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「日の丸」・「君が代」反対!!
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊の足跡
中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より
4、細菌兵器の研究開発
14世紀半ば、ペスト病が欧亜大陸を襲い、ヨーロッパでは4分の1近い人口の命が奪われた。そのため、細菌兵器の危険性は国際社会に広く知られ、ペスト菌を主剤とした細菌兵器の開発と生産は硬く禁じられていた。ヨーロッパ訪問後の石井四郎はこの事情を知っていたものの、彼の率いる731部隊はその禁令を破って細菌兵器の開発を続けた。彼は日本医学界の有能な学者を集めては細菌兵器の研究に従事させ、ペスト、コレラ、腸チフス、炭疽などの病菌を細密に研究し大量繁殖させた上、ペストウィルスを感染させたノミを用いて細菌戦を数多く行った。その他、ウィルスを持つ陶器爆弾など細菌使用兵器の設計にかかった。1940年、細菌の保存とその殺傷力増強のため、731部隊は粉末状の細菌の大量生産をはじめ、粉末状の炭疽菌とペスト菌を相次いで開発した。
2、細菌の感染ルート
細菌爆弾の研究開発
●陶器爆弾は731部隊が独創した細菌兵器。その大量生産のため、731部隊は爆弾の外殻製造窯を造った。今は2つが残っている。
●陶器爆弾を装置したのは山口班。外殻ができると、山口班は爆弾の装置を担当する。山口班の地下倉庫では、装置完了のの陶器爆弾を保管していた。
●陶器爆弾は石井四郎が開発した特殊な細菌爆弾である。通常の爆弾は鋼鉄製で、爆発後に高熱を放つ。それに比べて陶器爆弾は陶磁器や珪藻土で作られ、少量の火薬だけで破裂し、高熱も無く、細菌を傷つけないことから、鋼鉄製爆弾の高熱による細菌殺傷がなく、日本軍による細菌戦実施での主な兵器となった。
●『注』:喬世興、男、1925年生まれ。本籍はハルピン市平房区大喬家。1942年1月から1944年12月まで731部隊で労働者として働き、山口班の装置が終わっていない爆弾を目撃。
●兵器班は731部隊第4部に所属していた。菌苗、ワクチンの生産と各種小型細菌兵器の開発を主に担当していた。
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺
長江北岸の浦口での集団虐殺
唐世杰(男、1925年12月生まれ)の証言
中国侵略日本軍が1937年に南京を占領した時、私はわずか12歳で、家は下関の鮮魚巷83号でした。陥落する前に、私と妹とは父母や祖母と一緒に六合県の大営集まで逃げて行きました。
鮮魚巷83号で、我が家は個人商店と人と一緒の洗濯屋とをしていたので、伯父の唐春山と叔母の夫の高有銘とボイラー焚きの助手1人(男、30過ぎ)とが居残ってやっていました。日本軍が12月13日に南京を攻め落とした時、3人が小舟で長江を渡り、浦口へ行きましたが、一緒に渡った難民がほかに十数人いました。浦口まで逃げたとは言え、危険を脱したわけではなく、何と日本軍に捕まり、3人とも浦鎮東門まで引っ立てられ機関銃で殺害されたのですが、一緒にやられた難民が4,5百人いました。唐春山たちが殺された後、その子の唐寛栄と娘とが浦鎮まで死体を探しに行き、その難に遭った所に墓を建てました。
1937年の終わりに、日本軍が南京を占領した時、母方の祖父の蘇宝臣と蘇宝泉の兄弟2人は、塩倉橋の北祖師庵30号に住んでいて、左官をして暮らしていました。ある日、日本兵が略奪し人を捕まえようと家にやって来て、祖父の蘇宝臣が門を開けた時に、その場で刺し殺され、それから又奥の家に入り込んだ日本兵に蘇宝泉も刺し殺されたのです。2人とも60過ぎでした。
中国侵略日本軍は人を殺し略奪したほかに、至る所で火を着けて燃やしました。日本軍が入って来てから、我が家の鮮魚巷83号のお店と住まいでみんなで15軒あったのを、すべて焼き尽くしました。同時に焼かれたのが我が家の東側の瑞記ガラス店とすごく大きな住まいとでした。(劉相雲が唐世杰の口述を基にして整理)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
軍隊のお金をみんなの暮らし
のために使う世界
世界中の政府は、2000年に、貧困をなくすための一連の目標に合意しました。国連の「ミレニアム開発目標」と呼ばれるもので、2015年までに次のような目標を達成するとしています。
●極端な貧困や飢餓をなくす(1日1ドル以下で暮らす人を半減する)。
●すべての子どもたちが、女の子でも男の子でも差別なく、学校に行けるようにする。
●赤ちゃんが栄養失調で命を落としたり、お母さんが出産時に亡くなってしまうことを防ぐ。
●HIV(エイズ)、マラリアなどの感染症の広がりを止める。
こうした目標を達成するためには、世界的に軍事費を減らし、人々の暮らしや発展のためにお金を回すことが不可欠です。
国連憲章には、「世界各国は軍事費に回すお金や資源を最小限にしなければならない」(第26条)と書かれています。世界のNGO(非政府組織)は、この国連憲章26条を今こそ実行し「軍事を減らして人々の発展に回そう」という運動を始めています。そうした世界の人々の中からは「国連憲章26条と日本国憲法9条は、同じ目標のための双子のようなものだ。ともに発展させよう」という声が上がっているのです。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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