細菌戦の系譜!!

2022-01-28 11:56:33 | Weblog

 日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 ●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

Ⅱ 関連部隊・支部

香港難民の大量虐殺

ゲルトネル菌を飲用湯に投入して・・・・

 

丸山茂

8604部隊

 

(経歴)

1917年生まれ

1938年 朝鮮・龍山の歩兵79連隊に教育召集

1939年 南支那派遣軍防疫給水部(波第8604部隊)に転属。細菌検索班に所属

1943年3月 除隊。帰国

1945年 再召集

1945年8月 朝鮮で除隊

1945年10月 帰国

■この証言は731研究会の学習会での発言(1993年11月)、『短歌草原』(1992年8・9・10月号)所収「いかなる美名でも戦争への道は悪だ」よりまとめられたもの。

 

解説ー波8604部隊について  越田稜
 民間調査団と沙東迅氏の報告によれば、波8604部隊の本拠は広州市にある中山医科大学(旧中山大学医学部)に存在し、同部隊の防疫給水部門は広州市北郊外江村にあったとされている。また難民収容所は南石頭(珠江河畔)の懲戒場(のち懲教場)跡に「検疫所」と共に開設された(現在は広州自動車工場)。この調査報告書は、丸山証言とほぼ一致している(なお丸山氏は「南石頭」を「灘石頭」としている)。 
  
 

●証言

生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)

中央档案館

中国第2歴史档案館

吉林省社会科学院編

 

江田憲司

兒島俊郎

古川万太郎編訳

 

 

 

 

 

Ⅰ東北

 

2 華北

5  内蒙古

安達千代吉自筆供述書(1955年)

 しばらくして、部隊では将校と下士官が斬首の練習を始めた。最初は大隊長の丸尾が直接指揮を執った。この時馬占山軍の士官の1人で23歳くらいの青年が、穴の前に座っていた。丸尾がこの戦士に「何か望みはないか」と尋ねると、その見上げた両眼には激しい怒りと憎しみの炎が噴き出ていた。「ほかにはないが、煙草を1本くれ」。丸尾はやや惜しそうに、ちょうど吸っていた煙草を彼に渡した。1口、2口と吸っている間に、死が1分1秒と近づいてきた。周囲は一片の静寂に包まれ、咳1つ聞こえなかった。丸尾は鞘を払った日本刀を下げてそこで待っていた。青年は死に直面しながら少しも動揺することなく、正義と必勝の信念に満ちて泰然自若とした態度をとっていた。

 

●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第7章なぜ日本軍は毒ガス兵器に依存して戦いを行ったのか

4 日中戦争をめぐる陸軍中央の動向と毒ガス戦

日中戦争の戦略的持久戦から「好機南進」へ傾く中での毒ガス戦

 

1940年4月に第11軍による宜昌作戦が実施されるのに前後して、参謀本部作戦課の幕僚は、40年度は軍事的解決に努めつつも中国国民政府と和平交渉を成立させ、41年初夏から武漢地区から撤退を始め、その後兵力を30万程度まで減らすという撤退案を作成した。
 その理由は、
①国家財政を無視した作戦はあり得ず、「事変の目的が不明なままでは多額の負担(国債既発行100億円、民間消化9.2%)を国民に甘受させられるものではない」、
②資源は今後数年間は米英に依存せざるを得ない、
③戦後当分の間は近代戦の遂行は困難なので、国力の建設に努力する必要がある
④日中戦争が終わらない理由は中国国民政府の態度と米英ソの支援だが、これは止まらないだろうから自主的に解決する必要がある、などである(同前)。
 
 作戦当局が、戦争目的が不明であり、日本に近代戦遂行能力は充分に存在せず、中国国民政府からの和平はあり得ないとしているのが注目される。既に泥沼化した日中戦争の影響は無地できないものになっていたが、結局、この案も陸軍省の反対で実現しなかった。
 

第1次世界大戦では、毒ガスが大量に使われた。

百年の悲劇は、ここから始まった1

 
 

 
 

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

 

第8章 無辜の被害者

山西定襄・上零山毒ガス殺戮事件

日本軍は、室内の群衆の余命いくばくもないことを確認すると、校舎の外へ引き上げ始めた。絶対絶命のまだ意識があった人々は、最後の力を振り絞って窓を打ち破り、屋外へ転がり出た。だが、既に毒に犯されていたため、外に出ても呼吸はほとんどできず、全身が業火で焼かれたようになり、ある者は着ている物をひきちぎり、ある者は地面にのたうち回った。だが、少しも楽にはならず、うめきもがきながら、生死の境をさまよい続けた。

SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く

 

加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用



 



 
 
 

 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


 

 

 

 

 

 

 


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