【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

天山山脈 南部の旅 【壱】

2010-12-30 22:08:18 | 浪漫紀行・漫遊之譜
  【 入竺僧の旅程 玄奘/BC.629年-BC.645年  法顕/BC.399年-BC.413年 】


 唐王朝の時代 幾多の仏僧がインドを目指した。 仏典を求め、真理を探求する目的だけで。 灼熱の砂漠・酷寒の高地を越えた。 砂漠に足を奪われ屍を晒す、氷河に足を滑らせ帰らぬ人となる。 法顕・恵生・玄奘・慧超・悟空は歴史にその名を残すも、多くの仏僧が山野に臥した。 ドイツのオッペンハイマーが名づけしシルクロードは歴史とロマンの街道である。
 ”厳冬のパミール越え”で カシュガールからキルギスタン シルクロードの一部を紹介した。 今回は天山山脈は南山麓 天山南道の紀行である。 歴史と浪漫を開帳しよう。

 ウルムチ発カシュガール行きの飛行機は満席であった。 足下の天山山脈は雲の下にあり 機体はその上空を飛ぶ、高度1万m程度であろうか。 約二時間 1200kmの飛行である。 時折 雪嶺が伺えるも全貌は見えぬ。 天山は広大である。 ウイグル族の友人・マリヤムも機上している。 彼女は国家試験は旅行ガイドの資格を持ち、各所の拝観料は罷免 ホテルも特別料金で賄えるゆえ 同行を依頼した。 タクラマカン砂漠最南方のホータン出身だ。
  
 カシュガール飛行場にて値段交渉後、参内のタクシーにて色満ホテルに入る。 昼過ぎであった。 ホテルは閑散としている。 街全体も やたらに広いだけで活気が感じられない。

 この色満ホテルは 過日 ロシア帝国の領事館であった。 パミール高原西部を支配したロシアは混乱に乗じて天山山脈北部の豊潤なイリ地方を武力制圧するも 清朝に奪い返され、天山山脈南部のシルクロードは”天山南路の拠点・カシュガール”に堡塁を構えた。 大英帝国はアフガニスタンを制圧し、北上した。 この色満ホテルから遠からぬ南側に領事館を設けた。 清朝は新疆省の経営に勢力を注ぐ。 三つ巴の攻防を展開したのは100年前のことです。
 カシュガールと言えばシルクロードの要点、東西交易のかなめのオアシスと考え勝ちですが、上記 参考図で玄奘や法顕がなぜこの地を通過せずに遠回りの北方ルートでインドに向かったのでしょうか?
 マルコ・ポーロはアフガニスタン経由でこの地に入っています。 この地の賑わいを記しています。 しかし 現在 なぜ この地に歴史的な遺構が少ないのでしょうか? 天山南路の旅が この答えを出してくれる。

 さて、 日程の打ち合わせ後 クチャに向かう汽車の切符購入に向かい、市内観光に出る。

              
 【エイテガール寺院 ・ ナミレット】       【バザール風景 ・ 駅舎風景】

 カシュガールには二日滞在した。

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