日本政府は、731部隊をはじめ、大事な戦史資料を廃棄するな!!
公開せよ!!
同法案を所管する内閣官房は、保存期間満了後の文書の取扱規定を盛り込まない方針で、「秘密にしたまま」担当省庁の判断で廃棄される可能性がある。
日本政府は、アメリカから返還された731部隊の資料を速やかに公開せよ!!
秘密保護法!!反対!!
秘密保全法 岩上安身
日本政府は、過去の日本軍の忌まわしい史実を教科書から消し去っている!!
人体実験被害者、細菌戦被害者の悲鳴が聞こえませんか?
731部隊の犯罪(生体実験、生体解剖、細菌戦等)は、アメリカ政府が免罪しても、世界の目が許さない!!
戦後マッカーサーと昭和天皇の極秘会談は11回行われ、その中で沖縄や731のことも話し合われたのだろう。GⅡと731部隊幹部との話し合いは鎌倉で行われ、731部隊員の戦犯免責と引き換えにアメリカに情報を提供するということで合意した。
東京裁判では、天皇と731部隊員は戦争犯罪人から外されたが、その人たちの行った中国をはじめとするアジアでの加害行為は、消し去ることはできず、子々孫々まで語り継がれるだろう!!
今の安倍自民は、過去の史実をことごとく消し去ろうと必死になっている!!
「731部隊展開催20周年記念シンポジウム」
731細菌戦部隊 1(前編:プライム10) よりの書き起こし
現代史スクープ・ドキュメント
731細菌戦部隊 前編(1992年)
アメリカ、ユタ州。今年(1992年)3月、私達はグレートソルトレイク砂漠の只中に位置する米軍基地を訪ねた。
アメリカ陸軍ダグウェイ実験場
実戦を想定した生物化学兵器の使用実験が行われるアメリカ唯一の施設である。
現在、生物化学兵器は、国際条約で禁止されているにもかかわらず、多くの国でその開発が続けられている。
この基地の設立目的は生物化学兵器への防御のためとされている。
湾岸戦争で使用された毒ガスマスクも、この基地でテストされた。
基地の一角にある文書館。
1942年に基地が作られてから今日までの生物化学兵器に関するあらゆる研究報告書が保存されている。
私達は、この文書館で旧日本軍の細菌戦部隊、731部隊の膨大な報告書を発見した。
2000ページに及ぶ細菌の感染実験のデータ並びにアメリカの科学者による731部隊の調査報告書である。
細菌を使った感染実験のデータ。
実験材料として使用されたのは、400体以上の人間である。
報告書には、実験に使われた細菌の種類、そしてアメリカの調査に協力した日本人研究者の名前が列挙されている。
石井四郎、731部隊部隊長である。
甲状腺、肝臓、リンパ節、脊髄、肺。
実験材料にされた人体はすべて解剖され、あらゆる臓器、器官がつぶさに観察されている。
前編全文を読みたい人は「ノブのノート」で
・・・・・
(後編)
「ソ連からの引揚げ問題紛糾」
日本の占領政策を協議する第102回対日理事会が東京で開かれた。
ハバロフスクで裁判が始まる4日前のことである。
「シーボルト議長は、理事会に先立ち、ソ連の日本人引揚げに関する態度について、ソ連を非難することができると述べましたが、開会と同時にソ連側は声明を読み上げた後、全員審議を拒否、議場から退場して、注目を引きました。」
ソビエトには、まだ37万人の抑留者がいるとする日本に対し、ソビエトは抑留者はすべて帰国させたと主張していた。
アメリカは、このソビエトの抑留問題に対する姿勢を厳しく非難した。
この年(1949年)、東ドイツと中華人民共和国が成立。ソビエトを中心とする東側陣営はトルーマン・ドクトリンを掲げるアメリカとの対立を深めていた。
ハバロフスク軍事裁判は、まさに東西の政治的緊張の中で行なわれたのである。
ソビエト側はハバロフスクの法廷で細菌戦部隊の行為を個人の罪としてだけではなく、国家的犯罪として裁こうとしていた。
このための切り札とされたのが、元関東軍司令官山田乙三だった。
山田乙三の尋問調書。
関東軍の最後の司令官山田乙三は、日本のソビエトに対する戦争責任を明らかにする上で、最も重要な人物であった。
ハバロフスクにあった特別捕虜収容所、0045ラーゲリ。00はスターリンの勅命を意味していた。
この0045ラーゲリには元満州国皇帝溥儀(フギ)も収容されていた。
山田をはじめ関東軍参謀たちは、ここで尋問を受けた。
山田の尋問調書は、スターリンのもとへも届けられていた。
ソビエト側は、731部隊の細菌戦研究が関東軍司令官の直接指揮下で行われたかどうかを追及した。
ハバロフスク内務省局長からソビエト内務省抑留局長への手紙。
「あなたの命令で山田を監獄に拘禁した。同じ部屋にキムラという暗号名のスパイを送り込んだ。山田が731部隊と関係していたかどうか判断するためである。
しかし、スパイのキムラの話では、山田は731部隊との関係を否定し続けている。」
ソビエト軍は、関東軍司令部や憲兵隊本部から多くの証拠資料を押収していた。
ハバロフスク内務省では、尋問のために資料の分析を急いだ。
ソビエト側が注目したのは、特別移送扱、特移扱(とくいあつかい)という制度だった。特移扱とは関東軍の憲兵隊や特務機関が、捕まえた中国人などを実験材料として731部隊に送り込む制度である。
この制度は、731部隊の人体実験に関東軍が組織ぐるみでかかわっていたことを示す有力な証拠だった。この表には、抗日活動家など特移扱にするべき囚人の条件が規定されている。
731部隊本部から最も近い大都市ハルビン。
この町の憲兵隊や特務機関が多くの囚人を特移扱として731部隊に送り込んだ。
ハルビンの旧憲兵隊本部。抗日活動やスパイ活動の容疑で絶えず多くの人が逮捕され、ここに連行された。連行された人々に対し、ここで厳しい取調べが行われた後、特移扱などの処分が決定された。こうした憲兵隊や特務機関の施設は市内の各所にあり、現地の中国人から恐れられていた。
・・・・・・・・・・
裁判直後の1950年2月1日。裁判結果をまとめたソビエトは、アメリカのアチソン国務長官に文書を渡した。
ソビエトはその文書で「日本の細菌戦部隊の行為は天皇を頂点とする日本軍部の組織的な犯罪であることを指摘し、改めて国際軍事裁判を開くことを要求している。そして、直接人体実験を行った科学者である石井たち731部隊幹部を新たに訴追し、これを裁くことを求めた。
アメリカはこの時までハバロフスク軍事裁判に表面上は無関心を装っていた。
しかし、その裏で裁判の情報を盛んに集め、分析を進めていた。
ソビエトのアピールを受け取った2日後アメリカ国務省は記者会見を開き声明を発表した。
「今回のハバロフスク軍事裁判は37万人の日本人抑留者の問題から目をそらすためのソビエトのカムフラージュに過ぎない。」
731部隊の行為を国際軍事法廷で改めて裁くことを求めたソビエトのアピールは無視された。
アメリカは、このときすでに人体実験の詳細なデータを入手していたのである。
731部隊の人体実験の事実を世界に初めて告発したハバロフスク軍事裁判。
この裁判には、戦後世界の主導権を握りつつあったアメリカを牽制するという政治的意味合いも込められていた。
しかし、その政治性ゆえに、ハバロフスク軍事裁判は黙殺され、幻の裁判として忘れ去られていく運命をたどったのである。
こうして米ソ対立のはざまで日本の細菌戦部隊が行った人体実験の罪は闇に葬り去られた。
当事者である日本はその責任を自ら問うことなく半世紀が過ぎようとしている。
(1992年放送、NHK[プライム10 731細菌戦部隊後編〕より)
しかし、帰国の直前、そのうちの1人が世を去った。
元731部隊第4部課長(細菌培養課課長)、柄沢十三夫。彼は自らその命を絶ったのである。
「彼は恩赦になると知っていました。日本に帰れたのです。ところがそのことを知っていながら、ある夜、彼は自殺することに決めた。これが、私の知っている全てです。日本に戻ることができない訳が何かあったのだろう。私達は、そう噂しあいました。」
村はずれの墓地。ここには収容所で死んでいった人が葬られている。この墓地の一画に柄沢が眠っていた。
柄沢はソビエトに抑留されていた細菌戦部隊員の中で人体実験の事実を最初に認めた1人である。
告白を始めるとき、柄沢はその心境をこう語っている・
「このことは、いずれ誰かが語らなければならないと思って、苦しい思いをしてきた。今、私は、医者としての良心をかけて、すべてを話そう。」
良心の呵責を起こし、苦しんで自決したのは柄沢だけではない!!
優秀な医学者の中には、自分の犯した罪に苦しみ、自決した人もいた!!【詳しくは『細菌戦部隊と自決した2人の医学者』(常石敬一・朝野富三著、新潮社)をお読みください!!】
2013年部隊展資料より
天皇はもちろん731部隊の人体実験を知っていただろう!!
(3:30あたりから)
unit 731 3
2013年 731部隊シンポジウム1 単長清女史(陳列館書記)、
2013年 731部隊シンポジウム 2 張可偉氏(731部隊被害
731部隊は中国各地で細菌戦を行った!!
2013年 731部隊シンポジウム3 李宏華氏、易友喜氏(常徳細菌戦被害者)
2013年 731部隊シンポジウム 4 山田朗氏(明治大学教授、登戸研究所資料館館長)
2013年 731部隊シンポジウム5 吉中丈志氏(京都民医連中央病院院長)
2013年 731部隊シンポジウム 6 奈須重雄氏(細菌戦資料センター理事)、伊勢弘志氏(明治大学講師)
731部隊の人体実験のレポート見つかる(NHKニュース)
731細菌戦部隊 1(前編:プライム10)
731細菌戦部隊 2(前編:プライム10)
731細菌戦部隊 3(前編、後編、プライム10)
731細菌戦部隊 4(後編、プライム10)
731細菌戦部隊 5(後編、プライム10)
・・・・
unit731 1
unit 731 2
unit 731 3
731部隊・元部隊員の証言 1
731部隊・元部隊員の証言 2
満州医科大学及び731部隊での生体実験
731部隊・元部隊員の証言 5
731部隊で行われていた残虐行為はアウシュビッツ以上だ!!
今も続く細菌戦の恐怖 1 国立予防衛生研究所(現在の感染症研究所) ・登戸研究所
今も続く細菌戦の恐怖 2 日米医学会義
発見!731部隊 衝撃の新事実!!
日本に細菌戦生体実験場があった !?
闇に消えた虐殺 731部隊(10分版)
闇に消えた虐殺ー731部隊 1
闇に消えた虐殺ー731部隊 2
闇に消えた虐殺ー731部隊 3
語り部 731部隊 少年隊員の見た細菌戦部隊
・・・・・
1回で見たい方は、こちらでどうぞ!
闇に消えた虐殺~731部隊・細菌戦の真実(テレビ朝日「ザ・スクープ」、1997年8月
知ってるつもり 731部隊
黒い太陽731部隊
公開せよ!!
同法案を所管する内閣官房は、保存期間満了後の文書の取扱規定を盛り込まない方針で、「秘密にしたまま」担当省庁の判断で廃棄される可能性がある。
日本政府は、アメリカから返還された731部隊の資料を速やかに公開せよ!!
秘密保護法!!反対!!
秘密保全法 岩上安身
日本政府は、過去の日本軍の忌まわしい史実を教科書から消し去っている!!
人体実験被害者、細菌戦被害者の悲鳴が聞こえませんか?
731部隊の犯罪(生体実験、生体解剖、細菌戦等)は、アメリカ政府が免罪しても、世界の目が許さない!!
戦後マッカーサーと昭和天皇の極秘会談は11回行われ、その中で沖縄や731のことも話し合われたのだろう。GⅡと731部隊幹部との話し合いは鎌倉で行われ、731部隊員の戦犯免責と引き換えにアメリカに情報を提供するということで合意した。
東京裁判では、天皇と731部隊員は戦争犯罪人から外されたが、その人たちの行った中国をはじめとするアジアでの加害行為は、消し去ることはできず、子々孫々まで語り継がれるだろう!!
今の安倍自民は、過去の史実をことごとく消し去ろうと必死になっている!!
「731部隊展開催20周年記念シンポジウム」
731細菌戦部隊 1(前編:プライム10) よりの書き起こし
現代史スクープ・ドキュメント
731細菌戦部隊 前編(1992年)
アメリカ、ユタ州。今年(1992年)3月、私達はグレートソルトレイク砂漠の只中に位置する米軍基地を訪ねた。
アメリカ陸軍ダグウェイ実験場
実戦を想定した生物化学兵器の使用実験が行われるアメリカ唯一の施設である。
現在、生物化学兵器は、国際条約で禁止されているにもかかわらず、多くの国でその開発が続けられている。
この基地の設立目的は生物化学兵器への防御のためとされている。
湾岸戦争で使用された毒ガスマスクも、この基地でテストされた。
基地の一角にある文書館。
1942年に基地が作られてから今日までの生物化学兵器に関するあらゆる研究報告書が保存されている。
私達は、この文書館で旧日本軍の細菌戦部隊、731部隊の膨大な報告書を発見した。
2000ページに及ぶ細菌の感染実験のデータ並びにアメリカの科学者による731部隊の調査報告書である。
細菌を使った感染実験のデータ。
実験材料として使用されたのは、400体以上の人間である。
報告書には、実験に使われた細菌の種類、そしてアメリカの調査に協力した日本人研究者の名前が列挙されている。
石井四郎、731部隊部隊長である。
甲状腺、肝臓、リンパ節、脊髄、肺。
実験材料にされた人体はすべて解剖され、あらゆる臓器、器官がつぶさに観察されている。
前編全文を読みたい人は「ノブのノート」で
・・・・・
(後編)
「ソ連からの引揚げ問題紛糾」
日本の占領政策を協議する第102回対日理事会が東京で開かれた。
ハバロフスクで裁判が始まる4日前のことである。
「シーボルト議長は、理事会に先立ち、ソ連の日本人引揚げに関する態度について、ソ連を非難することができると述べましたが、開会と同時にソ連側は声明を読み上げた後、全員審議を拒否、議場から退場して、注目を引きました。」
ソビエトには、まだ37万人の抑留者がいるとする日本に対し、ソビエトは抑留者はすべて帰国させたと主張していた。
アメリカは、このソビエトの抑留問題に対する姿勢を厳しく非難した。
この年(1949年)、東ドイツと中華人民共和国が成立。ソビエトを中心とする東側陣営はトルーマン・ドクトリンを掲げるアメリカとの対立を深めていた。
ハバロフスク軍事裁判は、まさに東西の政治的緊張の中で行なわれたのである。
ソビエト側はハバロフスクの法廷で細菌戦部隊の行為を個人の罪としてだけではなく、国家的犯罪として裁こうとしていた。
このための切り札とされたのが、元関東軍司令官山田乙三だった。
山田乙三の尋問調書。
関東軍の最後の司令官山田乙三は、日本のソビエトに対する戦争責任を明らかにする上で、最も重要な人物であった。
ハバロフスクにあった特別捕虜収容所、0045ラーゲリ。00はスターリンの勅命を意味していた。
この0045ラーゲリには元満州国皇帝溥儀(フギ)も収容されていた。
山田をはじめ関東軍参謀たちは、ここで尋問を受けた。
山田の尋問調書は、スターリンのもとへも届けられていた。
ソビエト側は、731部隊の細菌戦研究が関東軍司令官の直接指揮下で行われたかどうかを追及した。
ハバロフスク内務省局長からソビエト内務省抑留局長への手紙。
「あなたの命令で山田を監獄に拘禁した。同じ部屋にキムラという暗号名のスパイを送り込んだ。山田が731部隊と関係していたかどうか判断するためである。
しかし、スパイのキムラの話では、山田は731部隊との関係を否定し続けている。」
ソビエト軍は、関東軍司令部や憲兵隊本部から多くの証拠資料を押収していた。
ハバロフスク内務省では、尋問のために資料の分析を急いだ。
ソビエト側が注目したのは、特別移送扱、特移扱(とくいあつかい)という制度だった。特移扱とは関東軍の憲兵隊や特務機関が、捕まえた中国人などを実験材料として731部隊に送り込む制度である。
この制度は、731部隊の人体実験に関東軍が組織ぐるみでかかわっていたことを示す有力な証拠だった。この表には、抗日活動家など特移扱にするべき囚人の条件が規定されている。
731部隊本部から最も近い大都市ハルビン。
この町の憲兵隊や特務機関が多くの囚人を特移扱として731部隊に送り込んだ。
ハルビンの旧憲兵隊本部。抗日活動やスパイ活動の容疑で絶えず多くの人が逮捕され、ここに連行された。連行された人々に対し、ここで厳しい取調べが行われた後、特移扱などの処分が決定された。こうした憲兵隊や特務機関の施設は市内の各所にあり、現地の中国人から恐れられていた。
・・・・・・・・・・
裁判直後の1950年2月1日。裁判結果をまとめたソビエトは、アメリカのアチソン国務長官に文書を渡した。
ソビエトはその文書で「日本の細菌戦部隊の行為は天皇を頂点とする日本軍部の組織的な犯罪であることを指摘し、改めて国際軍事裁判を開くことを要求している。そして、直接人体実験を行った科学者である石井たち731部隊幹部を新たに訴追し、これを裁くことを求めた。
アメリカはこの時までハバロフスク軍事裁判に表面上は無関心を装っていた。
しかし、その裏で裁判の情報を盛んに集め、分析を進めていた。
ソビエトのアピールを受け取った2日後アメリカ国務省は記者会見を開き声明を発表した。
「今回のハバロフスク軍事裁判は37万人の日本人抑留者の問題から目をそらすためのソビエトのカムフラージュに過ぎない。」
731部隊の行為を国際軍事法廷で改めて裁くことを求めたソビエトのアピールは無視された。
アメリカは、このときすでに人体実験の詳細なデータを入手していたのである。
731部隊の人体実験の事実を世界に初めて告発したハバロフスク軍事裁判。
この裁判には、戦後世界の主導権を握りつつあったアメリカを牽制するという政治的意味合いも込められていた。
しかし、その政治性ゆえに、ハバロフスク軍事裁判は黙殺され、幻の裁判として忘れ去られていく運命をたどったのである。
こうして米ソ対立のはざまで日本の細菌戦部隊が行った人体実験の罪は闇に葬り去られた。
当事者である日本はその責任を自ら問うことなく半世紀が過ぎようとしている。
(1992年放送、NHK[プライム10 731細菌戦部隊後編〕より)
しかし、帰国の直前、そのうちの1人が世を去った。
元731部隊第4部課長(細菌培養課課長)、柄沢十三夫。彼は自らその命を絶ったのである。
「彼は恩赦になると知っていました。日本に帰れたのです。ところがそのことを知っていながら、ある夜、彼は自殺することに決めた。これが、私の知っている全てです。日本に戻ることができない訳が何かあったのだろう。私達は、そう噂しあいました。」
村はずれの墓地。ここには収容所で死んでいった人が葬られている。この墓地の一画に柄沢が眠っていた。
柄沢はソビエトに抑留されていた細菌戦部隊員の中で人体実験の事実を最初に認めた1人である。
告白を始めるとき、柄沢はその心境をこう語っている・
「このことは、いずれ誰かが語らなければならないと思って、苦しい思いをしてきた。今、私は、医者としての良心をかけて、すべてを話そう。」
良心の呵責を起こし、苦しんで自決したのは柄沢だけではない!!
優秀な医学者の中には、自分の犯した罪に苦しみ、自決した人もいた!!【詳しくは『細菌戦部隊と自決した2人の医学者』(常石敬一・朝野富三著、新潮社)をお読みください!!】
2013年部隊展資料より
天皇はもちろん731部隊の人体実験を知っていただろう!!
(3:30あたりから)
unit 731 3
2013年 731部隊シンポジウム1 単長清女史(陳列館書記)、
2013年 731部隊シンポジウム 2 張可偉氏(731部隊被害
731部隊は中国各地で細菌戦を行った!!
2013年 731部隊シンポジウム3 李宏華氏、易友喜氏(常徳細菌戦被害者)
2013年 731部隊シンポジウム 4 山田朗氏(明治大学教授、登戸研究所資料館館長)
2013年 731部隊シンポジウム5 吉中丈志氏(京都民医連中央病院院長)
2013年 731部隊シンポジウム 6 奈須重雄氏(細菌戦資料センター理事)、伊勢弘志氏(明治大学講師)
731部隊の人体実験のレポート見つかる(NHKニュース)
731細菌戦部隊 1(前編:プライム10)
731細菌戦部隊 2(前編:プライム10)
731細菌戦部隊 3(前編、後編、プライム10)
731細菌戦部隊 4(後編、プライム10)
731細菌戦部隊 5(後編、プライム10)
・・・・
unit731 1
unit 731 2
unit 731 3
731部隊・元部隊員の証言 1
731部隊・元部隊員の証言 2
満州医科大学及び731部隊での生体実験
731部隊・元部隊員の証言 5
731部隊で行われていた残虐行為はアウシュビッツ以上だ!!
今も続く細菌戦の恐怖 1 国立予防衛生研究所(現在の感染症研究所) ・登戸研究所
今も続く細菌戦の恐怖 2 日米医学会義
発見!731部隊 衝撃の新事実!!
日本に細菌戦生体実験場があった !?
闇に消えた虐殺 731部隊(10分版)
闇に消えた虐殺ー731部隊 1
闇に消えた虐殺ー731部隊 2
闇に消えた虐殺ー731部隊 3
語り部 731部隊 少年隊員の見た細菌戦部隊
・・・・・
1回で見たい方は、こちらでどうぞ!
闇に消えた虐殺~731部隊・細菌戦の真実(テレビ朝日「ザ・スクープ」、1997年8月
知ってるつもり 731部隊
黒い太陽731部隊
2013年「731部隊パネル展」より
27分あたりから川田龍平さんの意見。 語り部 731部隊 少年隊員の見た細菌戦部隊 「問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。」 【「荒れ野の40年」ワイツゼッカー連邦大統領演説全文(1985年5月8日) より】 ヴァイツゼッカーの演説【独語】1/4 問われる戦争責任!!戦後責任!! 戦争遺跡!「731部隊」 聞こえませんか?「マルタ」の叫びが!! 象徴的な事例をあげてみたい。今はもう無くなったが、数年前には731部隊遺跡の本部楼から「ロ号棟」を結ぶ回廊の一部が残されていて(それは現在も確認できるが)、「煉獄門」(「不帰の門」)と書かれた文章が壁の金網越しに中国語、そして英語、日本語、韓国語の訳が添えられてあった。 これは誰が考えた文章か、筆者は確認することができない。以下、原文のままを再掲する。 これは731部隊が設立した人生の「不帰の門」である。当時たくさんの被実験者は此処を経由して生命の終点に行った。そして生還者が1人もいない。この門の中で飽くことを知らない野心と喪失した人間性とを無情な殺戮が充満したことがある。ただ「人間」として自分の罪を反省する事だけ発見できない。「煉獄門」の前に立って誰かが何かを述べているような感じがする。誰かが悲惨な歴史と未来の平和を述べているような感じがする。 決して正確ではない日本語がここではよけいに現実的な情景として見る者に訴えかける。「被実験者」とは通称マルタのことで、ここを通ったが最後、生きて帰ることはなかった。「飽くことを知らない野心」と「人間性を喪失した無情な殺戮」とは当時の医学の倫理的破綻であろうか。彼らは人道を、罪という自覚を失した集団であった。「煉獄門」の前に立てば、そこから人間の叫びが聞こえる。私もまた耳をそば立ててみた。未来の平和ではなく、憎しみばかりが募った。・・・・・ (『戦争遺跡と歴史認識」』ー「731部隊」遺跡保存活動を通して私が学んだことー田中 寛著より) |
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます