細菌戦の系譜!!

2021-08-24 09:44:39 | Weblog

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

 

 

Ⅱ 関連部隊・支部

 

 

“特移扱”で中国人を731へ送った

憲兵隊の思想対策班長として大連事件にかかわった

 

三尾豊

憲兵

 

〈経歴〉

1913年生まれ

1934年1月~35年12月 歩兵第68連隊

1936年3月~45年8月 憲兵としてチチハル・牡丹江・大連の各憲兵隊に所属

1945年8月 捕虜となりシベリア抑留

1950年6月 中国戦犯管理所移管

1956年8月 起訴免除、釈放後帰国

■この証言は埼玉(浦和)731部隊展(1994年10月)の『報告集』に本人が加筆したもの。

 

731部隊に引き渡す
 
 1944(昭和19)年3月、この4名の方を731部隊に送れという命令が私に出ました。これは重大な任務でありました。私は4名の憲兵を指揮しまして、彼ら愛国者を麻縄でがんじがらめにして、上からスーツを着せて外部の人にはわからないようにして、大連から特急アジア号に乗せました。この人達は、憲兵はどうせ殺すんだろうと、もう覚悟を決められておられるのか、非常に泰然としておられました。私の方は逆にこの大物を逃したら大変、自殺されたら自分の首が飛ぶということで非常に緊張し、また約半年にわたって此の自分の父親の様な人と交流したというそのような情もあって、非常に重い気持ちで731部隊へ運んでいくわけです。
 

  

 

 

●証言

生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)

中央档案館

中国第2歴史档案館

吉林省社会科学院編

 

江田憲司

兒島俊郎

古川万太郎編訳

 

 

 

 

 

Ⅰ東北

2 吉林

小川政夫供述書(1954年10月9日)

問:中国侵略期間中に中国抗日軍民の虐殺に参加した犯罪事実を、場所と時間の経過に従って供述せよ。

答:1935年9月頃、私は関東軍第2独立守備隊司令部戦闘司令所で軍曹に任ぜられて敦化市に駐箚していた。私は現地の憲兵がよく北山で中国人を殺害し、死体は第8大隊の軍医によって解剖されているのを知っていた。ある日、私も参加した時には、4名の中国愛国者を連れてきてまず被害者に目隠しをし、跪かせて憲兵が斬殺した。それから軍医が2名を指揮して解剖し、私に「これが鼻茸だ」と説明した。軍医は1人の頭を白い布で包んで持ち帰り、死体は野原に放置した、

(1)119-2、779、1、第4号

●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第6章 アジア太平洋戦争期の毒ガス戦

 

Ⅰ、戦争初期の日本軍の作戦と毒ガス兵器の使用

華北での使用

以下、華北での特徴的な使用例を2例だけ挙げておこう。

〇晋冀豫辺区粛清作戦での使用

 

第1軍は、山西省(晋)・河北省(冀)・河南省(豫)にまたがる山岳地帯の八路軍根拠地を破壊する作戦を5月15日から7月20日にかけて行ったが(晋冀豫辺区粛清作戦)、ここでは八路軍を捕捉すると共に「敵根拠地を徹底的に覆滅」することが目的とされ、参加部隊は、各中隊(大隊)ごとに「あか筒」・発煙筒などを携行し、作業隊は爆薬を携行した(歩兵224連隊第3大隊「晋冀豫辺区作戦戦闘詳報」其の1)。そして実際に歩兵第224連隊第3大隊は5月13日から6月16日にかけて「98式小あか筒」23本・「みどり筒」12本を使用した(同大隊「晋冀豫辺区作戦戦闘詳報其の2)。

 
 

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

 

第6章 悪魔の兄弟たちの毒ガス網

 

731部隊との関係

 

この細菌部隊は平房に大規模な実験場と細菌繁殖基地を建設し、人類の生命を深刻に脅かす10数種の細菌を研究製造した。これらの細菌は侵略戦争に使用され、無数の罪のない平民が殺害された。この部隊はここに抑留された捕虜に対しても残酷無道な生体実験を行ない、3000名以上の中国、ソ連、蒙古及び朝鮮人を殺害した。
 このような悪魔部隊は日本軍隊の中で孤立していたわけではなく、関東軍の中では516部隊がその兄弟だった。
 

 



 



 
 
 

 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


 

 

 

 

 

 

 


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