細菌戦から核戦略へ!!

2024-03-29 11:11:37 | Weblog
 
南京大虐殺 

 
南京大虐殺(マギーフィルム)
パネー号撃沈

 
 重慶爆撃               
原爆投下や東京大空襲ばかり取り上げて、 日本のテレビや教科書が重慶爆撃を取り上げないのは問題だと思います。 (視聴者のコメント)
苦干(重慶無差別爆撃)

井上成美・・・日本軍が陸上から攻撃できない重慶で抗戦を続ける蔣介石政権を崩壊させるため、1940年(昭和15年)5月1日から9月5日までの約4か月間、「一〇一号作戦」(重慶爆撃)が実施された。陸海軍の航空兵力を結集して、四川省方面の中国空軍を撃滅し、重慶の蔣介石政権の政府機関、軍事基地、援蔣ルートを破壊するのが目的だった。従来から支那方面艦隊の隷下にあった第二連合航空隊、第三連合航空隊に、連合艦隊から増援された第一連合航空隊が加わり、漢口方面の飛行場には、陸攻・艦攻・艦爆・艦戦、約300機が集結した。井上は6月4日に漢口へ飛び、第一連合航空隊司令官の山口多聞少将、第二連合航空隊司令官の大西瀧治郎少将をはじめとする将兵を激励した。

 


 
 

731部隊 

731部隊展

 
 
 
 原爆    

日航123便の怪(1985年8月12日)

     
 
●東京帝国大学伝染病研究所
  
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
  • 東京帝国大学伝染病研究所『実験医学雑報』
    ・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
    ・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
    ・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
    ・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
    ・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
    ・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?
    ・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?
    ・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器・研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。
    ・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか??
    ・河本禎助も毒ガスの研究をしていた。
    ・1938年6月1日の伝染病研究所で石井の厚意によって上映された映画には、731部隊の生体解剖でも映っていたのでであろうか?
    精神的緊張裡とは、何のことだろうか?


実験医学雑報20巻 第7号(1936年)
本所職制改正
この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。
*特別研究室とは何だ??

 
 
 
 雑報10号(22巻、1938年)
 
※中込亘は、731部隊で細菌に感染して死んだのだろうか?
三田村は、真実を隠すだろう。
 
尚所長に代わって述べられた三田村教授の追悼の辞は次の様であった。
故中込亘君を想う
                    三田村篤志郎
  人生の第1歩に於いて両親を失うと言う最大の不幸をなめられた君の一生にはその後も波立ち風吹く日が多かったのでありました。大学にあった時にも大学を終えた後にも君はしばしば重い病に冒されました。斯くして君の進路は兎も角阻まれがちでありました。
 
 伝研に入ってから元来蒲柳の質である君は10年1日の如く休む日とてなく孜々として学に励まれました。これ君の克己と忍耐と摂生との賜でありまして同学の我々の以て範とするに足る所であります。しかもこの間に於ける君の生活は安易の生活ではありませんjンでした。家より財を得ることの少なかった君は伝研で得る薄給を以て主なる生活の資となし、荒き人生の波を押し切られたのであります。艱難は人を玉にすと申しますが、君は幾多の人生の波浪の中に喘ぎつつ定めし君の人格を磨かれたことと思います。
 
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修  
2001年ピュリッツァー賞受賞 
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。
 
好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
 戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!   
 
第2部    
仁愛の政治
1922(大正11)年―1930(昭和5)年
   

第6章 政治的君主の誕生 
 
 V 
 
 8月初め、陸軍大臣南次郎は先例を破り、軍司令官師団長会議での訓示を新聞に発表した。その演説で、南は軍縮の応諾を「裏切り」と非難し、部下の将校たちに軍事費の消滅に抵抗するよう呼びかけた。続いて参謀総長金谷範三、在郷軍人会長鈴木壮六も、軍事費削減に全般に反対の態度を表明した。
 
 

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