細菌戦の系譜!!

2022-01-11 11:56:47 | Weblog

原告たちのあまりに理不尽な被害

『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

 

 

         昭和への挽歌   野崎忠郎

 

                



 
 

 

 

 

自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。

 

『日本医学百年史』1957年1月1日の731部隊の記述

 

日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

 

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」

 

 
第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった
 

 

 

 
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

 

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)

 
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第5回
 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6

「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)

 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第7

「731部隊について」(お話:五井信治さん)

 

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第7

 

731部隊と100部隊-人獣共通感染症への戦争動員―(お話:小河孝さん)

 

 
パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―
 

 

 
 
退官記念講義は敬意と感謝に包まれて暖かい雰囲気で行なわれるものだが、左翼系学生のつるし上げにあい散々なものになったようだ。
悪いことはできないものだ。自業自得である。
当時の左翼学生の活動すべてを肯定するつもりはないが、ここでの追及は正義に基づいたものであり、まともである。(この人たちは今どうしているのか。そして今の学生は何をやっているのか)
彼が731部隊で行なった人体実験の詳細はよくわかっていないが、肝臓にレントゲンを照射して致死量を確認する実験を行なったという証言がある。
退官記念講義の場で追及されても、実験内容を明らかにできないほど凄惨なものだったのだろう。
ナチスは、強制収用所のユダヤ人の生殖器に大量のX線を照射して不妊にさせるといった悪魔のような冷酷な実験を繰り返していた。
同じようなことを731部隊でやっていたことは間違いない。
亀井文夫監督の有名なドキュメンタリー「世界は恐怖する 死の灰の正体」の製作に宮川教授は協力している。
映画の冒頭でコバルト60のガンマ線を小鳥が死ぬまで浴びせる衝撃的な実験が紹介されているが、恐らく731部隊では中国人を使って同じことをしていたのだろう。示唆に富んだ実験である。
宮川教授は、「記念すべき退官記念講演の場で私を追及するなんて君らは残酷だ」と言ったが、自分が中国人に対して行なった凄惨な人体実験は残酷でなかったとでも言うのだろうか。
こんな人物に名誉教授を授与するのが東京大学なのである。
戦後、731部隊の他の隊員と同じく、彼は米国に人体実験データを渡すことを条件に免責となった。
弱みを握られているから、当然、米国原子力産業の言いなりであり、以後、彼も放射能被ばくの過小評価に協力することになる。
1954年に起きた第5福竜丸事件では、被ばく船は800隻もあったと言われているが、第5福竜丸一隻だけとしたのも宮川教授である。
宮川教授は放射線医学研究所(現・放射線医学総合研究所)の設立に尽力したが、本来は独立して研究を行なうべき放射線医学もまた原子力産業に取り込まれていく。米国・原子力産業の意向には一切逆らえないのである。
現在、放医研はIAEA協力センターに指定されているが、実質的にIAEAの傘下組織と言ってよいだろう。
前稿でも述べたが、宮川教授の弟子の弟子、たった2代下るとあの中川恵一准教授である。
マスコミに頻繁に登場して安全デマを流布している中川氏もまた731直系の御用学者なのだ。
自分の出世や金儲けのために人間をモルモットのように使う731部隊の悪魔のような伝統は、現在もしっかり受け継がれている。
731直系の御用学者が安全デマを流布して、福島の人たちを危険な放射能汚染地域にとどまらせようとしていることがその動かぬ証拠である。
731部隊関連の情報は、安倍政権・日本会議が最も闇に葬りたい事実であり、ネット上からどんどん情報が削除されている。
東大のウェブサイトに載っていた宮川教授の訃報も、私が731との関与を指摘した後、あっという間に削除された。
不都合な歴史事実を隠ぺいしようとするのは全体主義国家の典型的な特徴である。
まさに現代の焚書と言ってよい。
 

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