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国家犯罪!731から福島まで!!

2014-09-13 06:14:35 | Weblog

安倍首相が前例のない人事を相次いで行った背景には「戦後70年を来年迎えるに当たり、日本の過去の行いを反省した河野談話・村山談話を修正したい意向があるのでは」という見方もある。
(朝鮮日報日本語版) 「慰安婦は合法」発言の女性議員を政調会長にした安倍首相

朝日新聞、慰安婦問題で「日本の右翼サイトから集中砲火」=中国メディア

朝日新聞と従軍慰安婦問題について。- 2014.09.06


日中首脳「不測の事態回避」で合意へ、 尖閣問題は事実上凍結か―11月北京APEC会談に向け駆け引き活発化


日本の一部の政治組織や政治家は依然として日本侵略の野蛮な罪を否定したり、依然として両手が真っ赤に血塗られている戦争の亡霊を参拝したり、依然として侵略戦争と植民地統治を美化した言動を発表したり、依然として歴史事実と国際正義を蔑視し、依然として人類の良知に挑戦している。
習近平の対日批判重要講話――抗日戦争勝利69周年記念日で

習近平総書記「歴史はやり直せないが、未来は切り開くことができる」



戦争犠牲者の追悼サイト、アプリ版が公開、資料の募集・展示の場に―中国メディア

南京が全世界に向けて南京大虐殺犠牲者遺族の手がかりを募集―中国メディア

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島 Unit 731, Hiroshima/Nagasaki, Chernobyl, Fukushima


高校教科書(実教出版)に学ぶ
歴史のまど・・・1937年12月、日本軍は、国民政府の首都南京を占領した。その前後数週間の間に、日本軍は、南京市内外で捕虜・投降兵をはじめ婦女子を含む中国人推計約20万人を殺害し、略奪・放火や婦女への暴行をおこなった。当時の中島師団長は、12月13日の日記に、捕虜にはしない方針であり、佐々木部隊だけで約1万5千人を「処理」したと記している。 
南京での大虐殺事件は、日本国内には知らされず、東京・名古屋・大阪などでは「南京陥落」を祝って提灯(ちょうちん)行列がおこなわれていた。しかし欧米では『ニューヨークタイムズ』などによって「捕虜全員殺される」と報道され、国際的非難が沸き上がった。(※南京大虐殺)

※現在、中国南京市郊外の虐殺現場には侵華日軍南京大遇難同胞記念館(1985年8月15日開館)がある。中国側は、市民や武器を捨てた兵士など30万人以上の人々が日本軍によって虐殺されたと発表している。なお、日本国内では虐殺数について「10数万人」など他の説もある。


・・中国軍民の抵抗に直面した日本軍は、1940~43年にかけて、華北の抗日根拠地への攻撃をおこなった。この作戦は「焼きつくす、殺しつくす、奪いつくす」という意味で「三光作戦」と非難された。また、ハルビンの731部隊などでは、細菌戦・毒ガス戦の研究で、3000人ともいわれる中国人ロシア人を実験材料(マルタと呼んだ)にし、しばしば中国各地で細菌・毒ガスを使った作戦を実行した。さらにアヘンを生産して中国占領地で販売したりした。


実教出版の教科書、都教委「不適切」 日本史の記述で
「不適切」とするのは「高校日本史A」と「高校日本史B」。国旗掲揚や国歌斉唱に関して「一部の自治体で公務員への強制の動きがある」という記述について、都教委は「国旗掲揚と国歌の起立斉唱は教員の責務であるとする都教委の考え方と異なる」としている。

高校教科書から学ぶ(東京書籍)
戦争裁判・・・(東京)裁判を通して、戦争中の日本軍による侵略行為、残虐行為の実態が、はじめて国民の前に明らかになった。他方でこの裁判には多くの問題点もあった。昭和天皇の責任をこの裁判で問うかどうかは、国際的に議論されたが、天皇制維持による占領政策の円滑な遂行を進めようとしていたアメリカの意向もあって、結局不問にふされ、また731部隊の関係者はアメリカへの資料提供とひきかえに訴追をまぬかれた。連合国側のアメリカによる無差別爆撃や原爆投下、ソ連軍の行為などは問題にされることもなかった。
極東国際軍事裁判とは別に、通例の戦争犯罪の容疑で、BC級戦争犯罪裁判が1945年10月から1951年4月まで、アメリカ、イギリス、オーストラリア、フィリピン、フランス、オランダ、中国の各国の法令によって実施され、死刑984人、無期刑475人、有期刑2944人の判決が下った。この裁判では、残虐行為を命令した上官ではなく実行した部下のみが責任を問われたり、誤認で刑が下ったこともあったといわれている。有罪となった者の中には、朝鮮人約150人、台湾人約180人が含まれていた。


なぜ、日本政府は731部隊のおこなった生体実験・細菌戦を認めて謝罪しない!?
高校日本史Aの教科書、実教出版を希望が最多 来年度 静岡
高校教科書から学ぶ(?)
731部隊・・・日本陸軍は、細菌戦準備のため1932(昭和7)年に関東軍防疫班を設立し、38年から39年にかけて、中国ハルビン郊外にその本部と実験施設を移転した。ノモンハン事件ではじめて細菌戦を実施した軍は、防疫班の規模を拡張して40年から関東軍防疫給水部と改称した。この細菌戦部隊は731部隊と呼ばれ、ペスト・腸チフス・コレラなどの病原菌を兵器にして、42年からは中国戦線で細菌戦を実施した。また、中国人などを「マルタ」とよんで人体実験をおこない、敗戦時までに3000人あまりを死亡させた。
敗戦後、アメリカは731部隊が開発した技術を入手するためにこの部隊の幹部を免責したため、彼らが公的な責任を問われることはなかった。









▼数え切れない戦争犯罪 

これら1000人余りの戦犯による犯罪を単純に足しただけでも驚くべき数字となる。直接殺害された中国の民間人と捕虜は85万7000人余り、焼却・破壊された家屋は7万8000軒以上、略奪された食糧は3700万トン、石炭は2億トン以上にのぼる。1931年の「満州事変」から敗戦・降伏まで日本の帝国主義は数多くの悲劇を生み出した。平頂山虐殺や南京虐殺、潘家峪虐殺、劉店郷虐殺、四一二虐殺、重慶大トンネル虐殺、北[田童]虐殺などその犯罪は枚挙にいとまがない。 

日本人戦犯45人の「更生」はいかにして行われたか―中国メディア

考察団代表は「日本帝国主義の罪は明らかで、731部隊史跡はその明らかな証明である。中韓両国は心を一つにして、全世界の人民に日本軍国主義の罪を示し、二度と同じ過ちが起きないようにしなければならない」と発言した。

「日本の侵略者による罪を公にし、被害者を偲ぶと同時に、若い人たちに歴史の真相を脳裏に刻んでもらい、世界の平和的発展を推進するものだ」
韓国の国会議員視察団、旧日本軍731部隊遺跡を視察―中国報道 

中韓合同で「侵略」写真展=ハルビンの731部隊跡地

<慰安婦問題>韓国国会議長「日本に全力で謝罪と賠償求める」=訪日し国会議長に談判方針―韓国メディア






日本政府は中国に遺棄した毒ガスの処理に全力をあげなくてはならない!!
天皇・皇族方の戦争責任を問う!!
天皇の親族、参謀総長閑院宮が毒ガスの使用指示を出した!!
大量の毒ガス弾は中国・日本近海に遺棄され、毒ガス弾の被害は今、中国・日本で起きている。そして、遺棄された毒ガス弾の海洋汚染は原発事故と相まって、大変なことになっているのではないか?

日本は1925年のジュネーブ議定書を無視し、主に中国で毒ガス兵器、細菌兵器を多用した!!
日本鬼子のおきみやげ(毒ガス)



上坂勝の毒ガス使用の証言

日本人戦犯3人目の供述書を公開 毒ガスで掃蕩 軍民多数を殺害(二)

上坂勝の1954年7月の供述書によると、上坂は1892年大分県生まれ。1934年3月~1941年11月、台湾で歩兵連隊の副隊長、大隊長を務め、階級は少佐、中佐。1945年6月に陸軍第五十九師団歩兵第五十三旅団長に任じられた。同年8月20日、朝鮮・咸興付近でソ連軍の俘虜となった

重要な罪行として、以下のものが挙げられる。
1942年2月頃、「歩兵第百六十三聯隊長大佐として河北省保定に蟠踞中」、「逮捕監禁しありたる中國人民約二十名を斬殺、刺殺等の方法により虐殺したる事件がありました」。3月頃、約10メートルの鉄道レールが除去されたため「十數人の容疑者を捕へて拷問し殺害三(四)人に及んだとの事でありました」。5月頃、「望都附近の鉄道沿線(望都西方約一粁)の一框舎が八路軍の急襲を受け全滅し輕機關銃及其の他の兵器を全部奪取せられた事件があり」、「約三〇名の住民を拷問し通謀者と目せられるもの約六名を殺害し框舎に接近して居る家に放火し三軒焼却したとの事であります」。
1942年5月27日、冀中作戦で「私は此の戰鬥に於て第一大隊をして八路軍及住民を殺害すること約八百人に上り」、「赤筒及緑筒の毒瓦斯を使用し機関銃の掃射と相俟って八路軍戰士のみならず逃げ迷ふ住民をも射殺しました、又内を『掃蕩』し多數の住民が遁入せる地下壕内に毒瓦斯赤筒、緑筒を投入して窒息せしめ或は苦痛のため飛び出す住民を射殺し刺殺し斬殺する等の残虐行為をいたしました」。「此の侵略作戰に於て聯隊が中國人民に與えた損害は殺人約一千一百名に及び家屋の破壊約十軒、焼失家屋約三軒、掠奪使用家屋約四五〇軒(約十日間)其の他中國人民約二四〇名を框舎構築(八個)のため酷使しました(約十日間)」。
1943年春、行唐西北方山地において第二大隊は「八路軍戰士や住民に對し殺害約二五〇名 焼失家屋約五〇軒」の損害をあたえた。「各部隊(前記行動間各道路を行進する先頭部隊)は住民の探知組を先頭に進め地雷を踏ましめて虐殺しました」。
1944年5月、河南省嵩県で兵士一人が行方不明になったために「住民十數人を捕へて」「殺害五(六)人に及び十二(三)軒の家屋を焼却したとの報告がありました」。
1945年6月、「此の轉進間第一第二大隊は出發當初より俘虜(約五十名位はあったと思ひます)を同行してゐましたが豆腐店南方地區で愈々前進困難となりましたので私は各部隊に『邪魔になる俘虜は殺害し我方の戦死者は指を切り取り持ち歸るべし』と命じました」「俘虜は全部殺害したとの報告がありました」。(編集NA)
「人民網日本語版」2014年7月7日


孫君の手紙 


毒ガス処理を神戸製鋼がやる?なぜ?
(参考)安倍さんは神戸製鋼に3年間勤務している。(関係ない?)
2007年9月 安倍さんは、首相を辞任している。
安倍晋三

2007年12月 6日 (木)
交流協会毒ガス弾処理疑惑、神戸製鋼も関与か?


防衛省発注事業で神鋼にも疑惑浮上


安倍のお爺さん、岸信介と731の関係は?情報公開せよ!!
日本人が忘れても、マルタの怨霊は日本の罪業を訴え続けている!!

安倍の行けない中国・韓国では731部隊の研究が盛んになってきている!!
「秘密保護法」の施行を急ぐ安倍政権の閣僚に世界からメッセージが届いています!!
とくとご覧下さい!!

侵華日軍第731部隊罪障陳列館(ハルピン)

中国が教える731部隊


生きた人を人体実験、日帝731部隊の恐ろしい蛮行


鉄証:731部隊の罪業

日本人の証言もありますよ!!
語り部フォーラム 


韓国人「中国が731部隊の残虐行為証拠資料を公開、幼い子供にも人体実験していた日本」


731部队的真相(英文)2/5 731部隊の真実 the truth of Harbin Unit 731(English Narration)


731部隊のことは、アメリカのCDC(アメリカ疾病予防管理センター・・・1946年に創設され、アメリカ国内・国外を問わず、人々の健康と、安全の保護を主導する立場にある連邦機関。)のビデオでも紹介され、世界では公然の事実とされている。
インターネットエクスプローラーのグーグルで(グーグルクロームでは映りません。)
http://www.bt.cdc.gov/agent/plague/trainingmodule/1/02wmp.htmをご覧下さい!!

疾病管理予防センター(CDC): 谷川透訳

医学博士、科学博士 ジョアンヌ・コノー

人は中世以来、敵を殺し、敵の能力を奪うため、自然界に存在する生命体を用いてきた。
初期の例の一つは、14世紀にタタール軍が黒海沿岸の城郭都市カファを包囲攻撃したときに起きた。
腺ペストが発生してタタール人に猛威を振るい始めたとき、彼らはペストに罹って死んだ者の死体を投石器で市内に投げ込み、城壁の内部で腺ペストを勃発させることを決めた。
その後まもなく、城市の中で虐殺から身を守っていた人々は、突然ペストに襲われ、イタリアへ逃がれた。
彼らはこの伝染病を、彼ら自身でヨーロッパに運び、それが恐ろしい黒死病の大流行の始まりとなって、ヨーロッパの人口を激減させたのであった。
ペストの流行に関する今日のわれわれの知識によれば、ノミは人体が冷えるとすぐ人体を離れるので、人体を離れたノミによって元々市内に住んでいたネズミが感染し、市内で突然発生したペストが現実にカファ全域に広がった可能性は非常に高い。

日本帝国731部隊は、日本が戦争に動員され準備が整った1930年代と40年代に仕事をした。
この恐ろしい計画の立案者である石井四郎中将は、病気を殺人兵器に変える任務を帯びていた。
石井は特にペストに魅了されていたが、それはペストによる細菌戦攻撃が自然発生的な伝染病の様相を呈するからであった。
さらに、人から人への感染拡大は、最初に用いる(細菌戦)発動物の量に応じて、病気を発生させることが出来るからであった。
731部隊は、ペスト菌を霧状に散布したり、水に溶かして散布したりすることが出来なかった。そこで彼らは、ペストを感染拡大させるために、天然の病毒媒介昆虫――通常のノミ――を用いた。
感染ノミを搭載した陶器爆弾が中国本土の幾つかの都市に投下され、その住民に多数の感染を引き起こした。
ペストは恐怖心を生み、容易に感染拡大し、人々を迅速に殺すので、兵器として魅力的である。

合衆国の攻撃計画でもペストに関して若干の調査研究を行なったが、同国では完全に武器化することは出来なかった。
ペスト菌を大量に増殖させた時、人はその毒性を持った細菌を保有しつづける魅力に打ち勝つことが出来ない。

ペスト菌は武器であって、伝染力を持っている。われわれは過去を振り返って、そのことを強く感じる。さらに、ペスト菌をエアロゾルにして持ち歩かないよう管理することも問題だし、気象条件によってペスト菌が変異しうることも問題だし、細菌の形をとらなくても非常に感染性が強いことも問題だし、最後にペスト菌がどういう形をとってお終いになるのか、誰もコントロールすることが出来ない。
ペスト菌はきっと、帰ってきて、あなた方に噛みつくことでしょう。
あなた方の軍隊だけでなく、あなた方の友軍や同盟軍にも噛みつくことでしょう。

しかしながら、ソビエトの兵器工場では、ペスト菌はその伝染性ゆえにお気に入りの生命体である。
ソビエト軍は、米軍の経験した毒性の問題を克服した。
ソビエトの亡命者アリベック博士とのインタビューによれば、彼らは1,500トンのペスト菌をいつ如何なる時でも手にしており、それを大陸間弾道弾に搭載する準備が出来ているとのことである。
保管の問題のため、彼らは頻繁にペスト菌の備蓄を廃棄して、新しいものに替えるという。
われわれはテロリストによるペスト菌の使用に非常に関心がある。というのは、ペスト菌が自然界に見いだされるだけでなく、世界中の数多くの生物学資料供給所で入手できるからである。

「生物兵器による戦争とテロリズム;軍事上および公衆衛生上の対応」(アメリカ食品医薬品局発行、1999年)から脚色



<動画>日本軍の細菌戦の遼寧省で唯一公認の被害者が病死


中国(瀋陽)日本戦犯審判の特別軍事法廷旧跡陳列館が開館

日本人戦犯の中国侵略の罪の直筆供述書

<動画>郵便検閲書類が日本軍の細菌戦を実証



(転載)
中国からのメッセージ!!
細菌戦に関与したのは、石井部隊だけではなく、関東軍主力が関わっていた。国際法違反は日本軍全体の問題である。日本側の検証を望む。

日本戦犯・三宅秀也:“指導”して楊靖宇を殺害した


三宅秀也の供述書公開 細菌戦に備えペスト研究を指示(三)

2014年7月29日原文:人民ネット―国際チャンネル
公開資料の22番目の日本戦犯は、三宅秀也の罪業供述書である。三宅秀也は、抗日英雄・楊靖宇等の犠牲に関与している。
1954年8月~1955年4月の供述書は、三宅が1902年、兵庫県生まれ、傀儡満州国熱河省警務庁警務課課長・傀儡奉天省警察庁庁長を歴任したと示している。

重要な罪業:
1936年には、偽熱河省と偽錦州省で共産党員や反満抗日思想を有する中国愛国者ら7066人を検挙し、「内一五〇名を『厳重処分』(死刑)に附して居ります」
1938年11月には、防疫本部の会議において、「偽新京のペスト防疫の完避を期するため偽農安県城をペスト病源地として、偽警察力を以て包囲し、外部との交通を完全に遮断することを決定しました」。「関東軍が石井部隊をしてペスト防疫業務を直接担当せしめたる主なる目的は、偽新京にペストの発生せるを好機とし、他日の細菌戦に備へ、石井部隊をしてペスト病菌に対する種々なる研究及実験をなさしめんとするに在りました。石井部隊は偽農安県城に於ても、偽警察の包囲下に於て、人民をペスト病菌に対する研究と実験の用に供して居ります」
1939年9月から1941年3月までは、所属の各偽警察機関を指導し、抗日聯軍第一路軍の「消滅」に協力し、「抗日聯軍約二千名を射殺し、約一千五百名を誘降し」、射殺された中には楊靖宇や陳翰章などもいた。
1942年8月3日には、偽慶安県警察隊に命令し、該県青風嶺附近で抗日聯軍第三路軍の許享植軍長を射殺した。
1944年7月から1945年8月まで偽奉天省警務庁庁長として在任中、部下に命令して刑法違反者を逮捕し、「一市六県のみにて中国人民一万二千一百八十名を『検挙』し四千五百六十五名を偽検察庁に送致致しました。偽検察庁に送致せられたる者の中、十四名は死刑を宣告せられ、偽監獄に於てせられました」(編集MA)


初めて知った戦争「大久野島」「731」 

毒ガスのほとんどは大久野島で製造され、中国で大量に使用され、多くの中国人が犠牲になった。
使用前には、731部隊と516部隊(化学戦部隊)が合同でマルタ(=被験者)をトーチカに入れての人体実験や野外実験などで、効果を調べ、その結果をもとに実戦に使用した。
そして、敗戦で引き揚げる時にその毒ガスを中国に遺棄したため、今、中国ではその被害に多くの人が悩んでいる。
遺棄毒ガス訴訟、請求棄却 中国の少年2人が被害

鈴木啓久供述書:毒ガスを使用した!!

重要な罪行は次の通り。
1934年6月頃、錦州で「中国人の農民2名を殺害した」。
1935年3月上旬頃、高木大佐を援助し、「上板城附近で約300戸のある村二つを焼却し、多数の中国人民を殺害した」。
1940年9月、安徽省宣城作戦において、屋内に退避した抗日軍人約50名に「毒ガス攻撃で全員惨殺した」。
1941年、安徽省巣県に慰安所を設置したうえ、20名「中国の婦女及び朝鮮の婦女を誘拐して、慰安婦をなさせた」。
1941年11月、河北省棗強で八路軍を攻撃し「八路軍約10名を殺害し、約600戸のある村二つを焼却し、中国人の農民100名を虐殺した」。
1941年12月、「長城線附近2キロメートル内の」「住民を移転させ、無人地帯となさせた」。
1942年1月、唐山一帯で田浦大佐に対して掃蕩を命令し「約八〇〇戸のある村を焼却し、中国人の農民1000人を虐殺した」
中央檔案館が日本戦犯、鈴木啓久の中国侵略罪行自供抜粋を公開


日本人戦犯1人目・鈴木啓久の供述書を公開
瀋陽軍事裁判 「731榊原、満州国次長古海、皇帝溥儀等の証言、アヘン政策、三光作戦鈴木啓久 」 


榊原秀夫(731部隊林口支部長)
榊原秀夫の供述書公開 731部隊の細菌戦に協力(一)

榊原が自供した重要な罪行として、以下のものが挙げられる。
「林口支部の任務に従って私は在職間、細菌戦準備の為に第一課長細矢少佐に命じ細菌保存培養を実施せしめました」。当時の生産量は、「中蘇国境の東部地面に撒毒し、極めて大量に蘇同盟軍隊のみならず中蘇両国の平和人民をも毀滅せしめるに充分な量」だった。
「細菌戦準備の為の捕鼠」では、「私は部隊全員を動員して捕鼠に従事致しました」。「間所少尉を長とし約二五名の捕鼠班を常時設置」し、「捕鼠により第七三一部隊に送附致しました鼠の総数は一九四五年四月に一〇〇〇匹、五月一〇〇〇〇匹、六月八〇〇〇匹、七月七〇〇〇匹総計二六〇〇〇匹」にのぼった。
1945年3月上旬,「私は第七三一部隊の命により」「支部の保存培養中のチフス菌、A型パラチフス菌の試験管二本を第七三一部隊第一部毒力検定班」に提出した。「両菌種共に第七三一部隊第一部保存菌中の標準毒力」に適合しており、「細菌戦の準備の為の保存培養に適」していた。「井戸水には効力の確実を期するために大体一・二本の試験管でし得ると計画したものであります」。「私は此の効力実験によりて四名の中国愛国者を殺害したものであります」
1945年4月には、黒竜江省安達県で、「私は安達に於ける殺人実験に参加致しました」。「中国愛国者の方四名」が「安達演習場に二五米―三〇米の間隔に地に打ち込んだ丸太の棒に縛りつけられました」。「軽爆撃機が演習場の上空に飛来し約一五〇米の高度より素焼製爆弾(陶器の一種)を投下し五〇米上空で炸裂しました」。「私は完全予防衣をつけ五・六〇〇米位の距離から此の惨行を見たものであります。此の爆弾は恐るべき炭疽菌を充填した爆弾で鼻咽腔より吸入せしめ当時絶対に生きることの見込のない肺炭疽に、或は破片により皮膚炭疽を起させる全く酷悪の罪行であり、私も此に参加したものであります」
1945年8月、「蘇聯軍開戦をラヂオに依り知り、直ちに自動車の出動準備を命じ、同時に一切の馬を除いた動物、即ち捕鼠した鼠、白鼠、モルモット、兎、蚤、及保存培養せる細菌を第七三一部隊に送附せしめました」。「部隊建物に藁を積み石油を準備し建物の焼却準備を実施し、更に部隊専用の水源地の給水ポンプの破壊を命じ破壊せしめました」。「細菌戦準備の為の一切の証拠物件を煙滅破壊したものであります」。(編集MA)
「人民網日本語版」2014年7月11日)

瀋陽軍事裁判 「731榊原、満州国次長古海、皇帝溥儀等の証言、アヘン政策、三光作戦鈴木啓久 」 


上坪鉄一

重要な罪は次の通り。
1944年8月より1945年2月に亘る間、「鶏寧、平陽、東安地区に於いて部下分隊長に命じ、抗日地下工作員9名(氏名記憶せず)を検挙させ、厳重な拷問を以って取り調べの内、8名は特移扱いとしてハルビン特務機関を経て石井部隊に特移送らせた」。
1944年9、10月の間、検挙した中国人(ソ連諜)1名を「特移扱いとして」、「ハルビン憲兵隊に移送させ、該隊が石井部隊に特移送させる。」「特移扱いは『防諜(思想)上の重大犯人にして、特に未来逆用の見込みなきものは、特移扱いとして憲兵隊司令官に申請し、司令官の許可及び移送命令に依りハルビン憲兵隊に送致す』、ハルビン憲兵隊により石井部隊に送致し、石井部隊にては細菌研究の実験に供するものになるとハルビン憲兵隊戦務課長より告知された。」
1944年11月頃、勃利分隊に命じて、抗日地下工作員約90名を検挙し、1945年4月頃、「其の内10名(氏名記憶せず)は特移扱いとしてハルビン特務機関を経て石井部隊に特移送らせた」。
1945年4月初、平陽分隊が検挙した抗日人員8名を「特移扱いとして、ハルビン特務機関を経て石井部隊に特移送らせた」。
1945年5月、勃利分隊が検挙した抗日人員4名を「石井部隊に特移送らせた」。
「以上私の鶏寧、東安隊長として検挙した中国人は誰も愛国抗日の積極的先進分子にして、私は彼達の大部分を石井部隊に特移送り、最も非人道的な細菌研究の実験に供した」。
「私が鶏寧、東安憲兵隊長として部下憲兵に命じて抗日地下工作人員を検挙の上拷問を以って厳重たる取調べを実施させた者は、既報した者150名以上、内特移扱いとしてハルビン石井部隊に特移送らせた者44名、拷問致死2名である」。「報告し得ざる者も相当多数あることは確実である」。(翻訳・編集/呉寒氷)(新華網日本語))

731部隊とは 


齋藤美夫の供述書 中国人を集団虐殺(二)

重要な罪行として、以下のものが挙げられる。
1937年11月初旬、新京北、南分隊及び首都警察庁の厳重処分に付すべき中国人約30人を新京北東北方約20キロの刑場に押送するよう命令。途中、全員が射殺された。
1939年8月8日、「河北より石井細菌化學部隊に引渡すべき中国人九〇名を哈爾濱、及孫吳に押送」する命令を下達した。1956年6月17日の訂正・追加自供書で彼は「被押送人員三〇名は哈爾濱に下車せしめられ石井部隊の細菌化学生体実験に、孫吳に下車せしめられた被押送人員約六〇名は習志野学校(瓦斯部隊)と石井部隊の協同による毒瓦斯弾効力実験特別演習の用に供せられたものなることを白濱大尉の事後報告により知りました」と記した。
1940年8月~1942年6月、広州市内および周辺村落で約200回捜査を行い、勾留人員は約1000人、検挙人員200人に達し、うち5分の1の40人を厳重処分に付した。
1941年6月~1942年6月、「私は派遣軍憲兵隊長として命令を以て約三回に亘り廣東憲兵隊をして同隊の検擧したる中国人民を『嚴重処分』として『集体(銃殺)』せしめました」「約一二〇名に達し」た。(編集NA)
「人民網日本語版」2014年7月23日)

飛びゆく雲 最後の戦犯は語る

日本人戦犯の中国侵略の罪の直筆供述書



戦時中、中国で731部隊員はこんなせりふを言い、たくさんの中国人を殺していたのですか?
「近くでペストが発生しました。予防薬をみなさんに飲んでいただかなくてはなりません。」
「さあ、どうぞ!!」

【安倍首相】731部隊・マルタ部隊を連想させるパフォーマンスを行ったって本当なの?


731部隊!!

夏草をふみしめ遺跡の前に跪(ひざまず)く
オバケ煙突の下、不気味に笑う悪魔の目鼻
ここで焼却されたマルタは虚空に消えた
その無念の粒子を今なお人々は呼吸する
この空間には癒されぬ死の怨霊がくすぶり続ける
だが誰もそのことを声高に語ろうとしない
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より

混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)



731部隊展感想(武蔵野展)

<講演会アンケート>

4月6日(日)松村高夫講演

★80代 チラシ(集会) 女性
講演内容 権力を持った者の数々の犯罪。731を聞きながら袴田事件のことを思っていました。ねらわれた弱者の闘いは国民の良識でしか支えられない。私たちは日々の報道にかくされた真実を養う大切さを痛感。

企画   アナログ人間にとってはこのような形でしか情報を獲得できないので大変有難いです。


★60代 鳥居からチラシ 男性
講演内容 広い角度からお聞かせいただきました。

企画   多摩地区で開催されたことは大きい。




【真相】
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)

Ⅲ ペスト攻撃班、恐怖の実戦秘録
-第2部5課(攻撃・実戦担当)K・S

8月10日、終日200体の「丸太」死体を焼却


いよいよ部隊本部を爆破することになって、我々にも退避命令が出た。みんな思い思いに退避した。私は石炭集積所の方に避難した。正午過ぎ、すさまじい爆発音とともに、部隊本部は、炎と土砂・瓦礫の入り混じった黒煙となって、空高く吹き飛ばされた。
この時までに、石井四郎部隊長が、飛行機で脱出したことを聞いた。爆破の後であったろうか。部隊の至る所に鼠の大群が出現した。何千何万というおびただしい鼠が、本部奥の方から炎に追われるように押し寄せてきた。裏手の方に散ったものもいたであろうから、もしかすると何十万と言う単位かもしれなかった。地面を縫うように盲滅法(めくらめっぽう)に走り回る鼠の姿に戦慄を覚えたのは、私1人ではなかったであろう。
その夜、我々は、引込線に入っていた列車で撤退したのであった。8月15日の終戦の報せは、夜、新京駅に着いた時に聞いた。新京の街は、夜目にもあかあかと燃えていた。
我々にとっては、列車の機関士を確保することが、死活の重大事であった。そのため、3人の隊員が着剣した銃を持って、中国人の機関士を常時監視し、トイレまでついていくほどであった。





続きは「ノブのノート」

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