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夏さんからのメッセージ!!

2009-02-10 12:29:35 | Weblog

「ラーベの日記」1月29日に出てるのが夏さんの記事だ。
・・・マギーが8歳と4歳の少女を見つけた。親族は11人だったというが、残らず残忍な殺され方をしていた。近所の人々に救け出されるまでの14日間、母親の亡骸のそばにいたという話だ。姉娘が家に残っていたわずかな米を炊いて、どうにか食いつないでいたという。・・・・

東中野氏が「『南京虐殺』の徹底検証」と言う本の中で史料に被害者として登場する「『八歳の少女』と夏淑琴とは別人と判断される」、「『八歳の少女(夏淑琴)』は事実を語るべきであり、事実をありのままに語っているのであれば、証言に、食い違いの起きるはずもなかった」、「さらに驚いたことには、夏淑琴は日本に来日して証言もしているのである」等と記載された。
 それに対して夏さんが名誉毀損と人格権の侵害で東中野氏と出版社展転社を訴えた裁判です。


■夏淑琴さんよりメッセージ ■


私の裁判が最高裁で勝訴したと聞き、とても嬉しいです。70歳過ぎに裁判が始まり、 私はもう80歳です。私はいつも心配していました。夢にまでみるほどでした。自分 が生きているうちに最終的な結果が出るのだろうかと考えていました。本日、ついに 勝利しました。
 私はここで、南京大紀念館の朱館長、談臻弁護士、呉明秀弁護士、日本の弁護団 に感謝を申し上げます。彼らは私の裁判のために多くの仕事をして下さりました。 私の、言われなき罪を洗い流すために、とても苦労したと思います。彼らはすごいです。 無実の人を陥れる日本の日本の右翼を見事に撃墜し、私の潔白を証明しました。勝訴を迎え た今も、私はやはりこう言いたいと思います。
私は偽の証人ではありません。私は南京大虐殺の生存者であり、真の歴史証人です。

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■ 朱成山館長(侵華日軍南京遇難同胞紀念館)よりメッセージ ■

 本日、皆さんよりお送り頂いた日本最高裁判所の夏淑琴名誉毀損裁判についての判決を読みました。裁判が最終的な勝訴を得たことを知りました。私は侵華日軍南京遇難同胞紀念館と南京史会を代表して、皆様に心から祝福を申し上げ、また皆様が苦労を惜しまず裁判にご尽力されてきましたことに心からの敬意を表します。
 夏淑琴名誉毀損裁判は、李秀英名誉毀損裁判に続く、南京大虐殺事件の被害者の名誉を守る裁判でした。更に言えば、南京大虐殺の史実を守る裁判闘争でした。
 日本の東京地方裁判所、東京高等裁判所、最高裁判所が均しく公正な判決を下し、喜び、安堵しました。この判決が、再度、南京大虐殺の歴史を否定することは許されないということを証明しました。
 夏淑琴さんの裁判の件では、皆様方は苦労を惜しまず南京へ来られ、聴き取りをされたり、夏淑琴さんの訪日、出廷のために心血を注がれました。皆様の崇高な理念、正義、被害者の権利を守るために尽力され、実際的な行動によって中日友好に貢献されたその行動に、心より感謝申し上げます。歴史を直視し尊重してこそ、中日両国国民の相互信頼、民族和解は堅固な基礎を築くことができ、共に平和な未来を構築できるのだと信じています。

館長 朱成山
2009年2月6日


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■ 談臻弁護士(夏淑琴名誉毀損事件弁護団補佐人)よりメッセージ ■

 2月5日、日本の最高裁判所が夏淑琴名誉毀損裁判について最終決定を出し夏淑琴は勝訴を獲得しました。この裁判の勝訴のために努力をされてきた日本の夏淑琴名誉毀損事件弁護団、支援団体の皆様に、江蘇法徳永衡律師事務所一同、熱烈な祝福を申し上げます。
 夏淑琴名誉毀損東京裁判は夏淑琴名誉毀損南京裁判と同様、重要な現実的意義、歴史的意義があります。このたびの勝訴は、法的側面から言えば、より一層、史実が守られることになりました。淑琴さんの名誉を守ったばかりでなく、亡くなった南京の30万の同胞の魂にとっても慰めとなりました。政治的側面から言えば、このたびの勝訴は東中野修道及び日本の右翼が南京大虐殺を否定し、歴史を改竄するといった行為に対する有力な反駁、暴露です。
 このたびの勝訴は、中日双方の弁護団の協力が実を結んだ良き成功例です。
 私たちは共同努力によって、さまざまな障害を克服し、歴史に学び未来に向かい、正義を貫いて平和を愛し、中日友好の発展に貢献できるものと信じています。

夏淑琴名誉毀損事件弁護団補佐人 
弁護士 談 臻

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1938年 南京 2月10日

2009-02-10 10:04:53 | Weblog

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
2月10日
昨日の夕方、福井氏が訪ねてきた。昨日、日本大使館に会いに行ったのだが、会えなかったのだ。なんと、氏は脅しをかけてきた。
「よろしいですか、もし上海で新聞記者に不適切な発言をなさると、日本軍を敵にまわすことになりますよ」
 クレーガーは上海で思った通りを言った。つまり、日本軍に具合の悪い証言をしたのだ。ロンドンからの長い電報、と言っても実は香港からで、クレーガーが書いたことになっているのだが、福井氏はそれを例に出して、クレーガーは日本に悪意を抱いているといった。
「それならどう言えばいいんですか?」私が聞くと福井氏は言った。「ラーベさんの良識に任せます」
「つまり、報道陣にこう言えばいいんですね。南京の状況は日に日に良くなっています。ですから、日本軍兵士の恥ずべき残酷な行為についてこれ以上報道しないで下さい。そんなことをすると、日本人と我々の不協和音をますます大きくしてしまうだけですから、と」
 すると非常に満足そうな答えが返ってきた。「それでけっこうです!」
「わかりました。それでは私に、あなたの上官である天谷少将、それからドイツ語を達者に話すという本郷忠夫少佐にもきてもらって、こういう問題を個人的に話し合う機会をいただきたい。我々はあなた方と、つまり日本軍とももうこの辺でよりよい関係を結んで友好的に協力し合いたいと思っているんです。それなのになぜ、鼓楼病院によこしてくれと私たちが懇願している外国人の医者や看護人を南京に入れようとしないのですか?どうして上海から食料品を取り寄せることができないんですか?赤十字病院を訪問できないのはなぜなんです?あそこへ食料を支給しているのは我々なんですよ」
 福井氏は肩をすくめ、同じことを繰り返すだけだった。
「もしあちらで不適切な発言をなさると、日本軍を怒らせてしまいます。南京には戻れなくなりますよ!」
 中国人の使用人を連れて行ってもいいかと聞くとこういった。
「どうぞ。でもその男は決して南京には戻れませんからね!」
 
 

「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
2月10日 木曜日
 男子教職員宿舎と隣保館はみじめな光景を呈している。どちらもいまなお避難民で溢れている。午前中、陳さんといっしょに調査に出向いた。比較的に年齢の高い人たちにたいし、安全区外の自宅へ帰るよう再度説得に努めた。若い女性たちのためにそうしてほしいと頼んだのだ。だが、彼女たちは「わかりました」と何度も言うだけで、帰っては行かない。教職員宿舎も 隣保館も避難民の家族で溢れていた。一部屋当たり数家族というありさまだ。床も壁もひどい状態だ。さらに悪いことには、阿片常習者とその妻が部屋の1つにいて、途方もない部屋代を徴収しているのだ。私たちが彼に、女子学院のためになることをしてほしいと言った、というのがその男の言い分だ。私たちは誰も、阿片常習者に対処できるほど器用ではない。
 今日の午後は訪問者が4人あった。放送ニュースを伝えるためにやってきたジョン・マギー、スマイス博士を探しにやってきたバスさん、乳児に粉ミルクを与える問題についての相談にやってきたルイス、午後の礼拝のあとやってきた唐博士だ。ちなみに、粉ミルクはたくさんあるものの、乳児のためにそれを使う方法を母親たちに教えることのできる人が足りないのだ。
 5時から6時の間に魏師傳と一緒に広東路西へ向かった。私たちが安全区の旗を掲揚した12月11日以来、そこには行っていなかった。戦争による破壊を、まさに語らずして鮮烈に示す証拠であろう。そまつな小屋でさえも大部分が廃屋になっており、なかには焼け落ちたものもあった。人が住んでいるのはごく少数の家だけで、それもお年寄りだった。彼らはどんな生活状況かという質問にたいして、兵士は頻繁にはこない、彼らの中には慎みのある者もいれば、お金がないかと家探しする者もいるし、「花姑娘」(若い娘)を執拗に捜す者もいる、と答えた。夜を過ごすために安全区に戻って行くかなりの人たちと途中で行き合った。
 ある家のことだが、そこには男性が4人いた。私たちの見るところでは、彼らは、今でもほとんど人の住んでいない西門地区に出かけて行っては家々から扉や床板を取り外し、それを薪の束にして避難民に売ることによって生計を立てているのだ。もっとも、彼らはそんなことを認めはしなかったであろうが。私は、巻いた布地を黄麻布の袋に何本も入れて持ち歩いている若者と行き合った。彼は、買ったのだ、と言った。おそらく買ったものであろうが、しかし、それは盗品であった。私たちは、たとえ盗品の誘惑がどんなに大きくても、みんながあらゆる種類の盗品の不買運動をしたら、南京の状況は変わるのだ、ということを彼に理解させようとした。


「Imagine9」【合同出版】より


想像してごらん、


武器を使わせない世界を。

 

Imagine,

A world that doesn’t

let weapons be used.

 

憲法9条はどんな軍隊より、どんな核兵器よりも大きな力をもっています。なぜなら、核兵器はけっして平和をもたらさないからです。
それはこれまでの歴史が証明しています。
核兵器はこれまでに何十万人もの人々の命を奪い、国を破壊してきましたが、世界はまだ暴力と戦争だらけです。(アメリカ/男性)

 

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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