
6、罪証を隠滅、狼狽な逃亡
1945年、日本軍のアジアと太平洋の戦場におけるたび重なる敗北に伴い、石井四郎は日本の大勢がすでに去ったことを知り、その年頭に731部隊の留守者リストを作成した。731部隊の行為が国際条約にひどく違反していることを日本関東軍は十分に承知していたことから、その罪を隠すため、731部隊は逃亡前にすべての施設を完全に爆破し、重要物資と核心資料を日本に持ち帰った。
●細菌実験センターであった「四方楼」は完全に爆破され、特設監獄に監禁された最後の被験者たちも爆破前に全員毒ガスで殺され、死体も焼却された。しかし、その数が多いため、短期間に全部は焼却できず、731部隊運輸班は焼却しきれない死体を秘密裏にトラックで運び松花江に捨てた。
●隊員たちは、動力班の3台の機会で、被験者のレントゲンと日本に持ち帰れない重要資料を毀棄(きき)してから機械を爆破した。その他、兵器班、高橋班、焼却炉などの施設も爆破された。
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
馬金義(男、76歳)の証言
日本軍が南京を占領した時、私は29歳で、妻と銅坊苑5号に住んでいました。私は夫子廟のある食べ物屋で料理人をしていました。
1937年12月16日の午前9時過ぎに、私が中庭に立っていた時、門を猛烈に叩くのがいて、鍾という隣人が門を開けると、頬にひげをいっぱい生やした日本兵が1人入って来て、自転車を1台押し、刀を体にかけていましたが、様子からして下級将校でした。私を手招きし、自分について来るようにとの素振りなので、私は付いて出て行くしかありませんでした。道々通りの両側とも火が盛んに燃えているのしか見えないみたいで、日本軍が勝手に火を放ち焼きまくっているのでした。私が付いて行き三坊巷の前の電報局の所まで行くと、門に「清水大隊」という札がかかっていました。門を入ると日本兵が私を指し「中国兵だ」と言いました。すると日本兵が4,5人かかって来て手で殴るやら脚で蹴るやら、着ていた綿入れを引き破るやらし、黒い布で目隠しをして、「スーラスーラトィ」(死んじまえ、死んじまえ)と言いました。私の腰のベルトを外して首に巻き、2人が片方ずつ持って、同時に力を入れて引っ張り、私が気を失うと、少し緩め、気が付くと、又力を込めて引っ張りました。そんな風に締めたり緩めたりして、私を何回か目がくらんで分からなくさせたのです。
もう直ぐ暗くなろうとする頃に、私が気が付いたら、むしろが1枚体にかかっていて、電報局の後ろの花壇に横たわっていましたが、周りは何処もかしこも死体ばかりで、ぞっとしました。やがて、日本兵が2人むしろを2枚持ってやって来て、私を脚で2度蹴り、1度はちょうど左の目を蹴ったのですが、痛いのを堪えて動かなかったので、私が死んだと思い、身を巡らして行ってしまいました。
暗くなり、あたりに人声がしなくなってから、私はゆっくり囲い塀の辺まで這って行きましたが、塀の外は高家巷の四聖堂に通じていて、塀の脇の大きな木の下に肥え桶が置いてあったので、私は木につかまり肥え桶の上に立って塀に這い上がり逃げ出ました。上浮橋一帯は日本軍が見張っていて、家には帰れず、水倉巷の妻の兄弟の家まで行って隠れるしかありませんでした。左の目がはれて開けられず、腿も塀を跳び越えた時に転んで悪くしてしまい、行き来に不便で、体がとても弱り、1ヶ月余りふせっていてやっと次第に回復しました。やがて上浮橋を見張っていた日本軍が撤収したと聴いて、やっと杖を突き付き家へ帰りました。私の左の目はこの時から視力が減退して、半年で失明し、一生私は1つ眼の障害者に成ったのです。(劉淑芳と梅嘉福と顧蘇寧が記録)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
戦争にそなえるより
戦争をふせぐ世界
また、資源などを狙う外国が、その国の中の武力紛争を悪化させることも少なくありません。平和づくりはその国の人々が主人公になるべきであり、人々が自分たちの土地や資源に対してきちんとした権利を持つ事が重要です。貧しい国に「援助してあげる」のではなく、人々の権利を保障していく事が、平和の基盤をつくるのです。
いわゆる「テロ問題」も同じです。テレビでは連日、イラクなどでの「自爆テロ」が報道されています。それに対して軍が投入されても、「テロ」はなくなるどころか、かえって増えていってしまいます。「テロリスト」と言う言葉が独り歩きしていますが、このような暴力をふるう人たちは、いったいどのような動機からそうしているのでしょうか。
「貧困、不正義、苦痛、戦争をなくしていくことによって、テロを行おうとする者たちの口実となる状態を終わらせる事ができる」と、コフィ・アナン国連前事務総長は語っています。暴力に対してさらに大きな暴力で対処しようとすることは、結果的に暴力を拡大させ、人々の命を奪い、人々を大きな不安の中におとしいれます。どうすれば人々が暴力に走ることを予防できるのか考える事が大事です。
そのための鍵は、軍隊の力にあるのではなく、市民どうしの対話と行動にあるのです。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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