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国家犯罪!731から福島まで!!

2014-06-05 12:29:21 | Weblog

秘密保護法撤廃!!撤廃!!撤廃!!
“過去に眼を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目となる”

オークション会社が「北京1855部隊」の写真を出品=「731部隊を上回る罪業」―中国メディア
2014年6月1日、中国広播網は、戦時中に中国で細菌兵器の人体実験を行ったとされる日本軍の「北京1855部隊」の写真がオークションに出品され、各地で巡回展が開催されていると伝えた。

(参考)
第2回 1855部隊と北京・抗日戦争紀念館より 

北京甲1855部隊の第一分遣隊は北京協和医学院を接収したもので、「細菌」「結核」「培地」「血清」「菌株」「血清」「BCG」「病理解剖」などを担当し、第二分遣隊は「静生生物研究所」を接収して、ペスト蚤(のみ)の生産を行なっていた。

第二分遣隊ではそれ以外に中国人捕虜を用いての細菌感染実験が行なわれていたとの複数の証言がある(伊藤影明氏など)。支部は16ヶ所あった。

中国解放後の1949年、放置されていた生物制品所の地下から試験管が1000個発見され、鐘品仁さんが分析した結果、ペスト菌株で、最も毒性の強いものであると確認された。細菌戦にはワクチンの予防注射が必要なので、本部では大量にワクチン製造をしていたのではないか。

石井四郎の使ったのと同じ細菌培養缶も大量に見つかっている。アルミニウム培養缶で作った細菌は金属のさびや雑菌が入ってワクチンには使えない。しかもこの数は人体実験用には多すぎる。つまり、細菌兵器として利用しようとしていた以外に考えられない。

曲昭然さんはもう亡くなられたが、15才から20才まで協和医院で働いていた。郭成周さんが5年前に聞いたところでは、清掃夫だった曲さんは中に入れず、重要な部分はわからなかった。曲さん以外の証人はいないので、生体実験をやっていたかどうかは分からない。図面も残っていない。

731部隊が主として細菌兵器についての基礎的研究と開発を行っていたとすれば、ここ1855部隊は研究だけでなくより実践的なワクチンの製造や細菌兵器の大量生産をやっていたのではないか。そんなことを考えたが、なにしろ残されている物や資料は乏しく、本部のあった場所には今は何もない。・・・・

こんなにもあった細菌戦部隊より
北京1855部隊
■北京に設立された。
現在も本部細菌培養棟地下室が残されている。戦後ここから日本人名のラベルが貼られたペスト菌入りの試験管が発見さ
れた。
「私は、1855部隊の済南支部で通訳として働かされてい
ました。私が働いていた1年10ヶ月は悪夢のような毎日で
した。中国人捕虜や韓国人流民たちに天然痘の菌を注射。
反応を観察しました。捕虜たちが「助けてくれ」ともだえ苦し
む姿は、凄絶でした。コレラ菌を8キロ離れた村落へばらま
いたり、捕虜たちのにぎり飯に注入して食べさせたりもしま
した。私が働いていた間に目撃した犠牲者は1000名にな
ると思います」韓国大邱市在住・崔享振さん(死去)




日本政府はどうして反省しないの?・・話を聞いて黙り込んだ娘は、怒りと悔しさを感じていた―中国ネット

厳戒態勢 追悼を抑圧 天安門事件25年


集団的自衛権反対!!
(社説)自衛隊の支援―戦闘と紙一重の危うさ

憲法9条を守ろう!!
1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

安倍イズムを読み解く 首相は国家社会主義者

国民の命差出す戦争動員 米国の国益守る鉄砲玉に 集団的自衛権行使強行へ  長周新聞

日本が攻撃されてもいないのに戦争をしますか。本当に正気で耐えられますか?( `・ω・)

原発反対!!
大阪市、原発廃止求め株主に文書

吉田調書など開示求め提訴へ 東電株主訴訟の原告ら

元東電社員や元原発作業員などの
内部告発者に待ち受ける
「いばらの道」と自殺


吉田調書、自民議員も閲覧ダメ 政府が拒否

原発のメリットについて、今一度考えてみよう「原子力にかけた夢は全てが幻ということでした」

小出裕章先生:日本の経営者という人達が、目先のことしか考えないという、 それが一番困ったこと


福島の被害は甚大だ!!
心療内科医が警鐘鳴らす「福島で自殺が急増している!」

政府の『美味しんぼ』批判の背景に“カネの問題”?福島県調査で異常ながん発症率

地震で原発は本当に大丈夫なの???
金子勝×室井佑月×大竹まこと:大飯原発差止命令と吉田

大飯原発判決と最高裁研究会について。- 2014.05.25



戦争の傷跡
旧日本軍第32軍司令部壕調査

変質する平和

ナチス顔負けの日帝731部隊…「映画で世界に告発」

インドネシアの元慰安婦ら、体験語る 東京で集会

ワシントン郊外に慰安婦の碑 韓国系寄贈、郡庁舎敷地に

西安に韓国光復軍記念碑を設置=中韓が独立運動の歴史で連携を強める―韓国メディア

遼寧省で唯一公認の日本軍細菌戦による被害者が病死―中国メディア

旧日本軍の「ガス防護手引き」を発見、毒ガス戦の犯罪の証拠が加わる―中国紙


きちんと731部隊のことを展示してほしい!!

「731部隊」展示撤去 京大医学部資料館
・・・731部隊の展示は2008年刊の「京都大医学部病理学教室百年史」から引用したパネル2枚。部隊長の石井四郎ら医学部出身者の関わりを、文献を示して解説。731部隊の「発祥の主たる舞台となった京都大学医学部としても検証が必要なのでは」と指摘していた。同資料館の管理担当者によると、完成記念式典の後ほどなく撤去したという。・・・・


<京大医学部資料館>731部隊の展示撤去 開館後間もなく
・・・医師の戦争責任を考える運動を続ける京都府保険医協会の垣田さち子理事長は「731部隊の検証に関しては、医学界の一部で消極的な声も強い。撤去の経緯が不透明で、事実を隠す意図があるのではないか」とし、協会として大学側に問い合わせる方針。



日中戦争の実態!!

【完全版三光】より
小美野義利
戦務班長 憲兵曹長
〈旧部隊名〉
関東軍第1特別警備隊二大隊本部

● ― 筆者からの一言 ―〈昭和57年7月〉
この文章は、私が中華人民共和国に戦犯容疑者として抑留されていたときに書いたものです。現在、振り返ってみると、当時の上司や同僚についての子細な描写には、正確さを欠く箇所があるかもしれません。その点は、ここに謹んでお詫びいたします。しかし、大切なことは、在職中、多くの中国の人々に言語に絶する困難や苦しみを与えたことであり、今思うと誠に申し訳なく存じております。私は表面は従順にしておりましたが、内心はすべて上官の命令でやったことだと考え、自分の行為を責める気持ちはなかったのであります。
中国の諺(ことわざ)に、『牛を川の辺(ほとり)まで連れて行くことはできるが、牛が水を欲しなければ飲ますことはできない』とあります。当時の私は、己の行為はやむを得ないことだと自慰していたのであります。そして、すべての責任を戦争に転嫁していたのであります。今、私は自分の犯した罪を心から反省するとともに、再び戦争を引き起こすことだけは制止せねばならないと思っております。私自身が苦しみを与えた多くの人々のためにも、平和のために余生を捧げるつもりでおります。
(小美野義利)



戦前、戦中と日本は、大日本帝国であった。天皇は現人神(あらひとがみ)であり、
八紘一宇をスローガンに世界を日本中心、天皇中心の世界にしようとした。今でもこの思想は、根強い!!だから右派国会議員は靖国へ行く!!
大日本帝国憲法のもとでは官吏は天皇に対してのみ責任を負い、公権力の行使に当たる行為によって市民に損害を加えても国家は損害賠償責任を負わないとする法理(
国家無答責)がまかり通っていた。
天皇は神だから悪いことをするはずがないということか?
その憲法のもとで、戦争が行われ、どういうわけかその憲法のもとで、戦後賠償裁判が行われた。

大日本帝国憲法
第1条大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第3条天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第4条天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ

狂った時代は、細菌戦を実施した時代だけではない。今も狂っていないか?
戦争の反省は全くせず、9条を無視して、集団的自衛権の行使しようとしている。
それも岸の末裔だ!!


日本政府は、南京大虐殺、重慶大爆撃、731部隊等の資料を全て公開し、中国やロシア、アジアの国々に正式に謝罪せよ!!

南京から日本へのメッセージ、いや世界へのメッセージ!!
南京大虐殺:侵華日軍南京大 南京電影制片庁 21分


重慶大爆撃

重慶大爆撃 対日民間賠償請求訴訟
重慶大爆撃とは①

陸軍航空隊の爆撃行


安倍首相「ドイツのような謝罪はしない」、中韓の要求を拒絶=韓国紙がその真意を読み解く―中国メディア

“日本人は南京大虐殺で謝罪の準備できている” 映画「釣魚島の真相」の米監督が語る―中国メディア

・・・その上で、「日本人にとって最も賢い選択は、南京に行き、中国人に謝罪することだと思う。私が出会った中国人の多くは、『ドイツの首相は謝罪した。なぜ日本はできないのか』と話し、日本が謝罪することを求めていた」と語った。

インタビュアーが「しかし、日本の一部の政治家は日本が南京で侵した罪について認めていない」と指摘すると、ネーベ監督は「多くの日本人が間違いを認め、謝罪する準備をしているが、政治家たちは政治的利益のために認めないのだろう」と分析。


安倍の言った戦略的互恵関係というのは、過去を消し去ることか?

このままでは、日本はまた戦争を始めるぞ!!

自衛隊来るほうが危険/アフガンで人道支援

カネの為の戦争はイラクで既に経験済

5月16日(金)放送分 「集団的自衛権 安倍首相会見を

生き難い時代でも前を向いて / 「日本国憲法」なのだ!

「『偶発』に引きずられるのが戦争で、『刹那(せつな)』で動いてしまうのが兵士だ」。
旧日本軍兵士ら「偶発に引きずられるのが戦争だ]

ロック前駐中国米国大使が南京大虐殺記念館見学=「同様の惨劇、二度と起こしてはならない」―中国メディア

南京大虐殺記念館をデンマーク女王が訪問、生存者とも対面・・・現職の国家元首訪問は初=台湾

旧日本軍戦犯の軍事法廷、瀋陽で記念館として整備=「日本の右翼台頭への最も有効な反撃だ!」―中国

安倍首相ドイツ訪問、待ち構えていた日本女性=「慰安婦に真の謝罪をすべき」など抗議―中国メディア



現政権下では、原発事故のことやかつての戦争のことは、情報統制されている!!

大日本帝国が行ったかつての戦争に参加したほとんどの兵士は、かん口令が出され、帰国後ほとんど戦争の残虐さを話すことなく貝になってしまった!!
日本人は、アジアの諸国に優越感をもち、アジアの人々を蔑視した!!
一部の勇気ある日本人が、戦争を語ったが、そのほとんどの人が亡くなった。
証言ー侵略戦争1


証言ー侵略戦争2


証言ー侵略戦争3


安倍氏主導の下、日本の周辺外交はすでに「収拾のつかない状態」に―中国紙

731~福島まで!!

日本の医学界は、731部隊のことを反省していない。

国立感染症研究所や陸上自衛隊の研究室ではどんなことが研究されているのだろうか?

精魂塔とは何だ?


中国で、細菌兵器を精魂こめてつくったことを称え、そこで殉職した職員を供養している塔なのか、それとも、実験のために虐殺した多くのマルタ(被験者)の霊を供養している塔なのかさっぱりわからない?
建立者、建立年月日、塔の由来などいっさい刻まれていない異様な塔である。

・・・ちなみに、詳しく調査した結果、この建立者である二木秀雄という人物は、731部隊の主要メンバーの一人であり、第一部(細菌研究)の中にある二木班(結核研究)の代表者だ。(
懇心平等万霊供養塔より)


日本政府はいまだに731部隊が第2次大戦中、捕虜に細菌・生物実験を施したことを正式に認めていない。昨年11月、東京高裁は中国人毒ガス被害者の訴えを棄却した。その理由は「当時の行為を予見することは不可能だった」。原告側の「日本政府が迅速に措置をとっていれば事件の発生は防げた」との訴えは退けられた。だが、これほどの被害を「運が悪かっただけ」だと片づけてしまってよいのだろうか?

まさに人間地獄・・731遺跡博物館の何とも言えぬ重苦しさ―中国紙

731部隊とは
黒い太陽731


アウシュビッツよりもひどい!!
731部隊


知ってるつもり「731部隊と医学者たち」


細菌戦被害の人々


語り部フォーラム


闇に消えた虐殺~731部隊・細菌戦の真実(テレビ朝日「ザ・スクープ」、1997年8月放送)近藤昭二


ナチス顔負けの日帝731部隊…「映画で世界に告発」

中国等の日本陸軍病院では、生体手術演習が麻酔もかけずに行われていた!!
消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」


日本の医学界は、原爆被爆、水俣病、・・・・薬害エイズ、福島原発事故などで苦しんでいる人を救ったのであろうか?

原爆
原爆の子

禁止される原爆報道・医学研究
ファーレル准将が広島を視察した後、1945年9月19日、GHQ(連合国軍総司令部)は「プレスコード」を発令し、連合国、占領軍の利益に反するすべての報道を禁止しました。これによって、1952年4月に占領が終わるまで、原爆の被害のほとんど不可能になったのです。
記事だけでなく、写真も映画フィルムも同じでした。
・・・・
救援に駆けつけたジュノーさんの活動も妨害します。世界に向かって救援を呼びかけたジュノーさんの電報は、打電できませんでした。
11月には原爆被害の医学研究も禁止しました。これには日本の医学者たちが猛烈に反対しますが、どうにもなりませんでした。(『チェルノブイリから広島へ』 広河隆一著より)

※本当に医学者たちは猛烈に反対したのか?
日本政府は、アメリカに全面協力し、被害者の救済には当たらず、被害の実態を調べた「原爆報告書」をつくった。
自国民の原爆被爆被害を日本軍部が喜んで米国のために調査した本当の理由
封印された原爆報告書

封印された原爆報告書
自国民さえも実験台として、嬉々として自国民の被爆調査を行い、自発的に英訳して調査報告書を渡す。全ては、七三一部隊の秘匿、そして、天皇に対する免責を勝ち取るためだったのではないのでしょうか。この取引は十分に功を奏したようで、太田昌克氏の著作にも人体実験に対する米国の追求はどこか間が抜けたものとして書かれています。単純に細菌兵器の技術、実験結果を知りたかったためとしては、やはり片手オチ。米国は、第二次世界大戦で最も知りたかった情報を自ら差し出してきた日本軍部と取引したのではないでしょうか。そうしない限り、この七三一部隊の隠蔽理由(いまだにこの部隊はでっち上げだという論陣を張る人がいます。それは、悪魔の飽食の書評を見ただけで明らかでしょう)をどうしても納得できません。

原爆被爆者は、軍部免責、天皇制維持のための、数少ない有力なカードだったのではないでしょうか。

天皇や三笠宮も731に行っていた?(生体実験を知っていた?)40分あたりから
unit731

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国家犯罪!731から福島まで!!

2014-06-05 12:27:58 | Weblog


広島や長崎に、アメリカが設置したABCC(原爆障害調査委員会)(被害調査はしたが治療はまったくしなかった)の傘下に元731部隊員もいた国立予防衛生研究所の支部が置かれた。
そしてABCCの後継機関が放射線影響研究所だ。
そこの理事長だったのが重松逸造だった。


山下俊一のお師匠さん、
重松逸造も、戦中の医学界の流れを引き継いだ!!
重松逸造とはどんな人物?
プルトニウム元年 第3作 1993年8月放送 3/5


被曝をめぐる御用学者の系譜より
ところで、この重松逸造とはいったいどんな人物なのでしょうか。
重松が戦時中何をしていたのかは不明ですが、戦後は公衆衛生院の一員であると同時に、広島長崎の原爆被害について米国が作った原爆障害委員会(以下、ABCC)のスタッフでした。このABCCが解散した後、1975年に予防衛生研究所との再編でできたのが放射線影響研究所(放影研)。広島の日赤病院の一角にあり、被曝者を調べるだけで治してくれない処と地元では云われてきたそうです。それもそのはず、ABCCとは原爆を落とした米国が、原爆による被害をチェックするために作った機関であり、被曝に苦しむ人たちを救おうという研究機関ではありませんでした。そして、非被曝群ではなく低被曝群を比較対照とすることで、被曝被害を過小評価してきました。重松は放影研の理事長などを務め、実質的に放影研を牛耳ってきた人物です。

重松は被曝被害を過小評価しただけではありませんでした。日本で公害問題が深刻になり、水俣病をはじめいろいろな公害病が話題になった時にも名前が登場します。イタイイタイ病では公害認定がなされた後の1976年になって三井金属や自民党等が原因のカドミウムを否定する動きを見せ、それを受けてWHOにカドミウムの見直しを提起した学者の1人が重松でした。また、スモン病の時には厚生省の調査班班長となり、後日原因物質として認定されることになるキノホルムを原因としませんでした。つまり、キノホルムによる薬害を認めず、製薬企業や国を利する報告を行ったのです。詳しくは広河隆一さんの『チェルノブイリから広島へ』(岩波 1995)に書かれています(この本は絶版みたいなので最近出た新版らしきものを横に紹介しておきます)。

また、重松は、成人T細胞性白血病(ATL)の原因ウイルスの母子感染について、厚生省研究班の班長として1990年度に「全国一律の検査や対策は必要ない」との報告をまとめ、感染者の全国拡大を招きました。これは、国の対策が遅れたことによる被害という側面をもたらしました。これに関して重松は、今年1月の新聞インタビューで「私は、いわば雇われマダム的な班長だった・・・」と白状しています(雇われマダムに失礼な発言だ!)。

御用学者はその名の通り、国や企業の便宜を図るような話をしたり論文を書いたりするため、研究費等のお金がたっぷり貰えます。お金のある研究室の回りには研究者もたくさん集まるため、御用学者は集団化し大きな勢力となります。お金と人を握れば学会などを支配できますので影響力が増し、発言権も大きくなっていきます。これが(醜悪な)世の習い。

一方、権力側に都合悪い話でも正しいことを堂々と主張する研究者もいます。でもごくごく少数です。そして、このような立派な研究者にはお金が回ってきません。学会からも遠ざけられます。こういう状況を知っている大多数の研究者たちは、発言を慎みささやかに生きていくか、御用学者化するか、どちらかに流れていきます。その結果が今日の東電福島原発を取り巻く状況だと思っていいでしょう。だから、権威筋の話しか信じない・信じられないという一般人は、今回のような事故の時には完全にマヤカサれてしまいます(きっぱり)。

ということで、重松逸造にはたくさんの弟子がいます。最近メディアに出てくる長瀧重信(長崎大、元放影研理事長)は先のチェルノブイリ原発事故調査の時にも重松といっしょにシゴトをしています。広島大原医研の神谷研二。長崎大の山下俊一も、重松や長瀧らとチェルノブイリ原発事故の調査を行っており、その資金源は右翼笹川系の笹川チェルノブイリ医療協力(日本財団)でした。原爆と原発と戦後右翼を繋ぐ禍々しいリンクが垣間見えてきます。最近、山下の代わりに露出気味の高村昇というのは長崎大での山下の弟子になりますね。その他の有象無象の「御用学者」はネットで調べれば簡単にわかります。

重松、長瀧、神谷、山下、高村、・・・・彼らは、放射線の被曝影響を小さく見せるための御用学者です。それ以外にも、地震の影響を過小評価して原発の立地にゴーサインを出す地震学者、原発関連だけでも御用学者はたくさんいます。フランスのペルラン裁判と同様、彼らの犯罪は後できっちりオトシマエをつけなければなりませんね。

(参考)今中哲二編「チェルノブイリ事故による放射能災害」(国際共同研究報告書)(技術と人間 1998)

チェルノブイリから広島へ 学者はどうして反論しなかったか『お金が入れば批判なし』重松氏は水俣病の調査責任者で、水俣病被害
【重松逸造】対広島の学者の対立も起きます。
広島県被団協の近藤幸四郎事務局次長は語りました。下「」引用。
「良心的な学者だとか、研究者だったら、放影研へは来ないですよ。だから、あの人がチェルノブイリの調査責任者に選ばれたのは、最初から、ある結論を出させるためだったのではないか、と私は思います」

【重松逸造】がどのようなことをしてきたかも新聞などでも概要は伝えられています。
・「環境庁の水俣病調査中間報告「頭髪水銀値は正常」、論議必至。(一九九一年六月二三日付読売新聞)重松氏は水俣病の調査責任者で、水俣病被害者とチッソの因果関係はないと発表したのです。
・「黒い雨「人体影響認められず」広島県、広島市共同設置の「黒い雨に関する専門家会議」(座長・重松逸造・放射線影響研究所長、十二人)は、十三日、「人体影響を明確に示唆するデータは得られなかった」との調査結果をまとめた。(一九九一年五月一四日付毎日新聞)ここでも重松氏は調査責任者。
・「イタイイタイ病について環境庁の委託で原因を調査していた「イタイイタイ病およびカドミウム中毒に関する総合研究班(会長・重松逸造放射線影響研究所理事長)とし、イ病の発症過程を解明するに至らなかった。イ病では、認定患者百五十人のうち、既に百三十四人が激痛の中で死亡している」(一九八九年四月九日付読売新聞。)
・岡山スモンの記録「スモン研究の思い出。前厚生省スモン調査研究班々長重松逸造。結局は後で原因と判明したキノホルムに到達することができませんでした」重松氏はスモン調査の責任者でありましたが、キノホルムの因果関係はないと発表していたのです。
・九三年一月一三日、岡山県の動燃人形峠事業所が計画している大規模な回収ウラン転換試験の安全性を審査していた「環境放射線専門家会議」(重松逸造委員長)は、ゴーサンを出しました。じつにあらゆる公害問題においての政府・企業の利益になる決定に、重松氏が責任者となっているのが分かります。・・・・


重松逸造の恩師・野辺地慶三の原子力施設からの放射性廃棄物に対する意外な危機意識

重松逸造、肺炎で死去:報道まとめ

重松逸造の訃報に接して 肝心なことは、何も語らずに逃げるように逝った貴方


第5福竜丸事件

実は免責された731部隊は、放射線医療業界にも歴史的につながっています。例えば731部隊、レントゲン班でも致死量を当てる人体実験が行われ、リーダーのひとりであった宮川正は、戦後放射線治療の専門家になりました。第五福竜丸事件の後、福竜丸以外の船員が放射線障害で苦しんでいても、放射線障害ではないだろうという理論を展開し、800あったと言われる被曝船は、一隻とされたのでした。



水俣病

原因が工場排水中の水銀らしいと見当がついた一九五九年夏以降は、熊本大学医学部の研究班は企業や通産省、御用学者の集中砲火を浴びることになる。このため研究班の姿勢は防衛的、閉鎖的になり、患者の認定についても、批判をおそれて限定的、保守的になる。私が水俣病関係者を調べた結論としては、ほぼこの時期で医学の役割はマイナスに転化したようである。一九六〇年代に入ると、熊本大学の研究班の中でも、明らかに水俣病を厄介物あつかいする空気を見せる者があった。その中でごく少数の医師が、原田正純氏のように患者から学ぼうとする。熊本大学医学部研究班が、東大を中心に水俣病をもみ消すために作られた田宮委員会に屈服し、チッソから金をもらって代表団をローマの国際神経学会に送ったのは一九六一年であり、六四年にそれまでの研究をまとめたいわゆる赤本(熊本大学医学部水俣病研究班「水俣病-有機水銀中毒に関する研究-」・編集部注)が用意された段階では、水俣病を否定する医学界本流と熊大医学部の手打ち式は完了していたと見てよい。この赤本にはチッソから費用が出ていることが明記されている。水俣病は終わったとして新しい患者を出さないことも、意識的にとられた方針であろう。一九六三年当時、胎児性患者の認定は例外的なものであることがしきりに強調されていたのを覚えている。(宇井純「集中砲火を浴びた熊大研究班」より)

田宮猛雄について
◆731部隊関連科学者たちの戦後
東京帝国大学にあって、731部隊のための人材スカウトの役目を果たしていた田宮猛雄博士は、1945(昭和20)年4月東大医学部長になった。そして後にリッケチアによる伝染病、かの有名なつつが虫病の研究で世界的名声を獲得する。彼はさらに日本国立ガンセンターの初代の所長になり、日本医師会の会長にもなった。
【『731部隊の生物兵器とアメリカ』
(バイオテロの系譜) 2003年発行
(ピーター・ウィリアムズ / デビッド・ウォーレス=著 西里扶甬子=訳 かもがわ出版)より】
◆京大閥「731部隊」、東大閥「同仁会」
そのころ、東京帝大伝染病研究所(伝研)は激動に見舞われていた。昭和20年9月2日、岡本啓氏(伝研2部)が自分の研究室でガス自殺をし、ついで、昭和20年9月16日、米軍が伝研を接収しようとしたが、これは田宮猛雄所長らの抵抗で阻止するなど大忙しであった。
北野(北野政次・・・731部隊2代目隊長)が東大伝研に現れたとき、最も北野を庇護したのがこの田宮猛雄伝研所長であった。田宮は日本医学界の大ボスで、多くの伝研所員を「徴兵逃れ」を餌に731部隊や同仁会に送り込んでいた。
731部隊の大ボスが京大閥の石井であるならば、当時の軍隊を頂点とする権力構造に、民間の側から医学的に奉仕したのが同仁会である。
【『731部隊細菌戦の医師を追え』(今も続く恐怖の人体実験)高杉晋吾著より】


水俣病Q&A


水俣病


薬害エイズ
薬害エイズ問題の真相について 今井彰さんが語っています


「命の尊さを心に刻みサリドマイド、スモン、HIV感染のような医薬品による悲惨な被害を再び発生させることのないよう医薬品の安全性・有効性の確保に最善の努力を重ねていくことをここに銘記する

千数百名もの感染者を出した
「薬害エイズ」事件
このような事件の発生を反省し
この碑を建立した

平成11年8月 厚生省」

戦後、731部隊第二部隊長だった北野政次、そして防疫研究室を取り仕切り731部隊を国内で支えた内藤良一、そして二木秀雄の三人が共同事業の形で、日本初の血液銀行を設立。 朝鮮戦争の際に米軍がその血液を大量に購入してくれるのであたりまえのように事業は大成功。のちに「ミドリ十字」と命名されたのである。 高度経済成長のなかこの企業は日本有数の製薬会社に成長し、1978年には米国アルファ・セラピュウテック社を買収。 この子会社はアメリカ貧民層の血液を恐ろしく安く買い集めてミドリ十字に送ったのである。これが結果的に、薬害エイズ問題へと発展していったのです。(懇心平等万霊供養塔より)



福島原発事故
福島原発3号機は核爆発だったのか??
山下俊一トンデモ発言


【福島報告】美味しんぼ問題が隠蔽した、より深刻な問題


雁屋氏「冷静な議論をする状況にない」 取材は先延ばし

増山麗奈 監督「ママの約束」~原発ゼロで見つけた本当の豊かさ

声を上げた女性誌②■『美味しんぼ』が描けなかった「福島の切実」

金子勝×室井佑月×大竹まこと:大飯原発差止命令と吉田

2014.5.24 小出裕章氏講演会&伊方とほんとうのフクシマ

2014.5.25 伊方原子力発電所周辺の汚染  小出裕章

小出裕章先生:廃炉カンパニーを分社化=責任を逃れるための汚い手口だと私には見えます

「美味しんぼ」一時休載へ 「表現のあり方を今一度見直す」と編集部見解
・・・一方で、岡山大の津田敏秀教授(疫学、環境医学)は「チェルノブイリでも福島でも鼻血の訴えは多いことが知られています」「『低線量放射線と鼻血に因果関係はない』と言って批判をされる方には、『因果関係がない』という証明を出せと求めればいい」と擁護。「こんな穏当な漫画に福島県の放射線のことが描かれたからといって文句を言う人のほうが、むしろ放射線を特別視して不安をあおっているのではないでしょうか」とつづった。

(転載)
「美味しんぼ」に対する福島県の声明(大本営発表)2014年 5月 12日 カテゴリー: 原発/放射能/被曝

これはもう酷いとしか言いようがありません。福島県がHPで声明を出しています。

本来ならば子どもを危険に晒し、避難させることもなかった「子殺し知事」知事などとっくに昔に失脚していなければならないのに、なんなのですかこれは。

福島県のHPから転載します。

いろいろとツッコミどころが満載なのですが、文中に、科学的知見を取材するよう・・・とありますが、取材した上での実際の事象を元にされた「漫画」です。

実際の事象にもとづいて描かれた「表現の自由」「漫画」にまで口を出してくる福島県、そして日本という国は異常と言わざるを得ません。(以上、転載)

フクシマの嘘 其の弐(隠ぺい・詭弁・脅迫)


鼻血問題・・・公害の立証責任は誰にあるのか? 政府・マスコミ


お母さんのための原発資料展望(10) 鼻血・・・なにが隠されているのか

自治体の首長は国会議員が怖い?・・・鼻血の記録 / 武田 邦彦

【期間限定】 原発大爆発 騙すな 騙されるな Vol.12 岩上安身による


美味しんぼ鼻血問題「被ばくしたから」について。- 2014.05.10


真実を隠す日本政府:福島の放射能で子供や東電社員達が亡くなっている

建設差止め訴訟に揺れる大間原発「フルMOX。つまりプルトニウムをひたすら燃やすためという目的のために造られた原子炉です」


小出裕章先生:プルトニウムを大量に貯め込んで、何とかしなければいけないという所に既に追い込まれた

汚染水 外洋流出続く 首相の「完全ブロック」破綻

日中戦争の遺跡整備、731部隊遺構は世界遺産申請の動き=中国


731部隊!!

「問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。」
【「荒れ野の40年」ワイツゼッカー連邦大統領演説全文(1985年5月8日) より】
ヴァイツゼッカーの演説【独語】1/4




問われる戦争責任!!戦後責任!!
戦争遺跡!「731部隊」

聞こえませんか?「マルタ」の叫びが!!
不帰の門


象徴的な事例をあげてみたい。今はもう無くなったが、数年前には731部隊遺跡の本部楼から「ロ号棟」を結ぶ回廊の一部が残されていて(それは現在も確認できるが)、「煉獄門」(「不帰の門」)と書かれた文章が壁の金網越しに中国語、そして英語、日本語、韓国語の訳が添えられてあった。
これは誰が考えた文章か、筆者は確認することができない。以下、原文のままを再掲する。

これは731部隊が設立した人生の「不帰の門」である。当時たくさんの被実験者は此処を経由して生命の終点に行った。そして生還者が1人もいない。この門の中で飽くことを知らない野心と喪失した人間性とを無情な殺戮が充満したことがある。ただ「人間」として自分の罪を反省する事だけ発見できない。「煉獄門」の前に立って誰かが何かを述べているような感じがする。誰かが悲惨な歴史と未来の平和を述べているような感じがする。


決して正確ではない日本語がここではよけいに現実的な情景として見る者に訴えかける。「被実験者」とは通称マルタのことで、ここを通ったが最後、生きて帰ることはなかった。「飽くことを知らない野心」と「人間性を喪失した無情な殺戮」とは当時の医学の倫理的破綻であろうか。彼らは人道を、罪という自覚を失した集団であった。「煉獄門」の前に立てば、そこから人間の叫びが聞こえる。私もまた耳をそば立ててみた。未来の平和ではなく、憎しみばかりが募った。・・・・・
(『戦争遺跡と歴史認識」』ー「731部隊」遺跡保存活動を通して私が学んだことー田中 寛著より)



夏草をふみしめ遺跡の前に跪(ひざまず)く
オバケ煙突の下、不気味に笑う悪魔の目鼻
ここで焼却されたマルタは虚空に消えた
その無念の粒子を今なお人々は呼吸する
この空間には癒されぬ死の怨霊がくすぶり続ける
だが誰もそのことを声高に語ろうとしない
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より


部隊展感想

展示について
家永訴訟についてのパネルが関心を引いた。

その他
一部の情報しかないが、人体実験についての公開、研究がドイツに比べて大きな開きがあるように感じる。(50才代)

「731部隊展   終わりに」

中国が世界文化遺産登録を目指す45件の中に、731部隊の跡地が加えられた。
同様の遺産として、1996年に広島の原爆ドーム、1997年にポーランドのアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所等が登録されている。決して忘れてはならない、繰り返してはならない人類の経験であり、平和のための遺産である。

原爆ドーム

アウシュビッツ強制収容所

イギリス人ジャーナリストワインマンの『悪魔の飽食』の書評
「『悪魔の飽食』を通じて731部隊の事を知ると、ナチスの強制収容所で行われたことは、よりヒューマン、より人間的であったと見える」(松村講演1 22分経過したあたりより)
731細菌戦部隊と現在 1 慶大 松村高夫




731部隊ボイラー室

日本は、かつて侵略戦争によって、中国やアジアの人々に多大な犠牲を強いた。現在も、731部隊の被害者を含めて、戦争の被害者や遺族は日本に責任を取るように訴えているが、日本政府は無視し続けている。
731部隊が戦争犯罪に問われなかったことの影響はとても大きい。
医学者が協力して設定した、原爆被害者や公害・薬害被害者の「認定基準」は、多くの被害者を切り捨てるための基準となっている。医学者の犯罪は戦前・戦後を通じて続いている。
731部隊跡地は、間もなく世界遺産に登録されるであろう。日中戦争中に、日本が中国に造った部隊施設が、なぜ世界遺産に値するか、731部隊を知らない人には不思議なことかもしれない。外国からも多くの人々が見学し、その眼で日本人を見るだろう。
「日本と日本の市民には歴史に関する記憶喪失があるとの国際的風評がある」という。日本人にとって、731部隊跡地の世界遺産登録は、日本軍による人体実験や細菌戦の意味を考える絶好の機会になる。

日本の2医療団体代表団、731部隊遺跡を見学=被害者名記された通路に献花―中国メディア

2014年5月4日、新華網によると、日本の全国保険医団体連合会と全日本民主医療機関連合会による訪中団26人が、黒竜江省ハルビン市の旧日本軍731部隊遺跡を見学した。

日本の医療従事者や大学の教員で組織された訪中団は、陳列館を見学したあと、人体実験の被害者の名前が書かれた通路に献花した。メンバーの多くが、「15年戦争と日本の医学医療研究会」の会員だという。

京都民医連中央病院の吉中丈志院長は、訪問の目的について、「過去の戦争医学犯罪について実地調査し、来年に開催される日本医学総会に提案書を提出するため」と話した。

吉中氏は「日本の医学界は731部隊が行った細菌戦に否定的態度を持つべきではない。歴史を正しく認識し、将来に向かい、細菌戦の歴史を認め、勇気を持って過去の傷跡を明らかにすべきだ」と指摘した。

代表団の加藤擁一団長によると、今回の代表団メンバーは医学論理を研究すると同時に、戦争中の医学犯罪の課題を共同研究することで、日本の軍国主義の台頭と戦争での化学兵器使用に反対することを主張している。

15年戦争と日本の医学医療研究会は、1931年から45年までの中国との15年間の戦争をめぐる日本の医学医療問題を研究する民間団体。旧日本軍が医学的手段で中国人を迫害した事実を重点的に研究している。

旧日本軍731部隊は1932年にハルビン市に開設された生物兵器の研究・開発機関。ペストやコレラなどを用いた生体実験を行い、中国やソ連、朝鮮、モンゴルなどの戦争捕虜や健康な市民ら1万人余りを死に至らしめた。(翻訳・編集/NY)

2013シンポ731吉中講演



続きは「ノブのノート」

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