●パク・スナム監督の<フィルム復元>クラウドファンディング
●南方軍防疫給水部の記録を探し求めて(リム・シャオピンさん)
●第28回 731部隊員の証言(ビデオ学習会)のご案内
●「日本の中国侵略と靖国神社」のご案内
●中国人俘虜殉難者日中合同追悼の集い
●小津安二郎と宮柊二と毒ガス戦
●ABC企画委員会パネル展
●第5回 三多摩平和交流会
●もっと知りたい、見つけたい(peace8)八王子
●天皇制廃止に向けての第一歩:雲上人を人間化する運動を!
●京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
●平沢正欣論文を検証する(人体実験は行われたか?)
●武蔵村山の国立感染症研究所問題!!
●731部隊・100部隊展
日本は唯一の戦争被爆国なのに、なぜ核兵器禁止条約に署名しない?
この異常な降水量の最大の原因は、今までの核実験で地球が壊れてきているからではないか??
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆
奇々怪々の現代
つまりこの温暖化論議は、その結論について学会や報道界が独占権を持つ占有物ではない。自分は学者であるとか、ジャーナリストであるとか、妙にふんぞりかえらないことである。人間を理工系や文科系に分類しないことである。人を子供や大人に分類しないことである。人が考えるためには、誤報に満ちた報道に惑わされず、職業観や過去の観念を捨てて、誰でも分る興味深い事実を見て、自分で考えることが大切である。
●核実験(ウキペディアより)
核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。
核実験の種別:1.大気圏内、2.地下、3.大気圏外、4.水中
核実験は、実施された場所と高度により4つの種別に分類される。
1.大気圏内核実験 地上、海上、及び空中で行われる核実験である。実験方法には、棟上、気球、船舶、離島、及び航空機からの投下が用いられる。また数は少ないが、高高度核爆発実験もロケットにより行われる。地上近くの核爆発では、土砂とチリがキノコ雲により巻き上げられ大量の放射性降下物が発生してしまう。また高々度での核爆発では強力な電磁パルスが発生し、周辺の電子機器に深刻な障害を引き起こす。
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)
東南海地震:「地震の次は何をお見舞いしましょうか」とB29がビラ
●天皇即位の行事、軍事費、原発等にお金を使わず、災害復興に使え!!
終わりにしよう天皇制 11.26大集会・デモ
天皇制の問題・・・①侵略戦争の反省がなされていない、②出自によって差別される構造ができる。③男女差別を助長する。④皇国史観が重んじられる。⑤伝統から抜け切れず、縛られる。
核兵器、生物兵器、化学兵器廃絶!! 戦力不保持!!安倍政権打倒!!
●ニュース
戦争責任を取らぬまま、そのまま在位した昭和天皇、その後の天皇も日本の侵略戦争の謝罪をしていない!!
「桜を見る会」の招待状は安倍首相の「選挙協力へのお礼」に使われていた!?
ついに疑獄へ発展「桜を見る会」
河井議員夫妻 公選法違反など市民グループが告発状
首相、マルチ商法会長と「招待された会合で同席の可能性は否定しない」
【全編動画】「下村氏は氷山の一角」!?~加計学園から安倍総理に「カネ」は流れていなかったのか!? 下村博文・元文科相告発直後の上脇博之・神戸学院大教授に岩上安身がインタビュー!2017.7.31
大竹まことゴールデンラジオ#金子勝 (文化放送 2019-11-29)
●日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)
特別秘密保護法撤廃!!
憲法9条はどこ行った!!
防衛省がフリーランスを排除
全日空機雫石衝突事故
岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸の旅客機に航空自衛隊の戦闘機が飛行中に追突され、双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が死亡した。1985年(昭和60年)8月12日に日本航空123便墜落事故が発生するまで、日本国内の航空事故としては最大の犠牲者数を出した事故であった。
アシタノワダイ削除「日航123便 墜落事件」
自衛隊の不祥事!!
日航機123便墜落の真相 ~JALボーインング747に訪れた悲劇の全貌~
日航機墜落事故から34年 御巣鷹で慰霊登山始まる
なぜ、「731」と書かれた戦闘機に乗れるのだ???
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
オリンピックにお金をかけるのではなく、いじめ対策・貧困対策・戦争被害者対策にお金をかけるべきだ!!
●国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)
特定一種病原体等の受入れについて
このことについて、令和元年9月26日(木曜日)夜、加藤厚生労働大臣から藤野市長に対し、国立感染症研究所村山庁舎が一種病原体を所持するに至ったとの電話連絡がありました。
また、本日、国立感染症研究所から以下のとおり情報提供がありましたので、お知らせします。
令和元年7月5日付で、特定一種病原体等所持者である国立感染症研究所が、特定一種病原体等であって外国から調達する必要があるものとして輸入するウィルスを厚生労働大臣より指定されたところですが、今般、国立感染症研究所は、次に掲げるウィルスを外国より受入れ、所持したことを報告します。
南米出血熱ウィルス
ラッサウィルス
エボラウィルス
クリミア・コンゴ出血熱ウィルス
マールブルグウィルス
エボラ出血熱のウィルスなど危険の高いものをなぜ輸入する?
日本は全く細菌戦の反省をしていない!!
感染症対策のウイルス保管を説明
エボラ病原体”輸入”国に安全対策求める
●なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
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水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
「わざわざ自分らのことを『げんしりょくむら』とは?
「あつまれ!げんしりょくむら」に批判相次ぐ サイト閉鎖
●核兵器廃絶
安倍首相 核兵器禁止条約参加に否定的姿勢 核廃絶へ対話促す
2019 所沢市 平和祈念資料展
ヒロシマ 私たちの心の傷
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徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
●「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
731部隊の病理解剖の顧問をした清野謙治も、窃盗事件で京大を追われた後、戦後は東京医大教授になった。731部隊で細菌を製造していた柄沢も東京医大だ!!
日本の底にツルハシでも崩れない差別がある 東京医科大の不正入試提訴 会見詳報
新宿戸山の人骨もきちんとDNA鑑定せよ!!
抑留者遺骨「全て日本人でない」
竹田恒和JOC会長、IOC委員を辞任
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真実を隠すために死刑にしたのでは??
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!!大嘗祭反対!!
昭和天皇の戦争帰任をもっと追及しよう!!
(1)関東軍防疫部の設置経緯
1936年4月13日参謀本部第1課(編制動員課)「満洲派遣部隊一部ノ編成及編制改正要領(決定案)」作成
戦前の天皇がいかに大きな存在であったかが分かる。
中国への細菌戦・毒ガス戦をきちんと謝罪しないばかりか、アメリカの原爆投下をも容認してしまった!!
NHKスペシャル「 昭和天皇は何を語ったのか」拝謁記
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昭和天皇の戦争責任を問う!!
昭和天皇、戦争を悔い退位に言及 改憲再軍備も主張、長官の拝謁記
昭和天皇、戦争の「反省」表明望んだ 詳細記録見つかる
京都大学に対する第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求める活動
人骨発見から30年・
●横浜「戦争の加害展」感想
2月16日
63.時間がなくてゆっくり見られませんでしたが、もっと詳しく勉強したくなりました。(女性、40代)
●【真相】(unit731)
石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)
編者まえがき
Ⅰ ファインダーがとらえた地獄
―総務部調査課写真班 T・K
新京陸軍病院衛生兵から731部隊員へ
出発は朝。幌つきのトラックに、「丸太」や資材を積んで、隊員は総勢2~30人ぐらいである。写真班からは1名。予定は、ふつう2泊3日だ。
安達の実験場は、広漠たる平原だった。ただ、半湿地帯なので、地面が凍る冬によく実験は行なわれた。冬と言っても、雪が日本のように積もるわけではない。パサパサした粉雪が、うっすらと地表にかぶる程度である。
実験の行なわれる場所は、だいたい決まっていて、そこには、土壁で造られた仮宿泊施設と2、3の掘立小屋みたいなものが建てられていた。
●日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第9章 戦犯の証言
「中国帰還者連絡会」
大部分が反動から進歩へ、殺戮鬼から真人間へと転身したのだった。1956年、中国政府の寛大な計らいにより、これらの戦犯は1人も処刑されず、釈放され帰国した。これは当時、世界中が耳目を疑った処置であった。だが、彼らが帰国後発表した『日本人民に告ぐ書』を見ると、彼らが自ら参加したあの戦争に対して深く理解し、彼らの身に起こった変化が決して偶然のことではないと分かる。
●証言 人体実験(731部隊とその周辺)
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
萩原英雄自筆供述書(1953年4月15日)
入隊(現役兵)前の状況
1、直接参加した犯罪行為
当時の状況:・・・私はハルビンで徴兵検査を受けた結果、甲種合格になり、1939年3月18日黒河第7国境守備隊歩兵第5中隊入隊という現役証書を受けとった。郷里で入隊することを決め、そこで1939年1月に鈴木組を退職して帰郷した(私が建設に加わった第8棟の内部の構造については、付属資料4を参照されたい。7棟の構造の8棟と同じ)。
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
■ANUS MUNDI
1942年11月8日
昨晩2つの特別行動に立ち会った。(12回目、13回目の立会いだ。)雨降りの陰鬱な秋の天気だった。午前中に、エッセン出身でわたしの弟子の1人である、SS大尉キットが病室のわたしに挨拶しに来た。
1942年11月13日
生きているように新鮮な資料(肝臓、脾臓、すい臓)が手に入った。以前に写真を撮ったことのある、強度の萎縮症の、18歳のユダヤ人のものである。いつものように、肝臓と脾臓はカルノワ液に、すい臓はツェンカー液に固定する。(囚人番号66030)
選別の後ガス室に向かって歩いていくハンガリーのユダヤ人女性とその子供たち(1944年)
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作ってもいいのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??
「琉球処分」から140 今の沖縄を考える
●「化学学校記事」情報公開裁判
次回 2020年2月12日(水)11:30~ 東京地裁522号廷
1977年発行の化学学校発行の『20年のあゆみ』について、防衛省はマスキングに時間がかかるため、2か月後の提出は難しいかも知れないと述べた。
『20年のあゆみは』は1970年代だから、沖縄での、毒ガス漏洩事件や本土の相模原補給廠での毒ガスの問題がある中、毒ガスや核兵器に関する研究の記述もあるのだろう。それらをマスキングして公開しないというのは、日本の情報公開がいかに遅れているかと象徴している。防衛省は、化学学校記事16号の存在を認め、その間に自衛隊がどのような研究をしていたかを明らかにすべきだ。佐藤内閣時代に実際に核兵器を持とうとしていたのだから、自衛隊ではどんなことが研究をしていたかは、国民に広く知らせるべきである。ましてや日本は、広島、長崎、ビキニ、福一で甚大な被曝をしている国なのだから。
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
次回 第23回『衛生学校記事』情報公開裁判
12月12日(木)14:00~419法廷
金原節三氏が寄贈した資料が、衛生学校庁舎3階の彰古館に1982年に「金原節三コーナー」として展示された。
その2000点を超える資料はその後どうなったのであろうか?
防衛省の回答では、金原氏の目録と一致する資料は、今現在は641点だという。
しかし、それも一致するだけで、寄贈されたものではないという。
彰古館に勤めていた人(1996年から2013年)の聞き取りでは、彰古館では、きちんと整理していていなかったようである。
金原資料は、1995年に防衛庁戦史部に移管されたが、翌年また彰古館へ戻したという。
その時はすべてを戻したわけではなかったようだ。
2010年に、彰古館が学校庁舎3階から今の建屋になり、資料も移管されたが、金原資料の整理はきちんとされていないようだ。
金原資料の一部はあるようだが、その他の金原資料は、どこに保管しているのだろうか。
また、彰古館には旧軍資料しか置いていないともいう。本当に「衛生学校記事」や教範類は置いていないのだろうか?
次の裁判までに、勤めていた人の陳述書を防衛省側は出すという。防衛省が提出する資料は内輪の調査であり、本当にきちんと聴取しているのかが、疑問だ。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
『BC兵器』 久保綾三著(1969年)より
Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦
1、自衛隊の装備・訓練を探る
国会におけるBC兵器論争
(前略)
〇楢崎委員 佐世保で使われました例のCN、クロルアセトフェノンでありますが、これは自衛隊も催涙ガスとして用意されておりますね。自衛隊はどこからそれを買っておられるのですが。
〇増田国務大臣 催涙ガス等の研究はいたしておりましたし、また水に混ぜてやるということの研究もいたしておりますが、私の調べたところでは、必ずしも、警視庁で使用されたものとは違うということを申し上げておきます。
〇蒲谷政府委員 関東化学株式会社から買っております。催涙剤の方は関東化学でございますけれども、筒の方については細矢火口から入っております。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
第11章 真珠湾への道
Ⅱ
実際、7月2日の御前会議では、ソビエト攻撃を想定した「関東軍特種演習」〔関特演〕と称された対ソ戦準備をひそかに進めることが裁可されていた。この決定は、内地部隊を秘密裡に動員する一連の計画を推進し、7月から8月の第1週にかけて約70万から80万人の兵力を満州北部に集中させるものであった。その任務は9月初頭までに対ソ戦の準備を整えることにあったが、しかし、対ソ武力行使はソビエト西部でドイツがソ連の抵抗をすみやかに潰滅(かいめつ)させたときにだけ開始することとなっていた。
●小泉親彦と昭和天皇
憲法9条を生かそう!!