日中国交正常化40周年
問われる日本政府の隠蔽体質!!
問われる日本人の歴史認識!!
「731部隊のすべて~人体実験・細菌戦~」
(2012年4月15日東京ウィメンズプラザ・ホール)
「悪魔の飽食」
人体実験被害者遺族の証言
細菌戦被害者の証言
細菌戦の研究
新資料発見者 奈須重雄さんのお話
松村高夫(慶大)さんのお話
(日本軍の毒ガス被害)日本の被害者は救済するが、中国の被害者は救済しない?
茨城県に賠償命令=神栖ヒ素汚染で2826万円―公害調整委
遺棄毒ガス敦化被害事件、不当判決!!
遺棄毒ガス問題について
周桐さん・731記念館館長のお話
最後の挨拶
日本政府は731・南京大虐殺等の戦史資料及び、福島原発事故当時の官邸議事録を公開せよ!!
日本は唯一の被爆国であり、広島・長崎では核兵器廃絶のアピールが毎年盛んに行われていたが、今度はその日本が、放射能汚染の加害国になってしまった!!
原発輸出反対!!
日本政府は、先の侵略戦争を真摯に反省し、アジア・日本の被害者に対し謝罪すべきである!!
遺棄毒ガス兵器の処理を急げ!!
きけ!!「マルタ・アジアの被害者」の悲痛な叫び!!
「怨」
No More 731!! No More Nanking!!
No More Noborito!! No More War!!
No More Fukushima!!
武器よ!原発よ!さらば!!
沖縄の米軍基地撤去!!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)
9条を世界に!!
新しい日本!!
世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!!
昭和天皇の戦争犯罪・戦争責任を問う!!
政府は戦史資料を全面公開せよ!!
原発・軍事偵察衛星・次期主力戦闘機・リニア・スパコンは要らない!!
税金を震災復興に回せ!!憲法9条が泣いている!!
※リニアモーターカーは膨大な電力を食い(原発3基分)、福島第1原子力発電所の事故ではスピーディー(スパコン)で計算されたデータは全く生かされなかった!!
沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。
城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!!
ふるさとを返せ!!自然を返せ!!
日常を返せ!! 脱原発!!
日本は、“平和を愛した?”「昭和天皇」・“原子力の未来を明るく描いた”「鉄腕アトム」・“アメリカと結託して原子力を推進した”「中曽根・正力」・“今現在でも原子力を推進しようとする「石原」に騙され続けているのでは?と強く思う!!
●731・原爆・原発
封印された原爆報告書
原爆投下 活かされなかった極秘情報
天皇制維持条件にポツダム宣言受諾
ソ連は、アメリカの原爆投下の意図が日本を単独占領し、ソ連を脅して戦後世界政治の指導権を確保することにあると察知しました。ヤルタ協定で約束した対日参戦の時期を早め、8月8日、日本に対する宣戦布告を通知して、ソ連軍は9日未明から中国東北部(旧満州)と樺太への進攻を開始しました。ソ連を仲介者として戦争終結を模索していた日本の戦争指導者たちはポツダム宣言受諾を余儀なくされました。しかし、その通告を行う余裕もなく、2発目の原爆が長崎に投下され「この世の生き地獄」が繰り返されてしまいました。
8月9日の御前会議で、軍部は広島に投下された爆弾を原爆とは認めず、戦争継続を主張しましたが、国体護持を条件にポツダム宣言受諾は決まりました。8月10日、日本政府は「天皇の国家統治の大権に変更を加えるいかなる要求をも包含していないという諒解の下に」ポツダム宣言受諾を申し入れました。この申し入れに対し、当初、アメリカのバーンズ国務長官は、70%の米国民が天皇を戦争犯罪人として何らかの処罰を望んでいることを理由に、承認に反対しました。けれども、バーンズは、進攻を始めたソ連が日本本土に到達し、日本の占領管理に発言権を要求するようになることは、アメリカの利益を損なうというスチムソン陸軍長官の意見を受け入れて、暗に占領下の天皇存続と将来の天皇制存続の可能性を示した回答文を作成しました。この回答文を受け取った日本では8月14日の御前会議で、天皇が「敵は国体を認めると思う」として、軍部の反対を退けてポツダム宣言受諾を決めました。
こうした経過をたどってみると、アメリカ政府の原爆投下は戦争終結を早めるためだったという原爆投下正当化論は歴史的真実ではありません。
731部隊と山下俊一
731細菌戦部隊残党と長崎大学の放射線医学者たち 福見秀雄・青木義勇と長瀧重信・山下俊一
山下俊一トンデモ発言
山下俊一のお師匠さん、重松逸造とは?
広瀬隆氏が山下教授や高木大臣、東電幹部らを刑事告発
長崎大学:チェルノブイリ原発事故と甲状腺がん
このスライドはベラルーシ共和国のがん登録数で、年齢別に手術された甲状腺がん患者10万人あたりを年次推移としてあらわしたもの。
ここで、福島原発事故後に福島県の放射線健康リスク管理アドバイザーに就任した山下俊一・長崎大学教授がチェルノブイリ原発事故後10年をピークに、被ばく時年齢0から15歳未満の甲状腺がん手術数が激増していると解説している。
山下教授は、アドバイザーに就任以降、後に計画的避難区域に設定さた福島県飯舘村で行った講演等で、「健康へのリスクは低く、心配する必要はない」などと発言しているが、飯舘村はベラルーシの強制移住の基準を超えている。
【177】専門職が立ち上がって欲しい(1) 医学の良心と医師の倫理 / 武田邦彦
これを隠蔽と言わずして何を隠蔽と言うのだろうか 子供さんの甲状腺腫が深刻だ
原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~
日本の原爆開発:核兵器開発競争? 鳥飼行博研究室
原子力村をぶっつぶせ!!原発の再稼動を許すな!!
福島(日本)の現実①
【282】 形式論 ... 日本は原発先進国 ? / 武田 邦彦
20120510 たね蒔きジャーナル 京都大学原子炉実験所助教 小出裕章
幸せの閾(しきい)値はどこから??
●731部隊
「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
解説
―この作品の信憑性について―
編集部 竹村 一
(3)
何も知らない普通部隊の軍医は献身的に、この流行病の蔓延を食い止めることに、日夜それこそ寝食を忘れたのであった。軍医として中国に派遣された医者は、原因不明の流行病が急速に蔓延した事実を思い起こすであろう。
満洲三不管でペストが発生し、日本人の良心的な医者を中心に、防疫に不眠不休で働くさまが、山田清三郎氏の「明けない夜はない」(理論社刊)に詳しく書かれているが、山田氏が後に正しく知ったように、これは、細菌部隊の謀略であった。ただし三不管のペスト流行は、731部隊ではなく、長春にあった100部隊の謀略だと思われる。
①の飛行機よりの撒布と②の細菌爆弾の投下は、実験上、あまり効果が無く、実戦には、ほとんど使用されなかったという。これらは、まだ研究途中であった。もう2、3年戦争が続けば完全に成功したといわれる。当時の段階では、この2つには、次のような実戦上困難があった。これらの方法によると、菌の力を、すなわち伝染力をどうしても、弱めた。細菌爆弾の使用は、爆発の際の高熱のため、細菌がほとんど死滅し、わずかに生き残った細菌も、著しく菌力が落ち、これは全く効果が無かったと思われる。あるいは、飛行機による石井式細菌撒布布器による、ペスト菌、コレラ菌を含む液体の、高度2000メートルぐらいの上空からの撒布も、あまり効果が無かった。普通の細菌は、直射日光にあたれば、ごく短時間で死滅し、また土地や空気が乾燥している場合、なかなか繁殖できないのである。ことに実験室で培養した細菌は、自然に繁殖した細菌よりも菌力も弱く、凍地や水の中でも、死なないだけで、人間に伝染する菌力を保つのが困難であった。湿気が多く、気候、温度があらゆる点で細菌の繁殖に適している場合でも、地面がしめる程度に濃く、大量にまかなければならなかった。幸運にも、この無辜の人民大量虐殺の方法はまだ完全に成功していなかった。もっぱら謀略による手工業的方法によっていた。
※ここでは細菌兵器はあまり効果が無かったと書かれてあるが、実際は中国で細菌兵器を使用し、多くの犠牲者を出した!!
日本「731部隊」の細菌戦で2万6000人がペスト菌感染
「政府は細菌戦の資料公開を」中国の被害者遺族ら会見
旧日本軍、中国で細菌戦 陸軍の極秘公的文書に記述
細菌戦の新発見資料について
▼金子論文はこちら(PDF 14MB)
細菌兵器は実戦に使われた!!友軍に被害を出し、陸軍首脳部の信頼を失う!!
七三一部隊の簡単な歴史 常石敬一より
翌年、一九四〇年秋になって石井たちは中国中部の寧波その他を、さらに一九四二年まで中国中部の各地で生物兵器の実戦試用を行った。中国政府は一九四二年三月三一日、中国保健省金長官名で「中国における日本による細菌戦の企て」という、日本の生物兵器の使用を非難する声明を発表し、重慶駐在の各国大使館に送り付けている。この文書は在重慶の米国大使館からワシントンの国務省に送られた電報の同封文書として米国国立公文書館に保管されている。日本が中国各地で生物兵器を使用しているという中国の主張に対して、当初米国は「根拠のない申し立て」として取り扱っていた。しかしその後一九四四年の末になると米国も捕虜とした日本兵の尋問を通じて、日本による生物兵器の実戦試用を確認する。
日本は一九四二年の秋以降、中国での生物兵器の実戦試用を中止する。それは中国側に生物兵器の使用を見破られたためではなく、その年の中国中部での試用で日本軍が汚染地域に入り、一七〇〇人以上の死者を出すという、大失敗をし、陸軍首脳部の信頼を失ったためだ。この死者一七〇〇人以上という数字は、前記の日本人捕虜が尋問で米国側に答えているものだ。
戦時中からアメリカは731部隊を調べていた!!
100部隊
こんなにもあった細菌戦部隊
※731部隊は、ホルステン河に細菌をまき、日本兵を感染させ治療し感状を貰った!!
(731部隊の治療実績を陸軍に見せつけ、陸軍内での石井四郎の発言力・影響力を強めた!!)
ノモンハン事件・石井の野望 2
戦時中、普通の軍医・医学者が行なった生体解剖
太行の麓をしのんで -生体解剖-
湯浅謙
九州大学生体解剖事件
731部隊8月9日 証拠湮滅・日本帰還!!
<731部隊>関係者リストの作成作業に協力要請
医学界とは731部隊そのものである
※アメリカは中国における日本軍の情報を集めていた。
南京大虐殺・重慶などの都市の無差別爆撃、毒ガス戦・大規模な細菌戦などの残虐行為に対して、今度は報復に出た。
※満州の満人をはじめ、農安県でも731部隊は細菌をばらまき、多くの人々を殺し、家々を焼き払った。これも、細菌が自然発生したように見せかけた謀略であった。
フェル・レポートによればPX(ペスト菌を保菌しているゲオプスネズミノミという兵器)を使用した細菌戦は12ケ所で行われ、一次流行したら二次流行と続き多くの犠牲者を出した。
今現在でも中国でこの細菌戦の調査が行なわれている。また、他の病原菌を使った細菌戦やゲオプスネズミノミ以外のペストノミを使用した細菌戦もあったようだ!!(『731資料センター会報第2号』を参照・・・ノブ)
※・・・加えて、フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領が、1943年には、日本の細菌兵器及び化学兵器による攻撃を非難する声明を出した。ルーズヴェルトは、「日本の武装勢力によって中国の様々な場所で有毒ガスが使用されているとの信頼すべき報告が当政府に届いている」と言明した。彼は次のように警告した―。
もし、日本がこの非人道的な戦闘方式を、中国に対してでも他のどの連合国に対してでも採用し続けるならば、当政府はそのような攻撃を、アメリカ合衆国に対して行われたものとみなし、全身全霊をかけて最大限の報復を日本に対してなすであろうことを、間違いなく明確にしておきたいと心から願うものである。
ルーズヴェルトは、彼の警告を以下の言説で締め括っている―「我々は完全な懲罰を強制する準備をしておかなければならない。日本には(国際)責任が発生するであろう」
(『死の工場』シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 P139)
731部隊員の証言 1
細菌戦の新発見資料について
精魂塔(表)
精魂塔(裏)
精魂塔(これは一体誰を供養しているのだろうか?裏側は何か消したようにも見える!!)
731部隊・細菌戦(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
黒い太陽731部隊
殺人工廠(1)
731の最後 死亡列車0
「前事不忘 後事之師」(前の経験を忘れず、後の教訓とする)
“戦争を語る”人々
戦犯たちの戦後
証言ー侵略戦争1
北朝鮮による拉致も大きな政治課題だが、戦時中に日本軍が行なった大規模な強制連行(拉致)に対しては戦後日本はきちんと対応したのであろうか?
中国人強制連行1
中国に咲いた一輪の花!!
朝日新聞より 2011年7月9日15時30分
中国の731部隊跡地に謝罪の碑
日本人の募金で設置731部隊の旧跡に建てられた日本人の募金による記念碑=9日、ハルビン、西村写す
(日本政府が正式に謝罪すべきだ!!)
罪の重さを思うと言葉で「謝罪」は表せない!(ABC企画NEWSより)
7月9日、ハルピン市平房区、731部隊本部遺跡内に建立した碑・『謝罪と不戦平和の誓い』除幕式典で、日本側代表挨拶を終え、壇上から降りた矢口仁也は“ああするしか思いつかなかった”とつぶやいた。
今日、私たちはこの日を迎えるに当たって、これまでの道のりを回顧すると、裁判闘争に限界を感じ、日本政府の歴史認識の曖昧さに落胆し、怒り、“せめて市民の手で「謝罪」の碑を建てよう!”と決意し2004年、名称も碑文も決まらないまま『殉難烈士慰霊碑』(仮称)建立募金の呼びかけを開始した。
名称『謝罪と不戦平和の誓い』、わずか4行の碑文に加害者としての謝罪の言葉を記すことの難しさは6月、石碑に文字を刻む作業直前まで迷い続けた。私達の思いは果たして被害者の心に届くのであろうか?一抹の不安を抱えながら迎えた除幕式であった。
「731部隊によって虐殺された3000人以上の烈士の皆さん、夫を、父を、息子を奪われた遺族の方々、そして731部隊に住処を奪われ「労工」として強制的に働かされた多くの罪なき人々、1人1人にどの様に謝ればよいか申し上げるべき言葉はありません。」と言って矢口代表は碑の前にひざまずいた。参列者の私たちも思わず頭を垂れた。この謝罪碑は、731部隊によって亡くなった方々への謝罪と同時に、日本の侵略戦争によって侵された全ての犠牲者に対する謝罪の気持ちを込めた碑でもある。
落成式に参列したペスト被害者の故靖福和夫人、『特移扱』被害者遺族の朱玉芬さんは「市民の皆さんが建てた謝罪碑によって多少心が和んだ。皆さんの気持ちに感謝したい、しかし、それでも日本政府には是非謝罪を求めたい」と述べた。
新たな気持ちで次の一歩を!
碑を建設したことで“謝罪が終わった。許していただいた”ということではない。15年にも亘る侵略戦争によって語り尽くせないほどの被害を受けた中国人民に対し、世代が変わろうと、加害者である日本人としての責任は果たさなければならない。
私たちはその責任の1つに731部隊遺跡保存があると考えている。731部隊遺跡は平房区の住民にとっては本来“目の前から消えてほしいもの”。その屈辱の遺跡が今日まで保存されているのは住民の皆さん、歴代陳列館長を初めとする区、市、省政府の諸先生方の歴史認識の結果であると思う。彼らの努力に感謝するとともに、今日を新しい出発点として、友好を深め、平和を創造し、子孫の未来のために日本政府が正式に謝罪し、戦後補償を実現するまで私たちは運動を続けていくことを誓う。
今回、国会議員の参列は実現できなかったが、阿部知子衆議院議員、服部良一衆議院議員、今野東参議院議員、斉藤勁衆議院議員、川田龍平参議院議員、笠井亮衆議院議員の6人からメッセージを頂いたことは今後の運動への第一歩ともいえる。
最後に、除幕式開催にあたり特に協力、準備してくださった黒竜江省外事弁公室の諸先生方、金成民陳列館館長と職員の皆様に心から感謝します。
問題提起(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。
一審・二審の判決は、
1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。
ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。
731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。
●戦後の医学界・薬学界・政界
731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!
2009.10.25 「戦争と医の倫理の検証を」(東京保険医新聞)
「戦争と医の倫理」の検証を進める会
●731部隊と天皇
欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
731部隊にも三笠宮をはじめ何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族(竹田宮)もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!
莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!
マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
そのためアメリカは、731部隊員に戦犯免責を与える代わりに731部隊のデータ全てを独占して買い取り、また、上級部隊員をアメリカ軍に協力させ、朝鮮戦争やベトナム戦争に開発した兵器を使用したようだ。
このような流れの中で、アメリカは東京裁判では731部隊の事は取り上げず、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。
アメリカ大使館での昭和天皇(1945年9月27日フェレイス撮影3枚中の1枚)
日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】
●南京大虐殺
日本政府は、戦史資料を公開せよ!!
河村・石原両氏の発言には全くあきれる!!
三笠宮崇仁と南京事件
偕行社の「お詫び」に見る南京大虐殺
23.南京大虐殺の責任(上)
東京裁判 天皇との絡み新たに
南京大虐殺 稲田朋美氏よ 日本人として恥を知れ!(その1:李秀英名誉毀損裁判)
【「南京大虐殺見た人いない」/ 田母神氏が隊員に教育か】
南京【あの発言から2か月】河村市長へのアドバイス(今、本当にできること)
「河村たかし名古屋市長の南京事件を巡る発言」
南京大虐殺74周年、日本は沈黙
南京大虐殺74年で追悼式典 未解決の歴史問題浮き彫り
3月28日 南京に中華民国維新政府成立。南京事件終焉する。
4月 1日 国家総動員法公布。
【南京事件:笠原十九司著:岩波新書より】
「南京事件」143枚の写真
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
マギー
夫人への手紙
(1937年12月12日~1938年2月5日)
元旦にフォスターと僕と、バックの家に招かれた。男はほとんどそこに住まっているんだ。僕が招きを受けなかったのは、僕たち2人とも行ってしまうと、この3つの家を守衛する人がいなくなるからで、それに、僕はもうかなりご馳走のクリスマス・ディナー―僕たちのところから持って行ったガチョウも含めた―を食べたんだ。フォスターもどうしても行くとは言わず、僕に行かせようとしていた(彼はいつも一番いいのを、僕にくれようとするんだ)。そのうちにフィッチが僕に、情況がよくなったからと、行くように勧めてくれ、車で迎えて送れば、時間が節約できると言ってくれるので、それで僕行くことにしたんだ。僕とフォスターには、とってもおいしいご馳走で、僕たちもう長いこと、こんなにたくさん口に合うおかずを食べていなかったんだ。もうすぐおしまいという頃に、範とボーロ董とがあたふたと駆けて来て、日本兵が2人17号で、僕たちの娘さんを追いかけていると言う。言いに来るのに20分かかっていて、僕たちすぐにフィッチの車に飛び乗って、駆けつけたんだが、やっぱり一足遅れてしまって捕まらず、日本兵らがちらっと見えただけだった。兵士の一人は3階まで行ったんだが、そこの娘さんがとても賢く、兵士を上へ行かせといて、自分は逃げたんだ。
侵略の戦場で何があったのか!!
南京戦犯裁判軍事法廷の設立と経緯
南京大虐殺マギーフィルム)1
兵士たちが記録した南京大虐殺1
阳光卫视 纪录片 国殇 第十二集:南京大屠城
●「南京!南京!」が見られる映画サイト
南京大虐殺