【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

未知の世界へ 関野吉晴 =022=

2018-02-15 06:11:47 | 浪漫紀行・漫遊之譜

〇◎ 未知の世界へ飛び込んでいく関野吉晴 ◎〇

= ほぼ日刊イトイ新聞_2013-03-22-FRI “【グレートジャニー人類の旅】展開催時の対談”より転載・補講 =

☠ “人類の旅”に魅せられた関野の探求心はどこから来たのか  ☠

◇◆ 〝グレートジャニー“と言う壮大な旅  =2/2= ◆◇

1993年、関野吉晴(せきのよしはる)という探検家がその、いちばん長い距離を旅した人々の来た道を、逆向きにたどることをはじめた。 南米最南端のナバリーノ島から、アフリカ・タンザニアまで。 それが、関野さんの「グレートジャーニー」です。

「太古の人々が旅で感じていたことを、自分も味わってみたい」 そう思った関野さんは、自動車やバイク、電車、飛行機といった「近代的動力はつかわない」というルールを自分に課し、徒歩や自転車、カヤック、馬、らくだ、犬ぞり、トナカイのそりなどを使い、旅をしていきた。

彼は言う「自分が操れない動物は、土地に暮らす人々に、その扱い方を教わって、「自分で括れるようになったら、つかっていい」 というルールにしたそうです。ベーリング海峡など、一度で渡ることができず何度目かの挑戦でやっと進めた箇所もありました。」

先へ先へ急ぎすぎるのではなく、「寄り道」を大切にしながら旅をしよう、と考え、世界のあちこちで、さまざまな家族のもとに滞在させてもらいながら。そして最終的に、関野さんは足掛け10年で、「人類最古の足跡の化石」があるアフリカ・タンザニアのラエトリまでたどりついた。 どんな旅だったかを、彼が記録した写真の一部で紹介します。

関野吉晴氏の足かけ10年の旅は、2時間のドキュメント番組8本となり、1年に1本のペースで放映され、大好評を得ました。「グレートジャーニー」に出かけたことで、南米からアフリカまで一本の線を引いた関野さんは、今度は「日本に暮らす人がやってきた道」の線もそこにつなげてみたいと、2004年から、2011年までの期間に、「新グレートジャーニー」として、日本列島に人類がやってきた3つのルートをたどりました。

それぞれ、北からと、中国・朝鮮半島からと、海からのルートです。 こちらの旅のすごさをひとつ、お伝えすると、そのひとつ「海のルート」をたどるにあたり、関野さんは、「砂鉄を集める」ことから旅をはじめていったのだそうです。 集めた砂鉄を、日本の昔ながらの「たたら製鉄」で製鉄し、斧や鉈などの道具をつくり、それらを使って、舟をつくったのです。 そしてつくりあげた丸太舟で、インドネシアから石垣島までの約4700キロの航海に成功しました。

そして、このたび、関野吉晴さんが、国立科学博物館にて、「グレートジャーニー」「新グレートジャーニー」の集大成のような展覧会を開かれるそうで、糸井重里に「お会いしてみませんか」という話があり、「ほぼ日」上で、対談させていただくことになりました。 (糸井はもともと「グレートジャーニー」という番組のことが 気になっていて、DVDも持っていたのです)

関野吉晴さんは、1949年1月20日生まれ。 探検家であり、また、医師でもあり、現在は武蔵野美術大学で、文化人類学の教授をされています。糸井重里は、1948年11月10日生まれ。ふたりはたまたま、同級生でもありました。 関野さんの旅のように、あちこちへの「寄り道」を大事にしつつ行われた対談の連載は、次回からはじまります。

対談のすぐあと、糸井重里はこんなツイートをしました。 ♯;「グレートジャーニー」の関野さんと、対談でした。 ♯;話題は思いっきり寄り道ジャーニーだったけど、楽しかったよー。

=この連載の対談内容や記載写真は関野吉晴氏の長い旅の、ほんの、ほんの一部の記録です。 また、糸井重里氏との対談をより深く理解し、また 関野吉晴氏の行動哲学を深慮に理解するために【グレートジャニー“地球を歩いて気付いたこと / 講演会】の内容を並行して連載=

グレートジャニー“地球を歩いて気付いたこと / 講演会(2015-05-19-TUE)より=

弱いから、遠くまでたどり着けた(1/5)

みなさん、こんにちは。関野です。ぼくは「グレートジャーニー」という、アフリカで生まれた人類がどんなふうに世界に拡散したかの軌跡をたどる旅を、っとやってきました。

もともとぼくは、もう44年前、1971年に初めてアマゾンに行きました。そこから20年間は、南米ばかり歩いてきました。最初の10年はアマゾンをめぐりました。10年後からはアンデスとか、パダゴニアとか、ギアナ高地とかも行くようになりました。ただ、アマゾン以外の南米でも、リマなどの大きな町にはいないで、ほとんど先住民の人たちと一緒に暮らしていました。そして、南米以外は知らない状態でした。

南米の先住民の人たちと日本人って見た目がよく似てるんですね。ぼくが町から彼らの村に帰ってきて、お土産の太鼓とか弓矢とかを持って裸足で歩いてると、かならず呼び止められて、「あんたは何族だい?」と言われるほどなんです。
 そういったこともあり、ずっと「この人たちが、どうやってこの土地にきたを探る旅をしたい」と思っていたんです。彼らがどこからやってきたかというと、アフリカなんですね。今、72、73億いるわたしたち人類はすべてアフリカで生まれているんです。

6万年前、アフリカにホモ・サピエンスが登場しました。6万年前がどのくらい前か、ちょっと想像してみましょうか。今日、みなさんの中で、自分のおじいちゃんやおばあちゃんの名前がわかる人はどのくらいいますか?‥‥はい、ほとんどですね。

じゃあ、曾おじいちゃんや曾おばあちゃんの名前を知っている人は?すごいですね、けっこういます。では、家に帰って戸籍を調べたりしたら「10世代前」までわかるという方はいますか?‥‥今日はいらっしゃらないですね。ふつう1人くらいいるものなんですが。(会場笑)

・・・・・新節につづく・・・・・

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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