この世の地獄!!731・原発・南京!!

2013-02-19 10:17:07 | Weblog

日記@BlogRanking

歴史にきちんと向き合ってこそアジアの信頼を得られるのではないか?

「事実を認めてこそ良い未来がある」、鳩山元首相の書簡にネットで賞賛の声多数―中国メディア


鳩山元首相、南京大虐殺記念館に書簡 4つの考え伝える―中国報道

米国、英国、ドイツの大手紙誌が次々と……――安倍首相の歴史観に批判続出(1/2)

南京大虐殺をめぐる新たな裁判ー学習会・傍聴のご案内ー

トロント市議会が南京大虐殺の決議文採択

「北京の街」世界遺産目指す 中国、731部隊跡も



「上下関係・世襲を大事にする社会から1人1人の人間を大切にする社会へ!!」
天皇の元首化反対!!
脱!天皇教!!

自民党が新改憲案
国防軍・天皇元首・非常大権




かつての天皇制軍国主義下の日本の軍隊では体罰は日常的に行なわれ、上下関係が厳しかった!!その流れを今の体育会系クラブは汲んでいるんではないか?
1人の人間として見ないで、1つの物と見る。
そして他民族を蔑視し酷使し、生体実験を日常的にし、国際条約を無視して、毒ガスや細菌まで撒いてしまった!!
湯浅元軍医(731部隊員ではありません)の証言
「罪の意識はないんですよ。悪いとは思わないんですよ。だって天皇の命令で、その時信じてやったのだし、勝利のためなんだから悪くないんだと、細菌だっていいんだと私は思ったし、石井四郎に尊敬の念を持ったんですから」


【戦後日本
・・・・・・
この日米の密約が1986年には破綻したことは第1章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者を得させることで、犯罪隠しにおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のために大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行なっていた。それゆえ本来なら決して行なわない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
国を、天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、一つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対しては決して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。】
(「731部隊」講談社現代新書 常石敬一著 P199~P200)



軍備増強反対!!
安倍首相、憲法改正で「国防軍」明記に意欲

戦後補償問題!!
「華人労務者」強制連行政策遂行の最高責任者は今の安倍首相の祖父岸信介商工大臣だった!!(1942年東条内閣)
「企業の戦争責任~中国人強制連行の現場から」を読んで


体罰問題で揺れるJOC会長竹田恒和氏の父親は元皇族の竹田宮!

【竹田宮(竹田宮恒徳王)は・・・日本占領下の満州で任務に従事した。そこで彼は、首席主計官として、関東軍において戦時に設置された重要なポジションに就いた。そういう地位の人間として、彼は満洲におけるすべての細菌戦の関連施設に割り当てられる金を扱った。彼は平房を頻繁に訪れたが、その際は、宮田武中佐と名乗っている。おそらく竹田宮・宮田中佐は、自らの任務を果たすために、満州にある他の死の工場も視察したはずである。
竹田宮は、他にもっと直接的なつながりを、細菌兵器施設との間に持っていた。彼は関東軍司令部によって設置された、731部隊と100部隊の事業の監督をするための特別委員会の幕僚メンバーだった。彼の幕僚メンバーとしての最も重要な責務は、平房や他の支部施設を訪問する許可を与えるかどうかを決定することであった。関東軍における医療行政官のチーフのように権力のある個人すら、平房〔の施設〕に立ち入る際には竹田宮・宮田が発行した通行証を求める必要があった。関東軍司令官もしくはその直属の部下が731部隊を訪れるときは、竹田宮自身が彼らの一行に混じって彼等をエスコートした。
彼の表面的な平和主義と戦後期の業績にもかかわらず、一市民竹田宮は、細菌兵器の強硬な信奉者であり続けた。彼は細菌兵器が戦争の道具として比類のないものであるとの確信を持ち続けた。時代は下って1983年、竹田宮は、細菌兵器について尋ねるインタビューに対して次のように語っている―「私は、われわれが戦争を遂行するためにはあらゆる手段について研究する必要があったと信じています」。】(『死の工場』p227~228 シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳、柏書房、1999年)


今の状態でも危ないのに、これ以上原発再稼動・戦争・軍事演習・核実験を繰り返していたら、もっと早く地球は壊れてしまう!!

すべての紛争を平和的な手段によって解決できないものだろうか?
原発・軍事偵察衛星・次期主力戦闘機・リニアは要らない!!
税金を震災復興に回せ!!憲法9条が泣いている!!
憲法9条を世界へ!!


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
●祈り1
●祈り2

戦略的互恵関係と声高に叫んでも、歴史的事実をきちんと見つめ、謝罪しなければ、真の信頼関係は築けないではないか!!
まだまだ癒えぬ戦争の傷跡!!戦後補償問題にきちんと取り組め!!



中国の反日感情の表れ!!
黒竜江省・ハルピン/中日友好園林(日本人公墓)2012年6月21日(木)


日本人は記憶に無い?これでいいのだろうか?(一部の731部隊員は証言したが、殆どの隊員は戦後口を閉ざした!!)

中国では、細菌戦の慰霊祭が行なわれている!!

父の語った731部隊の真実
フクシマを植民地支配するナガサキの医学者達-731部隊の現代版

淅中新報
2012・11・18付けの淅中新報 崇山村細菌戦70周年

裁判に於ける細菌戦被害地(1940年〜1942年当時)裁判における細菌戦被害(1940年~1942年当時)
※クリックすると大きくなります!


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若松監督、次作構想に「731部隊」あった…三女が明かす
時代錯誤を感じる!!
「高円宮家が侍女募集」 昭和女子大の求人票がネットで話題に

政府は戦史資料を全面公開せよ!!
昭和天皇・皇族方の戦争責任を問う!!
世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!!

映像の世紀 南京大虐殺22 元日本兵の証言 東史郎10/13
終戦 なぜ早く決められなかったのか(前)

日本は、戦争の反省を真剣にしてきたのだろうか?
戦後、戦争の指導層は、そのまま権力の中枢に残り、731部隊員はアメリカから免責された。
あの戦争を美化する勢力は、加害の事実を否定し、教育界で巾を利かせようとしている。
教育現場では、思想・信条の自由は踏みにじられ、日の丸・君が代が強制されている。
現場では、重苦しい空気が漂っている。

戦争といじめは似ている。やられた方は一生忘れないだろうし、やった方はたいした事はないと思って、早く忘れようとする!!



平頂山事件から81年!!
日本政府及び日本国民はこの事実を直視していない!!

平頂山事件
1932年9月16日 平頂山事件

未だ癒えぬ傷(平頂山事件 生存者の今)

平頂山で何が起きたの?

真実を知りたい
「平頂山事件資料集」
平頂山事件80年を記念して、「平頂山事件資料集」(井上久士・川上詩朗編・柏書房)を発刊しました。平頂山事件に関する唯一かつ最初の本格的な資料集です!
被害者の膨大な証言、新聞報道、外交資料、裁判資料、日本では見ることができない資料も入っており、とても充実した内容です。とにかく証言は迫力があります。
個人で買うには少しお高めですが、自信を持っておすすめできます。でも自分で買うにはちょっと。。。という場合はぜひお近くの図書館で買ってもらうようリクエストをお願いいたします。ぜひ皆様のご協力をお願いいたします。
柏書房 定価25200円

平頂山事件の初!公式ホームページ

中国に行って驚くことは、平頂山でもそうだか、中国各地に抗日戦記念館があり、社会科見学といえば中国の小学生や中学生は抗日戦を学んでいる。一方日本の小学生などは中国での加害の事実などは学ばず、社会科見学といえば大手企業の工場や国会などを見学する(東京)。小学生が聞く戦争の話といえば、空襲の被害の話だとか、原爆のことで、日本の被害だけに殆どの学校が限定されている。文科省の方針だと思う。
これでは将来を担う両国民の歴史認識に、大きな溝ができるではないか!!



日中戦争の実態
日本人中国抑留の記録6(三光作戦)

日本人中国抑留の記録7(アヘン・731・無人地区)



日本政府は、戦後60余年も経っているのに、731部隊の資料を公開していない!!
いや、公開できない?
今でも生物戦の研究を進めている?
天皇制が続く限り、731部隊の資料は、出て来ないのではないか?
アメリカ・日本政府は必死に隠すだろう!!


これじゃ死者(=殺された者)は浮かばれない!!
オウムのやったことと旧日本軍のやったことはよく似ている!!
サリンを撒いた!細菌を撒いた!
日中国交正常化41周年
問われる日本政府の隠蔽体質!!
問われる日本人の歴史認識!!
日本は世界で唯一、第2次大戦中、細菌兵器を実戦に使った加害国だった!!
きけ!!「マルタ・アジアの被害者」の悲痛な叫び!! 
「怨」
黒い太陽731部隊


「吾、吾が罪を知る」という遺書を残して自死した東大助教授に石井らは果たして何を要求したのか?(詳しくは「細菌戦部隊と自決した2人の医学者」【新潮社】をお読みください!)
昭和20年9月2日大学の研究室で自殺。(その日は戦艦ミズーリで日本が降伏文書に調印した。)



●731部隊
細菌戦資料発掘の旅(3)
近藤昭二(本資料センター共同代表 ジャーナリスト)
古都良雄
古都(フルイチ)良雄
尋問調書
1949年12月3日         ハバロフスク市
私、内務省ハバロフスク地方管理局勤務員少佐コノノフおよび軍事検事法務少佐ボゴドは、元日本軍兵士、古都良雄、1924年生まれを、証人として尋問した。

古都証人はロシア連邦共和国刑法第95条に基づく偽証の責任に関し警告された。(署名)

日本語通訳官サンジャロフスキーはロシア連邦共和国刑法第95条に基づく虚偽の通訳に対する責任に関し警告された。(署名)

質問□生身の人間や動物を使ったどのような実験をあなたは知っていますか。
答え□実験を行った人員は全員、私には何かわからない消毒成分に浸された特別なゴム製の服を着て、特別なマスクをして行動していました。被験者たちは軍服を着ていただけでした。実験前にその土地がどのように準備されたかは知りません。
感染者のうち何人かは第1部第3課で治療を試みていましたが、ほとんどが死んでいったことを私は知っています。安達駅の演習場では、ほぼ同時期(1944年秋)に馬、牛、羊を使って馬鼻疽菌の効果を調べる実験を行っていました。杭につながれた牛、馬、羊がいる演習場で、動物たちから約30メートル離れたところに、中に馬鼻疽菌が入った陶器製劉榴散爆弾が置かれていました。爆弾には電線がつなげられ、そこに電流を流すことで爆発し榴散弾が動物たちにあたりました。感染した動物のうち何頭かはその場で死んでしまいましたが、生き残った動物は、特別の囲い地に連れていき、健康な動物と一緒にしました。その後、これらの家畜はすべて感染し、死んでいったのを私は知っています。これらの実験は私自身が見ていました。特別に仕切られた区画でこららの実験を行った後、その土地は丁寧に消毒されました。
731部隊で行われた他の実験については知りません。

(15)吉田源二、東大医学部出身、昭14.4.5から終戦まで在隊、吉村寿人の下でマルタの管理を担当。

【2 吉田の源さん
だが、このような区別、つまり正規の軍医であったか、短限であったか、それからまた陸軍技師であったか、臨時嘱託であったか、そんなことが、あの部隊に所属していた研究者である限り、その罪は一蓮托生であるという点からすれば、いったいどれほどのちがいになるというのかと、思い知らされる日が間もなく到来した。
それは、わたしが昭和19年(1944)5月末、その前年の9月に再婚したばかりの妻を伴って任地へ赴く途中、満州国での第1夜を過したハルビンの宿に、歓迎の意を伝えるべく訪れてくれた旧友の口からはじめて、部隊の秘密をおぼろげながら聞き知ったときのことである。
その旧友というのは吉田源二陸軍技師であり、この人は旧制第1高等学校を経て昭和9年(1934)に東京大学医学部を卒業後、いつ頃から第731部隊に勤務するようになったのかは知らないが、当時は第4部二木班に所属していた。
この吉田技師を旧友とよぶ所以は、かつてわたくしが昭和4年(1929)4月、一高に再入学したときに同校の3年生であったばかりでなく、かれはその頃だれ知らぬ者がなかったほどの向陵切っての名物男でもあったからである。
だが、そのかれにハルビンの宿で久しぶりに再会したわたくしが、何よりもまず衝撃を受けたのは、(きみが来てくれたのはうれしいが、それにしてもとんでもないところにやってきてしまったもんだなあ。きみは知っていたのか、知らずにか)というかれからの質問がきっかけではじまった部隊のはなしであったが、それにもましておどろかされたのは、かれの変わり果てた面影であった。
わたくしの記憶の中で生きていた吉田の源さんは、豪放らいらくを絵に描いたような、典型的な一高健児であった。そして、数々の向陵物語でおなじみな記念祭とか、全寮茶話会とか、あるいはまた一高三高対抗野球戦とか、寄宿寮ストームなどでは、必ずといってよいくらい高吟乱舞をほしいままにしていたかれの姿を見るたびに、わたくしは「友の憂いにわれは泣き、わがよろこびに友は舞う」という寮歌の一節がそのままのかたちで演じられている感に迫られたものであった。
それがどうであろう。ハルビンの宿で目前にした吉田技師は、相手をまともに見ることはせず、いつも伏目勝ちで、話す言葉には弾みがないのでぼそぼそと聞きづらく、あまつさえその口許にはうすら笑いさえうかべていたのである。
しかもそれは相手に対してというよりは、多分自分自身へ向けての侮蔑の現われであることはたやすくみてとれた。それにしても、かつては豪傑笑いとよく噂された、明るい、いかにも屈託のなさそうなかれのあの笑いがいつの間に、こんなにうしろめたい、謎めいたものに変わってしまったのか。
そのほか、かれの身のこなし方にも以前とはすっかりちがってしまっているところがあるのに気がついた。たとえば、両肩をすぼめ、前かがみになって歩くかれの後ろ姿などは、その身につけているカーキ色の軍属服とはおよそちぐはぐな感じであったし、それやこれやが重なり合ったかれの変わりようは、(これがあの源さんなのか)と、しばしわが目を疑いたくなったほどのものがあった。
わたくしはその後も、しばしばかれとは話し合ったこともあり、それに間もなくかれが二木班でどのようなことをやっていたのかを知るに及んで、はじめてすべてが残りくまなく解き明かされたのである。そしてわたくしは改めて、ドイツ浪漫派作家が好んで題材にしたあの「悪魔に影を売り渡した男」は現実にも存在しているのであって、決してとりとめもない空想の産物などではないことを思い知ったのであった。】
※向陵・・・東京本郷向ヶ丘にあった旧制第一高等学校の別名。
(「医の倫理を問う 第731部隊の体験から」 秋元寿恵夫著 勁草書房)

731部隊で行われていた残虐行為はアウシュビッツ以上だ!!
医学犯罪、今どう考える…?731部隊の“闇”を振り返る

『部隊展』(1993年~1994年)の資料より
体の凍り具合
●凍傷は日本軍が極寒の地を征服するためには、どうしても克服しなければならない課題だった。以前は、凍傷に対する最も有効な治療法は、患部をわらでこすることだった。凍傷実験を担当した吉村寿人(ひさと)班では、以下の手順で実験を行った。
1、零下20度以下の屋外に被験者をしばりつけ、腕などに塩水をかけて人工的に凍傷を作る
2、棒でたたいて、凍り具合を確認する
凍傷実験1
吉村が自著『喜寿回顧(きじゅかいこ)』の中で批判に応えるため「凍傷実験など大したものではなかった」例として使っている写真(被験者は蒙古人少年)
※吉村 寿人(よしむら ひさと、1907年 - 1990年)は日本の医学者。生理学者として師である正路倫之助(兵庫県立医科大学、後の神戸医科大学初代学長)より731部隊に赴任するよう命じられ、凍傷研究に従事した。吉村の731部隊における研究について、かつての部下らによるハバロフスク裁判での証言やイギリスの取材陣らが収集した証拠資料と証言資料では、人体実験での貴重な「研究」とされる。戦後、731部隊の人体実験のデータと推定されるものを用いて日本生理学会に論文を多数発表する。また、戦時中においてもすでに成果を同学会において口頭発表がなされていた。戦後京都大学に戻り、正路倫之助が学長になった兵庫県立医科大学(現在の神戸大学医学部)に移動して研究を続け、その後京都府立医科大学の教授となり、学長を務めた。1978年には、「環境適応学」の先駆的業績を果たした功績に勲三等旭日章が授与された。(ウィキペディアより)


『証人古都良雄の尋問より』
凍傷実験2
●古都良雄。1941年7月より1945年2月まで、第1部第1課に勤務、衛生兵。その後第643支部病原菌研究班に勤務中、ソビエト軍の俘虜となる。
問)人体凍傷実験について話してもらいたい。
答)人体凍傷実験は、毎年、一年の中で一番寒い・・・11月、12月、1月、2月に部隊内で行われました。この実験の方法は次の通りであります。すなわち被験者を夜11時頃、酷寒の戸外に連れ出し、冷水の入った桶に両手を入れさせ、それから手を出させて、濡れ手のまま、長時間寒気に立たせました。あるいは又、こうもしました。着物は着せても裸足の人間を戸外に連れ出して、夜、一番寒い時に寒気に立たせました。
人間が凍傷に罹った後、室内に連れ込み、およそ5度の温水に足を入れさせ、徐々に水温を上げました。こうして、凍傷の治療方法が研究されていました。私はこれらの人間が室内に連れ込まれてからの実験は直接見ませんでしたが、私が不寝番に立っていました時、人間を寒気に連れ出し、そのところで凍傷に罹らせられているのを見ただけであります。人間に手を水に漬けさす室内の実験については、目撃者の話で聞きました。
問)又、どんな人体実験が行われていたか?
答)吉村研究員が、人間に対するびらん瓦斯(ガス)使用実験を行っていたことを私は知っています。私はびらん瓦斯(ガス)の効力を試験するのに使用されていた人間を監獄の中で見ましたが、この実験の方法がどうだったかは、知りません。
問)これらの人々はどういう状態に置かれていたか?彼らには、どういう症状が現れたか?
答)私は、手、足に大きなびらんが生じている人々を見たことがありますが、これ以上何も知りません。(『細菌部隊ハバロフスク裁判』海燕書房)
凍傷実験3
凍傷実験4

黒い太陽731 3

ハバロフスク裁判の様子
ハバロフスク裁判の様子
各部長・支部長集合写真(731)

NPO法人 731資料センター 会報5号」より

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