7日、以前より闘病中の母が他界しました。64歳でした。
この日の朝、連絡があり病院へ・・・午前11時前
私たちの見ている前で、眠ったまま苦しむこともなく・・・
スキルス胃ガンという進行性の胃ガンで
普通に完治したという話は聞いたことがありません。
手術できたとしても、5年生存率がわずかで予後も不良ということ。
母親は手術もできませんでした。
ガンが胃から外に顔を出していたためです。
余命は3~6か月、長くて1年という先生からの話でした。
スキルスのガンの場合、医師もお手上げのことが多いようです。
2007年の8月でした。
私はその話を聞いても涙が出なかったです。
なんとかしてあげたい・・・ただそれだけでした。
ネットで調べて、また漢方薬局の方とも話をして
「プリトンFD」 「シームゴールド」を母に飲ませました。
もうこれを信じるしかありませんでした。
母親も抗がん剤のTS-1が始まり抗がん剤と併用してがんばって飲んで
いたようです。
本人も気丈でガンと戦う気持ちでした。
とにかくやたらとプラス思考のところがありました。あきれるくらい・・・
そして・・・
約5か月後、がんセンターのCTでもガンが映らないレベルになり
一度は治ったと本人も私たちも確信しました。
スキルスが治った。奇跡が起きたんだと・・・2008年1月の終わりころ
このころが一番やりたかったことが出来たとおもう・・・
ところが、その3か月後また発症。
でも2008年中は自宅で普通に生活できていました。
ガンと付き合いながら・・・
今年(2009年)になり大腸に転移しました。
他の臓器とか腹膜転移、リンパ転移はなしなのに・・・
大腸を締め付ける痛みが出てきてから急に状態が悪くなってきました。
民間療法と抗がん剤でなんとかなっていたものが
入院して痛みをやわらげる方法にかわりました。
今年の3月初め・・・
3月の半ば、一次的な入院だと私も母もみんなが思っていましたが
数日後医師より退院はできないと・・・3月いっぱいもつかどうか・・・
そんな言葉が・・・私もこのころある程度覚悟をきめていましたが、
「治して退院する。」「家に帰る」と言っている母を見ているのがとても
つらかったです。
亡くなる1週間前は病室で退院の話を母としましたが、
1日前はもう会話もできない状態。一番くるしそうな母の姿でした。
母が亡くなり自宅に帰ったとき、母がつけていた闘病日記が
出てきました。本人の素直な気持ちがそのまま書いてあり
やっぱり辛かったんだな・・・でも気持ちは折れていなかったんだ。
私の前では最後まで気丈で弱さを見せない母でした。