細菌戦の系譜!!

2021-06-13 10:44:53 | Weblog

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

八月十五日

最も信用は置けないがこんな様な気分で分遣を一週間暮らした故に 非常に体が弱った様に思われたが遼陽に上番して初めて元通りになった。愉快な日が続いたから。ー。ー。満期風吹かしている内に早慶戦が始まった。早大三シーズン目に見事に陸の王者を破った 其の時は非常に嬉しかった。早大が勝った故もあるが こんなに詳しくサンデーに野球雑誌に経過を読んだのは初めてだ、何しろ大の早大ファンなんだから。  以上

 大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 


 

 

挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅳ 人間の威厳について

 

Ⅴ 屈伏しない人々

 

 20世紀文学は、様々な限界状況を巡る発明を繰り広げてきた。しかし、大抵の限界状況は、人間或いは宇宙の悪の意志にかかわっている。悪という言葉がモラリッシュな連想を呼び起こすなら、不条理という言葉に置き換えてもいい。戦争、嵐、洪水、ペスト、それに癌。そして暗示的にもそれらの全ての場合に、希望や回復の兆候は、即ち善の意志、秩序や条理の兆候は、限界状況のおどろどろしい形ではなく、日常生活の微光を帯びて現れる。例えば、北アフリカの1つの都市に猛威をふるうペストは、異常な限界状態として出現し、この都市を満たしてしまうが、それと闘う医師たちや市民たちは、みんな日常生活的な平常さ、まだるっこい感じ、平凡さ、そしてほとんど退屈にさえ思われる機械的な繰り返し、などという、いかにも人間らしい諸性格に助けられて初めてペストに対抗しうるのである。

 

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

 

 

 日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

 

Ⅰ 731部隊

 

“マルタ”の監獄を建設

憲兵としての“マルタ”狩りも

 

志麻田実(しまだみのる)(仮名)

731部隊・部隊建設班

〈略歴〉

1918年生まれ

1938年1月 731部隊入隊(建設班)

1939年4月 新京の関東軍憲兵隊入隊

1945年 戦犯抑留

1956年 中国最高人民法院の判決により釈放

■この証言は1995年の聞き取りをまとめたもの。

 

731部隊建設

7,8棟の内部工事

 

私達の仕事は、まず8棟の仕切りの済んだ部屋の壁を塗る事でした。7,8棟は2階建てで、1階と2階の入口に3部屋、奥に4部屋あり、8棟の部屋の壁を塗り終えると、今度は7棟の壁塗りに移りました。合わせて28部屋の壁を塗り終えると、今度は真ん中の空間を小部屋に仕切って、コンクリートを流し込む作業をしました。

 

 ●中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編

 

『証言 人体実験(731部隊とその周辺)1991年初版発行

 

江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

 

解説

 

松村高夫

 

 

5、本書が明らかにした新事実

②誰が731部隊の人体実験を知っていたのか

731部隊本部・支部は「関東軍司令官の直轄であった」(川島清)ので、関東軍司令官は、部隊で人体実験が行なわれていた事も知っていた。山田乙三(関東軍司令官)は、ハバロフスク裁判の尋問調書で、こう述べている、

 

 生きた人間を実験に使用した事については、北野及び田村の報告により之を知っておりました。それだけでなく、私は観覧せる映画によっても、細菌兵器の効力試験が生きた人間を使用して行なわれた事を知っておったのであります。・・・生きた人間を使用する実験は、私の前任者梅津大将又は植田大将によって認可されたものであります。

 

●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第5章

日中全面戦争と毒ガス戦の展開

 

2 積極的侵攻作戦でのくしゃみ性・嘔吐性ガスの使用

中国軍の毒ガス防御能力が如何に低いかを記した日本軍の毒ガス戦テキスト(教育総監部「事変の教訓第7号化学戦の部」1939年)

第6 化学戦より見たる支那軍

3、防護教育

甚だ幼稚にしてその事例左の如く特に精神的方面に大なる弱点を包蔵しあるは注目に値す

1、防毒面に吸収缶を連結せざるまま第1線に携行せる者

2、吸収缶の底栓を除かずして装面して窒死せる者

3、鼻及び口を土中に入れて窒死せる者

4、装面せるも気密不良の為戦闘不能に陥れる者

 

・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第5章 陸軍習志野学校

 

重要な実験場

 

日本軍は人体実験に使用する対象をこの東北で自由に探し当てることができた。これは日本国内では全く実現不可能だった。この一点より見て、東北での化学兵器の実験と「731細菌部隊」設立の意図とは同じである。そしてこれが、中国東北を占領した日本の関東軍と化学兵器との間の必然的な関係を決定した。

 前にも述べたが、関東軍は既に毒ガス催涙弾の使用を考えていたが、裁可は受けてなかった。しかしその後、関東軍は東北に何か所か化学兵器の実験場を設けた。孫呉県の実験場はその中の1つだ。

 

 

 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


 

 

 

 

 

 

 


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