*
苛烈に踏み込みながら、グリゴラシュが口元に笑みをが浮かべる――それを目にして同じ様に口元をゆがめ、アルカードは
およそ常識の範疇からかけ離れた圧倒的な強度の魔力補強を施された長剣が
同時に放出された衝撃波に煽られて、並べられた本棚がぐらりとかしいだ――近くにあった本棚が向こう側に倒れ込み、それが別の本棚にぶつかって、数架の本棚がドミノ倒しの様にして倒れ紫檀の机を押し潰す。
実に立派な書斎だが――
破壊するのを惜しいと思いながらも、アルカードは再び剣を振るった。衝突の反動で剣を離し、互いに位置を変えながら、もう一撃――バサバサと音を立てて落下してきた分厚い辞書が斬撃の軌道に巻き込まれてまっぷたつに切断され、衝撃波に煽られて掃除の手の届かない場所に堆積していた埃が舞い上がった。
まるで粉雪の様に舞い落ちてくる埃で白んだ視界の中で、レーザーの様に輝くグリゴラシュの真紅の瞳がすっと細くなる。
ふっ――鋭く呼気を吐き出しながら、グリゴラシュが床を蹴った。真直に撃ち下ろしてきた一撃を、水平に翳した
グリゴラシュの左体側に向かって踏み出しながら、彼の長剣の物撃ちをこすり上げる様にして胴を薙ぎにいく。グリゴラシュがこちらの鋒が届くよりも早く後方に跳躍したために、その一撃は空を斬っただけに終わった。
「ち……」 唇をゆがめて、グリゴラシュが舌打ちを漏らす。それにはかまわず、アルカードは床を蹴った。
「
ショルダー・タックルを喰らう前に、アルカードは後方に後ずさった――グリゴラシュが踏み込みながら、左脇に巻き込んだ長剣を横薙ぎに振るう。
アルカードは左手を翳し、掌でその一撃を受け止めた――左手を鎧う手甲を包む
さすがに『矛』は無理か――
反撃をしくじったことに気づいて、舌打ちを漏らす――今の左手の受けで長剣を破壊してやろうと思っていたのだが。
同時に繰り出した
「ぬ……」
小さく毒づいて長剣を握り直し、グリゴラシュがこちらの攻撃を迎え撃つ。
苛烈な衝突音とともに幾度と無く激突した長剣が撒き散らした激光と火花が、照明の落ちた室内を昼間の様に明るく照らし出した。
そのまま再び剣を撃ち合わせる――六、七、八、九、十。
対象の
ひゅ、という軽い風斬り音とともに、グリゴラシュの繰り出した長剣の一撃が視界を水平に割っていく――わずかに上体をのけぞらせてそれを躱しながら、アルカードは口元に笑みを浮かべた。
左肩に巻き込んでいた
するより早くグリゴラシュがこちらの右肘の回転を左手で止め、そのまま押し出す様にしてアルカードを突き飛ばした。上体を崩されたところに、グリゴラシュが振り抜いた長剣をそのまま切り返して首を刈りにくる。
小さく舌打ちを漏らして、アルカードは再び踏み込んだ――グリゴラシュの内懐に飛び込んで、同時に左腕を鎧う手甲の
みしりと音を立てて骨がきしみ、グリゴラシュが表情を引き攣らせた――両腕を鎧う手甲の上から
そのまま手首を返してグリゴラシュの右腕を捕まえ、同時に上体を捩り込んで胴甲冑と草摺の隙間から
するよりも早く、グリゴラシュは弾かれた様に後退している。瞬時に振りほどかれた左手を見下ろして、アルカードは口元をゆがめて笑った。左の腰元に取りつけた鞘に短剣を納め、グリゴラシュが左手を長剣の柄に添える。
わずかに重心を沈めてから、グリゴラシュが前に出た――後方に跳躍した鼻先を長剣の刃がかすめ、壁に造りつけられた本棚が破壊されて蔵書が床の上に撒き散らされる。
いったん振り抜いた長剣を頭上で旋廻させ、グリゴラシュが角度の深い袈裟掛けの一撃を繰り出した。
……くそ!
派手に咳き込みながら、アルカードは身を起こした。グリゴラシュが笑っている――笑っている。笑いながら、グリゴラシュが床を蹴った。
しっ――歯の間から息を吐き出しながら一気に間合いを詰め、グリゴラシュが手にした長剣を振るう。
立ち上がって
空中で猫の様に体をひねり込んで着地――追撃してきたグリゴラシュの撃ち込みを剣の横腹を撃ち据えてそらし、その反動で
「――!」 声にならない悲鳴をあげながら、グリゴラシュが弾かれた様に跳躍して距離をとる――小さく舌打ちを漏らして、アルカードは
左太腿を鎧う装甲の隙間に仕込んだ
しっ――歯の間から息を吐き出しながら、グリゴラシュが前に出た。大上段から振り下ろされてきた長剣の刃を右にサイドステップして躱しながら、寄せ斬りを繰り出して胴を薙ぎに行く――グリゴラシュが左手を柄から話して短剣を抜き放ち、その一撃を受け止めた。霊体武装と魔力を這わされて一時的に霊的武装としての特性を与えられた短剣の刃が接触し、紫色の火花を撒き散らす。
「ぬ――」 うなり声をあげて、グリゴラシュが長剣を保持した手首を返す。どのみちグリゴラシュは長剣の柄から左手を離している。右手一本では、そのままの体勢から左腕の外側に廻り込んだアルカードには攻撃出来ない。
無論手首を返して床に喰い込んだ長剣を引き抜き、左足をステップしながら振り回すことは出来る。出来るが――
グリゴラシュが弧を描く様に左足をステップしながら、右手で保持した長剣を横薙ぎに振り回す――が、片手での動作、体勢も悪く、時間も十分。
おまけに両足の位置が悪い――体はこちらと正対し、両足は体の向きとそろっていて、どんな行動を起こすにもまず足をずらして体を横に向けねばならないからだ。両足が開きすぎているために、横跳びに躱すのも難しい。
アルカードはすでに上体を沈め、その一撃の軌道から逃れている――同時に一歩後退、追撃を仕掛けるには先ほどの間合いのままでは近すぎる。
そのまま残った前足を半歩踏み込んで、膝を刈りに――
鋒で床を撫でる様な低い軌道で繰り出された
グリゴラシュは後方へ跳躍しながら手首を返し、右から左へと振り抜いた長剣を今度は逆方向へと水平に振り抜いた――だが遅い。
そもそも戦闘時において、自分と敵との間を結ぶ直線に対して両足の位置が直角の線上に来る、つまり完全に相手に対して体が正対している状況というのは悪手以外の何物でもない――両足の位置がずれていないと、体重移動を起こせないからだ。
グリゴラシュの場合も、当然そうなる――だから後退動作の跳躍の前に、まずは片足を後ろに踏み出して荷重移動を起こしやすい体勢に移動する一歩が必要になる。それはすでに攻撃を
残った右足の膝を薙がれて、グリゴラシュが仰向けに転倒する――同時にグリゴラシュが投げつけてきた短剣が咄嗟に頭を傾けて躱したアルカードの頬をかすめ、ひりつく様な痛みにアルカードは舌打ちした。頭部の
その場で後転し、グリゴラシュが体勢を立て直し様に長剣を薙ぎ払う――こちらの追撃を防ぐための一撃だったが、アルカードが追撃を仕掛けなかったためにその一撃は空振りに終わった。
深々と薙がれた右足を見下ろして、グリゴラシュが小さく舌打ちを漏らす。一応立つことは出来るらしいが――
どうやらそこは野郎どもの夢の部屋、シアタールームであるらしい――左手の奥に巨大な日本製のプラズマテレビ、その両脇にはこれまた巨大なスピーカーが鎮座している。
「さて――」 つぶやきを漏らして、アルカードは
*
「よし、出来た出来た」 日がすっかり傾いて空が赤らみ始めたころ、アルカードが完成した犬小屋を機嫌よさそうにポンと叩いた。
遂に完成した二階建て犬小屋は一階二階それぞれにデッキを持ち、小屋の屋上にも登れる様になっている――両側面と背面の開口部はいずれも、そこから
それを横で眺めながら、リディアは溜め息をついた――アルカードはやたらとデスメタルな鼻歌を歌いながら、続いてどこからともなく取り出した折りたたみ式のナイフで犬用金網の梱包の段ボールの樹脂テープを切り裂いている。
アルマはテンプラを抱っこして軒先に腰を下ろし、アルカードの作業を興味深そうに眺めている――エルウッドはとくに師を手伝う素振りも見せず、テレビのニュースを眺めていた。
アイリスはこちらも手持無沙汰になってきたのか、アルカードの部屋のキッチンを勝手に使って夕食の用意をしている。どうやらここで食べていくつもりらしい。それでいいのだろうかと思ったが、アルカードがなにも言わないことからすると珍しいことでもないのだろう。
パオラはソファーに腰を下ろして、エルウッドと一緒にテレビを眺めている。
どうも普段のニュースではなく、今朝未明に近くの町で起きたテロ事件――警察はどうもそう判断している様だった――を報道しているらしい。人的被害こそ出ていないものの、街中ではそこかしこで破壊の痕跡が確認されており、特にひどいのは例の瓦礫の山だった。
いったいどんな手段をもってすればあそこまで徹底的に破壊出来るのか、リディアには想像もつかない――いつの間にか鼻歌がデスメタルからルパン三世のテーマソングに切り替わっている吸血鬼を見ながら、リディアは溜め息をついた。
あの吸血鬼なら、必要ならやってのけるのかもしれないが。
アルカードは窓の外に設置した犬小屋の床にマットを敷いて、仔犬たちをそこに誘導している――それまでの寝床だったらしい大きなバスケットの中から取り出したものなので、匂いが染みついているからか、仔犬たちは結構あっさりと馴染んだ様だった。
まだ小さな三頭の中型犬にはかなり広々とした犬小屋――セントバーナードの様な大型犬の多頭飼いを想定したキングサイズだ――の中でころころ転がっている仔犬たちを確認して、アルカードが窓際に立っていたフィオレンティーナに視線を向ける。
「お嬢さん、そこの電撃殺虫燈を取ってくれないか」
先ほどからなにを考えているのか上の空の様子のフィオレンティーナは、アルカードに声をかけられているのに気づいた様子も無くそのままだった――もともと彼女がすぐそばに立っていたから声をかけただけで、彼女が本気で気づいていないのなら無理矢理に気づかせるほどのこともないということか、アルカードは適当に肩をすくめて自分で殺虫燈の箱を引き寄せた。
電撃殺虫燈のパッケージの樹脂テープをナイフで切断し、段ボールを開封して中身を引っ張り出す。
アルカードはしばらく考えてから、少し離れた個所にある配水管を壁に固定している金具から吊り下げることにした様だった――少し高い位置につけておかないと、仔犬たちが殺虫燈の光を見て目を悪くしてしまうだろうが。
電源はエアコンの穴から、室内に引き込めばいいか――そんなことをつぶやきながら、アルカードがエアコンの穴に手を伸ばす。殺虫燈の電源コードは室内まで十分入りそうなのだが高さがあって手が届かないらしく、アルカードはあきらめたのか手を離した。
振り子みたいにぶらぶら揺れている電源プラグを見下ろしてから、アルカードは壁の穴に視線を向けた――電源プラグがひとりでにふわりと浮き上がり、まるで目に見えない手がそうしているかの様に壁の穴へと潜り込む。
「……!」 その光景を目にして、リディアは息を呑んだ。
見ていたのは自分だけだった様だが――
高位の吸血鬼は、魔術によらずに手を触れることなく物を動かしたり、可燃物を発火させたりする能力を持っている――だがリディアの知る限り、『剣では』ですらその能力は持っていない。
否、リディアが知らないだけかもしれないが――
アルカードは教会の協力者なのだから、アルカードの知識は大部分聖堂騎士団の主要訓練項目として教育課程に入っているはずだ。すなわち『剣』が
アルカードは、『折れた剣』――ドラキュラにみずから望んで血を吸われながら、一度も他人の血を吸うこと無くドラキュラのもとから離反した吸血鬼だ。
一度も他人の血を吸っていない――はたしてそれは
未吸血の『剣』であるアルカードがドラキュラを追い続け、本来ロイヤルクラシックしか持たないはずの能力も備えている――その意味についてじっくり考える間も無く、金髪の吸血鬼は外履きの靴を脱いで掃き出し窓から室内に上がった。
エアコンの配管を通しているらしい穴を通り抜けて室内に顔を出した電撃殺虫燈のプラグを手に取り、窓際の壁に高い位置に設けられた二極のコンセントにプラグを差し込む。
それで殺虫燈が青白く光り出すのを見て満足したのか、アルカードは網戸を閉めた――床の上に放り出された段ボールを束ねて、窓際に寄せる。
アルカードはリビングから出ていくと、十数秒経ってから木製の簀子を持って戻ってきた。それを犬小屋の入り口の前に置いて、その上に飲み水を入れたステンレス製の小鉢を置いておく。
彼は犬小屋の周りに可動式の囲いを設置し終えると、喉が渇いたのかそのままキッチンに歩いていった。
冷凍庫の中から取り出した金属製のカップに注いだ野菜ジュースをその場で呷っている――過ぎたるは及ばざるが如しということか、さすがにこれ以上カフェインを摂取する気にはなれなかったのかもしれない。
「ところで、なに作ってるんだ?」 そう尋ねながら、アルカードがアイリスの手元を見下ろす。すでに食べられる状態だったのか、アルカードが手を伸ばし、
「師匠、駄目よ。お行儀の悪い」
「おっと」 手をはたかれたのかペチンという音とともに、アルカードが笑いながら手を引っ込めた。
アルカードはアイリスの作業の邪魔になるからか、スノーピークのマグカップを流し台に置いてリビングに戻ってきた。
簀子の上に出ていた仔犬たちが、開け放されていた掃き出し窓から室内に戻って、アルカードの足元に寄っていく。アルカードはかがみこんで床にひざまずくと、ウドンが伸ばした前肢を軽く握った。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます