「2083―ー欧州独立宣言」日本語版

グローバル極右界の「共産党宣言」、現代世界最大の奇書

高等教育の中のPC主義(p23~)

2012-09-10 21:45:29 | 米国
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 ソクラテスの時代から西欧の大学を支えてきたリベラル・アーツと討論の自由の伝統が急速に失われようとしている。PC主義過激派が保守派の新聞を焼き討ちしても学部長は何もしようとしないばかりか、陰で支える。賢明なる多くの学生は、いつPC主義の大審官が自分たちの真理追求作業を裁きにくるかと震えている。その作法は「言論コード」などわかりやすいものだけではない。
 疑いなく、PC主義は大学から始まった。倫理を根底から把握しようとしたユダヤ・キリスト思想とは別に、世界を掌握しようとするイデオロギーが近代に発展し、20世紀の共産主義社会を生み出した。
 西欧ではイデオロギーが秩序ある自由の伝統を覆すことはなかったが、転機が1960年代に訪れた。学生デモをやっていた一部の輩が大学内に入り込み、「文化マルクス主義急進派」となって大学の上層部を少しずつ制圧したのだ。彼らは大学の学長となり、PC主義という抑圧的政策を学生たちに実施した。

 イデオロギー対リベラル教育

 西欧人が信じていたリベラル教育の理念が今、PC主義の教育によって揺らいでいる。かつてジョン・ヘンリー・ニューマン枢機卿は「リベラル・アーツ」を人類の叡智と美徳を支える解放的学問と呼び、即興的な結果しかもたらさない「サーヴィル・アーツ」と区別した。今、ニューマンが生きていたら、間違いなくPC主義に基づく学問を「サーヴィル・アーツ」の側に割り振るだろう。熱狂的なPC主義の教師たちが生徒たちに客観的真実の追求を放棄させ、生徒たちをPCドクトリンの従者にしようとしているからだ。

 破滅的なカリキュラム

 PC主義の先導者達は「多文化主義」の名の下で、大学で西洋の伝統を学ぶ機会を奪っている。PC主義者は教会が形成してきた西洋社会の構造を改造するために、文化相対主義というものを学生に注入しようとしている。
 ここで米国の名門スタンフォード大学のカリキュラムを取り上げる。同大学は1988年、西洋文明を学ぶ長年の伝統を打ち切って、「文化、思想、価値観」という多文化主義プログラムを始めた。この時から、同大学ではプラトンやシェイクスピア、ニュートンの学問と同列に、中米のマルクス主義革命を学べるようになった。
 今やスタンフォードでは歴史関係の講義を一つも受けなくても卒業できてしまう。最近の卒業生の話によると、プロテスタント主義、アイリッシュ系アメリカ人、大西部に関する講義だけでは必須とされる「米国文化」の単位を満たしきることはできず、代わりに「米墨国境地帯を舞台とした映画と文学の表象論」とか、「現代の民族ドラマ」とかを受けさせられる。他の科目では、「チカーナの文化表象」とか「ルネサンス期の女性嫌悪とフェミニズム」という講義も取らされるようだ。
 こういったエリート大学での科目編成はやがて、低偏差値の大学にも「トリクルダウン」していき、未来の西洋人に多大な損害を与えるいる。

 不寛容と自由への攻撃

 言論コードや「感受性コード」によって学問の自由が脅かされている。まだテニュアじゃない若い教員たちは出版物だけでなく、発言一つ一つにまで気を遣わされている。PC主義が生み出した重い空気は、1950年代のマッカーシズムで形成された空気よりもひどいものだ。
 もちろん最大の犠牲者は学生だ。大学は文化を次世代へと伝えるリベラル・アーツの場ではなく、政治教義を注入する場と化してしまった。とある有名な学者は、「高等教育の場がどんどん人の態度と意見を一つの型にはめる場になってしまっている」と嘆いている。閉ざされた大学は政治的な管理人が社会変革の実験を行う場所と化し、一種の全体主義社会を作り出している。

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