【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

超重元素合成研究グループデイレクター/森田浩介(01/13)_学究達=330

2022-11-03 05:35:00 | 冒険記譜・挑戦者達

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年11月03日<ⰧⰊⰧ

☆★  小林旭が演歌のネタにした見世物がニューヨークで初開催(1900年=世界初の自動車ショー)。☆★  ヴィルヘルム2世自らUボートにエクストリーム・カミカゼを命令したところ、水兵がブチ切れたばかりかあっという間にドイツ全土を巻き込む吊し上げに(1918年=キール軍港で水兵が叛乱。ドイツ革命が始まる)。☆★  東宝の大型新人ゴジラが銀幕デビューを飾る(1954年)。帝都縦断パレードにてファンクラブ自衛隊の熱烈な歓迎を受け全域が焦土と化した。

本日記載附録(ブログ)

地球上のありとあらゆるものは、様々な元素でできている、/なかでも「大きな元素」は自然には存在せず、人工的につくったものだ

大学院生の住田貴之とともに実験結果の初期解析を行なった結果、2012年8月に3個目の113番元素の合成を新たな崩壊経路で確認する

この実験が新元素の合成成功に結び付き、世界の科学者が“超重元素の錬金術師”と彼を呼び、113番元素は「ニホニウム」(nihonium元素記号:Nh)との命名される

【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

 様々な科学手法・長期間の反復実験を重ねる“超重元素の錬金術師”=森田浩介= 

森田浩介(01/13) ◇◆ 第一回 日本人初!の“超重元素の錬金術師” =1/3= ◆◇

    物質の元になっているのは、元素である。
 元素といえば、高校の化学で習う周期表をみれば、すべて書かれている。

原子番号が若い順から、「すいへーりーべーぼくのふね……」(水素H、ヘリウムHe、リチウムLi、ベリリウムBe、ホウ素B、炭素C、窒素N、酸素O、フッ素F、ネオンNe)であり、以下、続く。

元素(英語ではelement)は、その語感通り、物質の基本的な単位だ。地球上のありとあらゆるものは、様々な元素とそれが組み合わされた化合物でできている。化合物は新たな元素ではなく、いわば合成物だ。化学的な方法で新たな元素は作れない。昔の人は、錬金術などといって、安価な物質から金などの貴金属を作り出そうとしたそうだが、そういう努力は無駄であったと今では分かっている。

しかし、化学で周期表に初対面した時、原子番号が大きくなっていく下の段の方を見つつ、良心的な注釈(?)をしてくれる先生も多いかもしれない。

──地球上に自然に存在している元素は、原子番号92のウランまでで、それよりも重いものは、なんらかの方法で人間が合成し発見した。原子番号93のネプツニウムと94のプルトニウムについては、人工合成による発見ののち天然にも存在することが確認されたが、ごくごく微量だ。ウランよりも原子番号が大きな元素を超ウラン元素、あるいはさらに重い原子番号103を超えるようなものは超重元素(チョウオモ元素ではなく、チョウジュウ元素)と呼ぶ。

・・・・・というふうに。

 超ウラン元素の中でも、「有名」なプルトニウム(核兵器の原料として悪名高いとも言える)は、原子炉の核反応で生成される。20世紀なかばの水爆実験の後、いわゆる「死の灰」から見いだされた新元素もある。初期の超ウラン元素探究は、核兵器開発と密接に関連していた。しかし、20世紀後半からは、加速器を使って合成する研究が主流となっている。

 ここまできて、やっと本題。

 2012年8月、独立行政法人理化学研究所の森田浩介准主任研究員(現在は、超重元素研究グループ・ディレクター)らが、原子番号113の超重元素の合成に成功した。実はその7年前と8年前、つまり2004年と2005年の2度、森田さんらは同じ113番元素の合成に成功している。

ただし、この2回だけでは証拠として弱い、という指摘があった。2012年の発見は「弱い」部分を補強する結果で、113番元素の「発見」が確定したと考えてよい。森田さんは「超重元素の錬金術師」なのである。

・・・・・・明日に続く・・・

=== 参考資料: 森田浩介 ===

森田 浩介(もりた こうすけ、1957年1月23日 - )は、日本の物理学者(実験核物理学)。学位は博士(理学)(九州大学・1993年)。九州大学大学院理学研究院教授、国立研究開発法人理化学研究所仁科加速器研究センター超重元素研究グループディレクター。

また、これまでに独立行政法人理化学研究所サイクロトロン研究室先任研究員、独立行政法人理化学研究所仁科センター森田超重元素研究室准主任研究員などを歴任している。

実験核物理学を専門とする日本の物理学者である。1957年生まれ、北九州市若松区出身。理化学研究所にてサイクロトロン研究室の研究院、専任研究員を経て、仁科センターの森田超重元素研究室にて准主任研究員を務めた。

その後、九州大学に移り、大学院に設置された理学研究院にて教授に就任した。なお、理化学研究所においては、仁科加速器研究センターの超重元素研究グループのディレクターを非常勤で兼任している。

同研究グループのリーダーとして、113番元素「ニホニウム」]を発見。113番元素の合成実験は2012年10月1日で終了し、現在は119番元素(仮称:ウンウンエンニウム)の発見を目指している。

113番元素の発見
加速器を用いて光速の10%まで加速させた質量数70の亜鉛 70Zn を質量数209のビスマス 209Bi に衝突させる事で、当時は未発見だった113番元素を合成すると言う実験を行い、2004年7月23日に理化学研究所研究員の森本幸司とともにその実験結果の初期解析を行なった。

結果、生成物が113番元素そのものである事が判明した。この結果は同年7月30日付の論文として執筆され、同年9月28日に発表された。

2005年4月2日には2個目の113番元素の合成に成功したものの、まだ観測数が少ない事や、前回と合わせて2回とも2種類ある113番元素の崩壊経路のうちの1種類しか観測されていない事に加え、崩壊経路のうち質量数266のボーリウムBh は発見報告が一例しかなく、元素の発見の確定要素となる既知の原子核に到達したとは言えない事から、命名権に繋がる発見の優先権の獲得には至らなかった。

その後、この棄却理由に反論する為に、森田らは2008年から2009年にかけて、自分たちの手で266Bhの合成に乗り出し、その合成に成功した。

そして、2012年8月12日に東京理科大学大学院生の住田貴之とともに実験結果の初期解析を行なった結果、同年8月18日に3個目の113番元素の合成を新たな崩壊経路で確認する事が出来た。この結果は同年8月29日付の論文として執筆され、同年9月27日に発表された。

2015年12月31日には113番元素の命名権をIUPACより正式に認められ、2016年3月18日に名称原案をIUPACに提出し、同年6月8日に名称案が「ニホニウム」(nihonium 、予定元素記号:Nh)であることが発表された。同年11月30日に、IUPACよりニホニウムが同元素の正式名称として認定され、論文は現在、IUPACの審査報告を待っている状況である。

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= 新元素ニホニウムの発見  =

https://youtu.be/JbB-mrXWCz4

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=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

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