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●天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
●米の原爆傷害調査委 協力的な被爆者に優先的治療の便宜か
●「あいちトリエンナーレ2019」
●2019 所沢
●元徴用工の強制労働めぐり 不二越に謝罪と賠償求める/富山
●京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
●日本の毒ガス
●北支那防疫給水部留守名簿
●人骨発見から30年
●日本軍の毒ガス戦
●7.7「戦争を始めた日」国会前集会
●ソビエト連邦、中華人民共和国とハバロフスク裁判の忘却 1949-1956
●旧陸軍毒ガス詳報、確認 中国北部で使用部隊が記録
●平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
●記憶の継承を進める神奈川の会
●沖縄
●戦争とは何だろうか??
●軍事研究に関する学長声明 龍谷大学 学長 入 澤 崇
●長崎731部隊・100部隊パネル展
●武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
●ニュース
日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
特別秘密保護法撤廃!!
アシタノワダイ削除「日航123便 墜落事件」
日航機墜落事故から34年 御巣鷹で慰霊登山始まる
「『ノモンハン』血ノ教訓」 大阪・難波宮跡から旧陸軍機密文書見つかる
今年も520のろうそくを灯し…墜落事故34年の鎮魂
池上彰が言及「護衛艦かがは、戦中なら間違いなく空母」
なぜ日本は韓国より「言論の自由度」が低いのか
中止は「緊急避難的措置」と回答 愛知県知事、不自由展実行委に
元徴用工問題「対決でなく対話で解決を」 支援者ら会見
これで済まされるのか???
森友問題 財務省職員ら全員を再び不起訴 検察の捜査終結
核兵器廃絶
長崎平和宣言(全文)
安倍首相 核兵器禁止条約参加に否定的姿勢 核廃絶へ対話促す
旧優生保護法のもとで不妊手術 一時金申請の2人に支給認めず
学者らが会見「再開させ、よき事例に」 表現の不自由展
米の原爆傷害調査委 協力的な被爆者に優先的治療の便宜か
「ヒロシマが全滅です」原爆の一報を伝えたのは14歳の少女だった。あの日彼女が見たものは
2019 所沢市 平和祈念資料展
元徴用工の強制労働めぐり 不二越に謝罪と賠償求める/富山
沖縄防衛局が辺野古工事の下請け業者名すべて“黒塗り”開示
新宿戸山の人骨もきちんとDNA鑑定せよ!!
抑留者遺骨「全て日本人でない」
憲法9条はどこ行った!!
防衛省がフリーランスを排除
「かが」初入港 大きさに驚き
イージス・アショア「異様なレーダー選定」の茶番を見逃してはいけない
旧陸軍毒ガス詳報、確認 中国北部で使用部隊が記録
遺伝子「優性・劣性」“高校教科書では別表現を”日本学術会議
エボラ出血熱など輸入で国と東京・武蔵村山市が合意 国立感染症研究所に
エボラ出血熱のウィルスなど危険の高いものをなぜ輸入する?
日本は全く細菌戦の反省をしていない!!
感染症対策のウイルス保管を説明
エボラ病原体”輸入”国に安全対策求める
自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 ~JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌~
このままでは終わらせない…“森友事件”のいま【ザ・ドキュメンタリー】
“私は不妊手術を強いられた” ~追跡・旧優生保護法~
福島第一原発の原子炉建屋 開けられる鍵が9000本以上
なぜ、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?
「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖
20190330 UPLAN 小出裕章「フクシマ事故8年 原子力を廃絶させる道」
731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報
なぜ、日本は脱原発と叫ばないのか??
20181104 小出裕章と樋口健二のコラボ講演会
2005/12/25 【原発問題】推進派vs反対派 小出裕章氏
竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
人骨発見から30年・
・1937年7月7日→日中全面戦争
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・7.7集会(2019)「戦争を始めた日」国会前集会
●香港人見せしめ弾圧事件
●香港の皆様へ!!
●何で微罪で長期勾留する??
微罪で長期勾留?おかしくないか?日本は人権意識が欠如している!!
以前までは香港の日本領事館が南京大虐殺の抗議を受け取っていたが、去年は受け取らないので、日本まで抗議に来たという。
香港人「靖国神社」建造物侵入事件"長期勾留"の謎?
靖国神社でぼや、横断幕も=中国籍の男を逮捕
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
日本の医学界はなぜ謝罪しない???
又、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマと4度被曝した日本は、世界に先駆けて核兵器廃絶・脱原発と叫ぶべきではないか!!
なぜ、日本医学界は、先頭に立って「脱原発!!」と叫ばないのか!!
戦後、731部隊員はアメリカの核戦略に協力した!!
●「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
●「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●憲法第9条(自衛隊は違憲ではないか!!)
自衛隊は、防護のためと言って毒ガスを製造している!!(日中戦争時のも日本軍は本格的な毒ガス戦を中国で行った!!)
日本の毒ガス
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
これでは客観性がないではないのか??官邸主導
統計不正 統一水準でチェックし品質向上を 菅官房長官
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!
なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!
●横浜「戦争の加害展」感想
2月14日
・戦時中の若者が、高齢化し戦争の悲惨さが薄れている。小学生からしっかり教えるべきだ。現状、右傾化の危険性あり、歴史は繰り返す!(男性、80代以上)
●(「琉球処分」から140年、今の沖縄を考える)パネル展感想
後田多敦氏の講演会場で回収。
34.沖縄の歴史は以前から興味があり、一度聞いてみたいと思っていました。琉球処分から今日まで、日本の沖縄に対する考えに共通したものがあることが分かりました。又、勉強していきたいと思いました。ありがとうございました。(女.70.市内.新聞)
●「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
解説
―この作品の信憑性について―
編集部 竹村 一
(2)
何も知らない普通部隊の軍医は献身的に、この流行病の蔓延を食い止めることに、日夜それこそ寝食を忘れたのであった。軍医として中国に派遣された医者は、原因不明の流行病が急速に蔓延した事実を思い起こすであろう。
満洲三不管でペストが発生し、日本人の良心的な医者を中心に、防疫に不眠不休で働くさまが、山田清三郎氏の「明けない夜はない」(理論社刊)に詳しく書かれているが、山田氏が後に正しく知ったように、これは、細菌部隊の謀略であった。ただし三不管のペスト流行は、731部隊ではなく、長春にあった100部隊の謀略だと思われる。
①の飛行機よりの撒布と②の細菌爆弾の投下は、実験上、あまり効果が無く、実戦には、ほとんど使用されなかったという。これらは、まだ研究途中であった。もう2、3年戦争が続けば完全に成功したといわれる。当時の段階では、この2つには、次のような実戦上困難があった。これらの方法によると、菌の力を、すなわち伝染力をどうしても、弱めた。細菌爆弾の使用は、爆発の際の高熱のため、細菌がほとんど死滅し、わずかに生き残った細菌も、著しく菌力が落ち、これは全く効果が無かったと思われる。あるいは、飛行機による石井式細菌撒布布器による、ペスト菌、コレラ菌を含む液体の、高度2000メートルぐらいの上空からの撒布も、あまり効果が無かった。普通の細菌は、直射日光にあたれば、ごく短時間で死滅し、また土地や空気が乾燥している場合、なかなか繁殖できないのである。ことに実験室で培養した細菌は、自然に繁殖した細菌よりも菌力も弱く、凍地や水の中でも、死なないだけで、人間に伝染する菌力を保つのが困難であった。湿気が多く、気候、温度があらゆる点で細菌の繁殖に適している場合でも、地面がしめる程度に濃く、大量にまかなければならなかった。幸運にも、この無辜の人民大量虐殺の方法はまだ完全に成功していなかった。もっぱら謀略による手工業的方法によっていた。
※ここでは細菌兵器はあまり効果が無かったと書かれてあるが、実際は中国で細菌兵器を使用し、多くの犠牲者を出した!!
●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第7章 残虐な毒ガス戦
第11軍の長江両岸に沿った進攻
同電報文には合わせて「毒ガスの性質の調査を行うことを重大任務とする」との指示が見える。10月17日午前10時、日本軍第9師団第19連隊第1大隊及び野戦ガス第13中隊が三渓口付近での戦闘中、毒ガス発煙筒100個を放出、中国側第53軍の部隊を後退させ、川を渡った。中国軍の被毒による死亡者は50余人。日本軍の第2軍は大別山北麓に沿って進攻。
(広島県大久野島毒ガス工場)
●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
原著編集説明
4、本巻ではできるだけ文書資料の原文を保つべく、政府機関の正式な文書・電報、報告や叙述的資料は無関係な部分をしかるべく省略し、〔前略〕、〔中略〕、〔後略〕で表した。本巻の選出した戦犯の供述資料はすべて抄録であるため、各表題には特に「抄録」の文字を付していない。これらの文書資料は大多数が翻訳文であり、原文のある場合は正確かつ文意を把握しやすくするため、原文にのっとって校正した。
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
■ユゥリウス・モーゼス
〔「序文
この書物はどうしても書かなければならなかった。国民の健康に対して責任を感じている全ての階層を動員して、あの恐るべきリューベックの破局の原因である医学の犯罪的現象をなくすために協力してもらうことを、自分の義務と考えたからである。
リューベックの実験でこれまでに73人の子どもが死亡している。これは医師たちにとって、医療機関にとって、また公衆にとって、途方もない凶事の前触れである。科学の偽名を借りて病人と健康者に行われたいかさま医療、《科学》の名を汚し、医学の社会的・倫理的使命をサボタージュするやぶ医者的実験に反対して戦おうとする善意を持つ全ての人々に、わたしは訴えたい。
もともとわたしはリューベックの児童に対して行われた痛ましい医学実験に関する刑事的・科学的調査が済むまではこの本を発表しないでおこうと思っていた。しかしわたしはこれ以上もう待っていることができない。実験は続けられており、この事件に関する《慈善的な》蒙昧がさらに広まる危険がある。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、過去の旧日本軍の毒ガス使用の反省・謝罪もないまま新たな毒ガスを作ってもいいのだろうか??
日本の毒ガス
沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える
●「化学学校記事」情報公開裁判
9月4日 11:30~(522号法廷)
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
9月26日(木)11:30~419法廷
金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
あとの資料はどこに消えたのか?
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
「衛生学校30年の歩み」によせて
校長時代の回顧
第13代校長 波多野裕敏
将来戦に対する衛生実験場(分校)或いは屋内体育館、合同売店、厨房施設の建替え等、多くの課題が残されていますが、早期実現を期待しております。
最後に衛生学校の益々のご発展と、皆様のご健闘を祈って筆を擱きます。
※衛生実験場とは何か?生物剤に関する実験場か??
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
第9章 聖戦
Ⅳ
辞任した近衛首相の推薦にしたがって、昭和天皇は1939年初頭、平沼を後継内閣に任命した。平沼は陸軍の強力な支持者であり、天皇がかつて完全なファシストと見なしていた人物だった。しかし、1936年の陸軍の叛乱以来、国本社を解散させ極右とは多少、距離を置き―西園寺の主張により―宮廷側近との関係を築いてきた。
このようにして、池田成彬蔵相と宮中ルートの指導のもと、平沼はナチス・ドイツとの軍事同盟にあわてて加入することによって英米を敵とするようなことはしないと約して、さらに自論の見直しを図った。ドイツとの同盟について平沼が部分的に考えを変えたことは、天皇の歓心を買うのに十分だった。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
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