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2013-07-12 06:09:07 | Weblog
No more war!
No more 731!
No more Nanking!
No more Fukushima!



茨城沖のスズキ1000ベクレル超


茨城県北部の日立市沖で採取されたスズキから、1キログラム当たり1000ベクレルを超える放射性セシウムが検出されました。
おととしの原発事故直後以来の高い値ですが、茨城県沖のスズキには国から出荷停止の指示が出ていて、市場に出回ることはないということです。

茨城県によりますと、今月4日に茨城県北部の日立市沖で採取されたスズキを検査した結果、国の基準の10倍を超える1キログラム当たり1037ベクレルの放射性セシウムが検出されました。
茨城県沖の魚介類から1000ベクレルを超える放射性セシウムが検出されたのは、原発事故直後のおととし4月に、北茨城市沖のコウナゴから2回あっただけで、今回はそれらに次いで3番目に高い数値だということです。
茨城県沖のスズキは、国から出荷停止の指示が出ていて、市場に出回ることはないということです。茨城県は「事故からおよそ2年4か月が経って高い濃度の放射性セシウムが検出された理由は分からないが、安全な魚を出荷できるよう、検査には万全を尽くしたい」としています。

<柏崎刈羽原発>新潟知事 「誤解」発言の甘利氏に面会要請



まだ、日本には軍国日本の亡霊がたくさんいる!!
そんなに核兵器を作りたいのか?

核のゴミはどうする?
◆小出裕章ジャーナル 第26回【六ヶ所再処理工場について】


原発やめろ!!
安倍政権の原発・TPP・歴史認識で日本は破綻する!!
日本を大きく変えよう!!

国は「国民」を守りはしない!!守るのは皇居だけ!!
被曝者の声を聞け!!(井戸川前町長、渾身の訴え!!)
井戸川克隆さん、東電本社前・テント前・官邸前で訴える!!



日本の政治は重症だ…日本を破滅に導く可能性=中国報道
中国網日本語版(チャイナネット)によると、中国軍事科学院の武養浩氏はこのほど、日本の政治は病にかかっており、最終的に壊滅的な深淵に陥る恐れがあると主張した。以下は同記事より。

**********

日本は9日に2013年度の防衛白書を発表し、中国の動向が地域・国際社会の懸念事項であると勝手な物言いをした。日本はこの3日間、無責任な発言を繰り返しており、世界(特にアジア諸国)は警戒を強める必要がある。

安倍首相の非常識な暴論は、彼が重症にかかっていることを証明するだけだ。日本の新たな防衛白書は「中国の脅威」を誇張したが、これは安倍首相だけではなく、一部の日本の政治家も病にかかったことを裏付けている。

敗戦後、日本には一度も健全な政治的雰囲気が存在したことはない。保守派の自民党の長期的な政権運営は、表面的に安定しているように見えたが、その裏側には無秩序と混乱があった。自民党は右翼分子の間違った行為を見て見ぬふりし、密かに力を蓄えさせた。日本国内の右翼分子はこれまで戦争の罪の反省を拒み、軍国主義の復活を試みているが、カイロ宣言、ポツダム宣言、平和憲法などの法的文書を恐れ、回避や言い逃れといった手段を講じ、戦争の罪の責任逃れをしている。

例えば南京大虐殺、慰安婦、細菌戦などの歴史的事実を否定し、日本は歴史の重荷を下ろし、戦争に注目しすぎるべきではないとした。安倍首相の今日は、右翼の先輩の下地があってこそだ。

日本の現在の政治混乱は、すべて内生的・自発的なものだ。この20年間の日本経済の低迷により、政治家は中国に対する強硬な態度こそが、より多くの政治資本を勝ち取る手段であると感じている。彼らは「中国脅威論」を誇張し、右翼の主張を対中外交政策の基調とし、今日の政治家を「狂気じみた発言を繰り返し、傲慢不遜な態度を取る」の局面に至らしめている。

安倍首相は再任後、非常に無責任な言行と頑なな外交政策により、日本を誤った道に陥れている。日本は将来的に、ブレーキを失ったトラックのように暴走し、最終的に壊滅的な深淵に陥る恐れがある。(編集担当:米原裕子)

浦邉 力 さん 「デッドマン」 (4)



731部隊からフクシマまで、日本医学界は何の反省も無く医療が続けられている!!


薬効のデータに“操作の疑い”
大手製薬会社「ノバルティスファーマ」の高血圧の薬の効果を調べた複数の大学の臨床研究にこの会社の社員が関与し、研究結果に疑問が投げかけられていた問題で、京都府立医科大学の調査委員会は、データに何らかの操作があった疑いがあるとしたうえで、ほかの薬より脳卒中や狭心症を減らせるとした臨床研究の論文の結論には誤りがあった可能性が高いとする調査結果を発表しました。・・・・・・

日中戦争の最中、国家総動員法が施行され、医学界から多くの優秀な人材が731部隊にも行った。そこで人体実験を繰り返しながら、細菌兵器の開発を進め、中国各地で細菌戦を行い、多くの中国人や日本人にも被害を出した!!敗戦直前に、天皇の責任が問われないよう証拠湮滅のため部隊は破壊され、部隊員はいち早く日本へ帰国した。上級幹部は、アメリカに研究データを引き渡し、戦犯免責を受け、アメリカの細菌兵器開発に協力し、東京裁判にはかけられなかった。
1945年8月6日や9日の原爆投下には、医学者が動員され、天皇制護持するためのカードとして、アメリカの喜ぶような原爆の威力を示す被害調査が行われ、患者の治療はほとんどされなかった。8月のうだるような暑さの中での原爆投下の惨状は、本当に生き地獄であった!!
医学者たちは、被害調査に没頭し、ほとんど被爆者の医療がなされていないとは驚きだ!!
その中で、治療とは関係ない人体実験が行われ、もしかしたら生体解剖もされていたのではないかと疑ってしまう!!
また、731部隊上級研究員たちは、医学界で出世し、重要なポストに坐ったため、731部隊の非人道的な行為は反省も謝罪もされなかった。 戦後も、人体実験が行われ、それが世間に知られるようになると、社会問題になることもあった。
1954年の水爆実験では、元731部隊員の宮川正が被曝した漁船800隻のうちの1隻「第5福竜丸」だけを問題視し、放射能の影響を過小評価した。
また、
水俣病では、田宮委員会が、水俣病をもみ消し走った。
「薬害エイズ事件」では、元731部隊員内藤良一の設立したミドリ十字が問題となった。
今回の福島第一原発の事故も、健康被害の調査は表面上は行われているが、治療は行われていないのではないか?
長崎大学の山下俊一を福島県立医大の副学長として派遣し、とんでも発言を繰り返し、問題を起こしている。
山下俊一トンデモ発言



731部隊を隠蔽する目的の取引!NHKスペシャル 封印された原爆報告書

封印された原爆報告書



資料を早く公開してほしい!!
日本の医学界は戦後731部隊での残虐な行為を反省することもなく、謝罪もしていていない!!
これでいいのだろうか?



731細菌戦部隊残党と長崎大学の放射線医学者たち 福見秀雄・青木義勇と長瀧重信・山下俊一

一時中止どう説明 広がる戸惑い 子宮頸がんワクチン、県内市町村

パネル集「戦争と医の倫理」


日本人中国抑留の記録7(アヘン・731・無人地区)

発行「戦争と医の倫理」の検証を進める会
発売三恵社より



731部隊の人体実験・細菌戦の実態がわかる動画3本
知ってるつもり 731部隊


闇に消えた虐殺~731部隊・細菌戦の真実(テレビ朝日「ザ・スクープ」、1997年8月


黒い太陽731部隊


これまで、「証拠がない」として細菌戦の実施を認めてこなかった日本政府の根拠が、崩れた!!
生物兵器による攻撃についての新資料
発行「戦争と医の倫理」の検証を進める会
発売三恵社より



アメリカ(占領軍)は帝銀事件の捜査に圧力をかけた!
やはり、犯人は特務機関(731部隊員か陸軍中野学校等)の人間か?
日本政府は、何時まで731部隊の資料を隠蔽するのだ!!

帝銀事件とは?
731細菌部隊と帝銀事件との真相1

"戦後最大のミステリー"「帝銀事件」(1)

"戦後最大のミステリー"「帝銀事件」(2)
"戦後最大のミステリー"「帝銀事件」(3)

(参考)高杉晋吾が語る「戦争・原発!!」
20130316 UPLAN 高杉晋吾 国策としての731部隊と原発




若松孝二監督を偲ぶ!!
若松監督、次作構想に「731部隊」あった…三女が明かす
「あさま山荘事件」実行犯を捜して(1)

「あさま山荘事件」実行犯を捜して(2)


若松孝二監督「17歳の光と影」(1)

若松孝二監督「17歳の光と影」(2)
若松孝二監督「17歳の光と影」(3)
若松孝二監督「17歳の光と影」(4)
若松孝二監督「17歳の光と影」(5)



(番外)
よど号ハイジャック事件(49年目のスクープ)
よど号事件40年目の真相2
よど号事件40年目の真相3

IMAGINE 9
04
想像してごらん、
武器を使わせない世界を。

Imagine,
A world that doesn't
let weapons be used.

文 星川淳、河崎哲 合同出版より


●ドイツと日本の違い
ドイツの医学会の謝罪や脱原発はドイツ国民が「生命への畏敬の念」に目覚めたからか?
ドイツ精神医学会の反省



それに引き換え日本の派遣社員の現状は「お前のスペアはいくらでもいる。いやならやめな!」
会社に掲げられた標語には「かけがえのない一人ひとりを大切に!」
かつて軍人勅諭にこんな言葉があったっけ!!
「死は鴻毛よりも輕しと覺悟せよ!!」、
人間を人間として見ずモノとして扱う体質!!

ワタミ・渡辺会長「365日24時間死ぬまで働け」について。- 2013.06.06

「ブラック企業大賞」候補発表~ワタミなど8社


日本医師会の歴史認識
Unit 731: Japan's biological force

王選と日本人の友人達 part1



カスタマー・レビューより
第二次世界大戦時の医師の責任を問う, 2002/4/29
レビュー対象商品: 人間の価値―1918年から1945年までのドイツの医学 (単行本)

現在この「人間の価値 -1918年から1945年までのドイツの医学-」は、ドイツですべての医学生に読むことが義務付けられている(?)著書だ。この著書はドイツでの同名の展示会のおりに刊行された書物(カタログ)の中心的部分をまとめたものである。
著書の中で、ドイツ人医師が身体障害者、ユダヤ人、ポーラがンド人、精神薄弱者、遺伝病の子供などを、ナチズムという名のもとにおいて公然と人体実験、殺戮した罪を問う。
この著書が出版されたのは1989年と戦後から44年も経っている。著書によると、1945年から西ドイツでは、中途半端な「非ナチ化」かしか行われてこなかったが、民主主義が成熟し、1980年代になると個人、社会に戦争責任が問われるようになる。 この著書はドイツ人自らが行った過去への反省と、未来への固い誓いとも言えるだろう。
最近、日本でも医療問題や、戦争に回帰するような発言や動きが絶えない。こんな時代にこそ誰もが読んでほしい著書だ。 

『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学

Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳

1938年11月9日*を思う
*「水晶の夜」 
*「水晶の夜」

ベルリン医師会の声明

ベルリン医師会はいま、ナチズムの中で医師層がはたした役割と、忘れることができない犠牲者の苦しみを思い起こす。医師組織を結成する我々は、我々地震の過去とナチズムに関与した医師の責任を問題にしないわけにはいかない。

ナチス政権掌握の何年も前から、医師たちも人間の社会的差別と少数者の迫害を奨励する思考をはっきりもっていた。遺伝優生学や人種的遺伝体質、遺伝的に劣る人間、人生の余計者、生きる価値のない人生、といった思考であり、ナチス保健政策の基礎を築いた思考である。これが社会的に自明のものとされ、差別を正当化したのである。それが人間の絶滅を可能にしたのである。

ユダヤ人の医者は「アーリア人」の治療をすることが許されなくなり、1938年、法律によって、彼らの新規採用と開業が禁止され、また彼らの既得の営業許可が消滅されられた。ユダヤ人および異なる思想を持つ人々が排除されたことに対して、同僚の医師サークルやその団体からはほとんど抗議の声が挙がらなかった。

医師たちは「遺伝病の子どもの出生を予防する」法律を準備するのに関与し、無数の病気の人々、身体障害者に対する不妊。断種手術をおこなった。

医師たちは選別と殺戮の官僚機構に協力した。専門家として彼らは選別の鑑定を行い、国家医療行政機構に協力して、強制収容所へ患者を移送させた。

医師たちは「安楽死病院」で働いた。彼らによる「認定」がヨーロッパのユダヤ人の工場的規模の殺戮の基礎になった。

医師たちは強制収容所、研究所、大学病院で残酷な人体実験を行った。

ごくわずかの医師たちが彼らのキリスト教的、社会主義的、共産主義的世界観にしたがって抵抗したにすぎない。

ベルリン医師会はその過去の重荷を負う。我々は悲しみと恥を感じている。(以上)

■亡命医師たち
国外に遂われたユダヤ人医者、社会主義の医者たちは、彼らの以前の同僚たちの「生徒のように従順になることに陶酔しているさま」、「品位喪失露出狂」を見て驚いた。「この、これみよがしの原始性、自己の意見を述べることを意識的に諦めるこの態度、命令された画一化を誇りにするこの態度、このビザンチン主義、これは、もはや単なる偽瞞と説明するだけでは説明しきれない。ここで問題になっているのは、心理学的現象である。彼らが自分では認めない羞恥心、無意識の中で待ち伏せしている不安、それがこの熱狂的な奴隷たちの陶酔である。」
かつての故郷が野蛮化するのを手をこまねいて傍観しないため、プラハに亡命した社会主義医師連盟の医者たちは『国際医師報告』を創刊した。同誌は1934年から1939年まで刊行され、ドイツ国内に非合法裡にかなりの部数が配布された。徴発された『ドイツ医師会報』やその他の専門誌はこれに対する激怒の論評を載せずにはいられなかった。「世迷いユダヤ人の憎悪の歌」「虚偽のローラー」「亡命者どもの誇大なわめき」と各誌は『国際医師報告』を呼んでいる。

第1次世界大戦(1914年~1918年)

ドイツ精神医学会の謝罪
ドイツ精神医学会は公式に謝罪しました。では、日本の精神医学会は



●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開?/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!

ヴォートリン
ヴォートリン
難民キャンプとして
(1938年1月14日~3月31日)
1、都市と農民の状態
 自治政府機構が1月1日に、日本の国旗の傍らに立てられての、かつての五色旗の下に発足しましたが、2番目の政府の設立へとつながってきました。3月15日にと予定されていたのが、結局3月28日に完成しました。唐紹儀が新しい政府の首脳になると、報道されていますが、就任式には出ていませんでした。この新しい政府が、北平が設立させたのと、いったいどういう関係になるのかは、確かには分かりません。ある人たちが、ここのが向こうの政府に取って代わり、中国のやがての中央政府になるのだと、言っているかと思うと、ほかの人たちが、ここのは北の政府の下につくのだと、教えてくださり、さらにまた他の人たちは、2つの政府がそれぞれに独立してるのだと、言っています。マックリン博士やボウエン博士でしたら、新しい政府の人たちをわたしたちよりもずっとよくご承知でしょうが、その多くは一世代前の方々で、新中国では活動的でない男の人たちです。



ジョン・ラーベを記念するラーベ平和賞授賞式、オーストリアで開催



档案:\x{8fd8}原1937南京浩劫---南京大屠\x{6740}(上)





中国各紙、好意的に報道 鳩山氏の南京大虐殺記念館訪問

「河村市長を訴える」再度の南京大虐殺否定発言で生存者が怒り=中国
脱原発

◆小出裕章ジャーナル 第26回【六ヶ所再処理工場について】  2013年07

【予告編】六ヶ所村ラプソディー 鎌仲ひとみ監督作品

核サイクル "原子力が支える村"...六ヶ所村の真実

核のゴミ抱える村 青森・六ヶ所村の現実

六ヶ所再処理工場の現場は...「核燃料サイクル」見直しの行方

核燃サイクルを何とか「留保」にしたい事情

「ブラック企業大賞」候補発表~ワタミなど8社

生活保護減額で就学援助減少か 対象外の子増える恐れ

七夕短冊 「安倍さん、核や命を危険にさらすものは子供に持たせたくありません」

2013.4.20 広瀬隆さん講演会 in 高知 1/2

向き合う

憲八おじさんとタマ001

憲八おじさんとタマ002

憲八おじさんとタマ003

憲八おじさんとタマ004

荻上チキSession22 神保哲生「自民党の憲法改正案」2013.07.03

自民改憲草案 危うい表現の自由 (東京新聞)


総理大臣が立憲主義からの離脱を表明しても問題にならない国

それでいいの?(;`O´)o立憲主義からの離脱を表明!?



尖閣問題!!

<尖閣>野中氏「棚上げ」発言を古賀元幹事長が擁護

「歴史に対し真摯に向き合うべき」鳩山氏、日本政治家の過激な言動に喝!―韓国メディア

<尖閣問題>日中間に「棚上げで暗黙の了解があった」=瀬野・前重慶総領事が明言―野中発言裏付ける

<尖閣問題>米オバマ大統領、「尖閣聖域化」働きかけへ=米中首脳会談の主要テーマに―米外交筋

菅長官、野中氏の「尖閣棚上げ合意」発言に不快感

「尖閣棚上げ合意」はあったのか 野中「生き証人」発言が論議呼ぶ

野中氏、日中間で尖閣棚上げ合意あったと言及 政府と異なる見解(13/06/04)


野中広務氏、中国の尖閣番組で謝罪


安部首相は、北朝鮮の拉致問題には熱心ですが、お祖父さんがやった拉致問題については全く無視していますね!!

中国人強制連行問題!!

安倍首相の祖父岸信介が法案をつくり、政府は1942年「華人労務者内地移入に関する件」を閣議決定した。

この「強制連行」を策定した岸信介(当時、商工大臣、A級戦犯)は戦後首相になったが、この国の意識レベルを示している。


中国人強制連行1


「Suopei」(賠償)より



●731部隊
昭和天皇・安倍首相の祖父・岸信介、東條英機等は、731部隊の設置認可に大きく関わっていたのではないか?


岸信介の略歴抜粋(ウィキペディアより)
1936年(昭和11年)10月に満州国国務院実業部総務司長に就任して渡満。1937年(昭和12年)7月には産業部次長、1939年(昭和14年)3月には 総務庁次長に就任。この間に計画経済・統制経済を大胆に取り入れた満州「産業開発5ヶ年計画」を実施。大蔵省出身で、満州国財政部次長や国務院総務長官を歴任し経済財政政策を統轄した星野直樹らとともに、満州経営に辣腕を振るう。同時に、関東軍参謀長であった東條英機や、日産コンツェルンの総帥鮎川義介、里見機関の里見甫の他、椎名悦三郎、大平正芳、伊東正義、十河信二らの知己を得て、軍・財・官界に跨る広範な人脈を築き、満州国の5人の大物「弐キ参スケ」の1人に数えられた。また、長州出身の同郷人、鮎川義介・松岡洋右と共に「満州三角同盟」とも呼ばれた。

東條内閣の閣僚時代

内閣総理大臣東條英機(最前列中央)ら東條内閣の閣僚と岸(前から2列目左から2人目)

伍堂卓雄商工大臣が当時の商工次官だった村瀬直養の反対を押し切って岸の次官起用を決定し、1939年(昭和14年)10月に帰国して商工次官に就任する。その後、商工大臣に座った小林一三と対立、直後に発生した企画院事件の責任を取り辞任する。1941年(昭和16年)10月に発足した東條内閣に商工大臣として入閣。太平洋戦争中の物資動員の全てを扱った。1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙で当選し、政治家としての一歩を踏み出した。1943年(昭和18年)、戦局悪化への対応として商工省が廃止され軍需省へと改組。軍需大臣は東條首相の兼務となり、岸は軍需次官(無任所国務相兼務)に就任。半ば降格に近い処遇により、東條との関係に溝が生じた。


続きは「ノブのノート」で
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