「2083―ー欧州独立宣言」日本語版

グローバル極右界の「共産党宣言」、現代世界最大の奇書

解体される父権制(p1147~)

2013-02-24 21:36:45 | 米国
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エドナ・マックニコラス


 出典不明

 家族制度は国内の世上空気と性役割により形成される。ビクトリア朝時代と1950年代には、扶持を稼ぐ父と専業主婦、2人以上の子供という核家族が理想視された。この家族形態は当代も右派や宗教者によって賛美されているが、30年間の社会変革によりこれを米国で顕現させている家族は5%しか存在しない。
 
 我らの辿った道
 第二次大戦後、政府はフロイト心理学的に屈強夫戦士と受動良妻を賛美するよう人民に性役割を導向してきた。女は夫に従順にし、直接大金を稼ぐべきでないとされた。しかし、この性役割は女だけでなく男にとっても「選択の機会を制限」し、欲望を抑圧するものでもあった。
 一方、黒人家庭の性役割はより対等だった。人種隔離法のせいで、男が女のために食い扶持を稼ぐことが必ずしも可能でなかったからだ。そのため、娘も自力で稼げるようにと、両親もより男女平等的な育児を行った。
 1960年代に大きな転機が訪れた。学生運動、人種差別への公民権運動、ベトナム反戦運動、性抑圧に抗する第二次フェミ潮、白人至上主義への抗議が昂揚し、父権的だった米国世上に公私両面で永劫的影響を与えたのだ。以下では、経世面での性役割の変動を「自立か夫愛か」という論争より考察したい。

 経世的な性役割の変動
 伝統家族では、男はより実学的に、女はより感情的になるよう躾けられた。その結果、男は経済面で自立し、栄達への道を独占したが、女はその分家庭内に押し込められた。そのため、女たちは少しでも自立しようと外界で労働しようとした。
 1960年代以降、未曽有の数の女性が専門職にまで進出するようになった。女は意識改革してある程度の男女平等を達成した訳だが、男は不都合な部分に於いては社会の変革を拒んだ。社会進出した嫁に対して、家庭内でも従来通りに全責任を負わせようとしたのだ。家事や育児でも対等に責任を負えという主張は見失われた。

 性交感
 1960年代以前まで、婚前性交は禁忌とされていたが、実際には男だけがその果実を享受していた。1960年代以降、この二重基準を女子用に対等化しようとする動きが昂揚し、愛情なき性交までが世に跋扈するようになった。これは概ね女性側にその原動力がある。当時の脱工業化社会への風潮と相俟って、多くの者が自由恋愛の婚前性交を「欲望自治」として求めたのだ。
 自由性交の成果は、フェミ娘の想定を超えるものだった。1970年代を通して青少年の性感覚は解放されていき、1969年から16年間で婚前性交を罪悪視しない青年の数は35%も増加した。その結果、婚前妊娠の件数も増えたのだが、女たちは避妊薬を駆使してより自由性愛を謳歌するようになった。これもまた、女たちの経済自立が進んだからだろう。伝統型の子女も早熟な性交を望むが、これは性役割的な自尊心のためであって、避妊薬を用いることはなかった。
 女が性交渉で客体から主体になろうとすると、男も俺の嫁征服計画の野心を捨て、より平等な性愛を求めるようになった。これも自由性愛が人気だからだろう。

 結婚
 従来の男女交際は結婚を前提としたものだった。夫は嫁に美貌を求め、嫁は夫に自分の将来基盤ともなる偉業や名声、職歴を求めた。
 しかしこの30年間でフェミ系の思想が浸透した結果、男も女も相手に知性と感性を求めるようになった。女は交際過程で恋会はおろか相手選択の主導権まで握るようになったのだ。結婚は長期関係の目標から心身を充光させるものになったのだ。

 自立か夫愛か
 従来は男が経世自立と権威を独占していたが、最近になると性役割が平等化し、双方が経済的に自立するようになり、夫の愛もより共有的なものになった。双方が家族内の背景を持つようになったのだ。
 夫婦は互いにそれぞれの目標を追求するわけだが、どれだけ性役割の平等化が叫ばれても、在来の性役割が意識から消えることはない。そのため、要求を拒絶され、相手から愛されなくなるのではと男女は常に自問している。
 今日、こうした自立と愛情の綱引きは成熟した恋愛関係の一部となっている。

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