南京!南京!

2014-12-27 11:27:38 | Weblog

医学犯罪、今どう考える…?731部隊の“闇”を振り返る

●日野原氏は、憲法九条を守り、戦争に反対するという点では明確な意見を発信してきた。「戦争と医の倫理」の問題(731部隊的問題)では、はっきりと731部隊を批判する意見を表明してきたはずだ。ところが、原発の導入、原子力の「平和利用」、広島・長崎の原爆の影響調査や放射線リスク評価等をめぐる「戦後処理と医の倫理」については、むしろ、批判的な意見はほとんどなく、正力松太郎や原子力船を推進する笹川良一らの意見を容認してきたといってよいだろう。
15年戦争における医の倫理ばかりでなく放射線リスク評価における医の倫理が問われる時代 「放射線ムラと『笹川』系人脈」執筆への道 

オウムに関わった鈴木俊一と日野原重明と731部隊より
・山西省にあった731部隊の分遣隊の主計部の中尉だった鈴木俊一は東京都知事であり、自民党右派の主要なメンバーだった。鈴木の居た分遣隊は人体実験には関わっていなかったが、彼は731部隊の残酷な秘密を知っていたことを認めている。

・莇(あざみ) :少なくとも日本の医学界の中枢は、731部隊で行われていた医学犯罪の内容を知っていたと思います。当時の京都大学の医学部長も教授も何回もハルピンに行っているんです。そこで何が行われていたか知っていたはずだと思います。昭和14・15年には石井四郎が京大に来て生体実験の内容の一部を映写機で写しているんです。当時京大の助手としてそれを見た日野原重明先生が、2005年12月5日付けの朝日新聞に投稿しています。投稿の内容は、「私が京都大学の医局で学んでいた時、大学の先輩でハルピン特殊部隊の石井四郎中将が現地の様子を納めた写真フィルムをもって母校を訪れました。そこには捕虜たちの生体実験が映っていました。腸チフス・ペスト・コレラなどを感染させてから死亡するまでを収めたものです。見るに耐えられないものであり、今でも鳥肌が立ちます。」

●731部隊展
(参考)黒い太陽731 



(参考)中国の劇映画 荒原城堡731第5集


ETV特集「戦場で書く~作家・火野葦平の戦争~」①

六本木に米軍基地がある?!憲法より上位の安保法体系がある!!日本の最高決定機関で決めた事よりも日米合同委員会の決めた事の方が上位?
『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』矢部宏治・孫崎享 対談



エボラウイルス発見の博士「優先すべきは医療従事者の訓練」
(参考)ワクチンについて(731の流れが続いているのか?鳥インフルエンザウィルスを作ったのは東大の先生??)
731以降、医の倫理は廃れ、医学界は生物戦のマッチポンプ?
ベンジャミン・フルフォード×内海聡×三上丈晴「医療マフィアのタブーと真実」ダイジェスト2013.10.27



●731部隊展
一旦戦争を始めれば、国民は総動員され、残酷な事にもなれてしまう?

世田谷展
「731部隊と現代普通の~医者が生体実験 なぜ?」
講師 奈須重雄 (NPO法人731部隊・細菌戦資料センター理事)
世田谷展 奈須講演1 

世田谷展 奈須講演2 

731部隊でやったこと(生体実験・生体解剖・細菌兵器開発・細菌戦の実施)


731部隊・防疫給水部に従事した医学者の中には、自分のやったことに後悔し、自殺した者、命令を拒否した者もいた!!

戦後、731部隊の事は全く反省されず、放射能の被害についても隠蔽が続いている!!

731部隊ではデング熱の人体実験もされていた。陸軍でも生体実験は行われていた。戦後、精神病院の患者に対して行われた生体実験。

学会での批判と反批判。

戦後、精神病院・乳児院などで生体実験が行われていた。アメリカは731部隊での人体実験・細菌戦を公に認めている!!

731にいた友人の変わり果てた姿!!

大牟田爆発赤痢事件
大牟田「(いわゆる)爆発赤痢」研究会
九州大学生体解剖事件




[戦争の証言] 七三一部隊~人体実験
unit731 



731で研究された生物戦のデータはアメリカに渡り、(ソ連もハバロフスクで追及し、細菌戦の概要を知った!!)戦後の日本でも研究が継続されている!!
だから、日本政府はまったく細菌戦について調査をする気がない!!(もちろん隠す目的)
2003年川田議員に対する小泉首相の答弁
「お尋ねの細菌戦に係る事実調査等については、本件の性格や時間的な経過に鑑みれば、更なる調査を行い、明確な形で事実関係を断定する事は極めて困難と考えるが、新たな事実が判明する場合には、歴史の事実として厳粛に受け止めていきたい。」

七三一部隊等の旧帝国陸軍防疫給水部に関する質問主意書
答弁本文情報

政権が変わっても全く同じ!!(医学界・旧軍人・天皇側の圧力が加わっている?)
2012年服部議員に対する野田首相の答弁
(細菌戦の効果を論文にまとめた「金子論文」が見つかっているのに、こんな答弁しか出来ない!!ほとんど小泉と同じ官僚の作文!!)
「お尋ねの細菌戦に係る検証作業については、本件の性格や時間的な経過に鑑みれば、更なる調査を行い、明確な形で事実関係を断定する事は極めて困難と考えるが、新たな事実が判明する場合には、歴史の事実として厳粛に受け止めていきたい。」

七三一部隊等の旧帝国陸軍防疫給水部に関する質問主意書
答弁本文情報

●11月22日細菌戦センター学習会
冷戦下の人体実験 

医学系大学では、731の事を教えていない!!サーズは人工的に作られた?研究者は密室で何をしているか分からない。
中村明子先生と西里扶甬子対談 1


国立予防衛生研究所とはどんなところか?731部隊員は、予研では優遇された。自衛隊の園口忠男(第8代衛生学校長)は、予研では閣下と呼ばれていた!
自衛隊と予研の関係は?
中村明子先生と西里扶甬子対談 2 

対談後の質疑応答

「衛生学校記事」情報公開裁判の報告 

細菌戦センターからのお知らせ!!

731部隊に関与した医師・医学関係者     作成者:小俣和一郎
731部隊の犯罪を反省せぬ感染研

731部隊ではやはりデング熱の人体実験を行っていた!!
デング熱と731








●重慶大爆撃
(朝鮮日報日本語版) 重慶市の光復軍総司令部ビル、中国が原形保存を決定

旧日本軍による重慶爆撃、史料整理事業に国から助成金 西南大学の教授らが申請―中国メディア
日本人の多くが知らないか、忘れていること?
日本各地で空襲があり、多くの人が犠牲になりましたが、日本軍は戦時中中国各地を同じく無差別に空襲をしていました。
重慶大爆撃もその一つです。
今日本で、この裁判が行われています。志のある方はご賛同よろしくお願いします!!


1941年6月5日、日本軍が重慶市に対する連続5時間余りに及ぶ大規模な爆撃を行い、較場口の防空トンネルにいた多くの市民が窒息死し、「六五大トンネル事件」となった。
「侵華日軍重慶大爆撃殉難同胞記念園」の設立、専門家が呼びかけ―中国メディア
重慶大爆撃
重慶大爆撃 対日民間賠償請求訴訟
重慶大爆撃とは①

もちろん、無差別爆撃もあった!!
陸軍航空隊の爆撃行(日本のプロバガンダ映画)



●靖国神社参拝違憲訴訟
安倍靖国参拝訴訟裁判
靖国参拝差し止め訴訟、首相側は争う姿勢「私人の立場」


(参考)
日本鬼子(リーベンクイズ)


映画『『日本鬼子(リーベンクイズ)』のDVD発売中
税込価格 5184円 (カラー160分)
購入をご希望の方は「中帰連発行所」に連絡ください。
申込先メルアド tyuukiren@yahoo.co.jp   Fax 03-3954-6142


●日本軍が戦時中、中国でやった事
瀋陽軍事裁判 「731榊原、満州国次長古海、皇帝溥儀等の証言、アヘン政策、三光作戦鈴木啓久 」 

1956年の瀋陽特別軍事法廷で裁かれた旧日本軍人など45人の供述調書より

37、藤原広之進が1954年7月から8月にかけて書き記した供述によると、彼は1897年日本の愛媛県に生まれ、1935年に中国東北で中国侵略戦争に参加し、嘗て穆棱、湯原、新京などの地域で日本憲兵分隊分隊長などの職に就任した。1945年8月31日に捕虜になった。

重要な罪は次の通り。
1936年2月、半截河などの地区で我が抗日救国人員「庄俊哲以下の10名」を検挙し、後に憲兵を命じて同年3月15日に9名を「厳重処分させた(殺害)」。
1938年3月、「北満(中共)臨時省委、吉東省委系統合計204名を検挙した」。後に「計68名をハルビン検察庁に送致して、処刑する」、その中「死刑7名」と判決した。
1938年4月中旬、湯原縣で抗日連軍を鎮圧する行動中、「4名の平和人民を捕えて、部下に命じてその3名を殺させ、私は横川の銃剣でほかの1人を刺殺した」。
1944年3月中旬、逮捕した「抗日地下工作員稚某という平和愛国人民をハルビン石井部隊に送致した」。




●昭和天皇は極秘ルートで、広島・長崎の原爆投下、ソ連の参戦の情報を知っていた?
畑元帥高野広島県知事はなぜ無事で、第2総軍は畑元帥の指示で8月3日から広島市内に出動していたのだ!?

・広島原爆投下時の真相(『日本のいちばん醜い日』/鬼塚英昭著より)
畑俊六は8月6日の原爆投下のことを知っていた!!
この原爆で、第2総軍の司令部の数々の建物は壊滅し、多数の死傷者が出たのである。
8月6日朝8時頃に、多数の第2総軍の参謀や将校が集まっていた。そこに原爆が落ちたというわけである。有末精三は畑俊六元帥のことを書いている。

山の中腹、松本俊一(外務次官)氏父君の別荘におられる畑元帥(俊六、第12期、元侍従武官長、支那派遣軍総司令官)に敬意を表し、今夕、仁科博士等の到着を待って調査に着手する旨申告した。将軍は被爆当時日課として朝のお祈りで、神棚に向かっておられたため、幸いに被害はなかったとのことであった。

有末精三は「それぞれ頭や頸元や胸に包帯をしていた岡崎清三郎参謀長(中将、第26期)、真田穣一郎少将(参謀副長、第31期、前大本営陸軍部作戦部長)、井本熊男作戦主任参謀(大佐、第37期、後の陸将)、同参謀橋本正勝中佐(第45期、後の陸将)などが草の上に胡坐(あぐら)をかいたり横になったりして論議しているところへ挨拶否見舞に行った・・・・」と書いている。生き残った第2総軍のトップクラスも全員負傷して、草の上で胡坐をかいていたのである。
この日、間違いなく、第2総軍の全員は、8時頃に集まって会議か、あるいは演習の準備に入っていた。ほとんどの第2総軍の人々は死に、あるいは傷ついていたのである。
ひとり、畑元帥のみが理由はともあれ、この総司令部に行っていないのである。
「山の中腹、松本俊一(外務次官)氏父君の別荘におられる畑元帥」と有末精三は書いている。
私は東郷茂徳外相の依頼か、他のヨハンセン(吉田反戦)・グループの依頼を受けた松本俊一次官が原爆投下前のある日、秘かに畑元帥と会談し、8月6日午前8時すぎころの広島に原爆を落とす計画を打ち明けたと思う。そのときに松本俊一外務次官は、この日の8時過ぎに、第2総軍の全員が集合するようにして欲しいと依頼したとみる。この第2総軍を全滅状態におけば、陸軍の反乱の半分は防げるからである。・・・・
・・・・・・・・・・・
学徒を殺し、一般市民を殺し、第2総軍の軍人を殺し、木戸幸一は大井篤の尋問に答えている。

陛下や私があの原子爆弾によって得た感じは、待ちに待った終戦断行の好機をここに与えられたと云うのであった。特に皇室や上流階級にも身命の危険が及んで来たからではない。
※ウキペディアには 畑俊六は「昭和20年8月6日の広島市への原子爆弾投下により、国鉄広島駅付近で被爆するも奇跡的に難を逃れた。被爆直後から畑は広島市内で罹災者援護の陣頭指揮を執り、広島警備命令を発令した。その職にて終戦を迎える。」と書いてある。真実を書いていないのではないか?
高野源進広島県知事は県下福山に出張中だった。


ヒロシマ壊滅 その時 知事は 高野源進氏の書簡見つかる 




これも天運であると共に明治大正を通じて温醸された弊害が積り積って潰滅した結果に外ならない。

※どんな因縁があるのか知らないが、ご両人とも福島県出身。会津藩は幕末には薩長にやられ、敗戦間際には天皇の命令により第2総軍の壊滅計画の役を買わされ、その後の原爆被害の対応、そして2011年には最悪のレベル7の福島原発事故!!
(畑は、南京大虐殺後の昭和13年(1938年)には松井の代わりに中支那派遣軍司令官となり、徐州戦、武漢作戦を指揮している。)



(参考)
大木操の『大木日記』の8月7日を見ることにしよう。大木操は当時、衆議院書記官長であった。

8月7日(火)晴
10時半登院、間もなく警報、小型機空襲。
議長、副議長と雑談。
正午過ぎ、岡田厚相来訪。広島に原子爆弾を6日午前8時半頃投下。十数万の死傷の報、大塚地方総監爆傷死、畑元帥健在、高野知事は出張中にて助かる。成層圏より落下傘にて投下、地上2,3百メートルにて爆裂、直径4キロ全滅全焼、エライことなり。
直ちに依光代議士は日政の幹部会にこれを伝える。一座愕然。

では、『広島県史(近代Ⅱ〕』の「原爆と敗戦」を見ることにする。

広島地区司令部の強い要望により、中国地区司令部の強い要請により、中国地方総監および広島県知事は8月3日から連日義勇隊約3万人、学徒隊1万5千人の出動を命令した。

この2つの本を読んで、私は次のように推論する。 
8月初旬に広島県庁に入った畑元帥は、高野源進広島県知事と中国地方総監を説得した。第2総軍を動員し、8月3日から連日、義勇隊3万人、学徒隊1万5千人を出動させよと命じた。畑はひそかに、高野知事に真相を打ち明けた。高野知事は広島を去った。こうした中で8月6日の朝8時15分を迎えた。第2総軍の軍人たち、義勇隊、学徒隊の多くが死んだのである。
・・・・・
もう1度、米内海相の直話を記す。天皇も木戸も、この米内の話に賛意を示したのである。

私は言葉は不適当と思うが、原子爆弾やソ連の参戦は或る意味では天佑だ。国内情勢で戦を止めるということを出さなくても済む。私がかねてから時局収拾を主張する理由は敵の攻撃が恐ろしいのでもないし原子爆弾やソ連参戦でもない。一に国内情勢の憂慮すべき事態が主である。従って今日その国内情勢を表面に出さなくて収拾出来るというのがむしろ幸いである。(「米内海相直話」昭和20年8月12日)

まさに、米内海相が語るがごとく、数十万の死者を出した原爆より、ソ連参戦で満洲で数十万の軍人や民間人が死んだことより、国内情勢の憂慮すべき事態が重要であると、天皇や米内たちは考えたのである。その1つが広島にある第2総軍であったというわけである。
その第2総軍は壊滅した。西日本の軍の反乱はこれによって鎮圧された。残るは関東一円となった。その中心の皇居を舞台に、偽装クーデターを起こしたというわけである。



●天皇はなぜ広島・長崎の原爆忌に参列しない?天皇と原爆は関係ない?
天皇批判した小川、謝罪も炎上
小川未菜は100%正しい! 「日本人は昔,天皇のせいで苦しみ、命がたくさん奪われた」


日本は戦争中、世界で初めての2発の原爆投下を、経験した。
これは、アメリカが莫大な費用をかけて開発したものだった。
アメリカは実戦の効果を知りたかった。

原爆の子
最初の原爆はドイツが作ったと言う説もある!!
スパイ ”ベラスコ” が見た広島原爆の正体 (高橋五郎)


日本が、本当に「自衛のための戦争」をしていたならば、敗戦後この非人道的な核兵器の被害を、国際社会に訴えることができたはずだ。
ところが、日本は戦争中、中国大陸において、驚くべき残虐な人体実験、細菌戦、毒ガス戦等を展開していた。アメリカは再三日本に「この非人道的な細菌戦、化学戦(毒ガス戦)はやめろ」とと警告を発していた。
日本は自国の戦争犯罪を隠すことに汲々として、アメリカとの取引をし、そして、原爆被害を世界に訴えることなく、全面的に核兵器の効果を調べるためのアメリカの調査に協力した。その結果、その調査によって被爆者は全く治療されなかった。
封印された原爆報告書


1997年の平和宣言で広島市長平岡敬氏は「アメリカの核の傘から日本は抜け出すべきだと政府に要求する」と唱えた。
すると橋本首相は平岡氏に歩み寄ってきた。
「あなたの気持ちはわかるけれども、そんなことはできない。あなたはアメリカの怖さを知らない」と言ったという。
やんばるの白ひげ ~核の傘の下で~(3)


私の想像:もしも日本政府が、アメリカの核戦略から抜け出し、この非人道的な核兵器の廃絶を世界に訴えたら、アメリカは「日本が中国で行った非人道的な人体実験、細菌戦、毒ガス戦、三光作戦等をばらすぞ!!」と脅しているのではないかと思う。そしたら今の天皇制はすっ飛んでしまうだろう。
追記:アメリカの怖さとはこれかな?
橋本龍太郎は、1986年7月22日、第3次中曽根内閣の運輸大臣に就任した。
このドラマの最初の方で事故調査報告書を受け取っている。
ボイスレコーダー  ジャンボ機墜落20年目の真実
米軍が墜落させた?それとも、自衛隊?
「御巣鷹山JAL123便墜落事件の真相について!」佐宗邦皇代表

ザ・エデン
【JAL123便撃墜事件の真相】
狙いは日本のOSトロンの技術者だった? 
中曽根康弘元首相のつぶやき
日本航空123便の墜落事故 29年目の真実(2014年)より
マスコミ・政府は真相を必死に隠す!!
日航機墜落30回目の夏生存者が今明かす“32分間の闘い”

【ワールドフォーラム代表・佐宗邦皇変死事件】
(参考)【天皇は偽物】現皇室の秘密を暴くと、早死します

橋本首相は続けて言う。
「日米安全保障条約によって支えられている安全保障の仕組みがこの国にとって必要だ。」

私の解釈:だからお互いに過去の非人道的な過ちは隠しておいて、未来志向で、放射能の怖さや遺伝子組み換え操作の怖さにも触れず、日本はアメリカの核戦略・生物化学兵器開発(もちろん日本も密かにやっているのでは?)を危険と知りつつ、進んでいきましょう。そしたら、天皇制も安泰です!!(何時まで続くこの身分差別!!)
原爆を浴び、放射能の恐怖を体験したはずの日本が、原発を50余機持っている。そして文殊はじめ原発関連の施設の維持費は膨らむばかり。国家財政は破綻寸前!!(破綻しているのかな?)、若者の貧困化も深刻!!

・内部被曝を日本の司法は認めているが、日本政府は認めていない?
・日本の医療・教育で、本当に「人間を人間として見る医療・教育がされてきているのだろうか?」
※日本は、戦後東京裁判で731部隊の罪業が裁かれることなくきたために、教育界・医療界でも戦争の反省をすることなく進んでしまった。
その結果、歴史認識の問題や放射能の怖さについても、まともな研究が疎まれ、今の政治状況が生まれている。
広島・長崎で2発の原爆投下を受け、悲惨な状況を経験し、また福島であれだけの原発事故が起き、これまた悲惨な状況にあえいでいるにもかかわらず、原発再稼動に日本は突っ走ろうとしている!!なぜなのか?
日本では、「人間を人間として見る」教育などされていないのでは?
いつも権力者の言うことに慣れ親しんいる。






●731部隊!!

夏草をふみしめてなおも歩き続ける
軒下にのぞく歴史に凌辱された眼光
住居を追われ悪魔に翻弄された暗黒の日々
長い年月に耐え声も叫びも枯れ果てた
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より

混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)



・『731部隊 細菌戦の医師を追え(今も続く恐怖の人体実験)』(高杉晋吾著 徳間書店)

Ⅱ細菌戦を支えた民間「同仁会」

戦後医学の思想の源流「同仁会」



しかし、その根は唯1つ。「軍事目的」という1点でつなぎ合わされていたのである。
Y・A氏(前出、同仁会幹部)は私にこう言った。「実は私も石井四郎さんをよく知っています。石井さんには『石井部隊に来い』と勧誘を受けましてね」そう言ってから重大なことを付け加えた。「実は漢口同仁会として石井部隊から研究費をもらっていましたからね」と。
同仁会のK防疫診療班幹部だったY・K氏が語ったこの証言は重要である。
この証言が意味するところを考えてみれば、
①731部隊は研究者の供給をかなり同仁会に求めていた。
②731部隊は同仁会に研究費を出して研究を委託していた。

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