細菌戦の系譜!!

2020-09-29 08:53:28 | Weblog

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

 

Ⅰ 731部隊

 

ノミの大量生産

細菌の毒力試験の生体実験を行った

 

篠塚良雄

731部隊・少年隊

 

 

731部隊へ

 

 

防疫給水

 そのような教育を経てから数か月間、防疫給水についての教育を受けました。「防疫給水部は第一線部隊に跟随(ごんずい)し、主として浄水を補給し直接戦力の保持増進を量り、併せて防疫防毒を実施するを任務とする」-これが部隊の任務だということが強調されました。確かに防疫給水部の任務からすれば犯罪性を嗅ぎ出すことは非常に難しいはずであります。防疫給水部には防疫斥候とか毒物検知・水質検査班、疫学調査班、給水班、浄水班がありました。毒物検知については、石井部隊長が発明した非常に優秀な“石井・勝矢式毒物検知器”というのがあるということも聞かされました。これは実際に使ってもいました。今にして思うと、それほど性能が良かったかどうかわかりません。

 

 ・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

三 警察・憲兵の第731部隊への「特移扱」 

 

平木武供述書1954年6月9日

牡丹江憲兵隊の任にあった期間どんな犯罪行為を犯したか

1943年12月私が牡丹江憲兵隊長の任就いた際には隊の傘下に牡丹江寧安穆陵掖河4つの分隊と海林東京城2つの分遣隊、及び横道石頭の2つのあった。1944年4月東寧憲兵隊が牡丹江憲兵隊と合併した後、再編成が行われ横道河子分駐所廃止され穆陵、石頭が派遣改められたほか東寧川、老黒山の3分隊石門の2つの派遣隊が新たに設けられた。

 

●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第1章毒ガス兵器の製造と教育

 1、日本はどのような毒ガス兵器を装備していたか

 

日本軍が制式化した毒ガス

①糜爛性(びらんせい)ガス(イペリット、ルイサイト)

1㎥中に70㎎含む空気を30分吸い続けると人は致死的傷害を受けるとされ、防護には防毒面(ガスマスク)と全身を覆うゴム引きの防護服(防毒衣)が必要となる。また、その毒性はなかなか消えずに残留するので、汚染地は晒粉(さらしこ)を撒いて消毒する必要がある。

 有機ヒ素化合物のルイサイトは、一般的には茶色がかった油状の液体で、その毒性はイペリットとほぼ同じだが、作用が早く、直ちにより強い激痛と水泡ができる。被毒者はヒ素中毒で死亡することもあるので、「死の露」とも呼ばれた。

 国連の報告は、「大量の糜爛剤では放射能障害と似た一般的中毒症を起し、死に至ることもある」としている(ウ・タント国連事務総長報告『化学・細菌(生物)兵器とその使用の影響』)。糜爛性ガスが皮膚に及ぼす作用については、66~67頁の写真を参照されたい。

 ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第13章

毒ガスは消えず

 

苦しかった過去を回顧する、忘れ難い調査

 ここまで話すと、周先生は当時を思い出して苦しそうに、

「私は崔先生について何回も病院に行った。崔先生の被毒部分からは黄色い水が流れ皮膚はひどく爛れてある部分は血管が露出して、それがぴくぴくと動いているのが見え、もうそれ以上見ておられなくなった。毒剤を飲んだ人は死ぬ時、口も舌も全部大きな水泡が出来、その人は大きく口を開けて息をし、その苦しむ様子は、目を覆うばかりだった」と、回顧した。

 お2人の先生の訴えは、私たちに日本軍隊が遺棄した化学兵器の危険性を更に深く認識させることになった。更に私たちは、資料と元516部隊隊員の回想から、チチハルには化学毒剤を使用した工場があったと考える。

 では、・・・・具体的にその工場の位置はどこなのか?

今のところ私たちは分からない。

 それならこの毒ガス桶を発見した所は、…その工場と関係があるのではないのか?これは私たちが更に一歩進んで調査を行わなければならない。

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

糧穀の略奪

冷酷非情な取り立て

 

引地 章(ひきじあきら)

警察署長 警正

(略歴)

学歴 高等小学校卒業

所属 旧満国 図們警察署

年齢 54歳

 

林警尉、ここを掘ってみろッ」林の命令で、班員がスコップと鍬を持ってきて、掘り返し始めたが、2尺ほど掘ると、「ある、ある」と、騒ぎ出した。先刻の息子は、逃げ出そうと表の方へ駆け出した。それを班員が引っ捕え、「この野郎ッ」と、わめきながら、靴で散々蹴っている。引地は、つかつかと歩いて行き、「コラッ、貴様、うそを言ったなッ」と怒鳴り、長靴で尻を続けざまに蹴った。

「警正殿、麻袋が3袋出てきました」

 

「そうか、よーし、こいつ太い野郎だッ。大うそつきめッ」と、また3つ4つ蹴飛ばしたが、息子は、歯を食いしばって声を出さなかった。

 

 

 

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 

 


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