細菌戦の系譜!!

2022-02-17 13:38:16 | Weblog

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行

 

人間と鬼
農民を火あぶりにし生き埋めに
 
松尾富男
曹長
<旧部隊名>
第59師団第54旅団第45大隊
 
 
泰然としていた男は
「鬼子!!我々は中国農民だ、知らないことは絶対に知らないのだ!!」と、きっぱり言い切った。
「な、なに、このちゃんころ!!」
と吠える鬼子に囲まれた男の眼に憤怒の炎が燃えていた、
「私たちは農民で何も知らない。彼も知らないのだ!!」
と村人たちの火の塊のような叫びの中で、「えい!!」業を煮やした納谷の悲鳴に似た掛け声とともに白刃がきらめいた。
「バサッー」濡れ雑巾を叩きつけるような不気味な音と共に剣先は地面を斬りつけていた。男の首が5尺(約1.5m)くらい前方に飛び、青ざめた顔がゴロゴロと転がって横向きに止まった。同時に首のない胴体が「ビュッ」と血を噴き上げながら前にのめって、そのまま動かなくなった。
 
 
 
 

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 

 

 

    

 

 

    

●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


 

 

 

在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。

 
*CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。
 

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

- 731 部隊関連資料の情報公開裁判の傍聴支援をお願いします ー 
 
 
 
 
(来年1月も証人調べが続きます)   
 
第33回:2022年1月14日(金)13時30分~  103号法廷 衛生学校図書室図書係2人の証人尋問予定
 
第34回:2022年1月24日(月)13時30分~    103号法廷 衛生学校彰古館担当者2人の証人尋問予定
 
 
 
日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)

            藤井治夫著

第2篇  自衛隊の機密

第1章 作戦用兵

3 最高の作戦計画

年度統合防衛計画  

 防衛計画と直接関連のある記載は、実施計画中の主要研究項目において、次のような研究課題が出されている点である。

(ハ)昭和38年度防衛および警備計画における作戦構想の適否、とくに次の事項実施上の問題点

a作戦準備

b戦略展開

c初期作戦

d対着上陸侵攻作戦

 これにより、すくなくとも防衛計画は、右のような構成をその一部にもつことがしめされたわけである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

 

 

 

 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)

Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

1、自衛隊の装備・訓練を探る

その戦略的根拠

まず、教範の制改定の経過をまとめてみると、3つの段階に大きく分かれていることがわかってくる。

第1の段階は、50年の警察予備隊発足から57年の「案32-119化学防護教範」が制定されるまでの“借り物時代”である。

第2の段階は、57年から67年の「特殊武器防護教範」制定までの“研究開発時代”であり、この10年間は自衛隊の生物・化学戦にとって記念すべき10分の1世紀であった。

第3の段階は、67年以降の“自前生物・化学兵器装備と訓練時代”である。

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 


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