細菌戦の系譜!!

2023-03-29 09:49:53 | Weblog

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

『細菌戦部隊』

731研究会編

 Ⅰ 731部隊

731部隊破壊と証拠隠滅作業

ロ号棟に書かれた血文字が一生忘れられない

 

篠原鶴男(しのはらつるお)

731部隊・教育部

〈略歴〉

1926年生まれ

1945年5月 731部隊入隊(教育部に所属)第8分隊

1945年8月 帰国

■この証言は鹿児島731部隊展(1994年1月)の『報告集』をもとに本人がまとめたもの

 

部隊での生活

 また、平房から約200㎞離れた安達の野外実験場では、凍傷実験も行われていました。零下20度以下の屋外に“マルタ”と呼んでいた“囚人”を縛り付け、厳寒に対する皮膚反応についての研究がなされていたのです。さらに安達実験場の近くには野菜畑があり、右側の畑は私達隊員が食べる野菜を作っていましたが、その左端では、野菜に菌を付着させる実験をしていたそうです。コレラ菌だったように思います。然しその実験は不成功だったという話を聞きました。

日本軍政下香港(1997.7.27)

 

 

●『論争731部隊』
松村高夫編
核時代49(1994)年4月発行
 
 
 

第4 むすび

 

 さらに、公権力が、当然のことのごとくに「学界の状況如何」について判断し、これにも基づいて教科書原稿の修正や削除を強制する、今日の検定というものも、誠に不公正かつ不可解なものであり、国際的には通用性を持たないものである。およそひとりの研究者が自らの研究蓄積に基づいて、自らの責任において表現したものを強制的に削除されるということは、学問研究に従事する者にとっては耐え難いことであることをも、是非ご理解願いたい。

 

 

●毒ガス戦

『毒ガス戦と日本軍』

吉見義明  (2004年発行)

Ⅲ 日中戦争の全面化と本格的使用の開始  1937―1938

 

1 日中戦争の全面化と毒ガス戦

全面的な使用へ

これを受けて、8月19日、寺内北支那方面軍司令官は「占拠地域安定確保の為」必要ならいつでもあか弾・あか筒を「使用すべし」という命令を発する。まだ、8月22日、中支那派遣軍に対して武漢攻略の命令する大陸命第188号が発令されるが、この作戦では、全面的な毒ガス戦が展開されることになる。

 
 
 
毒ガスを製造し、本土決戦に備えていた!!
 

 

 

 

 
 

 

略史
昭和 5年  海軍火薬廠用地の一部割愛を受け、海軍科学研究部化学兵器研究室が平塚出張所を開設
昭和 8年  平塚出張所に一号・二号・三号特薬兵器の製造実験工場を建設
昭和 9年  海軍技術研究所化学研究部として独立
昭和12年  特薬庫、火薬庫、爆発円筒及び特殊化兵研究室などを建設。総敷地面積は124,000平方メートルに
昭和17年  相模海軍工廠(寒川町)の新設と同時に、化学研究部が相模海軍工廠化学実験部になる
昭和20年  終戦、廃廠
 第一次世界大戦後、日本は化学兵器の調査研究と技術開発に着手、大正11年に艦政本部内に担当部署が設置され、翌12年には海軍技術研究所となり化学兵器の研究と技術開発を開始。
相模海軍工廠では士官・常用工・徴用工員・女子挺身隊員・勤労動員学徒等3,500人余りが従事し、主として化学兵器・火工兵器の研究開発・製造が行われた。
海軍では毒ガスを攻撃用よりは防御用とすると認識が強く、相模海軍工廠では防毒マスクの生産が主力だった。(相模海軍工廠より)
 
 

 

 

 

 
 
*A事案区域とは、環境省が平成 15 年に実施した<昭和 48 年の「旧軍毒ガス弾等の 全国調査」フォローアップ調査※1>において終戦時における旧軍の化学兵器に関連する情報を集約した結果を踏まえ設定したA事案(毒ガス弾等の存在に関する情報の確実性が高く、かつ、地域も特定されている事案)に該当する区域のことです。具体的には、以下の3区域となります(図1参照)。 
①旧相模海軍工廠跡地(神奈川県寒川町内) 
②旧相模海軍工廠化学実験部跡地(神奈川県平塚市内) 
③ 旧陸軍習志野学校跡地(千葉県習志野市・船橋市内)

 

 
 
 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
大久野島の歴史
 
Ⅱ:毒ガスの島への変貌
 
①第1次世界大戦と日本
 

第1次世界大戦の毒ガス戦

 

日本は欧米諸国の毒ガスの戦能力・技術に追いつくために、第1次世界大戦中の1917(大正6)年10月には東京の陸軍軍医学校の中に「毒瓦斯研究室」を設置し、毒ガス戦の研究に着手しました。1918(大正7)年5月には陸軍省に臨時毒瓦斯調査委員会を設置、翌年4月には陸軍技術本部を創設、その中に陸軍科学研究所を設置して、急いで毒ガス研究を進めました。しかしドイツやフランスなどから毒ガス製造に関する教えを受けながら毒ガスの研究を進める状況でした。それでも研究を進めながら、実験的に製造を試みていきました。

 

 

SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く - 未来に残す 戦争の記憶

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